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森づくりテキストブック

219-6(1069) 森づくりテキストブック 市民による里山林・人工林管理マニュアル、中川重年、山と渓谷社、2004

神奈川県森林研究所専門研究員として多くの雑木林の市民による管理に関わって来た著者による森づくりのテキストブック。見開き右ページは解説、左ページは図や写真という見やすい構成。220ページほどの本だから、約100のトピックが扱われていることになる。

森林ボランティアの団体は年々増えており、これからの森林管理を語るときに不可欠の存在となるだろう。

『再生の雑木林から』は、同著者が海外の事例にも触れながら、森林管理に取り組んで来た「玉川きずなの森」の実践紹介である。

森に子どもを連れて行くことで、開かれた場での子育てが自然と可能になって行く魅力にも、しっかりと触れられている。老若男女に関わらず、それぞれができることを、楽しみながら、がとても好感が持てる。続く秘訣でもあるのだろう。
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by eric-blog | 2008-02-29 18:00 | ■週5プロジェクト07 | Comments(0)

里山公園と「市民の森」

219-5(1068)里山公園と「市民の森」づくりの物語、浅羽良和、はる書房、2003

足立区の公園管理の仕事をしていたときに、舞岡は一つのモデルとして有名だった。
横浜市の公園計画課から公園建設課へと、舞岡公園にかかわった著者は平職種族として現場にかかわれたこと、平職とは言え年長ではあるので発言しやすい関係にあったことが、22年に及ぶ計画、建設の最後の仕上げ、市民参加による管理、運営へと引き継げた要因だと振り返る。

みどりの保全、農業山林保全、都市公園という目的と手法を併せ持った「緑のマスタープラン」として1981年に舞岡公園としての基本計画がスタート。計画課で用地買収に奔走していたときに、公園の理念にずれる整備事業を市民から指摘され、相互連携の必要性について一席ぶったところから建設課へ。

神奈川県の森林面積のうち、市民グループによって管理されているのは1%程度。

相模原でも、取り組みが進むといいなあ!(^o^)/
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by eric-blog | 2008-02-29 16:47 | ■週5プロジェクト07 | Comments(0)

学習指導要領パブリックコメント

学習指導要領の改訂について

日本は、先進工業国の一つであり、高い技術力と貿易によって、世界の経済発展に貢献しています。国際協力の分野においても、有償無償、そして技術協力、人材派遣など、多様な分野で、大きな貢献をしています。先人が、多くの犠牲と痛みから学び、固く決意し、憲法の前文に謳った「国際社会における名誉ある地位」を達成したと言えるのではないでしょうか。いまだ戦火にある多くの国と地域のあることを思うとき、日本に生まれたことに感謝し、その恵まれた条件を今後も地球と人類、すべての命のために活かしていきたいと願うものです。
戦後60年の長きにわたり、発展し続けたその力は、豊かな風土、つまり人間と環境の織りなすハーモニーにも支えられているものです。高度産業技術国でありながら、国土の6割が森林であり、島国独自の生物的多様性を維持し、その文化的多様性の豊かさは、他と隔絶した独自なアイデンティティの根拠となっており、決してグローバリゼーションの波に洗われた画一的な文化様相に陥ってはいないことは、教育レベルの平均的な高さとともに、持続可能性を達成する上で、有利な条件だと思います。
日本が持続可能な未来のために大きな貢献ができる国であることは、ESD持続可能な開発のための教育を、国際社会の先鞭を切って提案したという事実を待つまでもないことなのです。

今回の改訂の元となった中央教育審議会答申(2008年1月17日) 「幼稚園、小学校、中学校、高等学校及び特別支援学校の学習指導要領等の改善について (答申) 」は、学習指導要領そのものとともに、今後の実践が展開されていく上で大切なものであると思います。これまでの学習指導要領の歴史を俯瞰しつつ、議論の変遷をわかりやすくまとめ、国民の誰もが自分自身が育ったころの状況と合わせて理解し、パブリックコメントに参加しやすいように、配慮されており、現在、高まりつつある教育への関心にていねいに答えようとする姿勢が現われていると感じました。

