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世界を不幸にしたグローバリズムの正体

228-3(1117)世界を不幸にしたグローバリズムの正体
ジョセフ・E・スティグリッツ、徳間書房、2002

2001年のノーベル経済学者がIMFの経済政策によって、世界で何が起こったかをまずはレポートした本。その後、提言として『世界に格差をバラ撒いたグローバリズムを正す』を出している、いま最も「活動的な経済学者」だという。

巻末に収録された【解説】を書いているリチャード・クー(野村総研)は、IMFとスティグリッツ教授の違いを、「五つ星ホテルに泊まり、中央銀行と財務省の人間とだけデータをながめて議論する」のか、それとも自分の足で現場を見るか、外部エコノミストとして「その国を愛せるか」なのだと、指摘する。

実は、日本政府も橋本政権の時に、IMFばりの議論によって、経済危機を招いてしまい、その後100兆円を投資して立て直したという経緯がある、とクーは言う。389

IMFがしようとする経済改革は、たぶん、みんなが高速道路でスポーツカーを運転しているようなイメージの経済なのだろう。だから「腐った企業を淘汰し、解雇すべきものは解雇しろ」という市場原理主義を主張する。それに対し、スティグリッツ教授は、市場における不完全な情報が「自由な市場」にもたらすバイアスを明らかにした功績を持つ。それを受けてクーは「低生産は失業よりまし」であり、「雇用創出の必要条件が整う前に雇用破壊につながる政策をしたら経済は持たない」のであり、「社会全体の安定がないと海外からの投資は入ってこない」のだと指摘する。388

確かに「古い産業」を維持すると変革は遅くなるが、破壊とどちらを選ぶかである。いや、破壊にどこまで耐えられるかの体力が、途上国と日本の違いだったのだろうか。

本編の議論に戻ろう。

IMFには、顔がないのだろうか。IMFが陰謀を働いているわけではない。「声のわずかな高低であり、閉ざされた扉の背後でなされる会議であり、私の参加した討議のあらかじめ用意されていたシナリオである」16

無謬性と秘密主義。それが「市場原理主義種」らの行動原理であるらしい。

「グローバリゼーションの進め方に関する決定に生活を左右される人々は、その議論に参加する権利があり、過去にそうした決定がどのようになされたかを知る権利がある。」17

情報がよりよい政策につながる。そのためにこの本を書いたのだと、スティグリッツ教授は指摘する。

先進国の偽善。途上国には貿易障壁をなくさせ、自分たちは障壁を守る。24

グローバリゼーションの対価としての環境破壊、政治の腐敗、文化的不適応。26

融資の失敗のつけを発展途上国の貧しい人々が負うこと。

金融危機と貧困の増加。

ルールを変えることも、ルールの意思決定者に働きかけることもできない。

がんじがらめの融資条件 72

民営化がもたらす雇用破壊と衰退 88

「市場が必要なサービスを提供できていないから多くの政府活動が必要とされる」のだが、IMFの融資条件「市場原理主義」はそのような政府活動を破壊する。90

国際企業は、低価格競争によって途上国の市場に参入し、独占的な市場を形成しおわると、価格を引き上げる。105

為替レートの不安定さという症状に対して対症療法を施し、「病気」そのものを扱わない。

そして、投機家がたがいの資金のなかで儲けを争う「ハイリスクのゼロサムゲーム」ではなく、「政府が失ったのと同じ額を投機家全体としては儲けた」のがタイやブラジルの金融危機だった。283

つまり、IMFは危機にある国を助けてグローバルな経済を安定させるというそもそもの使命を果たす一方で、金融市場の利益をも追求しているのだ。307

「グローバリゼーションは、民主主義とより大きな社会正義を求めて戦う活気のあるグローバルな市民社会をもたらすと同時に、世界の健康状態の改善をもたらした。」「問題はグローバリゼーションではなく、その進め方だ」305-306

WTOの思考パターンは自由貿易によって利益を得る商業界の利益追求だし、IMFは金融界の利益を追求している。

グローバリゼーションの潜在的利益を現実のものとするためには、環境に配慮すること、貧しい人々が自分たちに影響をおよぼう決定に発言権をもてるようにすること、そして民主主義と公正な取引を堅持することが必要なのである。308

