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はじまりとしてのフィールドワーク

269-4(1209)はじまりとしてのフィールドワーク 自分がひらく、世界がかわる
李仁子、金谷美和、佐藤知久編、昭和堂、2008

ここんとこ、フィールドワークやエスノグラフィ、ライフストーリーなど、読んでいたから、「なぜないんだ?」「彼らには能力がないのか?」「自分がわかっていないんじゃないか?」「人のことを書く前に自分のことを書いたらどうだ?」と思っていたら、出ました。まさしく、文化人類学者を文化人類学する本が。

若い研究者が、どのようにフィールドを発見し、「こだわり」あるいは「ここだ」という確信を得ようともがき、自分なりのスタイルを獲得するまでを描いたそれぞれのエスノグラフィもおもしろいが、圧巻は「調査の終わりとH・B・W・C」ハードボイルドライティングカルチャー(川村清志)だ。

札幌大学准教授という位置に、具体的に、著者自身がどのように至ったかは、書かれていないが、普遍的な形で「文化人類学という業界は・・・」と書いてみせる。
・ 調査論は不在である。
・ 成功の公準はない。
・ フィールドにいた長さで、権威漬けランキングがなされる。
・ 新たな学問的挑戦は、外国からやってくる。
・ その潮流にのる若い研究者もいる。
・ しかし、その潮流は主流になることはないので、保守派は温存される。
・ 近年では、新しい潮流のサイクルが速くなってきている。
・ 長らくその変化を見て来た人にさらに権威が付与される。

ということで、しっかりとした情報の記録方法も記述の仕方も、なにも縛りのない学問は。フィールドワークという一期一会を記述する試み。学問となりえるのか?

著者の自認もおもしろいが、これこそがわたしが感じていた「エスノグラフィ」だ。調査者が「学者」となっていく方法、そして調査という対象との関わり方。
国際協力という関わり方がわたしたちの現実であるように、どこの何をフィールド・対象に選ぶとしても、そこには、「文化人類学者という蛮族がいる」のだ。

著者が記述し、入り込み、故郷のような関係を築いたその集落の、そのまつりは、過疎の中で、逼塞していく。著者によるエスノグラフィという活気がまずあり、そして著者がヤマを担ぐ側になったとき、また活気を与えられた祭りと地域。

生物的な絶滅危惧種に人間がかかわる手だてのようにはいかないのが、地域の文化の消失なのだなあ。

学問、学界、大学というフィールド・枠を獲得したものは、生き延びるんだなあ。

もちろん、鶴見俊輔さんのような、優れた在野・独立系フィールドワーカーが存在したことも、忘れられない。

「象牙の塔」なんていうのは、医学会のフィールドワークだったのだろうしね。小説と違うところはどこ?
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by eric-blog | 2008-11-28 10:47 | ■週5プロジェクト08 | Comments(0)

被差別部落の我が半生

269-3(1208)被差別部落の我が半生

山下力、平凡社新書、2004

奈良柏原市の水平社博物館を訪ねた時を思いだす。りっぱな施設であり、充実した資料が揃っていた。部落差別の歴史、部落解放運動が達成したものは、公的に、しっかり伝えていく必要があると思う。「部落であることが恥なのではなく、部落差別が日本の恥なのだ」ということを伝えるために。

消えぬ差別意識
人権侵害や差別を受けたときに、黙って我慢する人が日本人全体では6パーセント、部落の人は46パーセントが黙って我慢する。77
女性差別同様、自己卑下感や低い自尊感情、加えて期待される役割意識、行動様式などが、差別を見逃し、許し、受け入れさせるのだ。
「コンプレックスが差別を受け入れてしまう」115

これからの運動は劣等感や後ろめたさをなくすこと。

「同和対策」という特別枠で解決できる問題は何もないと著者は言い切る。市場主義経済原理は零細、年金受給者、病者や「障害者」、外国人労働者などにも厳しい状況を強いている。81