同様に、2月19日の生涯学習振興策についての答申も、これからの初等中等教育を生涯教育に位置づけていく上で重要なものだと思いました。
これらの答申の上に、今回の学習指導要領の改訂が行われたものと思いますが、特に2月19日の生涯学習振興策についての答申では、以下のような認識が示されていることを、再度、学習指導要領実施の上で、強調していく必要があると感じています。

1.社会の変化による要請 総合的な知
このような変化に対応していくためには、 狭義の知識や技能のみならず、自ら課題を見つけ考える力、柔軟な思考力、身に付けた知識や技能を活用して複雑な課題を解決する力及び他者との関係を築く力等、豊か な人間性を含む総合的な「知」が必要となる。

2.自立した個人の育成や自立したコミュニティの形成の要請
国民一人一人が自らの人生を豊かなものとするための判断を十分な情報を得た上で主体的に行えるよう、国民のニーズに応じた学習機会を充実し、その学習活動を支援することが求められている。

3.持続可能な社会の構築の要請
各個人が、自らのニーズに基づき学習した成果を社会に
還元し、社会全体の持続的な教育力の向上に貢献するといった「知の循環型社会」を構築することは、持続可能な社会の基盤となり、その構築にも貢献するものと考えられる。4-5

そこからの教育目標についてのキーワードとして「生きる力」「人間力」があげられ、また「開かれた個」という1.17答申のキーワードは、学び続ける個人と社会のみがよりよく生き延びることができる、持続可能性の鍵は絶え間ざる学習なのであるということを、再認識させてくれます。

「個人の要望」と「社会の要請」、「継承」と「創造」、教育はつねに相矛盾する課題を突きつけられています。それに応えるためには、教育は柔軟であることが求められます。柔軟さは自由によってのみ、保障することができるのです。

現行学習指導要領は、最低限を示しているのであって、それ以上を提供する、できる現場を妨げるものではないことを明らかにしました。その精神は、改訂においても受け継がれていくものと信じます。

わたし自身は、もう20年近くも、教育民間団体に関わってきています。1980年代は、教育における大きな転換点でありました。1974年のユネスコ国際理解教育への提言、人類共通の課題への取り組みなど、教育における国際的な共通カリキュラムというものが生み出され始めた時代でした。日本においても、開発教育協議会、国際理解教育学会などの諸団体が活動を開始したときでもあります。教育は、OECDのレポートが言うように、「エリートのためのもの」でも、「ぜいたく品」でもなく、わたしたちとわたしたちの社会の生き残りをかけた、すべての人類のための、人類共通の努力になったのです。
一方で、先進国においても途上国においても、教育が個人の出世栄達につながる投資の対象である現実は、いまだに続いています。中等教育において、その葛藤がもっとも厳しい様相を呈します。「受験」のための指導か、あるいは環境教育、開発教育などの人類共通の問題についての教育かという葛藤です。それは、個人においての葛藤だけではなく、国家レベルの教育方略における葛藤でもあります。国際社会という荒波を勝ち抜くための教育なのか、それとも国際協力による双豊的な目標をもった教育なのか。
もしも、日本という豊かな国において、中等教育までを、普遍的な教育、落ちこぼしのない教育、選抜のない教育というニーズを達成できないのであれば、途上国における国際理解教育など、望むべくもないということになるでしょう。また、今後、日本はどのように教育の分野において国際協力をなしうるでしょうか。
多民族国家と比較した場合の、日本社会の有利性は、基本的な共通言語の習得が容易いところにあります。しかし、英語やフランス語によって中等教育以上の教育を受ける諸国に比較した不利さは、認知的学問的言語(CALP, cognitive academic language)とのズレ、乖離にあります。
初等教育および高等学校を含む中等教育においては、競争や選抜に走るのではなく、この地球にともに生きる力の基礎をじっくりと育むことが、この乖離を、豊かさにつなげていくことのできる力になると思います。

