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ビッグイシュー 突破する人びと 社会的企業としての挑戦

203-2(982)ビッグイシュー 突破する人びと 社会的企業としての挑戦
稗田和博、大月書店、2007

ホームレス支援のために始まった路上雑誌販売業。1993年にロンドンで始まり、スコットランドなどに広がり、そして2001年、現在のビッグイシュー日本版の副編集長である水越が「出会った」。折りしもNPOシチズンワークスを設立したばかり。そこで何をするのか。

一読して気づくのは「社会問題」「若者」「エッジ」「世界」「提案」とか、わたしもアクティビティで使ったことがある「販売員のためのガイドライン」などの方針の共有の仕方だ。規範的な方向性の言語化が、「ぶれない」編集方針にもつながっていく。それは迷わない、とか、ぶつからないということではない。

編集室を訪れたものが、佐野と水越のやりあいをした後もけろっとしている姿を見る。

現在3万部ほどをうりあげているという。それを5万部ほどにすることができれば、経営も安定すると。

働き甲斐を求めてビッグイシューに来るのは、ホームレスだけではない。若者たちもだ。読者の64%が女性、そしてその多くは20代。社会の方向性として、「関わる」こと、「人間的」に関わることを、是としていること。そんな気持ちがかきたてられる、伝染していく路上販売のスタイルができている。

ホームレスのほとんどは月の半分くらいは宿舎などに滞在したり、仕事先の寮にいたりする。完全なホームレスは逆に少ない。日本全国で2万人以上すいる彼ら。200人ほどのビッグイシュー販売員だけでは、充分とは言いがたい。「突破する」アイデアが求められるのだろう。

と、考えていくと、雑誌の路上販売というのは、よく考えられたものだということに気づく。

考案者はボディショップの創始者と頑固者の詩人。セルフヘルプの理念と理念をことばにして人を動かす力。そして、事業性の着目。

突破することはできる。しかし、求めなければその道は見えない、ということか。
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by eric-blog | 2007-10-31 06:59 | ■週5プロジェクト07 | Comments(0)

ナパニュマ アマゾン原住民と暮らした女

203-1(981)ナパニュマ アマゾン原住民と暮らした女
エレナ・ヴァレロ、早川書房、1984

1937年から20年間、アマゾンの先住民族、ヤノアマ族に捕らわれ、一緒に暮らした体験談。当時の第一級の民俗資料となった。

熱帯林は意外に生産力が低く、人類の再生産能力を野放しにすると人口増加によって社会が崩壊する。そのためにヤノアマ族は、互いに女を奪い合い、子殺しをし、性生活のタブーなどを文化としている。

スペイン語、ポルトガル語、そしてヤノアマの言葉などを使うエレナによってもたらされた情報は非常に正確で、ヤノアマ族が環境についての語彙を豊富にもっていることを示している。バナナや芋の栽培は今世紀になってからもたらされたものだろうと推測されているが、草の根や木の実など、実に多彩なものを食べている。

時には一人でジャングルを彷徨する体験は、白人と先住民という違いはあっても、それでも共に生きていることで、ジャガーやその他の熱帯雨林の危険から身を守るには有効であることを示している。

この物語からすでに半世紀。

ヤノアマ族たちの文化は、熱帯林とともに、その存在を脅かされ続けている。

小川町を片付けていたら、出てきたのだが、読んだと思うんだけどなあ。忘れてる。

ナパニュマとは、白人の女という意味。
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by eric-blog | 2007-10-28 21:39 | ■週5プロジェクト07 | Comments(0)

状況に埋め込まれた学習 正統的周辺参加

202-4(980)状況に埋め込まれた学習 正統的周辺参加
ジーン・レイヴ、エティエンヌ・ウェンガー、産業図書、1993

Institute for Research on Learning、カリフォルニア、の同僚たちの共同研究。

Situated learning状況における学習というのは、より包括的な概念であるが、Legitimate Peripheral Participation正統的周辺参加というのは、例えば徒弟制度のように、その状況の中で、「学習者が熟練者の実践活動に参加はするものの、それはごく限られたレベルであり、しかも最終的な産物に対してはごく限られた責任しかおわないという独自の関与のあり方」7

「学習を必須の構成要素とする社会的実践へのかかわりを記述する手段として」のLPP 9
そして、学習が起こるのは実践共同体community of practiceにおいてなのであると。