部落解放運動の間違いも、著者は率直に語る。糾弾で解決できる時代と問題ではなくなったのだと。

著者は部落の起源は「山の民」と「農耕の民」の生産力格差と、民には肉食を放棄させつつ、自分たちは「薬食い」を続けた支配階級や武士による囲い込みに見る。
近世政治起源説はとらないわけだが、わたしは300年に渡る身分・職業・居住地の固定がいまに与える影響の大きさは無視できないと思う。

「糾弾や」と呼ばれた著者が率いる奈良県部落解放同盟支部連合会が組織的糾弾をしないことを決定したのは2001年4月の第42回定期大会であったという。日常的な個人的差別事象については、一人ひとりがアサーティブに主張し自己変革を求めるのだという。
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by eric-blog | 2008-11-26 15:59 | ■週5プロジェクト08 | Comments(0)

ホームレス教材づくり

ホームレス教材づくり

福岡の研修で、参加者がプログラムづくりをしている間に、わたし自身が取り組んだ「ホームレス」についてのプログラム。

「ホームレスなわたしたち」
ねらい 自分の中の「弱さ」を認める、社会に生きようとするときの「弱さ」があることを知る、その社会の価値を疑う

ストーリーラインとアクティビティ
「ホームレスってどんな人?」→ホームレスと支援者のロールプレイ
「何がKさんを追いつめたか?」→「Kさんのストーリー」を読んで、因果関係図を書く
「追いつめられているのはKさんだけ?」→いじめ、自殺、心の病、ストレスに共通するもの
「強くなくたって生きていく、生きていくことが強さだよ」→わたしのいいところ100個

昨日、第一回ホームレス教材づくり会で、生田さんという講師が話していた「カフカの階段」が「何がKさんを追いつめたか、の理論的に整理されたまとめとして使えるなと思った。でも、あんなのは、自分たちがKさんのストーリーを読んで考えたら出てくるものなのだから、「発見」できた方がうれしかったのになあ。
Kさんのストーリーというのは、どれかの「聞き取り」から作ることとして。

さて、自分が作ったこの教材のストーリーラインと比較して、昨日の流れ。

足して100になる数字で三人一組づくり。わたしたちの社会の仕組みが、はみ出しものを生みますよ。枠組みを変えれば、みんながハッピー。

カフカの階段、転落後の壁

町の写真から、「ホームレス排除装置」探し 
(あれは、フォトランゲージって呼んでほしくないなあ。)

「シェルター建設の住民説明会」ロールプレイ。

当事者の話を聞く。「ホームレスの人たちをゲスト・スピーカーに」

北村年子さんの「襲撃する少年たち」の背景についてのミニレクチャー。
「ホームレスを襲撃する」ウェービング。(連想図、マインドマップ、さらに、こんな名称もあるんだねえ。)

「やれる・できる・がんばる」二次元軸で共有
「学んだこと川柳」

教員って、いっぱいいっぱいで、人と出会えない人々なんだなあ。
進行の仕方も、人と人を出会わせない進行だった。

ということで、寄せ集めの連合体としての主催者だったので、事務局の紹介も、進行役の紹介も、北村さんの紹介も、ないまま、でした。誰がメディアで、誰が何のために映像を撮っているのかも、混沌のまま進められた、会でした。

学生さんが個人的に録音しているわ、会の主催者が記録ビデオを撮っているわ、なんの合意もないままで、「◯◯ニュース」の取材の時だけは「顔が出てはまずいという人はこちら側に来てくださいね」だもんね。

教員って、ナイーブだなあ。

教材についての感想を言ってしまったことを、職業病と笑いにしてスルーし、その感想の背景に「動いた心」「動かなかったもの」があり、それこそが共有したいことなのに、突っ込まない。

最初のゲームでも、互いの感想の述べあいは行わない。フロアーから「こんな組み合わせをしたら、解決するというのを思いついたんですけれど」と提案された時、それに流されていく場。

中学生の論理、中学生に染み付いているわたしたちの社会の論理、成果主義、効率主義、答えあわせ、正しい答え、そんなものに押されていく中学校の先生方の姿も見えた会でした。