日本に生まれ、日本語を話し、地域社会に参加するのであれば、風土は自然とからだにしみ込んでいきます。頭から入るアイデンティティなどより、しっかりと根付くものは、風土に刻まれた先人の努力と自然の豊かさなのではないでしょうか。

子どもたちを地域の自然に連れ出すこと、地域社会を知ること、それが国際理解教育の基礎でもあります。世界の中に地域はあり、地域の中に世界があるからです。

国家は大きな方向を示し、現場の柔軟で自由な、よりよい質の教育に向けた力を支援する、それがこれからのよりよい生き残りのための道であると思います。
「事前規制社会から事後チェック社会」への転換を、教育行政において実現してこそ、これからの社会に向けた実のある教育につながるのだと思います。
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by eric-blog | 2008-02-26 22:03 | Comments(0)

何が不自由で、どちらが自由か ちがうことこそばんざい

219-4(1067)何が不自由で、どちらが自由か ちがうことこそばんざい
牧口一二、河合ブックレット、1995

雨上がりのギンヤンマ、夕焼け空のオニヤンマ(1988、1991、明石書店)
ちがうことこそ、ええこっちゃ、NHK出版、1998

など、小学校などでの講演会を年間80-90回も行っている牧口さんの講演内容をまとめたものがこのブックレット。

三重県が作成したコミックの原作者である。

牧口さんは、自分はあまり障害を感じないという。デザインの専門学校を出た後、54社を受けて就職が決まらずに、二年間引きこもっていたときを除いて。

そして、練習問題として、全盲の人の社会参加が、なぜもっとも早く実現していたのかを考えてみようという。

・ 目立つ障害である。=同情を引きやすい
・ 日常生活は支障なく過ごす力がある=身近な家族が「差別」に怒る
・ 「目が見えない」ことと比較して他の能力が際立つ=耳がいい、記憶がすごいなど
・ 口頭でのコミュニケーションに問題がない

ことばについて、考えさせられるコメントでもあった。

そして、牧口さんがいま「不利」を感じていないように、どのような障害であっても、「不利」を感じないで生きられる社会を作ることはできるのではないかという。

世界でもっとも生きやすい立場にある人間、と時々思うという。

さて、果たして、それは「オトコ」だから、なのかな?
障害のある「オンナ」でも、生き生きと生きていた人が、いたなあ。

牧口さんから見たら、いまの小学校・小学生はとても不自由に見えるようだ。
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by eric-blog | 2008-02-26 13:31 | ■週5プロジェクト07 | Comments(0)

愛しすぎる家族が壊れるとき

219-3(1066)愛しすぎる家族が壊れるとき
信田さよ子、岩波書店、2003

臨床心理士としてアルコール依存症などのカウンセリングに取り組んでこられた著者の経験から書かれた事例報告と分析。

111
驚愕したのは「結婚した以上、愛し合う男女をちゃんとやってほしい。わたしは愛し合った両親から産まれたんじゃないの?じゃ私はなぜこの世に産まれたわけ?」こんなことばが不和ばかりを見せつけられる両親に対する子どもからの抗議である。

中高生のこんなナイーブな言動に迎合しなければならないほど、「愛の家族」という近代の幻想は行き届いているということなのか、と愕然とする。著者は1946年生まれ。自分の親たちが「愛」のゆえに結婚し、子どもを育んだとでも思っているのだろうか。1955年生まれのわたしですら、「愛」なんて、両親に求めたことはないなあ。

著者は、家族の不和から「経済的に豊かであっても砂漠のような家族」を感じているこれらの証言から、「愛し合う家族」との「愛情による階級性」があるとも分析する。112

いまや「愛情」こそがレアなコモディティなのだ。大変だなあ。超高級、超高価、超リッチなセッティングに惑わされるなよ。そこに「愛」がないのであれば。

親子関係、夫婦関係の非対称性に思い至った著者は、それが「指導」「体罰」「しつけ」「従わせる」「正しい」ことを家族内で暴力によって示すことを「あたりまえ」としてきたことが、暴力を容認することにつながってきたという。そして、「暴力」と呼ぶということは、すでに、「たたかれる側」に立つ選択であると。152

