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TEST速報

3月28日 13:00~17:00  セッション1、2
3月29日 10:30~18:30 セッション3、4、5
3月30日 10:00~15:00  セッション6、7

ねらい 
○ 指導者育成の在り方を、自己史をふりかえることで検討する。
○ 日々の実践を「研究する」ための方法を磨く。

セッション1 共通基盤作り
・TESTへの期待
・TESTってどんな場?
・場づくりの心がけ
 →「じっくり考える」
・自分のパターンを発見する/名付けをする

セッション2 課題の共有
・深めたい分析[課題の共有]
 1)教育的指導者の今/昔
 2)教育の課題の現状分析
 3)「補助線(How)」と「ねばならない(結果)」の
   逆転現象
・セッション3、4、5のプログラムの構造化

セッション3 コミュニティの課題
・学びの個人主義的傾向
・社会化におけるLocus of Control(環境統制感)の欠乏
・教育の基盤は不変か?

セッション4 学びの質の課題
・教員の職業的社会化
・学びの質を劣化させるもの
・教育的指導者育成

セッション5 ファシリテーターのBQOE
・参加型学習の現状
・学びの結果の逆転現象
・ファシリテーターとしてできること
・「問う」ことを深める

セッション6 指導者育成のプログラムづくり
・2日間で学んだこと「それであなたは何を学びましたか?」
・2日間のプログラ評価


セッション7 課題と研究計画
・指導者育成カリキュラムに求められ柱
・研究課題を明確にし、計画を立てる
・2日間で学んだこと
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by eric-blog | 2008-03-31 11:26 | □研修プログラム | Comments(0)

不安の世紀から

223-6(1091)不安の世紀から
辺見庸、角川文庫、1997(単行本1997)

NHK教育テレビで1996年に放映された「辺見庸・対論ドキュメント『不安の世紀』から」を書籍化したもの。
対談相手はロバート・ジェイ・リフトンとファン・ゴイティソーロ。

紹介しよう、紹介しようと思っていたのに、なかなか手がつかずにいた。あれから10年。年は21世紀を迎えた。

まず彼らの珠玉のことばを紹介した上で、彼らの刺激から、そして彼らがその時は体験していなかったその後の10年の経験の上で、いま、わたしが思うことを、書いてみたい。
--------------------------------
辺見
オウムについて「指導者を神として崇拝することから起きる精神的重圧が限界を超える」とき、極端な行動に出る。47

国家に対する対抗価値、ヘゲモニーに対する対抗価値的かかわり、あるいは冷戦構造という対抗価値的な枠組みの崩壊。50
シンボル体系の崩壊。51
テクノロジーの千年王国、技術発展の究極の目的を論じる情熱が無力化される。54
目的なき無限発展を正当化し座視するのが、じつは正真正銘のニヒリズム。55

リフトン
いま世界中で私のいうプロテアニズムと原理主義の争いが起こっている。79
原理主義ではなく「プロテアニズム的自己」を持つこと。80
柔軟な「「プロテアニズム的自己」を持つ人間の自己形成の過程は、現実離れした理想主義的なものでなく、非常に具体的で多様な現実や価値観に接して、次第に自分が人類の一員であるという強い問題意識を持つからです。80
「プロテアニズム的自己」を持ち、そして人類という「種の精神」を手に入れた人間は、人類の一員であるという意識に包まれるのです。81
プロテアニズムのもとでは人々は自分をバラバラに拡散して、核というものがないと感じてくる危険性です。93
絶滅の危険性にされらされる人類の一員であることを十分に意識する、このことが非常に大事だ」99

ゴイティソーロさんについては「サラエヴォ・ノート」をまず読んだ方がよいようだが、「記憶殺し」としての図書館の破壊、そして、抵抗としての爆撃化での文化活動をあげている。わたしも『サラエヴォ旅行案内-史上初の戦場都市ガイド』1994年を読んだ時は、衝撃を受けた!


直接的クエスチョン
「プロテニア的自己」というのは情報の消費者にしかすぎないのではないか?