「人はそれぞれやからな」と言いつつ、そっと差し出す支援の手。

そんなものが、システムからはみ出す人がいる社会の暖かさをつくり出す、人なのだろうねぇ。

むりやりに、中学校の先生レベルの強さに、「ゲスト・スピーカー」が押し上げられることから、こぼれていくもの、歪んでいくものもあるんだなあ。「おれらは自業自得なんだよ」と嘆くことからさえも、阻まれていく。想定外、予定外のない「生身」の人の教材化。そこに居ても、出会うことのできない、出会いの場。懇親会に残る人もまばらだ。来場していただいていたホームレスの方々には申し訳ないと感じたが、いたたまれない場であった。

「迷いのない教材化」は危険だね。

それでなければ伝わらないと思われている中学生ってどんな存在?
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by eric-blog | 2008-11-25 09:12 | ■週5プロジェクト08 | Comments(0)

公共性の法哲学

269-2(1207)公共性の法哲学
井上達夫編、ナカニシヤ出版、2006

これも意欲的な論文集。「個の尊厳」「人権」「自由」「平等」が熱く語られた時代から、公を論ずるに恐怖しないでよい時代になったのか。「公」の毒性は共の一字を加えただけで簡単に解毒できるものではなかった。i

公共性の危うさと困難さ。

公共性というのは「勝者の正義」にしかすぎないのではないか。v

横書き文章で、原語の綴りが( )で追加されているという文体。であるにもかかわらず、カタカナ語が極端に少ないことそのものが、法学において、概念言葉が漢語に訳されてきた試みの長さと徹底を示している。『日本の民主主義』の論者は日欧米とりまぜられていたが、この論集においては、すべてが和名の方々というのも、その法学の特徴からくるものか?

「ミルは彼の時代の家族が男性の専制のための学校であり、民主主義と両立不可能な思考習慣や感情と行動の様式を教え込んでいると考えた。もしそうなら、理にかなった立憲民主主義社会を要求する正義の原理が家族を改革するために喚起されることは明らかである。」12 ロールズ『万民の法』1999、2006和訳からの引用

ロールズの万民の法が単体で出版されていたとは知らなかった。これまではオックスフォードの論集の中からの引用をしていたのだけれど。

この一文だけでも、ずいぶん、じっくりと共に考える、みんなの頭で考えると面白い一文であることは確かだ。

7章 では東京裁判が戦争犯罪そのものをさばいたものではなかったという瑕疵がどのように指摘されてきたかを整理しながら、「法実証主義は、ただ自らの空疎な一貫性を守るために、現実の法と世界を無視するだけである。むしろ、実際の法現象を適切に見ることができない以上、法実証主義の方こそが、破産をさらけ出しているのである。」と結ぶ。

結ばれてもなあ。だから、どこへ?

同じ著者による「左翼と右翼の違いは、・・・対立があるという者とないという者とま対立・・・即ちメタ的視座の対立である」157とする整理はおもしろい。

娘に語る人種差別の訳者である松葉さんと、「相対主義的立場は絶対主義者を否定できない」というパラドクスについて、そこに普遍主義的な共通価値への視線はないのかという議論をしたことを思い出す。

絶対主義から、相対主義、文化並列的な共存から、できれば普遍主義的な基盤に基づく共生へと成長できないものだろうか。ESDは価値観の教育である。
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by eric-blog | 2008-11-25 08:22 | ■週5プロジェクト08 | Comments(0)