18世紀から始まった「国」
20世紀から始まった「国際社会」

まだまだ実験途上なのだろうが、著者は過去50年間の経済学から政府の役割をこうまとめる。
「政府は決定的な影響をおよぼす。」すべての人に質の高い教育を与え、インフラストラクチャーを提供した。金融部門を規制し、資本市場の機能を調整した。貧しい人々のためにセーフティ・ネットを提供し、農業から通信に至るまで技術を振興した。311

政府を排除することでも、経済学者やIMFや国際的な共同行動を排除することが答えではない。また、特定のイデオロギーで意思決定をすることでもない。

『あなたのTシャツはどこから・・・』を書いた著者も、この本の著者も、「扉」の向こう側の人たちではあるが、現場を見ようとした人たちである。

経済学者には現場が、現場には意思決定の場についての情報が欠如している。いまや、それぞれの現場の「直接的な利害関係者」の意向だけで意思決定をしていくことは、全体的な不利益につながっていってしまうのだ。
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by eric-blog | 2008-04-30 07:51 | ■週5プロジェクト08 | Comments(0)

自己のテクノロジー

228-2(1116)  自己のテクノロジー
ミッシェル・フーコー、岩波書店、1990

あきらめました。やっぱりフーコーは難物です。理解したから紹介するのではなく、書いて行くことで見えて来ることをさらなる理解のよすがとすべく、この本のどこかでフーコーが「結論が見えている本を書くことは意味がない」と言っていたのに力を得て、とりあえず書きます。
ブルデューとフーコー。こいつら何考えてんねん? というひっかかりと「なぜ、彼らはこのことを考えてんねん?」というひっかかりと、両方あるんですけどね。

「自己のテクノロジー」というのは18世紀末に現れた一つの問いであり、近現代哲学の関心の中心の一つ。211
それは伝統的な哲学の問い、「世界とは何か」「人間とは何か」「真理とは何か」「認識とは何か」とは異なる。自己のテクノロジーが問うのは「現在の状況の中でわれわれとは何であるか」「今日われわれとは何であるか」という、永遠の、しかもたえず変化する問いであることを特徴とする、と。211
フーコーは「狂気と精神医学」「犯罪と処罰」の研究を通して、私たちの社会がさまざまに分類された排除を介して自分自身をいかに構成してきたかを明らかにしようとした。
この本で彼が取り組んでいるのは「自己に関する若干の倫理的技術を介して自分の自己同一性を直接的に構成してきたか」であった。212
さらにこの終章において、彼は「個人にかんする政治テクノロジー」つまり「われわれが自分たちを一つの社会として、一つの社会的実体の一部として、一つの国ないしは一つの国家の一部分として、認めるにいたったその仕方」を示そうと試みる。
国家の真理、存在意義?レゾンデタ、訳者は「国家の方針」と訳すことによって「国家」が個人に先行することをほのめかしているのだが、18世紀に出来した行政技術、国家統治の技術とは何だったのか?
福利厚生、公衆衛生、医療扶助、社会保障制度。そして国家としての戦争。214
国家にからめとられた生と死。国の中の秩序と平和。
しかし、フーコーは「国家の方針」は同時に合理的なものとして位置づけられたと、キリスト教的伝統「神の掟」との訣別を暗示する。

もちろんわたし自身の関心は当然教育へと向かうのだが、その出現は19世紀までまたねばならない。そして、参政、福祉、教育、軍隊という「国家の方針」統治の技術が完成しつつあった西洋と日本がであった、ということになるのかな。

前半で検討されている「自己のテクノロジー」は、ギリシア的アプローチとキリスト教的アプローチの対比である。
ギリシア的とは「自己」に気配りすること。キリスト教的とは「自己開示」であり、真理への接近のための霊魂の清らかさを保つために取られる「改悛」「告白」、「悪徳」との戦い。八つの「悪徳」とは大食、姦淫、貪欲、怒り、意気消沈、安逸、虚栄
それに照らして「自分」を点検する。なるほど。