産婆、仕立て屋、操舵手、肉屋、断酒中のアルコール依存症者

の例が紹介され、LPPの特徴が検討される。
共同体の成員性の初期形態。95
知識技能だけでなく、動機付けとアイデンティティの獲得がある。

周辺的参加に対して、十全的参加者の特徴も記されている。97
・より多くの時間をさくこと
・労力を一層そそぐこと
・共同体内でより大きな、より広い責任を持つこと
・より困難な、危険を伴う作業に就くこと
・熟練した実践者としてのアイデンティティの実感が増大していくこと

そして、増大する参加の過程によって十全的参加へと移動していく。

理解と経験は絶えざる相互作用のうちにあるということであり、相互構成的である。28

教授と学習という簡単な二元論では、習熟ははかれない。
学習が実践を包括するのか、実践が学習を包括するのかの議論があると、学習研究所の論点が垣間見えるのもおもしろい。

理論的専門家は大変だ。実践者はやってみせるだけだけどね。

教育実習についてのメールを読みながら、「教員」には成員性の初期形態がだんだんなくなってきていて、きついものがあるなと最近思っていたことを思い出した。そのようなものがなくなっていると、指摘があると、システムとして「取り出し研修」が増えるだけという、実践共同体力の低下も問題だし。

なんとかならんのか、教員研修。最悪だぜ、いま。
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by eric-blog | 2007-10-27 09:05 | ■週5プロジェクト07 | Comments(0)

We 10/11月号

202-3(979)We 10/11月号

特集 ビッグイシューが拓いた、もうひとつのドア
稗田和博、『ビッグイシュー突破する人々』大月書店

慈善でもない、公的システムでもない。ホームレスと若者と表現者たちが協働する形。

二ヵ月に一回、稲邑さんたちはよくやっているなあ、と思う。今号の柱の一つに、Weの夏合宿についてのお話が乗っているのだが、「計画を立てたり、見通しをもってやっているから男たちはだめなのだ」と、稲邑さんが言い切っているところがある。

そう、それは、ERICの運営でも感じることがある。破天荒なイベントの方が、パワーがある。

継続して改善していかなければならない質のものと、人と人とをつないでいく物語りとは別物だから、同一線上では語ることはできないけれど、経済とは人が動いているところに生じる渦のようなものだ。わたしたち一人ひとりは、それぞれにお金や資源、アイデアの流れの渦を起こしていて、それが一つの大きな流れにまとまることもあれば、それぞれに、干渉せず、大量消費の渦にただただ流れていることもある。

未来バンクなど、NPO立の金融機関が多重債務防止のために金融機関の原資を5000万円にするとかの規制で、運営が厳しくなるというニュースがあった。

環境や福祉に関わる事業を行っているところに低金利で融資し、経営相談にものっているというそのバンクは、こまめに現場に出向いているので、第三者による保証はよぶんな負担になると言う。

Small Businessが成り立ちにくい風土は、果たして持続可能なのか。

思いつきでやる、気軽にやる、百姓をやる、一つの収入源ではなく、多岐に渡るものから収入を得る。そちらの方が、よほど、生きている存在に思える。

システム思考をすることが大切なのであって、システムが大切なのではない。システムがあるのにシステム思考をせずに、システムの裏をかくことばかりをするために、システムがよけい雁字搦めになっていく昨今、ビジョンの共有なきシステムは崩壊する、と心底思う。
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by eric-blog | 2007-10-26 14:57 | ■週5プロジェクト07 | Comments(0)

IMAJU 異文化の交差点●イマージュ

202-2(978)IMAJU 異文化の交差点●イマージュ
関西障害者定期刊行物協会、1984年8月20日第三種郵便物認可、毎月5回発行

障害者レスリングについての『無敵のハンディキャップ』と、そして『ぺてるの家』とは違う衝撃が、劇団態変にはある。まだ、見ていないし、出会っていない。けど。

手元にあるのは、イマージュの2007冬から夏、秋の三冊。上野千鶴子さんとの対談では、金満理さんが「障害学」に対する違和感を言い、いかにも学者らしく上野さんが「女性学」と同列で、障害学を、その学者らの立場勢大変さについて擁護する。金満理さんは、「それでも人類の半分は女性じゃないか」と叫ぶ。