世界は滅亡する。なぜならば「世界」というのは、世界観、新世界、○○の世界のように、結界とその結果内の世間とで構成されている了解可能な範囲のことだ。
わたしたちの現実は変化の連続だ。生きている限り変化は続く。地球も宇宙も、そういう意味では生命体だ。岩は一瞬前の岩と違っている。盤石のように思えた氷河が解け流れるように、見えやすいわけではないだけだ。
その変化のストーリーが、西欧一辺倒ではなくなったということだ。それが「世界」の崩壊であり、わたしたちは宇宙は一つではないという説と同じほどの確かさで、世界は一つではないという説を受け入れるだろう。
それ以上の確かさには、なり得ない。理論的にはわかっている。頭では理解できる。説明もできる。しかし、わたしのからだは、この「世界」にあり、わたしの考えや論理、感情までも、この「世界」の生み出したものに、支配されている。
それは、不安なのか? 
リフトンは軍拡、環境破壊、資源の枯渇、温室効果などの脅威が現実的に世界を破壊しつつあると言います。しかし、それらの問題は、「西欧的科学主義」の発展の結果であったのではないか?
西欧科学主義が内包していた「一つの世界」観が、いまの破壊につながっているこのトートロジー、ぐるぐる巡りを、どう生き延びるのか、生き延びるための「強さ」を求めて、この対談はなされているように思う。思考の優位性を再び獲得できるように。言葉の優位性を発揮できるように。

わたしたち一人ひとりはことばを獲得する必要がある。ことばによるコミュニケーション、それが人間の脳を共進化させてきたものだからだ。

ことばと認識は常に相互的にこの「世界」観を作り上げて来た。西欧の科学主義も、人間の脳の思考アプローチの特徴と傾向によって形作られて来た。にもかかわらず、「科学」はそれだけで真理のように、自らを思い込む。それも、人間の認識のパターンとして、避けがたい傾向だ。科学だけではない。「世界」がそうなのだ。

とはいえ、いまの教育において求められるCALP cognitive academic language proficiencyは、西欧科学中心主義的なカリキュラムになっている。つまり、西欧の科学的言語に、どのようにそれぞれのことばを橋渡ししていくかという問題を「非」「西欧」諸ことばは持っているということだ。

その課題は文字化された言葉のある文化と無文字社会とで、大きく違っている。

こんな風景を、日本ではよく見ないだろうか? ある委員会の席、居並ぶ人々はすべてオトコで背広スーツ姿で、事務局から配られた資料ばかりに目を通していて、一方的な説明と、一方的な批判、あるいは質問で、時間が過ぎていく。
委員会の場とはそのような場なのだ。浅田さんが「日本語は階級遵守語だ」と喝破した、そのようなひとつの「上下間でのコミュニケーションのスタイル」において書き言葉こそが大切だからだ。わたしが「言葉」と書く時の書き言葉。つまりそれは日本社会においては漢字であり、漢語で話す世界だ。

「カタカナ語が多すぎてわからない」と参加者が言うとき、多くはその上下関係の不決定、不同意、そして、対等さの拒絶が伴う。言葉は関係性を伴うからだ。そして、カタカナ語というのは、多くは「専門家」という権威が使う「漢語」に他ならない。

そのカタカナ語を使いつつ、対等な関係性を作り出したいと思うとき、一挙にファシリテーターは「素人芸」だと断じられてしまう。おもしろいことだ。
権威主義的なファシリテーターという言語矛盾をはらみながらでなければ、成立しない市民参加の場というものも、ある。そして、その矛盾を自覚せずに、振る舞っているファシリテーターも。

言語というのは科学主義的な概念として考えた場合、翻訳可能でグローバル・スタンダードなコミュニケーションを可能にする内実を含むものだ。「万有引力の法則」や「電圧」や、人口動態である。電圧はもう数値化されていることすら意識することのない概念だが、人口動態となると、現実と数字の乖離、視点の切り口などによって、違ってくる。しかし、人口動態という考え方は普遍的だ。普遍的というのはその科学の世界においてという意味だ。

ことばから言葉や、言葉から言語へ、わたしたちの現実はやすやすとすべての要素を取り入れたハイブリッドなコミュニケーションを行っている。

そして、ゴイティソーロさんが指摘するように、演劇や芸術活動なども、「種の精神」に触れる普遍的なものだ。そこにタッチする可能性も、わたしたち一人ひとりに内包されている。CALP以外にね。
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by eric-blog | 2008-03-27 09:29 | ■週5プロジェクト07 | Comments(0)