生産のテクノロジー
記号体形のテクノロジー
権力のテクノロジー
自己のテクノロジー
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by eric-blog | 2008-04-28 19:35 | ■週5プロジェクト08 | Comments(0)

新女性のためのライフサイクル心理学

228-1(1115)新女性のためのライフサイクル心理学
岡本祐子、松下美知子、福村出版、2002

なぜ、こんなに「女性解放運動」や女たちが担ってきた消費者運動、地域活動、そして現在のESD推進などの動きが多々、多種ある中で、女性のアイデンティティ形成を「家族」と「仕事」だけに限って考えることが可能なのか、わたしにはまったく理解できないのですが、役に立てたいと思う部分だけ、紹介しておきます。

35歳の危機 180 シーヒィ
生物学的社会学的出来事が、自分の生き方を変え新しい自分を獲得する「最後のチャンス」。

(1)35歳は、平均的主婦の場合、末っ子が小学校に入学する年齢である。
(2)平均的主婦の場合、浮気の危険年齢が始まる時期である。
(3)平均的既婚女性が、職場に戻る時期である。
(4)離婚した女性が、再婚する年齢である。
(5)生物学的な限界、たとえば妊娠などが目に見えてくる時期である。

男性にとっての中年の危機は、「厄年」などとも関わって、42歳くらいと紹介されている。180

シーヒィによる女性のライフパターン。『パッセージ』(プレジデント社、1978)
(1)世話をし面倒を見る型
(2)あれかこれか型
達成することを延期した養育型
養育することを延期した達成型
(3)統合型 すべてを20代に始める人
(4)結婚しなかった女性
(5)短期滞在型 永続させないことを選んだ女性

人生80年時代を迎え、成人期には2つの大きな山がある。(小此木、1983) 196

第一は中年期、そして第二が向老期から退職後。
提案されているのは「子育て体験」を成長の、アイデンティティの成熟の契機としてとらえること、そして成人期の心の発達にとって「主体性」「積極的関与」の持つ意味を考えること。職業、育児、学習、社会的活動など、何であれ、積極的に関与することが主体的自我を育てるだろう。・・・職業、育児、家事、家庭外活動などのさまざまな役割を遂行することが、自己を確認し、自分を育てることになっているかどうかである。197
「自分の主体性を伴わず、あるいは主体的欲求とは矛盾する形で役割遂行している女性は、それぞれのアイデンティティが分裂、拡散してしまう可能性がある」

と、これでは堂々巡りになってしまうではないか?

わたしたちはいかに自己を確立するのだ?
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by eric-blog | 2008-04-28 07:07 | ■週5プロジェクト08 | Comments(0)

新しい時代の教職入門 

227-5(1114) 新しい時代の教職入門 

秋田喜代美・佐藤学、有斐閣アルマ、2006

1998年の教育職員免許法改正に伴い「教職の意義等に関する科目」が新設された。その科目のためのテキストとして、また現職教員のためにとまとめられたもの。

著者ら9名はすべて大学の教員。初等中等学校の現役教員ではない。にもかかわらず、本書には、教員の日常、同僚との関係、会話などの実態に肉薄する記述が多い。理論によるのではなく、現場の様子を伝える、それを分析する、研究する姿勢で、多くの論文や報告、記録が書かれていることに気づかされる。

教職の専門性を高めるためには、専門職協会の設立など、いくつかの課題があるという指摘はおもしろい。169

教員組合、学会、ではなく、専門家協会。例えば、理容師協会、例えば弁護士協会、例えば落語家協会などを考えてみる。教員の多重的なassociationと、職業的社会化の専門性を考えるのもおもしろい。

一斉授業というのは近代学校制度の産物なのだが、国民教育として、誰もが平等に扱われることの象徴であったというのも、おもしろい視点だ。

第11章は佐藤学さんによる「教育改革と教師の未来」だ。そこでは「国民教育」から「市民教育」へ、teaching professionからlearning professionへ、一斉授業から協同学習、プロジェクト学習へ、という大きな転換点が示されている。232