自分の女性性を引き受ける上で、自分が障害者で良かったと、金さんは言う。

圧巻は2007秋の号。大阪野外演劇フェスティバルの仕掛け人武田一度さんとの対談である。

これまで生き続けて来た地球の25億年の命と、その表現型としての自分の数十年の表現としての表現を追究することと。

頭で、学生たちに、中学生に、解説してきた。しかし、自分がその表現者になれるとは思わなかった。思わない。思えない。

そして、いまの生は、いまの都市は、いまのわたしたちは、その表現者であることを、求められている気がした。
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by eric-blog | 2007-10-24 17:55 | ■週5プロジェクト07 | Comments(0)

今、はじめて語られる歴史 クメール・ルージュ時代の性犯罪・女性に対する暴力

202-1(977)今、はじめて語られる歴史 クメール・ルージュ時代の性犯罪・女性に対する暴力
中川香須美、2007

英文Gender-based Violence During the Khmer Rouge Regime Stories of survivors from the Democratic Kampuchea (1975-1979)

クメール・ルージュ 赤いクメールというのはポルポトの共産主義政権のことであるが、都市と知識人を否定し、すべての人々を都市からも、故郷からも強制移住させ、人間的感情やつながりが否定された。

アンカー、組織と呼ばれる革命勢力によってすべてが規定された。

この本は、その時代について、性暴力の観点から初めて聞き取りをし、報告としてまとめたものである。

入手はkasumi611@online.com.khまで。
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by eric-blog | 2007-10-23 19:59 | ■週5プロジェクト07 | Comments(0)

図書館休館

23-26日、近隣の図書館がお休みです。週5もちょっと不定期になりそうです。
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by eric-blog | 2007-10-23 07:46 | ◇ブログ&プロフィール | Comments(0)

岬町学校評価・創考未来プロジェクト 

ずいぶん前の実践だが、なんと、ブログにアップしていなかったのね。

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岬町学校評価・創考未来プロジェクト         2007年10月9日~11日
プロジェクト報告書
まとめと提言「やれる・できる・がんばる」

主体的参加地域評価法の手法によって、キーパーソンインタビュー、生徒・教職員・地域の人々へのインタビューを行い、その結果をまとめた上で、以下のメンバーで提言をまとめた。
まとめと提言作成グループ  □岡田・嶋坂・山路(岬町教育委員会)
              □田口(岬中学校)
              □島崎(大阪府教育委員会)
              □角田・栗本・斉藤・菱川(ファシリテーター)
1.全体への提言
 中学生の学校生活は、授業とクラスの人間関係とクラブなどの自主活動と、小学生より格段に多面化する。また、教科毎に担当する教員もかわるなど、関係は多様である。学校全体で人権教育に取り組むということは、それら多様な生徒―生徒関係、生徒―教師関係そして学校風土や文化そのものを、整えていくことに他ならない。
 教師と生徒の関係も、授業外の活動(生徒指導や行事・部活動など)が、大切な部分もあるとは言え、やはり授業の重み・授業研究の充実・指導力の向上がさらなる改善のためには必須である。
 そのために、①教師の多忙を軽減する。②学校でのグループ学習活動の質をあげる。③学校全体での取組みであることを意識化する。という3点を重点目標とし、具体的には以下の3点を提言する。

A)授業、部活動、生徒指導などに加え、学年としての取組や会議など教職員に負担がかかっている。そこで、教職員が余裕をもって生徒とかかわることができるよう、省力化、効率化を図れるところを洗い出し、PRAの手法を自己分析に活用したり、話し合いそのものにもPRAのツールを活用したりするなど、改善点を探る必要がある。
               【やれる】
B)生徒のグループ活動での話し合いを活性化し、また深めていくために、主体的な参加の要素を取り入れる。例えば、PRAの手法にあるように、グループに画用紙帳とペンを渡し、成果物を適宜共有したり、張り出したりするなどなど。
                           【できる】
C)岬中学校の人権教育について、4つの視点(as、about、through、for)で評価し、再構築を全校で取り組むプロセスをデザインする。
                                 【がんばる】
2.岬中の人権集中学習について