状況をどう定義するかという力「状況定義権こそが権力であると、フーコーが引用されている。しかし、当事者らはたいていが「暴力の加害者、被害者」という「状況定義」に至っていないのだという。153-157

著者は、加害者はその状況を「体罰」「しつけ」「いいきかせ」と認識しているので、暴力とは定義しない、被害者はその状況を自分が解決し支援しなければならない病、病気、障碍ととらえるので、責任ある自分はそこから決して逃れることはできないと、定義しているという。157

それぞれがそれぞれの「定義」を覆されることを極端に恐れるという。そして、その怯え、恐れが、権力に対する挑戦に対する暴力を逆に激化させると。163

わたしが持つ疑問は、「誰が状況を定義しているのか」そしてそれはなぜか、である。家族を市民権によって判断される公共圏に引き出して、加害者と被害者にすること。社会が、家族を凌駕するのか。社会と家族はどのような関係にあるかを、考える必要があるのではないか。

社会が家族関係の中にまで「状況定義権」を行使するとすれば、その社会はどのような責任を持つべきなのか。個人としての権利を前提とし社会を作っていなければ、どこに救い出すというのか。

介護保険があるのだから、ぼくらが親の面倒を見る責任はない、と言う論理と同じだな。そういう傾向があるから、それに合わせた対策をするのだが、対策が傾向を助長し、対症療法は止まらない。

多くの被害女性にとって、「状況」から逃げ出すことは難民化することに等しいという。個人であることを引き受けることが「難民化」となぜイコールになるのだ?

そして、著者が臨床経験を通して学んだことは、加害者も、加害者自身の「被害者性」を十分に承認されなければ、加害者としての自覚が持てないということ。171

加害者自身も、どこか「状況定義権」のないところで暴力をふるわれており、そして、そこから逃げ出すことは「難民化」するに等しい状況を生きてきた、生きているのだ。

「加害者としての当事者性は・・・被害者として援助されることで構築されるのだ」172

援助者は大変だね。被害者も被害者、加害者も被害者。援助者のふるっている権力、状況定義権によると、みんな「被害者」で「弱者」なんだ?

力の側に、援助者があり続けようとする無理な力がかかると、弱者はどこまで行っても弱者になるんだろうなあ。

家族とは権力構造である。それを解体し、あらたな状況を定義する。

DVという状況定義権が正当化されるのは、どのような権力の濫用に対する点検とチェク・バランスが存在するときなのだろうか?

どこかの権力関係から、よりましな権力関係に人を移し替えるだけの操作は、むなしいなあ。

後書きが、この本の中に表れる「違う顔」の謎解きをしてくれる。

なぜ、こんなにもたくさんの疑問符が、産まれるのだろうか。社会と家族の関係には?
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by eric-blog | 2008-02-26 09:54 | ■週5プロジェクト07 | Comments(0)

変わる家族 変わる食卓 真実に破壊されるマーケティング常識

219-2(1065)変わる家族 変わる食卓 真実に破壊されるマーケティング常識
岩村暢子、勁草書房、2003

シリーズの一番最初のもの。1998年から毎年実施しているアンケート、写真日記、インタビューという三段構成の調査の分析の第一報というところ。

1953年生まれのご本人も、あまり人のことは言えた義理ではないが、と、いまの食卓にあふれる袋物、箱もの、冷凍物、総菜、コンビニに加えて、外食、ママ友ランチ、実家外食、親持ち外食。
食をけずってでも、遊びに手間ひまかけたいという家族の姿がそこにあるのだという。

「現代家族の食卓」では、戦後核家族の主婦たちが自ら作り上げた「食卓の風景」、そしてそれは決して世代を超えて引き継がれたものではなく、だからこそ、娘にも強制したり、伝承したりする気持ちも方法も持っていないことがあぶり出された。