以下、今年のTEST教育力向上講座の課題である「質的研究力を高める」のテーマに関わるキーワードを、第三章から抜き書きしておく。

教員はアクター、デザイナー、エバリュエイターとしての側面を持ちつつ、授業や指導の局面で「教育的瞬間」に瞬時に対応することが求められるという。49
「行為の中の省察」reflection-in-action
「活動の中で働く力」「暗黙知
省察reflection
反省的実践家 reflective practitioner

「振り返り的省察」recollective reflection
「見通し的省察」anticipatory reflection

教育的鑑識 educational connoisseurship

教育評価とは「心の働き」 願いやねらいを核としながら、状況をとらえ、意味付けながら、行為を生み出すような評価的思考を絶えず行っている。54

子どもたちを解釈するという評価活動全体が、日常的な授業などの営みに埋め込まれている。

そして、それは同僚性や「ともに学ぶ」姿勢という教員集団での評価の共有によっても、より豊かな視点が得られるようになる。

ヴァン・マーネンの「技術的」「実践的」「批判的」省察。
アクション・リサーチを通しての授業実践改善。

書かれたものを読むことによって、どれだけの力づけになるかが鍵なのだと思うのだが。

日本教師教育学会など、教員養成についての情報も満載の本である。
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by eric-blog | 2008-04-25 09:21 | ■週5プロジェクト08 | Comments(0)

アイデンティティ生涯発達論の展開 中年期の危機と心の深化

227-4(1113)アイデンティティ生涯発達論の展開 中年期の危機と心の深化
岡本祐子、ミネルヴァ書房、2007

実証的臨床心理学研究者として多くの著作がある著者が、49歳の時のご自分自身の得病体験を交えてまとめた本。

読みながら、『潜水服と蝶』を思い出していた。

岡本さんという研究者は、研究書をまとめることで、アイデンティティを保つ。ボービーは本を書くことで、アイデンティティを保つ。

中年期危機の構造を著者は
・ 心理的変化
・ 生物学的身体的変化
・ 家族における変化
・ 職業における変化
というそれぞれの局面における変化と関連してとらえる。6

それらの変化に対して、中年期のアイデンティティの再体制化で見られた心の変容は「精神化」「社会化」「純化」。それぞれ、以下のようなことが指摘されている。
「精神化」心の奥行きの変化、世界に対する見方の複眼化
「社会化」家庭中心の生き方からより積極的な社会とのつながり
「純化」アイデンティティの中核となるものの優先順位をつけ、他を潔く捨てる

しかし、中年期の危機以外に、これまでのアイデンティティ形成、確立期それぞれにあった問題が再体制化をきっかけに吹き出すこともあるのが、中年期の臨床心理療法のポイントだ。

自己感覚がどのように形成されるかをまとめたSternの研究が引用されているのだが、一才半ぐらいから発話が始まる、それまでの間にも4つの層が関わってきているのだと指摘されている。25

1. 新生自己感運動感覚的世界、体験の総括的な特性を無様式に知覚することによって生じる。Sense of emerging self
2. 中核自己感自分は境界をもって独立した身体単位である、一貫性、情動性、連続性 sense of core self 2-3ヶ月
3. 主観的自己感間主観的体験の共有による心理的親密性、主観的かかわり、意図の共有などを可能にする情動調律の発動。 Sense of subjective self
4. 言語的自己感覚 15ヶ月頃から形成されはじめる自己感覚である。言語世界と経験世界の基本的乖離、社会的自己とプライベート自己の形成。Sense of verbal self

とまあ、よくまとめられているのだけれど、「「成人」としての成熟性」というまとめ50で、
生活者として
家族に対する
職業人として
職場・組織に対する
という二つの軸と二つの領域というまとめに対して、すごく不満を感じてしまったので、その後のケース・スタディなどにも興味がわかなくなってしまった。

結局はアサーション・トレーニングのように、関係性の中で自己完結してしまい、歴史性や公共性、社会変革への関与などは、見られなくなる。研究が、言説が人をせばめてしまう「再帰的近代」にあって、著者が臨床している人々とは違う、著者ほどの人が、これだけの本を、これまで通りの文脈でまとめてしまうと、その力のかかりようそのものに満足感を抱いてしまうのだろうか。1997年以来の同曲異奏のために「私的な面」を取り入れただけなのではないか。その罪深さを問わずに。

心理学は、公共性を範疇に入れることができないのか。そしてそれはなぜか?