「集中学習」のネーミングにふさわしく、学年全員の教員で指導案を練り上げ、一斉に同じ内容で授業がなされている。
教材は地域に根ざした自主作成のもので厚い蓄積を感じさせるものである。私たちの評価では、教材の「公正さ・正確さ」と「使いやすさ」が、その良し悪しの基本であり、教材をツールとして用いて教授していく際の「教授法の確実さ」「スキルの習熟」「深み」が人権教育の学習の質を左右する要素となると考えている。
そうした視点が、今回の集中授業を見てみると、学年ごとに充分に練りこまれた指導案ではあるが、各教員が指導者である以前に、自分個人として各課題をどのように受け止めたのか、また教員相互に深めるやりとりをどう繰り広げたかが鍵となる。
ある高校での人権学習後、生徒の感想に「教材を作った先生の熱意・思いは充分伝わってきたが、前で授業した先生の思いは伝わらなかった」というものがあった。教授者・指導者として「人権リテラシー」と「人権教育の基礎」を備えることは、もちろん「専門家としての責任」が問われる所以である。その点では準備してきたものを敢えて捨てて「先生の伝えたいこと」を子ども自身がどう消化しているかをはかるために重要なポイントを焦点化する勇気も必要なのではないかと感じられる局面もあった。
子どもたちの生活実態や今の思い(悩みやもやもや感)などがどこかで出し合えて、次の行動化への手立てとなるような高い次元の要求にこたえられるチカラを岬中学校の教職員は備えておられるように感じている。子どもの学びの仕上げとなるような、また、子どもの自主的な学びを促進するような「アセスメントと評価」を踏まえて、次なるよりよい一歩を踏みだしていただきたい。

3.生徒へのインタビュー

2日目の午後、授業に入らせてもらって、生徒へのインタビューを行った。内容は、①「岬町の誇りに思うこと・残念に思うこと」を対比表で、②「大切にしたい3つの宝」をランキングで、③「3つの宝を守るために私たちに身につけたい力」のリスト作りだった。
ここでは、生徒たちが岬町をどのように知り・考えているか、また、どのような未来を望んでいるか。そしてそのために自分たちにどのような力を将来的につけるとよいか考えを聞かせてもらうことをねらいとした。
結果、子どもたちは岬町のことをよく知っており、岬の自然や景色、岬中の存在、やさしい町の人々を誇りに思っていることがわかった。一方でそれらを守っていくためにつけたい力はもう少し深めたいと思った。
そこで、違うクラスのインタビューでは、「どうしてなのか?」という深める時間を持つために、①「岬町の誇り&残念」に続き②「①からテーマを一つ選びその理由・つながりを考えよう」と因果関係図を書いてもらった。そして③「①のテーマを大切にする・改善するために大事なポイント」をリストし、④「岬中が岬町に貢献していること」リストを作った。
結果、前回同様子どもたちは自然、岬中を誇りに思い大切にする気持ちを持っていた。反面大型スーパーなど都市化を求める声もあり、それらを因果関係図で深め、よく考えていた。1回目もそうであったが、子どもたち同士が仲間の発言により活気付きワークが活性化していた。
しかしながら、②の因果関係図で、「誇り」からテーマを選んだグループと「残念」からテーマを選んだグループで広がりができ、次の展開を1回目の③「自分たちの身につけたい力」へ進むことをためらってしまった。そこで「テーマを大切に/改善するために大事なポイント」を考えてもらったが、ここでは生徒たちがとまどっていた。とはいえ、④「岬中の貢献」を考えてもらったことで子どもたちは活気づくとともに、よく考えて意見を出し、そのリストを見てうなずく姿が輝いているように感じた。
子どもたちはよく聞き、考え、発言し、まとめていた。グループワークを重ねるごとに活性化していくのが感じられた。この力を80~100%発揮できるアプローチというものができるとしたら、それはどういうやり方だろう? ということを子どもたちに接する人が今回の試みを題材に考えていけたらよいと思う。子どもたちに渡った紙とペンはとても重要な働きをしていたと思う。