TEST08 build-up no.3 教育力向上講座へようこそ

TEST08 build-up no.3 教育力向上講座へようこそ

2008年3月28日 午後1時から午後5時半まで 2セッション
2008年3月29日 午前9時半から午後5時まで 3セッション
2008年3月30日 午前9時半から午後3時まで 2セッション

ねらい 
○ 指導者育成の在り方を、自己史をふりかえることで検討する。
○ 日々の実践を「研究する」ための方法を磨く。

過去の蓄積があると楽になる。しかし、新しいことは見えなくなる。TEST教育力向上講座では、毎年違った角度からの研修を試みてきました。今年のテーマは「研究する力」をつける。
2時間のセッションの流れを四行で書いてしまうので、時々驚かれますが、結局書いてしまうと、こんな感じです。
伝えたいことがある。伝わるためには相互的なやりとりである必要がある。そして、共に考えることで、一人では考え切れなかったこと、経験が足りなかったこと、知識が偏っていたことなどが、豊かに、実感的に、深い理解に、そしてネクストステップへの展望に、結びついていく学びになると思います。
ワークショップとは、「行間を読む」作業なのではなく、「行間を埋めていく」作業に近いものだと思います。

そのままのあなたで、お越し下さい。お会いできるのを楽しみにしています。

2008年3月28日 
セッション1 共通基盤づくり 教育の目標
13.00-15.00
1. 自己紹介と話し合いのルールづくり
2. ファシリテーター100の概念の共有
3. これまでの教育、これからの教育、どこが違ってどこが共通するか
4. 研修への期待

セッション2 過去の共有 教育的指導者育成のこれまで
15.15-17.30
1.教育的指導者育成とは何か
2.TEST00からTEST07まで
3.残された課題は何か
4.プログラムづくり
5.一日目のふりかえり

2008年3月29日
セッション3 自己形成史をふりかえる
セッション4 経験学習の力、質的研究力を高める
セッション5 実践コミュニティを進化させる

2008年3月30日
セッション6指導者育成プログラムづくり
9.30-12.00
1. 二日目のふりかえりとプログラム実践の評価
2. 残された課題と見えて来た推進のバリヤー
3. カリキュラムの構造

セッション7 ふりかえりとまとめ
13.00-15.00
1. 気づいたこと・感じたこと・学んだこと
2. 応用できること
3. 個人的計画
4. まとめ
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by eric-blog | 2008-03-26 12:45 | △研修その他案内 | Comments(0)

TEST08 building-up n0.2 共通基盤づくり

TEST08 building-up n0.2 共通基盤づくり

そもそも、なぜERICで「教育力向上講座」なのか。前回はこれまでTEST00からTEST07まで、at ERICで、大阪で、名古屋で、ファシリテーター仲間と共有してきたテーマを一覧してみました。それらは、その年年に、ERICで取り組んだ指導者育成研修の集大成であり、伝えたいこと、共に考えたい課題と、x次の年の共通テーマでした。ネクストステップへの跳躍力と持続力、それがTESTを企画する願いでもありました。

今回は、これからを考えるために、そもそもの問題意識の共有をしてみたいと思います。これまでをふりかえる点検の視点とも言えるでしょう。

TEST教育力向上講座というのは、いま、教育的指導者育成が、大学という高等教育機関によってオーソライズされている現状に対し、市民団体、民間団体、NPOらが、特に「新たな学習課題」とされる環境、開発、人権、平和などの諸分野において、言わば社会教育という範疇で実施している講座や研修の一つです。わたし自身は、教員免許の取得および更新の条件として、これら民間の研修の受講実績を、当然入れるべきだと考えています。いま、大学は新しい学習課題に対応するような学科であったり、学部であったりの新設に大忙しですね。しかし、それでもそれはビビッドな「いま」を伝えるものではありえない。子どもたちを、そしてわたしたち自身を、「いまの世界」とつなげる役割を果たそうとするならば、市民社会組織に対して開かれた学びの場を作る力が求められる。そのような力のトレーニングと実践として、まずは市民社会組織による指導者育成研修を受講すること。そうすることで、大学という場では得ることのできない市民性教育そのものに触れることができるでしょう。
ERICの研修は、そのような民間による指導者育成の一翼ではありますが、ERICがTESTで目指しているのは、指導者育成のための一部を提供することに留まりません。指導者育成のカリキュラムそのものを検証し、実証し、提言するものでありたいと、企画しています。