わたしはボービーの『潜水服』は許せる。しかし、『蝶』の飛ばない『潜水服』に後輩たちを押し込める権威的専門家は許せない。

なぜ、『潜水服と蝶』はあれほど魅力的であり、この本は魅力的でないのか。力のある人であるようなだけに、残念だ。ま、病気から復帰しました、責任も重い仕事もこなしています。その上にさらに、これだけの本をまとめました。その自負心が彼女を支えているのだろうけれど。これは定年退職後が楽しみということか? 社会はいまや「後期高齢者」にお話が移っているほどのご長寿化だからね。早く研究が追いつきますように。パイオニアは、実際にこの社会を生き抜いている人々だよね。

【参考図書】
沈黙の季節 更年期をどう生きるか ゲイル・シーヒー、The Silent Passage, 1991
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by eric-blog | 2008-04-22 07:59 | ■週5プロジェクト08 | Comments(0)

潜水服は蝶の夢を見る

227-3(1112)潜水服は蝶の夢を見る
ジャン=ドミニック・ボービー、講談社、1998

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う えす あ えーる い えぬ て ゆ いる お えむ で ぺ せ えふ べ ゔぇ あっしゅ じぇ じ きゅ ぜっど いぐれく いくす か どうぶるゔぇ

3月19日に恵比寿ガーデンシネマで『ぜんぶフィデルのせい』を見た。その時の予告編で『潜水服は蝶の夢を見る』を見た。検索してみるとシネカノンで水曜日割引で見られる。早速3月27日に見に行った。本を予約した。

やっと届いた。次の予約が入っているので、すぐ返してほしいと言われた。

なんどこの文字列を映画の中で聞いたことだろう。20万回の繰り返しで書き上げられたこの本。

わたしなら、文字列板を使うのだがなあ、と文字社会と声社会の違いを感じたのがこの映画だった。日本語は「文字」も「言葉」も分節化しているが、英語やフランス語は文字を書いたらそのまま発音できるわけではない。左目のまばたきで、文字を選び、クロードというライターが一単語一単語、つむいでいく。

そこから語られる言葉は、美しい。魂のエレガンス。

ロックトインシンドロームによって、頭脳と意識はそのまま。からだが動かない。彼の場合、動くのは左目のまぶただけ。

味覚、聴覚、嗅覚、そしてからだ全体のこと。

失ったものが、細やかに、記憶の中から描き出される。例えば、大好きなフライドポテトのにおいを嗅ぐために、海辺のテラスまで、車いすを押してもらう。

彼とのコミュニケーションがうまい人も、なげやりな人もいる。しかし、彼は受け入れる。

表現が残されていたことが、彼を救った。
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by eric-blog | 2008-04-21 19:33 | ■週5プロジェクト08 | Comments(0)

福島弁?

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とげある言葉が勝つ
寂しいね
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by eric-blog | 2008-04-21 17:57 | □研修プログラム | Comments(0)

ルポ解雇 この国でいま起きていること

227-2(1111)ルポ解雇 この国でいま起きていること
島本慈子、岩波新書、2003

この国を信頼する根拠は「憲法」と『貧困襲来』で書いた。その精神を遵守すべき司法の危機が、この本では暴露されている。この本は決して企業や経済や雇用の実態についての本ではない。司法危機の本なのだ。そして、それは見え隠れする立法の改憲の方向性や労働基準法の改正などによって、裏打ちされている。

この本を読むと、証人たちが嘘をつくこと、つくこと。こんな嘘で固めた裁判で何かわかるのかと思うほどだ。そのことに司法はまったく取り組もうともしていない。裁判員精度が始まるとしても、例えそれが刑事犯についてであっても、同じことだ。この偽証国家日本という体質改善に取り組まない限り、司法は死ぬ。