そして、前作となるこの本において、著者は1959年生まれと1968年生まれに断層があると指摘する。そしてそれは学校教育との関係が深いと。

つまり、2002年の段階で43歳前後の主婦は栄養・機能志向が強い「配合飼料型」食卓、34歳前後は調理実習の技術がなくて、効率重視で「単品羅列型」になっている。と。

学校での家庭科がそれほど大きな影響を持つようにも思えないが、傾向としては、あるのかもしれない。

FoF学習会でも、家庭科と給食の変化と食農地球教育の課題というのを分析してみたが、次のような傾向があった。
1940-50年代食の確保脱脂粉乳+パン食+牛乳
1960-70年代食の栄養変な献立、カロリー重視、先割れスプーン
1980-90年代食の多様化米飯給食、ランチルーム
2000-食育ブーム郷土食、完全米飯給食運動、給食削減自治体あらわる

FoF Focus on Food の学習会では、わたしは食農地球教育を主張しているのだが、現在の食育は「調理」「栄養」「伝統」「家族」というような価値観に偏っている。学習会でもカリキュラムの柱を分析したが、[食の安全・健康・公正・環境・伝統・マナー]などの簡単が共有されてきている。

学習内容は、時代によって振り子のように揺れ動く。どのような教科書であったとしても「教科書で教える」教師の力量があるならば、どのような力が身に付いていれば、それが達成されたと言えるのだろうか?

目標が明確で、目標と内容が連動しており、かつバランスの取れた学習内容が理想ではあるのだろうが、時間は限られている。しかし、6歳から18歳の子どもたちのプライムタイムが学校で過ごされているというのも事実なのである。
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by eric-blog | 2008-02-25 18:43 | ■週5プロジェクト07 | Comments(0)

里山の環境学

219-2(1064)里山の環境学
竹内和彦、鷲谷いづみ、恒川篤史編、東京大学出版会、2001

水ハンドブックと並んで、目標値の設定や行動計画の作成のためにはもってこいの本。

183ページには相模原市の「こもれびの森」の実践も中川重年さんによって紹介されている。

神奈川県の雑木林の生物生産量の推定を、中川さんは次のように紹介している。(1963年実測)184
20年生のコナラ49.4立方メートル/ha
     クヌギ 66.6立方メートル/ha
現在これらが50年生に育っており、
    コナラ 122立方メートル/ha
クヌギ 153.8立方メートル/ha
と推定されている。相模原台地の里山は、17-18世紀に新田開発がされた折、薪炭樹が植生され、以来300年間、継続的に管理が行われてきたのだという。

216
日本の森林の蓄積量は約35億立方メートルであり、毎年2%ほど増加している。
森林の年間成長量を4立方メートル/haとすると、里山林の1割、60万haの里山林から、年間240万立方メートルの木材生産が得られる。これは、日本の材木需要の2%であり、国内生産量の1割に相当する。

日本は森林資源に恵まれた国である。
経済効率だけで物事を考える時代は過ぎた。
豊かな資源を活かした、豊かなライフスタイルの国を実現していくことこそが、重要だ。

もちろん、この本には、里山の生態系などについてもいい資料が乗っていますよ!

その他の本
環境とつきあう50話、森住明弘
地球持続学のすすめ、武内和彦
里山を考える101のヒント、日本林業技術協会
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by eric-blog | 2008-02-25 09:29 | ■週5プロジェクト07 | Comments(0)

水ハンドブック –循環型社会の水をデザインする

219-1(1063)水ハンドブック –循環型社会の水をデザインする
谷口タカ幸、国連大学ゼロエミッションブックレット、2003

エコロジカルフットプリントやナップザックを考えるために、水関係の本を読んでみた。表記の本がいちばんコンパクトで、「考える」ために必要な数字があった。
例えば、こんな数字だ。

「東京都では基礎生活水量と称し、節水の目標とする数値を設定しています。
それによれば、炊事12リットル、洗濯21リットル、洗面・手洗い5リットル、風呂(シャワー)20リットル、水洗トイレ20リットル、掃除その他7リットル、合計85リットル。この数字は、日本で水道が発祥した折の50-60リットル/日・人を原単位にとった目標ですが、まさに原点を振り返る数値となっています。」10
この目標値に対して、現実は、世帯の同居人数によって大きく違うが、一番一人あたりが少ない7人世帯で、149リットル/日・人である。(1977年度)
いま、平均は200リットルほど。