新しいもの、他にないものに挑戦するというのは、現状に対する批判、未来の展望、内から突き動かされるもの、の三つで説明できると思います。

一つのメッセージが広がっていくのは、つまるところ、三つ目の力によるのでしょう。批判も展望も、内包する内からの声。しかし、時には、その背景を言祝ぐしておくことも、必要ですね。わたしにとっては、またか、というところですが、新たな機会、新たな視点による再話に挑戦することは、無駄なことではありません。特に、三日間研修に向けて「ビルドアップ」していくための作業というのは初めての経験です。

ネガティブ・クリティーク=現状に対する批判
◎ いまの高等教育には、「教育的指導者」を育てるハウもビジョンも、コンテンツも、指導者も、いない。
◎ 教育は、「選抜のための教育」から「共生のための教育」、そしてその上で「選択のための教育」へとセルフ・イメージを変換させる必要が、1970年代を境にあった。そのことを理解していない。そのために、共通のビジョンを持つことが教育現場で難しい。
◎ もう一点、共通のビジョンを持ちにくくしているのは、教育の現場の混乱を、いまだにマルクス主義で説明し、対応しているようとしている点がある。
◎ 持続可能性への挑戦そのものが「生活習慣病」の改善であるのだが、「近代教育」という生活習慣病の中から、持続可能性のための教育力を培っていくとはどういうことなのかを教育は考えていない。
◎ 到頭、等々、滔々と続く批判のリスト・・・

対立はある。お受験教育と共生のための教育、いじめ対策と集団主義教育、組合運動と管理教育。
いま、わたしたちが取り組まなければならないことは、さまざまに歴史的に織り込まれてきた対立の根とそこから出てくる芽を見つめて、それでも、教育に関わる人々に共通する根っこ、もっとも基本的な共通基盤はどこにあるのかを探り、その共通基盤から協力を作り出していく作業です。そして、かくいうわたし自身も、一つのセクターであり、立場性を持っている存在ですから、こんな批判を持っている人をどのように「インクルージョン」できるかが、いまの教育についての議論のポイント、論議の場づくりの課題。

対立が悪なのではなく、対立の扱い方を知らないことが危険。対立を認め、対立の扱い方を共通して学びつつ、議論を進めていく。そんなことに取り組むのも、挑戦的でいいですね。

そして、その場で、探り出したい共通基盤は、「実現したい未来」のビジョン。
対立に焦点を当てるのではなく、共通のビジョンに焦点を当てることで、現在の対立点を超えられる、とはフューチャーサーチで学んだ方法論。

ポジティブな、未来の実現したいビジョン

わたし自身の経歴は教育畑、環境運動、そして人権研修と経てきています。その変遷の基盤をつなぐのが「参加」です。実現したいことは、「参加の文化」、参加が風土として根付いている社会。
参加して未来のビジョンを共に確認しあい、参加して社会をていねいに舵取りしていく。参加の文化を根付かせることこそが、何よりも、持続可能性の鍵なのです。

それは、次の三つです。
1.肯定的な、受容的な風土 クリティカルだが温かい関係性 positive
2.対立から学ぶ風土 排他的、権威主義的でない文化  inclusion
3.問題提起を受け止める風土 システム思考で、経験主義的に、ていねいによりよいものへと改善する思考と姿勢 process-mind

そんなビジョンを、自分たち自身も「からだで実践できている」こと。からだでできていることが、もっとも伝わることだし、伝えられること。

それがここ数年のTESTで「物語るからだ」というようなキーワードで取り上げられてきたものです。

そして、内からなるものは?