日本の民主主義 変わる政治・変わる政治学

269-1(1206)日本の民主主義 変わる政治・変わる政治学
曽根泰教・大山耕輔編著、慶応義塾大学出版会、2008

おもしろい本だ! 専門誌を読んでいれば、これらの論文それぞれにも出会っていただろうが、まとめてくれてありがとう! の本である。

理論、政策、改革の三部構成、15章だて、15本の論文集である。

三部構成の大見出しからも、編集意図はあきらかだが、いつものように、おもしろいと思ったところのつまみ読みで・・・

三章「サイバー・デモクラシー」
インターネットは1996年から政治家による情報メディアとして使われ始めた。たくさんの情報が直接有権者にアクセス可能になり、直接民主制の実現というような状況も期待される一方で、三つの悪影響が見られると、著者であるデニス・トンプソンは指摘する。
・ デジタル・デバイドが続いていること。ネットで政治家の情報にアクセスしているのは白人に偏重している。
・ 「悪質な情報は良質な情報を駆逐する」ネット版グレシャムの法則が働いている。
・ 自分と価値観を共有するサイトや情報ばかりにアクセスする「断片化」が起こっている。健全な市民形成にとって有害。広範囲なコンセンサスや合意形成の体験が少なくなっている。また、意見が極端なものにまとまっていく「分極化」が見られる。

インターネットは事柄が特定化されるほど、より大きな利益をもたらす。49
また議会制民主主義の根幹をも揺るがす問題をはらんでいると指摘する。そして、これらの悪影響を克服するのは、インターネットなどの新技術だけに頼るのではない市民性の育成と人間のフィルターによる健全さへの修整力だ、と。

5章「日本におけるシビル・ソサエティ」はCSを広い概念として捉え、日本社会におけるその歴史を概観している。近代的CSは、国民国家の成立を背景にしているので、それぞれの国家がCSに「積極的」であるか、「放任主義」であるか、その政策が「広範囲に適用される推進」であるのか「一部の団体を優先」するのか、という二次元で捉えることで、国家を分類しているのが、おもしろい。87
放任主義で「広範囲な政策」「一部優先」という政策格差がどの程度あり得るのかが疑問が残るのだが。

明治政府が「積極的かつ一部の団体優先」の政策によって「発展開発主義」をとった。戦後、「復興」のために、日本政府がとったCS政策は、明治政府と同様のものであった。88

小泉内閣についての分析で、「大統領的首相」と「議院内閣制的総理」の両方をやらなければならないこと、外交政策の権限が、首相、政党、官僚の間で争われる緊張関係が今高まっている、と。123

7章「地球温暖化対策としての経済的手法をめぐる非決定の政策過程分析」
公害対策政策と地球温暖化対策政策の違いを比較し、公害対策型の「自主的遵守策」がうまくいかないことを示している。にもかかわらず、財界はその成功体験を基盤に、通産省・自民党の連合で、経済的手法の導入に反対している。
「結果が予測でき、アクターが合理性を見いだした」ために自主的に実施された公害対策投資は、地球温暖化には効かない。にもかかわらず、その違いと変化に議論がついていかないという「ロックイン状態」がいま起こっている。どうすれば、解除できるか、の探求は、別の論考で、だそうだ。141

8章「首長による政策転換と首長の交代」は、川辺川ダム中止問題について、熊本の方が問題提起されたことを聞いたばかりだったので、興味深かった。
「地方自治体における公共事業改革は、有権者の支持を基盤とし、改革を志向する知事が既存の組織、慣習などを変え、アクターの相互作用を変化させることで改革が進展する。」156
改革は有権者に支えられた首長の手腕である。

9章「自治体再編と地方議会の変容」
合併によって、必要な得票数は上がるが、得票率はさがる。より広く、薄くひろがっている投票者層の支持を基盤にした議員の誕生する可能性が高くなった。津市の例をあげて、大選挙区制での女性議員の進出や、特定の利害を代表する議員がでやすくなり、多様な議員に代表される議会へと、変化する可能性がある。
これまでの「地域代表」からの変化、「匿名性の高い選挙」「参加型民主主義への衝動」が、大合併から副次的に起こってきているのではないか。170
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by eric-blog | 2008-11-24 09:44 | ■週5プロジェクト08 | Comments(0)

「病いの経験」を聞き取る

268-5(1205) 「病いの経験」を聞き取る
蘭由岐子、皓星社、2004

神谷美恵子が、子どもを持てない彼/彼女らの気持ちにおもんばかって、自分自身の家族や子どものことには触れずに、インタビューした姿勢と、著者が子育ての苦労を話題にし、配慮される関係とを引き比べる。
1980年代の研究といまの違いは何かについて著者がそれ以上踏み込むことはない。