オフィスでは10リットル、シティホテルでは1000リットル〜2000リットル/室・日などの原単位で水需要の予測をしているという。21

おもしろい数字としては、主要食料の生産に要する水量。23

牛4000立方メートル/一頭
羊および山羊500立方メートル/一頭
生鮮牛肉15立方メートル/㎏
生鮮羊肉10立方メートル/㎏
生鮮家禽肉6立方メートル/㎏
穀物1.5立方メートル/㎏
かんきつ類1立方メートル/㎏
豆類、根菜類および塊茎類1立方メートル/㎏
『フードファーストカリキュラム』では、生産にかかるエネルギーを計算したが、肉類には水もかかるんだねええええ。

2003年の第三回世界水フォーラムをきっかけに出版も相次いだようで、引用資料にはフォーラム資料からのものも多い。

「日本の農産物輸入による「水輸入相当量」は、438.6億立方メートル/年=日本人の生活用水使用量換算で3.7億人分となる。」
43

省エネルギーや節水はコンサルタントの仕事になるせいか、コンパクトなハンドブックはないんだねぇ。

他にジュニア新書の『暮らしの水・社会の水』2003から以下のような数字がありました。

製品1トンをつくるのに必要な量(トン)
鋼鉄100
上質紙310
新聞紙220
石油1kl10
石油化学1010
アルミニウム190
レーヨン1800
アセテート3160
板ガラス12
グルタミン酸ソーダ1680
一円硬貨は1グラムだが、それを作るアルミニウムには190グラムの水が必要ということ。88

その他
『小事典 暮らしの水』建築設備技術者協会、2002
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by eric-blog | 2008-02-24 10:13 | ■週5プロジェクト07 | Comments(0)

普通の家族がいちばん怖い 徹底調査! 破滅する日本の食卓

218-5(1062)普通の家族がいちばん怖い 徹底調査! 破滅する日本の食卓
岩村暢子、新潮社、2007

FoF学習会のために、食卓の風景を描き出した『<現代家族>の誕生』を再度借りようか、それとも買おうかと北区の図書館をチェックしたら、なんと貸し出し中でしかも14件も予約が詰まっているという。

驚いて、その他の岩村さんの著書もチェックすると、昨年出版された本作も含め、すべて予約10数件。結局、「早く読めた方がいいでしょう」と言って、RSさんがジュンク堂に走って、購入することに。そして、楽しい会食の後、わたしに三冊を押し付けて、宇都宮に帰っていった。誰が、読むのだ? 土曜日の学習会の進行は誰なのか・・・

1999-2000年と2004-2005年の二回に渡って、行った「食卓の風景」の調査報告。写真・日記調査、グループインタビューの対象となったのは首都圏に住む子どもを持つ「主婦」を100名/回ほど。職業の有無、親との同居、住居形態、夫の学歴・職業、親世代の年齢は偏らないように選んだという。

プロローグからして「変」だ。モザイクのかかったサンタクロース。なんなんだ、この写真は? あわてて調査方法や後書きを読んで、この調査の方法が理解できた。
写真はすべて、調査対象者が撮ったもの。通常のアンケート調査では迫れない実態に迫るために、写真も添付してもらうのだと、著者は言う。そして、その方法が、帯によると「驚愕」「震撼」「瞠目」の「崩食」の実態が明らかにされたというわけだ。

いまの「フツーの家族」の主婦たちの傾向を表すことばはこうだ。
・ してもらえる「お客様」
・ 好き嫌いで取捨選択、伝承・決まり事は苦手
・ 子どもを喜ばせたい
・ うるさい親になりたくない
・ 一緒にいられない家族たち、バラバラ
・ ノリでつながる家族、盛り上がりが大事