最近、中学時代のことを思い返しています。「天ちゃん」を語った美術の先生、ポルノ小説を書いているとうわさされていた国語の教員で、「学生運動についてどう思う?」というような問いをクラス担任として投げて来た先生。あの先生方は、その後をどう生きられたのだろうか。
どこかの研修で「中学生の時、運動系のクラブに入っていた人」というのが7割ほども占めているのを見た時、学校における先生たちの居場所を思った。わたしはなじめるのか? 高校の教員をやめるのだと、「教員をしていても、魂まで売った訳じゃないはずだから」と語った人。
杉並区の中学校からは「藤原校長の独断と先行」に保護者も生徒もついていけていないという声が届くいま。

それでも、やはり、教育の現場はさまざまで、児童生徒と教員、保護者や地域の「生きるということの質」を内包しつつ、生きている。生きる力に支えられて、毎日の学校は成り立っている。

無気力で、学習の姿勢がまったくついてなくて、まずは反発から入るような大学生たちにアンケートをしても、小中高に対する激烈な批判などは聞かれない。そこが生活の場であったのだから。たいていの場合は、親を選ぶことができなかったのと同じように、学校も選んだのではなく、与えられた条件として、彼らがそこで生き抜いて来た場所だから。

毎年、2-3万人の教員たちが現場に出て行く。100万人の仲間たちの中へ。
そして1800万人の子どもたちが、一日と人生のプライムタイムを、共に過ごしている。

ていねいに、生活習慣病を克服するぞという強い意志を持って、自らから変わっていく。そんな力はどうすれば、身につけることができるのだろうか。

それが、TESTで共に考えたい課題です。

「学びの共同体」「質的研究」など、教育についての動きだけではなく、地球温暖化防止のために地域社会で市民参加で取り組まれている実例も、学校づくりについても、参考になりますね。

次回、いよいよ、3月28-30日のセッション構造の検討へと、積み上げて行きたいと思います。


,。・:*:・"゛☆,。・:*:TEST08 at ERIC:*:・"゛☆,。:・":*:・。☆。・"
日程: 2008年3月28日29日30日
[28日は午後から、30日は午後3時まで、どのセッションでも自由に御参加ください。ご連絡はかくたまで。]
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by eric-blog | 2008-03-25 23:10 | △研修その他案内 | Comments(0)

TEST08 build-up no.1

今年度のTeachers and Trainers Effective Skills Training TEST
教育力向上講座の内容を「ビルドアップ」していきたいと思います。
第一回は「過去の共有」から、今年のキーワードの共有まで、です。
以下、これまでのTESTで扱って来た事柄リストです。[添付ファイルは、TESTの歴
史です。]

ERICの学びの第一期気づきのためのアクティビティ構成主義 経験学習
           理念を教育ツールに
ERICの学びの第二期スキル・トレーニングわたし・自尊感情  あなた・コミ
ュニケーションみんな・コミュニティ、協力、社会的提言
ERICの学びの第三期社会的合意形成ワークショップPRA分析的手法PCM フュ
ーチャーサーチ 学び続ける組織

ERICの3つの学び、セルフチェック
セッション分担方式
whole school approach
学校を人権尊重文化の具現者にするということ。
・4つの学び「知ることを学ぶ」「為すことを学ぶ」「共に生きることを学ぶ」
  「人間として生きることを学ぶ」を教育の共通目的に
・英国DEA「トレーニング戦略TS」米国PLT「モデル・プログラム・イニシャティ
ブMPI」による点検
BQOEすべての人によりよい質の教育を
親と子の物語り
ORID分析
成長・成熟における遺伝型・遺産型・表現型
ESDについて
ファシリテーター100の概念 研修プロップの検討
物語る/物語るからだ
共有のための補助線
3つのパワー
Power To Vision
ライフストーリーインタビューを活かす
用語の共有の課題
育ち方・育て方
日本の教育文化の検討
無文字社会と文字化社会の出会い
教育の千年向学
近代を超える
===========================
これまで、教育的指導者のトレーニングを考える時、日本の教育現場が「近代教
育」の桎梏を超えられていないことを共有するところまで、進んで来たと思いま
す。

そこから課題として、次のようなキーワードについての学びの共有と、指導者育
成カリキュラム構築力へと進みたいと思います。
脱学習と新しいいいパターンの習熟
ITETとそれ以前の教育
職業的社会化のプロセスを分析する
質的研究としてのセルフ・エスノグラフィに挑戦する
分けることが差異の固定化に

分析的近代、要素主義的近代を、超えるという矛盾を、わたしたちは超えられる
のか
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by eric-blog | 2008-03-25 23:05 | △研修その他案内 | Comments(0)

leggsを伸ばす一言集

leggsというのは、ERICのレッスンバンクの卵です。入り口を入ってすぐのところにある書庫が孵卵器です。ERICに来られたら、ぜひ覗いてみてください。アイデアの宝庫です。