経験は一人の人間を定義する。という森有正を引き、「フィールドワークの報告を書くということは「わたし」の生活史をあからさまにすることである、と実感した」と後書きに書く。

しかし、ハンセン病者に対する「聞き取りの経験」という10年が、著者を「ハンセン病者に対する聞き取り第一人者」にし、引用される存在にしたことと、「病いの経験」の非対称性についての言及はない。

文化人類学というと、『ブリンジ・ヌガグ』が思い出される。飢餓のアフリカに、飢えていないヨーロッパ人が、食糧を携えて住み込み、フィールドワークする。
その「現場の観察」と「聞き取り」の重奏が、わたしのフィールドワークの評価基準だ。それと比べると・・・

エスノメソドロジーをエスノグラフィーするということと、「経験を聞き取る」ということの距離をこれほど感じた本はなかったということだ。経験を言語化する人々と、してこなかった人々との違いだけの問題なのか?

ハンセン病者(元患者という表現についての考察もある)を取り巻くエスノメソドロジーをフィールドワークするとすれば、「聞き取り」だけではないはずだ。

よく引用されていたので、期待して読んだだけに、「語り」の「聞き取り」であることに驚いた。1996年以前の「聞き取り」の意味と以降の意味をもっと掘り下げたり、そして、6000人が4000人と減って行くばかりのハンセン病者らの、「経験」を語る「経験」を生き続けることの意味への視線がありえないものだろうか? 
それと、自分自身の10年を引き比べることの中にこそ、差別の経験が、照らし出されるのではないのか。

差別につながるかもしれない隔離的治療体験がある人々が60代を越えてしまった、いま、となっては、聞き取りそのものが癒しであることは、疑い得ないけれど。
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by eric-blog | 2008-11-22 08:11 | ■週5プロジェクト08 | Comments(0)

わが道はチベットに通ず

268-4(1204)わが道はチベットに通ず

サブリエ・テンバーケン、風雲舎、2001
大学でチベット学を専攻し、自らの読書のために考案したチベット文字の点字への転記が、他の学生がチベット語を学ぶにも使えることに気づいた。著者はチベットの視覚障害者の自尊感情と自立のための識字教育を目指す。

ケルサン・メト、幸せな花とチベット語であだなされた彼女の達成を支えたものは、何だったのだろうか?

厳しい入域制限のあるチベット。最初の旅は単なる観光旅行に終わったとしても、ままよ、と敢行。彼女が示した点訳機に感銘を受けた支援者とラサを離れた地域における視覚障害者の実態調査そのものになった。その時、彼女を救ったのは、ドイツの視覚障害者のための中等教育施設で学び、習熟していた乗馬だ!
まさかトラックでも難しいような山道を、20代後半芽生えた夢を抱えて行く時に、乗馬が役立つなどとは、夢にも思わなかったことだろう。
もちろん、必要となれば、彼女は乗馬をマスターしただろう。しかし、彼女が最初から示した乗馬力は、彼女の自立と自己決定の力を証明したのだ。ドイツ同様、視覚障害者は助けが必要だと踏み込んでくる人々に対して。
著者の空間認知力はたいしたものだ。彼女が言うように、見えようと見えまいと、人はみんな自分なりの現実のイメージを持っていて、それは多かれ少なかれいわゆる実際のすがたと合致している。
しかし、最初の現地パートナーは調達を任された備品を確認しようとすると「この倉庫の中なのよ。鍵がないから入れないけど、目が見えたら見えるはずよ!」
ドイツ政府からの援助を受けるために契約した団体にも裏切られる。

なんだか聞いたような話しだなあ!あるべきすがたに落ち着くには、試練があるということか。

学ぶ機会を得た子供たちは、確実に成長していく。

映画にもなったこの話し。
自立とは何か考えさせる。
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by eric-blog | 2008-11-20 09:28 | ■週5プロジェクト08 | Comments(1)

