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モダンガール論

163-5(776)モダンガール論
斎藤美奈子、文春文庫、2003

単行本は2000年、初出の連載は1998-2000年という本。解説を書いている人が「必読の名著の難解さにひるむ人をふるいたたせる効果」を解説というものは持つのだが、なぜこの本に解説など書かされるのかと嘆くほど、おもしろい本。一気呵成に、というやつです。

明治から大正にかけてのモダーン・ガールの軌跡と、戦後の軌跡とが重なる。その中で、近代が生み出した男の「出世」に対して、女の「出世」は社長になるか社長夫人になるかの二者択一。

近代学校教育で高等教育が誰に対しても開かれた時、女も大学を目指した。それが一挙に増えたのが1899年高等女学校令によって「良妻賢母」が女子高等教育の目指す道だとされた時から。25

しぶる親にも有無を言わせぬ国家による認証。これで女学生はぐんぐん増えた。子どもの養育に責任を持つ賢母は、一人前の人格をもった新しい女性像だったのだ。しかし、同時に女性の権限を家庭に限定するものでもあった。ので、大変に不評なものだが、斎藤さんは、進学率の上昇がもたらした結果を評価しようという。

とはいえ、進歩的な女性が殺到したのは、これだけではなかった。彼女らは後ろ向きな姿勢や保守的な態度を嫌うがゆえに、「戦争に向って進んでいく時代には、軍国婦人になりやすいのである。」と。高い教育や社会活動への参加、「主婦」という輝かしい新しい役割。そんなものに、惹かれたのだという。

さて、この文庫版の特典は解説にあるにあらず。斎藤さん本人による「『モダンガール論』の結末は、読者にそこはかとなく不評でした」ところから書き足した部分。

ビジネスエリートを目指す出世道か、専業主婦という出世か、という近代の出世幻想を、ポストモダンが超えるとするならば、出世から下りる、ふつうの生活を選ぶことが大切なのだと言います。318

「出世とは見てくれにこだわる生き方です。・・・
「出世」という近代の生き方のモデルを外されて、本当に戸惑っているのはむしろ男たちでしょう。受験競争から出世競争まで、競争原理で生きてきた人に、別の生き甲斐を見つけなさいといっても、そう簡単に発想の転換ができるものではありません。・・・父のモデルケースは息子たちにはもう適用できません。
これからは働くことが「ふつう」になる。
出世という近代の規格ではない、もっと別のモチベーション動機からくる仕事の洗濯、生き方の創出。新しい夢はそこからはじまるのではないでしょうか。」321
大賛成である。
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by eric-blog | 2006-12-28 12:09 | ■週5プロジェクト06 | Comments(1)

記憶力を強くする

163-4(775)記憶力を強くする
池谷裕二、講談社、2001

あーー、昨日飲み過ぎて、頭が痛い。飲み過ぎないようにするということを、飲んでると忘れるだよなあー。え、それが「アルコール性健忘症」?

年末年始、飲み過ぎに気をつけましょう。とは言え、日本社会では「年忘れ」「忘年」というのは公認なんだよね。新年の「再生」を祝うためにも、「忘れ」ておくというのは大事なことだ。

記憶というのも、実は「記憶」することと「忘れる」ことがセットになっているメカニズムのようだ。


なぜ、アルコールが健忘症を引き起こすのか。アルコールによって、LTPが抑制されるからなのだ。

LTP long-term potentiation長期増強という言葉は「世界で親しまれている」(159)そうだ。それは次のような働きのこと。

(この表現には笑ってしまった。ちなみに隣にいたつれあいに「知ってる?」とたずねたら、知らなかった。わたしたちの世界の言葉ではないようだ。ホッ。30才でブルーバックスの著者というのは珍しいそうなのだが、時々微笑ましい表現がある人なのだ!)

海馬という側頭葉の内側に大切に囲い込まれて部分が、記憶には重要な働きをしているらしいのだが、LTPというは、そこでのシナプス可塑性(シナプス結合の機能的強化)を長期的に増強する作用のことで、海馬に対する電気刺激(高周波)からその存在が仮定され、現在では、シナプス結合におけるカルシウムセンサーを起動する刺激が、眠っている受容体を、働く受容体に変えるのだということがわかっているそうです。168

しかし、この効果には限界があって、受容体の在庫切れが、効果のマックス。ではすべてのシナプス可塑性がマックスになってしまったら、「何も記憶できなくなる」というのです。記憶というのは、刺激によって引き起こされますから、すべての刺激に強弱がなくなってしまうと、「記憶」はできなくなるのです。そこで登場するのが「忘年会」です。ってちがうって。LTD long-term depression長期抑圧。低周波の電気刺激で引き起こすことができる。これが受容体をまた眠らせる。だけではないようなのだそうだ。これは「記憶する」ことについてもサポート役を果たしているらしい、LTPよりも複雑な役回りらしい。179

神経細胞というのは、再生しない。しかし、海馬の神経細胞だけは違うらしい。30年、2万4000もの通りがあるロンドンでタクシー運転手さんの海馬が3%普通の人より重いとか、刺激によって変化を及ぼすことができるのがここらしい。わたしたちの神経細胞は、一つが1万個もの連合を他の神経細胞と結びあっており、互いを求め、探して、実際に成長するものだという。年をとって物忘れをするとか、物覚えが悪くなるというのはウソで、それは覚える努力が邪魔くさくなった言い訳にすぎないそうだ。187ちなみに、「天才」という言葉は、「努力の足りない凡人の妄想によって作り出された」ものなのだそうだ。222