公文書における日本の文書主義は、つじつま合わせのご都合主義でしかない。たぶん、律令の昔から。

文字を「自己のテクノロジー」として、取り込むことが、この国で生きて、できるのだろうか。「まずはじめに言葉ありき」と神が言われた社会と違い、言葉に神と自己の尊厳をおく倫理と違い、エリート主義から抜けきらないまま、文字化していく社会がわたしたちをますますがんじがらめにしていく。

○ 大臣が労基法改正の意図について「ウソ」をつく
○ 労働政策審議会・労働条件分科会が建議でだます(拘束力がない、人選が不公正、審議のプロセスも不明確)
○ 雇用社側が解雇理由でウソをつく
○ 雇用社側が証言をねじまげる、ねじまげさせる
○ 証言に立つものをしめつける(あらあらららら)
○ 雇用社側が「刑事犯」をでっちあげる(そして、それを見抜けない?!裁判所)
○ 前例を無視する官僚裁判官
○ 再任拒否で締め付けられる裁判官(みせしめ効果の方が高いのさ)
○ 団結権をないがしろにする組合いじめ
○ そして、一環してそれらをサポートする「使用者側」弁護士群
○ 報道しないメディアが「事実隠し」をする

そして、その法曹界に自浄作用は働いていない。少なくとも、彼らは「偽証」をさせない、防止する、再発させないことにだけは努力する必然があるはずだ。司法であろうとするならば。

いま、法科大学院の濫造によって、大量に生み出されている法曹界向け人材があぶれているという。そのような中で、彼らがどれほど「良心的」な仕事をしようと思えるのか、疑問だなあ。使いやすい人材を担保するためには、雇用者側(国家)にとって有利な競争原理が働く状態を作り出したかったんだね。こぞって「力」の側に「馴化」しようとする弱者たちの群れを。

この本を読んでいて、「だましていない」のは大学の教授だけだ。論理的な方がとても多いのに、論理が通らないという不思議な世界なのだな、法の世界は。見回せば、市民運動の最先端に日弁連がいた、というのと似ているね。
見回せば、法曹界のチェック機能を果たしているのは大学だけ?

ね、だから、専門家まかせの運動や社会的提言に安住してちゃいかんのだよ。根本的なところから作っていかないと。それは義務教育でしょ?
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by eric-blog | 2008-04-20 13:46 | ■週5プロジェクト08 | Comments(0)

貧困襲来 <貧困>は自己責任じゃない 大量生産され始めた現代日本の<貧困>のカラクリを解く

227-1(1110)貧困襲来 <貧困>は自己責任じゃない 大量生産され始めた現代日本の<貧困>のカラクリを解く
湯浅誠、山吹書店、2007

格差の議論は、社会的有利性の配分の原則、「平等」か「貢献」かの議論に
陥る。それを「貧困」という概念に変えると、議論が「必要」の原則に向かっていく。そのことを見事に展開しているのがこの本である。

社会的有利性の配分をどう決定するかについて、「平等」「貢献」「必要」の三つの原則で常に社会はゆれているし、どれかだけで決定されるものでもないのだが、議論する時に、どれかの原則がまったく入ってこないことの危険もあることが、この本を読んで改めて気づかされた。

人間が人間らしく生きること。そのことのために社会を形成しようじゃないか。なんて、いまさら契約説でもないけれど、どこで社会を信頼するかというと、「人間が人間らしく生きる」そのことを追求していくことに、わたしたちが合意しているということに信頼を置くしかない。人間一人ひとりは弱いものなのだから。

そして、その根拠は、とりあえず憲法。日本の場合は。

人間が人間らしく生きること。そのために必要なものがあるでしょう。それを保証することが、国の責任、国をつくっているこの社会、この社会を認めている(異議申し立てをする部分はありつつも、大筋で)わたしたちの責任でしょう、と。

ところが、「人間が人間らしく生きること。」に必要なものってあるでしょう、それが満たされないことを「貧困」と呼ぶんですよ、それは収入だけではないのです。著者は、五つの「貧困」決定要因をあげる。
○ 教育課程、学校教育システムから排除されること。
○ 企業福祉、正規雇用から排除されること
○ 家族福祉から排除されること
○ 公的福祉から排除されること
○ 自分自身から排除されること