ひとつひとつに、ちょっとひとことが書かれています。

----------------------------
どれほど,わたしたちは間違っているのか
なぜ水は流れるのか
こちらでなければどこへ
鎖を解き放て
適切にあきれる
怒りをパワーに
弱さを力に
負ける教育
最小公約数はなにか
最大公倍数をめざせ
この絵をフレームどりしてみよう
切り取りの潔さ
冗長なまでにくどく、ていねいに
ていねいに説明する
簡単にわかる
やすやすとは同意しない
深く感動する
象はどこから食べ始めたらいいか
象は鼻が長い
キリンの首はなぜ長い?
学びの共同体
学び続ける組織は
からだからだ
わたしのからだは頭がいい
やりなおしは効く、やらなければ始まらない
きっとショートカット
急がばショートカット
合理的に急ぐ
さっさっとやれることに時間をかけない
時間をかけるより、心をかける
いちばん簡単なやり方は何?
いちばん困難なやり方は?
やりたくないことはやるな
魂は売るな
聡明なオンナは段取りが美味い
ハイブリッドウーマンは燃費がいい
わたしが日本人だ
想像の共同体より創造の共同体
無関心の悪循環
中央突破! 周囲脆弱
四文字熟語で考えるな
慣用表現を使うな
日本語の罠には気をつけよ
甘い言葉遣いは堕落の道
心底考える
多様性を伸ばすには?
心ここにあらず、ですか?
感嘆散歩!
一日10分目磨きする
もっと大声で訴えていたら?
もっとがんばっていたら?
あの時、ああしていれば?
静かに時を待て
うるさくかき回す
カエルなら何と言いカエル?
かばならばかか
いばらないかばならいらない
しらないかばかいならし
さかさまことばとこまさかさ
まさかさかさま
からだからの声に耳を澄ます
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by eric-blog | 2008-03-25 19:42 | ▲ファシリテーターの課題 | Comments(0)

飛鳥山の桜が咲いてる!(^o^)/

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by eric-blog | 2008-03-25 19:34 | □研修プログラム | Comments(0)

カムチャトカにトナカイを追う チャクチェ族の自然と伝説

223-5(1090)カムチャトカにトナカイを追う チャクチェ族の自然と伝説
V.V.レベジェフ、Yu.B.シムシェンコ、平凡社、1990(原著1983年)

ソビエト連邦下で、ある民族がどのように自分たちのトナカイ放牧の技術によって、自治的経済的に自立し、またその技術と文化を継承しているかを伝えるとてもよい本。

争いごとのおさめ方、子どものしつけや訓練にも、民族の誇りが伺える。

先住民族という範疇にはおさまらない、自立の姿。

ソ連が崩壊した今、彼らの暮らしはどうなっているのだろうか。

デルス・ウザーラともう一冊、カナダの森の人と暮らした日本人の本を読んだ時の印象に似ている。本の題名、わすれちゃったけど。確かな人々が、確かにそこにいるという感覚だ。そして、自然のリズムの中で、やるべきことがはっきりとしている生活だ。

わたしがここに居るというのと、なんと違うことか。選べるライフスタイルならば、地球のことを考えて、選ぶ責任があるよね。
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by eric-blog | 2008-03-25 11:27 | ■週5プロジェクト07 | Comments(0)

子どものねだん バンコク児童買春地獄の4年間

223-4(1089)子どものねだん バンコク児童買春地獄の4年間
マリー=フランス・ボッツ、社会評論社、1997(原著1993)

最初に救い出したソンタのねだんは800ドルだった。

1991年、ラ・ファム・ド・ラネ 今年の女性賞を受けた社会活動家。1986年からタイ難民キャンプからの海外へ移送される子どもや家族の選別をする仕事を皮切りに、児童買春の実態調査、そして、「子どもの権利擁護センター」の子どもの受け入れ施設の建設、さらわれて人身売買される子どもたちの村への帰還の手助けへと、活動はより実践的なものに変わっていく。