大阪道頓堀川「ホームレス」襲撃事件

268-3(1203)大阪道頓堀川「ホームレス」襲撃事件 “弱者いじめ”の連鎖を断つ
北村年子、太郎次郎社、1997

いま、CCJの理事を引き受けている。臨時理事会に、北村年子さんも参加していて、姫路市での講演会記録『ホームレスって誰? いじめと格差社会の子どもたち』をいただいた。(姫路市教育委員会に電話すれば、記録は送ってくれるそうだ。涙涙で読んだERICスタッフの分も含め、三冊、ERICに送ってくれとお願いしたそうだ。)

講演会は昨年2007年なので、とてもよく北村さんの考えがまとめられているのだが、『少女宣言』から北村さんのおっかけをしたかった。北区図書館には、とりあえずこれと『お母さんがもっと自分のことを好きになる本』しかなかったので。

さまざまな当事者でなければ、人権て考えられないのかなあ、と思う。「弱者」を生み出す社会の中で、わたしは強い側だよなあ、最強とは言えずとも。

自分というたまねぎを剥いても剥いても、「理屈」しか、たぶん見えてこない。
エスノグラフィーしてみても、技術的省察をしても、強いなあ、わたし。

女性差別の結果としての「いま」であることは確かだが、その位置は、たぶん、「男性中心社会」の中で与えられていく、引き受けさせられていく男性の「いま」と引き比べて、特にしんどいか、と言われるとそうでもない。
パワーの側にいる男性が、どのようなパワーを発揮して、未来のビジョンに向けた行動ができるのかと思うと、それほどパワーの差も感じない。見る時間軸が違えば、すべては泡沫だし、

人々の社会は、一人ひとりによって成り立っているのだから。

だからこそ、「中高年男性」ばかりの幹部クラスの研修も頼まれたりなんかするんだろうなあ。情ではなく、「弱者」当事者でもない、現状に対する当事者としての立ち位置で。なるべく、一人ひとりが誠実に、力のある人は、より広い視野やビジョンで考えることに、個人のためではなく、力を使うことを心がけるとか。「めざせ! 満点アドボカシー社会」なんだよね、結局、考えても、考えても。

何ができるんだろう、わたしたちに。

北村さんは、少女たちを取材し、神戸の震災でボランティアをし、そして釜ヶ崎に住みこみ、「こどもの里」と出会い、子どもたちと野宿者支援の夜回りをし、「ホームレス」と出会い、「何ができるんだろう」「何になるんだろう」とつぶやきながら、関わっていく。

そして、知る。

藤本彰男さんを死亡させたゼロ君について。

ゼロ君は持病を持つことからいじめられてきていたことを。仕事も追われ、戎橋近辺で、いたことを。

この記録がすごいのは、ゼロ君が裁判の過程で、自分で自分のことを語りたいと思えるようになっていくことだ。いじめる側、強い側になびくだけのいじめられっこ人生を、変えようと、する勇気にいたったことだ。

僕が強くなければ、何の成長も進歩もありえないだろうし、またそういう自覚をもって、裁判を受けていこうと思います。226

おまえは何をしたんや?
おまえはそのことについてどうおもてんねん?
自分のことばで。

そんな仲間からの働きかけ、北村さんからの働きかけが、ゼロ君にゼロ君自身を取り戻させたのだ。すごいことだね。

134
何がゼロに、弱い自分は「一個の人間」として尊重されるに値しないと思わせ、弱いもの、路上に寝ているものは、差別され、いじめられ、攻撃されてもしかたないものとして、嫌悪させてきたのか。
・ ・・
弱者による「弱者いじめ」が、なぜ起こりつづけるのか。かぎりなく「弱さ」を否定し、攻撃していくその連鎖を絶ち、いじめ社会を越えていくための手がかりを、私はあらためてゼロの「弱さ」に向きあい、その「弱さ」をどうとらえていくのか、まず私自身の価値観を問い直すところからはじめなければならない。134

人と出会うこと。人と人とが、社会を構成していること。いまの社会のエスノテクノロジーを、人権尊重的なエスノテクノロジーにちょっとずつ変えること。
ていねいに。
人々がつくっている社会だから。
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by eric-blog | 2008-11-19 11:22 | ■週5プロジェクト08 | Comments(1)