4.教職員へのインタビュー 

まず、分配円グラフを用いて1日の時間の使いかたと1日のエネルギーの使いかたの比率を出してもらった。そのあとマトリックスを用い使っている授業評価を尋ねた。ほとんどの教員は、年齢の差や男女の差など教員はプライベートに費やす時間がなく、クラス・クラブ・生徒のことや授業のことについて考えている。前向きな教師が多く、本人なりにはベストをつくしているが、スキルやツールの研究に時間をかけることがむずかしいそうである。
ただ、マトリックスでは岬中はピア評価の頻度が高く効果ありと出ている。授業を工夫してよりよいものにしたいと考えてはいるが、自ら学ぼうという姿勢があっても雑事におわれている時間がつくれないという多くの学校に見られる状況がここにもある。見らを磨くために、自らを学びの場に出すことや日々の授業の点検をしやすくさせるツールの使用ができれば余欲も生まれそうだ。 →愛は技術で伝える
・日頃あまり意識していないことを尋ねられると時間がかかるように思える。常に意識化するために何が必要か?
・体力がないとつとまらない。熱い、しかし 熱意だけでは限界がある。
・授業や準備等に費やす時間が多く、気持ちの上においてもかなりのエネルギーが使われていた。
・丁寧な指導を実現するため会議の回数が多くなっている。省いてはならない会議もあるが、効率化を図れるものは改善が求められる。
・授業評価についても、ピア評価が多く、同僚、仲間の関係がうまくとれ、チームで教育活動に取り組んでいる姿が感じられた。
・先生方一人ひとりの授業評価は日常的におこなわれている。もう一歩それを効果的に授業評価ができるものを、岬中として生み出せれば成果が大きなものになるのではないだろうか。

5.通行人へのインタビュー

学校に期待すること・学校に求められることを聞いたところ、「楽しく過ごせる」「いじめをなくす」という意見が多かった。地域の方々は学校が子どもたちにとって、楽しく・安全・安心な場であってほしいと願っている。
また、岬町の子どもたちに対してできること、地域に求められることを聞いたところ、「あいさつを交わす」「安全ボランティアさんを増やす」という意見がある一方「よその子を叱りたいが、こわくて叱れない」という意見もあり、学校・家庭・地域が連携した子育てのネットワークづくりがますます求められている。そして、「学校への理不尽な要求も増加している」という意見も聞き、地域で親支援の取組みも必要となってきている。
最後に岬中学校に対する意見や感想がインタビューした方からはほとんど聞けなかった。いろいろ考えてもくれていたが、特になかったということは、岬中は地域の誇れる中学校であり、現状の教育をそのまますすめていってほしいと考えているように思われた。
岬中を卒業した高校生に「中学校の思い出」を聞いた時、「部活動が楽しく思い出に残っている」と話してくれ、岬中の教師の部活動での頑張りを感じた。



6.人権教育の4つの側面から

 フィードバックギャラリーの来場者の方、約30人に協力いただき、「岬中のとりくみ」×「人権教育の4つの側面」のマトリクスにドットシールを貼ってもらう形で学校評価を行った。
「人権を通しての学習」の行に評価が集まったのが印象的で、あらゆるとりくみを通して人権のメッセージを子どもたちに伝えようとしている岬中の姿がうかがえる。部活動やさまざまな行事を「自主活動」と、生徒の主体性を中心にした表現で総称していることにも、その姿勢はあらわれている。
「ふだんの授業」の列には、先生方が「こうあるべきだよな・・・」とつぶやきながらシールを貼っておられた。生徒をおちこぼさず、基礎学力をつける「人権としての教育」を実践すること、教科指導を行っている教室の場のありようが「人権を通しての教育」を体現しなければならないことを再確認されているようだった。
 今回は、フィードバックギャラリーの見学そのものに、生徒の参加が少なかったため、生徒からの評価がじゅうぶんに得られなかったが、機会があれば教員側の評価と生徒からの評価を対比し、分析することで、見えてくる課題があるのではないだろうか。
 今後岬中の人権教育の計画をたてる際に同じマトリクスを利用し、それぞれのマス目をうめる具体的な行動や、目標を検討して、Whole School Approaeh(学校教育全体を通してのアプローチ)が実現されることを期待したい。

【付録】人権からみる岬中学校の教育 マトリックス表

ふだんの授業「いじめ」の特設授業人権・部落問題学習自主活動ふだんの声かけ
部活動修学旅行・宿泊合唱コンクール岬中祭
人権としての教育

人権についての教育

人権を通しての教育

人権のための教育
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by eric-blog | 2007-10-20 13:49 | ☆よりよい質の教育へBQOE | Comments(0)

消えゆく言語たち 失われることば、失われる世界

201-5(976)消えゆく言語たち 失われることば、失われる世界
ダニエル・ネトル、スザンヌ・ロメイン、新曜社、2001
vanishing voices、2000