これらは目次、見出しからの引用だ。

調査時期をクリスマスから正月にしているのにも意味がある。伝統・伝承、行事、商戦などの家族の食卓への影響が見えるからだ。

ふだんの食事についてどのような個食、バラバラ食の食卓が展開しているかは別にして、正月などへの意識は、わたしもまったく一緒なので、驚くほどのことでもない。連れ愛の実家とわたしの実家をはしごしてお節、おとそ、お雑煮をいただく。台所はそれぞれやり方があるので、手伝わない。自分で作るおせちは田作りだけ。自分が出す味が好きだし、正月以外には素材が入手しにくいので。
さすがに、お年玉はもらわないが、「やりたい」のだろうとさまざまな支援はしてもらっている。同じことを自分の子どもにやってやるつもりはない。やれない。

伝統食、伝統行事も自分中心で、取捨選択。農村の歳時記に関連する行事に、都会生活での必然性はないから、伝承する必然も少ない。

恵方巻きが流行るのも、毎日の献立を考えるのが大変だから「のって」いるだけだろうと思っていた。一年365日、「これを食べる日」と決められていても、いいのではないかとすら、思える。楽、だから。

なんだ、わたし、フツーだったんだ。

彼女らとわたしが違うところは、二つある。ひとつはそういう自分であるということを彼女らは「言わない」ところだ。そしてもう一つは「主人」とわたしは「言わない」ところだ。

エピローグで著者は言う。どのような実態にも関わらず、「伝統を伝えるのは大切」「自分でもお節を作ったりなど、伝承していきたい」と言う人がいるのだと。最近では調査に対して「模範解答」のような答えを書く傾向が増えているという。著者が工夫した調査方法もその現実をふまえてのことなのだったのだか、そこから見えてきた現実を前にしても、なお、「伝統は大切にしたい」「自分もやる」と言う。

家族の食卓を見つめようとした調査が、思いがけなく問題提起することになったモノ。そんな感じだ。授業中には発言できない、しないのに、コメント表には「がんばった」とか、「自分なりに努力した」と書く大学生たちの姿と重なる「いまどきの主婦」像がある。

『<現代家族>の誕生』に描かれていた家族の食卓も、まったくわたし自身の、つまりはわたしの母親の姿と重なっていた。「きょうの料理」で紹介されているような「主菜・副菜」などが三品は並ぶ食卓だ。そして、それはおばあちゃん家の「ばっかり食」の伝承ではなく、彼らの世代の創造であったのだ。

そして、いまのフツーの家族が一生懸命作ろうとしているものは、「幸せ」家族なのだ。人間の幸せとは何なのか、満たされた、飽食の時代に、それを考える力、自分らしさをデザインする力こそが求められている。でもそれって、凡人には荷が重すぎるよ、ね。

三世代、四世代が三十年は共在する時代に、親子関係や伝承のあり方は、全く変わっていかざるを得ない。そして、家族に何を求めるのか、も。
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by eric-blog | 2008-02-22 13:21 | ■週5プロジェクト07 | Comments(0)

社会で子どもを育てる 子育て支援都市トロントの発想

218-4(1061)社会で子どもを育てる 子育て支援都市トロントの発想
武田信子、平凡社新書、2002

コミュニティ・オブ・プラクティス、実践コミュニティ研究会の方たちとワークショップをしたことがある。武田さんはその研究会メンバーの一人だ。

その後、オランダに一年サバティカルで来欧していたはず。このトロント滞在中にまとめられたのも、一年間のトロント大学客員教授としての滞在期間中の経験と調査に基づいたものだ。

ワークシェアリングについては欧州を中心にした調査報告があったから、子育て支援についての著者からの調査報告が楽しみである。

さて、保育園の整備状況など、日本社会の子育て支援が他国より劣っているわけではない。トロントの子育て支援は、そのコーディネーションにあるのではないかという。そしてそれを担うソーシャルワーカーの役割が大きいのだと。