大学「法人化」以後 競争激化と格差の拡大

268-2(1202)大学「法人化」以後 競争激化と格差の拡大
中井浩一、中公新書ラクレ、2008

「甘ったれ坊や」=大学はひとり立ちできるのか。(裏表紙より)

研究費の不正使用、論文のねつ造をチェックできない体質。
これまでのバラマキ型予算から、競争的「選択と集中」を大学予算に取り入れた結果だという。
科研費制度の不備、研究者個人の意識、大学の管理責任がそれに拍車をかける。23

競争的環境で金の力に負けてしまう人間の弱さ。
しかも、研究者の世界は小さな閉鎖的ムラ社会。
これは洋の東西を問わない。39

学内・学外に設置したTLO産学連携のための技術移転機関は、個人プレー的な色彩を持ちながらも、成功をおさめている事例が紹介されている。
ま、大学法人化推進がトップダウン型でなされたことによって、「従来の政治手法を封じ込め、各省庁間の縦割り行政の弊害を打破することに成功した。」73

地方大学の地域連携、産学連携。

教員大学の「教員養成と教員研修の有機的な教育体制の整備」
教職大学院の設置。その中で、大学の行政機関化という懸念。

など、変化はありつつ、大学内政治をどう動かすか、省庁間政治で文科省がどれだけ力を発揮できるか、に、大きな変革はかかっている。

継続的な変革、小さな変革、本質的変革、エスノメソドロジー的変革は、それぞれにおいて、どのように起こっているのか。大きな力で改革が進められているそのことこそが、大学という装置の病なのではないか。
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by eric-blog | 2008-11-18 10:35 | ■週5プロジェクト08 | Comments(0)

エスノメソドロジー

268-1(1201)エスノメソドロジー
ハロルド・ガーフィンケル、せりか書房、1987

エスノメソドロジーの元祖とでも言うべき本らしい。

男や女という性は恊働的に達成されていく社会・文化的産物である。326

エスノメソドロジーとは、世界を「もの」として見る支配的な見方よりも、意味の無限の生成の場へと降り立っていくことを好んで選ぶ実践そのもの。8

あたりまえで自明視される日常を、・・・あえて奇妙なものとしてみる。7

見抜いて言う seeing and saying
話す talking
観察可能で報告可能 observable-reportable

人々が観察したり、経験したり、報告したりするのに、例外的な手段や方法を使わなかったならば、世界は間主観的に通用するものとして確認される。53

リアリティ分離
通過作業passing
コード
会話分析

人々は社会学している。Folk sociology  301

1人々の社会学が日常の場面で微細に行使される。
2時の流れがつながる中で、常に新たに生成される。
3この出来事のほとんどがあたりまえの領域、言説空間に隠されている。

理屈にかない、わけがわかるもの。
人々の日常言語使用の普遍・不変特性が「相互反映性」と「インデックス性」
状況依存・文脈依存的indexical会話

ことばと慣習、行為、そしてアイデンティティ、カテゴリーの問題が、エスノメソドロジーにはさまざまに関わり、膨大な研究領域として、発展したのだろうなあ。

この本で扱っているのは「ホットロッド」といういけてる若者たち、監獄、精神病、両性具有で生まれ「自然な女性」を手に入れたアグネス、など。

最初は、この本で扱われているような「あたりまえ」からはずれているわかりやすい事例を扱うところから始めたとしても、結局は、なぜ、その事例を「はずれている」と判断したかという「わたしたち」を映し出すことになり、すべてを記述するということなる他ないのだから。

自分の社会を、まずは自分が自覚できるようになること。なぜ、エスノメソドロジーは、そのようなものとして発展せず、あたかも文化人類学のように、珍奇なものに向かったのだろうか? 社会学の大衆文化化、消費化がなさせたものなのだろうか?
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by eric-blog | 2008-11-18 09:47 | ■週5プロジェクト08 | Comments(0)