これらの多重排除が「貧困」を決定する。これらの網がたくさん張られているほど、「貧困」に陥る危険は少ない。著者自身は東京大学博士課程単位取得退学という「教育課程からの排除」を受けなかった人なので、(それを可能にした背景として家族がどのようなものかは不明だが)とりあえず「知性」が高い。そのために、著者はNPO自立生活サポートセンターを立ち上げ、本を書き、講演をし、人的ネットワークを築くことができる。著者に「貧困のわな」が一つや二つ起こっても、「貧困」になりそうにない。
・物質的貧困
・身体的弱さ
・不慮の事態への脆弱さ
・政治力、交渉力のなさ
・孤立化
なんでそんな人が、「貧困」問題に取り組んでいるのか? という興味はつきないが、「貧困」を食い物にしている評論家などではまったくない。そこがすごい。

「教育課程・学校」というのは個人的な知的な力を付与することで、社会的力を発揮できるシステムだ。
にもかかわらず、いまの日本の学校システムのパイプラインは、こんなことになっているらしい。10
27%が、大学を卒業し、新卒採用で正規雇用につき、三年以上離職していない。
高卒以下で世に出た人は、28%。うち中卒は3%。
高卒で就職した人の48%が三年以内に離職。

13%ほどの人々が、「教育課程」からのメリットを十分に受けられず、非正規雇用、転職、解雇などの「貧困」化の崖っぷちにいることになる。小中学校の現場で見ているとするならば、40人クラスで5人ほど。

「貧困」化するか否かは「溜め」によると、著者はいう。「金銭」「人間関係」「精神的」な溜めが少ないほど、人は貧困の悪循環にはまりやすいと。26

生活保護申請の窓口で、そして雇用先で、一人ひとりの「溜め」が可視化されればいいのに、と著者は言う。そうすれば、貧困化の危機をよりよく避けることもできるだろうと。35

いま、家族や地域にセーフティネットの期待が降りてきていることの危険も、指摘されている。128

すでに「貧困」の二世代目が生まれているのだ。「貧困」化の要因の一つでもある「家族」の貧困。その家族にセーフティネットの機能を期待するなんて、現実を見ていないにもほどがある。

添付の「生活保護費自動計算ソフト」で、巣鴨在住の場合と小川町在住の場合の2ケースで算定してみた。8万なにがしかと6万なにがしか、2万円の違いがあった。この本では地域社会からの「排除」という項目は立てられていないのだけれど、すでに少数派ではあるが、農村的環境に住む場合に、そこから得られる「豊かさ」と「安心」というのは実在する。逆に、それがなくなっている都市的コミュニティに生きるわたしたちの「安心」がどこで得られるのかを、考えなければならないのだとも思った。

以前、賃貸料未払いの取り立てGメンのテレビ番組を見たことがあった。「貧困」ビジネスに列せられているレオパレス21などを違う側面から知れたことはとても良かった。151

住居の保証。これが最低でも必要だ、と著者は、日本型福祉の不備の中でも、特にその部分を指摘している。いま、環境の面からは「長寿命住宅」が提案されている。2世代ローンで購入する住宅は、それでも60年までが視野の限界だ。200年という長寿命住宅を考えるのは「公共投資」の問題なのだ。個人的、家族主義的な投資に立脚している限り、長寿命住宅は実現しない。

「人間が人間らしく生きる」ことの高い質を保証する住宅をデザインする。そこから福祉を始めよう。

きっと、人にも地球にもやさしい行動の好循環につながるに違いない。

最終章に「私たちにできる10のこと」か紹介されているのもいい。
○ 自己責任とおさらばする
○ 自分を排除しない
○ 疑ってみる
○ 調べる、相談する
○ 計算する
○ ぼやく
○ はじける
○ つながる、群れる
○ 攻める
○ 変える