それらの活動をサポートするのは「人間の大地」や「国境なき医師団ベルギー」などからの助成金だ。

タイの「子どもの権利擁護センター」や「児童財団」の活動を進める人々と協力して、子どもの受け入れセンターを運営し、子どもたちの帰還をする一方で、予防そのものに取り組む。山岳民族の村からの誘拐を防止するための啓発と情報ネットワークなどによって、人身売買グループや小児性愛ビジネスに影響を与え始める。目立つ西欧人の金髪女性は無言電話、いやがらせ、切り刻まれた肉を送りつけられるなどを受ける。「今年の女性賞」によって、活動に対する注目が高まり、メディアへの露出も増える。そんな時、「みせしめ」に襲撃されるという事件が起きる。

現場から何度も離れながら、また戻り続ける、関わり続けるのは、子どもの目と出会ってしまったから。小児性向からの回復を目指すグループに接する中で、彼らも病んでいることを知る。

小児売買というビジネスやストリートチルドレンを生み出している貧困に支えられている売春を、「小児性愛」は性的嗜好の一つで認められるべきだという文化論が見えなくさせ、子どもの権利の擁護を阻む。

買春者の多くは、自らの小児性向の病を見つめさせられることを、拒絶する。
わたしたちも、わたしたちの社会の病を見つめることができない。
一人では変われない。一人だけ変わっても意味がない。

-empowerment education --------
Power Within   わたしの中の力に気づき、引き出す
Power With  あなたとの関係の力を築き、引き出す
Power To みんなの力、社会を動かす力を、引き出す
----------for our common future -----------------
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by eric-blog | 2008-03-25 10:49 | ■週5プロジェクト07 | Comments(0)

消えたオアシス 灼熱のサハラをさまよって

223-3(1088)消えたオアシス 灼熱のサハラをさまよって
Issa, Enfant des Sables イサ、砂の子ども
ピエール=マリー・ボード、鈴木出版のカイガイ児童文学 この地球を生きる子どもたち、2006

医療協力団の一員として活動するマリーと、イサという赤ん坊を抱えた家族との出会い。

男と身重の女の夫婦は、四歳の男の子、イサを抱えて、水の枯れた村から、生まれた村を目指して4日間も歩いて来たが、その村でも人は村を捨てていた。水はあったが、食べ物がなかった。牛や山羊を飼うのに十分な緑が、干ばつのために、なくなったからだ。

近くの医療センターからトラックでやってきたマリーにできることは、一本の点滴を打つことと、ミルクの配給をあげること。10時間の距離を耐えられないイサのためにヘリコプターでの移送を手配することにして、一晩を村で過ごすことにしたマリー。

しかし、砂嵐がイサの残っていた力のすべてを奪ってしまう。
夫婦は、イサにお別れをすると、村人たちの後を追って旅立つ。

こんな援助が何になるのか、自問しながら、帰路につくマリー。

この本は、このような状況を生き延びているアフリカの人々の強さと力に焦点をあてている。彼らの手仕事の力、与えられた環境の中で、水を組み、火をおこし、食べ物を準備する、その手際の良さと、それが彼らのからだにしみついている仕草となっていること。彼らの環境についての知識、環境を見取る力などが、豊かに描写されている。

状況は厳しいが、描かれているものは悲しさや無気力やあきらめなどではない。厳しい自然を生きる姿だ。

サハラの砂漠化そのものに対する有効な手だてなどない。地球温暖化によって、さらに事態は悪化するだろう。

「たしかなことは、これからも変化は続くということだ。・・・人間は影響を予測することができる」
9-1(34) 生命40億年全史、フォーティ, リチャード、草思社、2003

持続可能性教育の原則の一つに、「予防原則」がある。

---------- ESDのビジョン --------------
・持続可能な開発/発展/社会
・社会的な公正/正義
・人権の尊重
・市民としての参加/責任/権利
・よりよい生きるということの質

---------- ESDのアクション ------------
・相互依存性 ・多様性 ・力の分有
・コミュニケーション ・対立は悪くない
・協力、協同、協働、共生
・価値観と認識 ・信念を持って行動する
・行動や現象の因果関係=原因と影響
・未来の世代のニーズと権利に対する配慮
・行動における不確実性と予防原則
-----------------------------------------
   -- ESDの特徴 --
  ○学際的かつ総合的
 ○価値観主導の教育
○批判的思考および問題解決志向
      ○多様な学習方法
    ○意思決定への参加
 ○地域性の尊重
   -----------------
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by eric-blog | 2008-03-25 10:08 | ■週5プロジェクト07 | Comments(0)