このブログでは
198-2(959)社会のなかの言語 現代 社会言語学入門
スーザン・ロメイン、三省堂、1997
をすでに紹介している。

また
153-2(732)歌うネアンデルタール
ステーヴン・ミズン、早川書房、2006
も、失われることばについての示唆を与えてくれる。

表紙の写真は「最後のヤヒ・インディアン、イシ」。ことばの問題になるとよく引用されているので、このブログでも何度が出ているはず。

合わせて読んで頂きたいが、この本はいい本である。

生物的多様性に満ちた地域とすぐれて言語多様性に満ちた地域とは、密接な関係がある。「生物-言語多様性」とは、人間の文化と言語、それに地球上のあらゆる動植物の種を取り巻いている豊かな生のスペクトルにほかならない。
人口の4%にしかすぎない先住民族の居住する地域で、世界の諸言語の少なくとも60%が話されている。   (はじめに、より)

人間の歴史のほとんどにおいて、必要な物資を手に入れること、必要とするときに援助を受けること、また配偶者を惹きつけ家族をつくること、こうしたことのすべてが地域集団のなかで良好な社会的関係を自在に作ることのできる能力に依存してきた。・・・・社会資本・・・その地域の話し方をするということは、その区域の社会的なネットワークに参入する道なのである。・・・言語は記号資本の一形態である。132-133

この500年間で世界の言語は半減したという。少数民族の言語を社会的に抑圧するという人為的な影響もあるが、ほとんどは話者の減少、優越な世界言語への暴露、根拠となる自然環境と無関係になったライフスタイルなどによる。

なぜなら、豊かな自然環境を活用して生きるとき、それを表すことばが必要になるからだ。それらの言語から生物多様性についての研究者らがいまだに学ぶことは多いという。

日本語は話者人口では世界8位。しかし、その中でも地域的な風土と結びついたことばは失われているのではないだろうか。

地域生態系の機能的な一部であることを人間がやめたとき、ことばは失われていく。
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by eric-blog | 2007-10-20 07:20 | ■週5プロジェクト07 | Comments(0)

授業を変える 認知心理学のさらなる挑戦

201-4(975)授業を変える 認知心理学のさらなる挑戦
米国学術研究推進会議編著、北大路書房、2002

認知心理学や脳生理学の発展によって、人間の脳の認知的アプローチのあり方が諸科学の傾向と一致していること、そして、教育においては多重知能論などに、それらの結果が生かされていることなど、いまや科学は複雑な人間の心理や発達について、説明可能な範囲を広げつつある。

科学されている対象は人間であり、科学しているのも人間であるから、双方ともに人間という共通基盤に立脚している。そのために、研究されているものは、すでにそこにあるものであり、誰しもが直観的、そしい直感的に把握することができている存在なのである。
ブルーナーが言うように、「専門家というのは一般の人が直観的にわかっていることを理論的に言語化することの責任がある」のであり、そしてブルデューが言うように、近代というのは「再帰的」であり、科学が評論家が、メディアが世論が、なんというかによって構成、再構成される傾向も持っている。

村上春樹のポストモダンの挑戦は、そのような「人間が作り出した意義」を拒絶し、わたくしという人間によって人間の意義を発見するしかないいまを描き出している。

この『授業を変える』は、学習にさらなる説明を加え、分析し、手立てをたてる。教育科学にポストモダンは不在であることを如実に示している。

まったくの這い回る経験主義である必要はない。わたしたちには蓄積があるのだから。しかし、蓄積のすべてを理解してからしかものを考えることができない、というのも、同時に誤りである。

思いて学ばざれば、すなわち暗く、
学びて思わざれば、すなわち危し。

これこそが教育者がいましめとすべきことなのだ。

そもそも「チェスの達人」と初心者、数学や文章の読解ができる人とできていない人の対比によって、「できる」方向へと導くための挑戦であることが、いまの社会、これからの社会に生きることの「幸せ」とはどこにあるのかを考えた上でのことなのかどうか、が疑われるのだが。

人間に迫るようでいながら、ポストモダンの人間が見えない認知心理学、という感がぬぐえない。
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by eric-blog | 2007-10-19 07:45 | ■週5プロジェクト07 | Comments(0)