同時に読んでいた『ルポ解雇』『インドの女性たちの肖像 経済大国の中の伝統社会』(サイイダ・S. ハミード、つげ書房新社、2007)は、日本やアジアに共通する「近代化の落とし穴」の深い暗闇を覗きこませ、再認識させる本だった。

わたしたちの精神性は、「個人」の尊厳に立脚した社会を形成しようとする試みに耐えられるだけのものになっているのだろうか?
民主主義、政治、市民参加などについて最近考えるときに、常にそのことが問われている気がする。

関連ブログ
176-3(839) 大衆的貧困の本質、ジョン・ガルブレイス、TBSブリタニカ、1979
45-4(190)参加型開発、斎藤文彦編著、日本評論社、2002
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by eric-blog | 2008-04-20 11:45 | ■週5プロジェクト08 | Comments(0)

TEST in OSAKA 2008 学びの質の向上を目指して 

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★☆ TEST in OSAKA 2008 学びの質の向上を目指して ☆★
   (TEST = Trainers Effective Skills Training)
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  ☆2008年5月3日(土・祝)・4日(日)開催☆  
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ERIC国際理解教育センターで、年度末に開催される「TEST教育
力向上講座」に、「行きたい! でも東京は遠い! なら講師
を大阪に呼ぼう!」ということで始まったTEST in OSAKA。
今年のERICのTEST(3/28−30開催)では、「学びの質を劣化さ
せるもの」を分析。それをふまえて、大阪では、「学びの質を
向上させには」というこをと考えます。以下、ERICのメールマ
ガジンに、ファシリテーターの角田尚子さんが書かれたものか
らの抜粋です。
…………………………………………………………………………
伝えたいことがあるが、一方的ではありえない。=なぜならば=
伝えたいことは「共に考えたい」ということだから。(中略)
「共に考えたい」ことが何かというと、持続可能な未来に向け
て、「気づきから行動へ」ということです。(中略)
いま、ファシリテーターたちが、持続可能な社会に向けて必要
だと思っていることは、「社会が変わる」ことなのです。
ファシリテーターは、少数派の利害を代表して、その声が聞き
届けられるようにと、活動しているのではありません。
少数派の声に気づくことでコミュニティの体質が変わるだろう、
少数派の不利益が生じるのはコミュニティの体質のせいである
はずなのだから。(中略)
「いじめられている子ども」の利益にたって問題提起している
のではなく、「いじめ」を解決しようとしているのでもなく、
「いじめの訴えを共に解決しようとするコミュニティ」になろ
うと、問題提起しているのです。(中略)
ファシリテーターは、いじめ問題や地球環境問題の専門家や研
究者でもなければ、教員でもない。
「共に考える」べき課題を「共に考える」ことのできるコミュ
ニティの体質づくりのために、学習と教育の質を変えようと願
う専門職であるのです。
学ぶということは変化するということ。「学びの質を劣化させ
るもの」チェックリストをTEST08 at ERICでは作りました。ぜ
ひ、身の回りを点検してみてください。
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チェックリストの内容および角田さんの全文はは、ERICメール
マガジンをご覧ください。
http://archive.mag2.com/0000004947/20080413205129000.html
3月に開催されたTESTのレポートはこちら。
http://archive.mag2.com/0000004947/20080331070000000.html

大阪での「共に考える」場に、ぜひ、ご参加ください。
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日 時 5月3日(土・祝)〜4日(日)
    3日9時30分受付開始、4日17時半終了予定
場 所 大阪人権センター(http://www.osaka-jinkencenter.jp/)
    JR環状線「芦原橋」徒歩5分
講 師 角田尚子さん(ERIC国際理解教育センター)
定 員 20名
参加費 2万円以内(予定)
※このワークショップは、“主催者−参加者”という関係では
 なく、“その場にいる人みんなでつくる”あり方をめざして
 います。ですので、当日の運営は、全員で分担して行います。
 費用に関しても実際にかかった経費をその場で精算します。
 「予定」となっているのはそのためです。
※1日目の5月3日の夜には、懇親会を予定しています。
★申し込み連絡先 ERICまで★
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by eric-blog | 2008-04-18 16:17 | △研修その他案内 | Comments(0)