ソーシャルワーカーについての定義を著者は国際ソーシャルワーカー連盟から引いています。41
「ソーシャルワーク専門職は、人間の福利の増進を目指して、社会の変革をすすめ、人間関係における問題解決を図り、人々のエンパワメントと解放を促していく。ソーシャルワークは、人間の行動と社会システムに関する理論を利用して、人々がその環境と相互に影響しあう接点に介入する。人権と社会公正の原理はソーシャルワークの拠り所とする基盤である。」

具体的にソーシャルワーカーとされるのは、トロントの例も交え、次のようなリストが挙げられています。

・ 保育士
・ コミュニティワーカー
・ ユースワーカー
・ ファミリーワーカー
・ 教員
・ 栄養士
・ 医師、看護士
・ 臨床心理士
・ 医療ソーシャルワーカー
援助が必要な人と援助を結びつける仕事であると。教員や医師などもソーシャルワークであることは、理解できても、ソーシャルワーカーであること、ソーシャルワーク専門職であることの理解はないのではないかと、この部分を読んだだけでも思いました。果たして教員養成課程にソーシャルワーク課程はどの程度、どのような重みで、取り入れられているのだろうか。

日本の例では社会福祉士がありますが、援助対象者の環境を整えていくという支援はしていない。個人に対するケアワークが中心なのだと、著者は言います。43

つまり、個から発して、環境を変えていこうという視線と、環境から、つまりは社会から発して、個人を変えていこう(特に教育はそのような役目を果たすものと、考えられているように思える)、それを支援しようとする視線とのずれのようにも思える。

社会変革、そしてそれに向けたアドボカシー、その発想そのものが日本社会には欠けていることを、著者は、ミクロ、メゾ、マクロのソーシャルワークの三層構造を紹介し、さらにヨーク大学のソーシャルワーク論の目標理念を紹介しながら行っている。ソーシャルチェンジという意識。

新米パパのためのHands on Dadというという冊子は、まさにわたしが「父性手帳」で言いたかったことを、もっと適切に言っている!!! 特に「授乳は母子が相互的に学び合う技術だ」というのには感動する。まったくね。

何よりも、母親が生きやすくなることを「わがまま」と考える風土を変えなければ、だめだろうなあ。自分が我慢しているもんだから、人の幸せが我慢ならない人はたくさんいる。「誰も幸せになってはならない」五人組システムというのが、日本にはあるのではないかとすら、思ってしまう。

母親というものは自分を犠牲にして、子育てをし、家庭を守り、そのために補助的な収入をもたらし、自分の生き甲斐を衣食住の家政がらみの趣味や習熟にあてていること。それが母親であり続けるための条件なのだ。なんてことを著者は批判しているわけではないけどね。

優れた保育実践の場として「いなほ保育園」というのが紹介されている。162

ソーシャルワークの概念が幅広いために、ソーシャルワーク専門職のため再トレーニングプログラムというのはトロント大学でも取り組まれている。著者は日本でもソーシャルワーク専門職をコーディネーターとして育てるために再トレーニングが必要だという。実践はないが。

武田さんが帰国しているのであれば、再び研究会を共にしてみたいなあ。

つまり、個から発して、環境を変えていこうという視線と、環境から、つまりは社会から発して、個人を変えていこう(特に教育はそのような役目を果たすものと、考えられているように思える)、それを支援しようとする視線とのずれのようにも思える。

専門職の間にもこの価値観のずれは存在するはずだ。いま、ソーシャルワーク専門職の中で、価値観の多様性はどのように存在し、その価値観のずれが、支援にどのような影響を及ぼすのか、その中での専門職相互の協力は効果的なのか。

『光とともに』というのは自閉症のある人が、周りの、特に家族の、そして家族の支援者への働きかけを通して、支援を受けながら生きていく姿を表している。そこでも、合わさせようとする価値観と、合わせることができる工夫とあわせられないことは無理をしないという価値観がせめぎあっている。

個人を幸せにしない、社会、世間、というシステム優先主義を日本人はいつまで信奉し続けるのだろうか。
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by eric-blog | 2008-02-21 10:05 | ■週5プロジェクト07 | Comments(2)