とまあ、メカニズムの解明についてはこれぐらいにして、ブルーバックスであるからには必ずついてくる「ハウツウ」部分も御紹介しましょう。「天才」の作り方。

・努力の継続
・法則性の発見
・理解して覚える
・理解の仕方の無意識記憶
・手続き記憶の域にまで達するまでやる

記憶の階層システムというのは、生物の進化の過程をよく表わしているのだそうだ。

一番ベースになるのが「手続き記憶」これは潜在記憶なので意識的には思い出せない。他の刺激に連なって思い出されてくるもの。その上にプライミング記憶という潜在記憶。入れ知恵というのか勘違いのもとというのか、1980年代に出てきた概念らしいのだが、「要約」したり、「類推」したりする記憶、らしい。見たものの解釈だとか、自分のおかれている状況の即時な判断につながっているらしい。意味記憶がその上にあり、ここまでが潜在記憶。それに加えてエピソード記憶というのと短期記憶というのが顕在記憶がある。短期記憶以外は、長期記憶。短期記憶は7つまで。人間が瞬間的に把握して記憶できる対象の数は七個程度。マジカルナンバー7 (57)

エピソード記憶と意味記憶を連動させると、よりよく記憶することができる。だから「1592年に織田信長が自刃した」ということも、織田信長の無念さや光成に対する恨みの気持ちなどに感情移入して、エピソード記憶にしてしまうと、忘れないのだそうだ。そしてそのような情動は扁桃体が刺激されているとき。

そして、海馬を動かすのがθリズム。「ジャジャジャ」ジャーンの運命と同じリズムだそうだ。そして、それは記憶しようという意思の現れであり、興味関心や感情の動きによって、刺激される。

記憶の階層は人間の成長にもあてはまる。188
子どもが発達する時に、もっとも早く発達するのが手続き記憶。つぎがプライミング記憶、意味記憶、短期記憶、いちばん遅れて発達するのがエピソード記憶。
三、四歳までの記憶がないのはエピソード記憶が発達していないから。
言語を覚える能力は6才までが特に高い。
10才くらいまでは、意味記憶=知識の記憶力がよく発達している。かけ算の九九は10才までに。
中学生くらいにはエピソード記憶が完成し、論理だった記憶力が発達してくる。ものごとをよく理解して、その理屈を覚える。

後大切なのは40日以内に復習すること。短期記憶は4時間までなので、詰め込みするなら当日の朝。マンネリ化せず、適度な緊張感を保つ。目の記憶より耳の記憶が心に残るので、声に出す。好奇心。よく寝る。

記憶の三箇条 139
1. 何度も失敗をくり返して覚えるべし
2. きちんと手順を踏んで覚えるべし
3. まずは大きく捉えるべし

さあ、覚えられたかな?
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by eric-blog | 2006-12-28 11:02 | ■週5プロジェクト06 | Comments(3)

学力 いま、そしてこれから

163-3(774)学力 いま、そしてこれから
山森光陽、荘島宏二郎 編著、ミネルヴァ書房、2006

いい本である。誰かを批判するのではなく、共に学力問題について考えることができるようにという意図でまとめられたもの。


OECDのキーコンピテンシーが、個人レベル、対人関係レベル、社会文化レベルに分けられている(192)というのは、さすがよく整理されていると思うと同時に、ERICもすごいね。「わたし」「あなた」「みんな」の力がそれに該当しているし、その育て方についてもまとめようとしているのだから。「みんな」のところを職業性、専門性、市民性としたのも、大発見だ!

アメリカの大学入試などで活用されている「総合試験」という教科科目フリーないし、教科科目総合的な出題をするものについても紹介されています。まさしく、PLTのアクティビティが行っているようなことが出題されています。164
そこから、日本で作成された総合試験は二部構成になっています。171
第一部「情報把握・論理的思考」
第二部「コミュニケーション・読解・表現」
これも、PLTのカリキュラムで強調されている思考スキルに準じますよね。

PISA調査の学力観「リテラシー」「人生をつくり社会に参加する力」が中学校の現場教員に大きな衝撃をもたらしたことも、従来の学力観とのずれ、そしてまた教育実践の在り方との関連についても、言及されています。27
・読解力の低位層の増加
・論述に課題
・実生活との関連づけ
・学習意欲習慣に課題
など、調査から判定された結果は、目前の子どもたちの傾向そのままだと。29

全国学力悉皆調査など、現在のテストについての議論や方法論の成熟から考えたら、コスト・パフォーマンスが低い157という指摘する人あり、とコラムではあるが押さえるべきところは押えている。

2005年の教育心理学会総会における自主シンポジウム「学力のとらえ方」から始まったというお二人の編者たちに乾杯!
それぞれ、国立教育政策研究所、独立行政法人大学入試センター所属の研究者らしい。彼らの努力が、自分たちの業績のためだけに終わることなく、継続され、組織改革にいたり、学会の体質が改善され、日本の知的良心が育つことにつながっていくことを、切に願います。
そして、そのような知的議論が、教育についての議論に関与できるようになるのは、そのまた先の課題です。今回の変化もOECDやPISA調査など、外からやってきたことは否めないなあ。根本のところで教育についての考え方がゆれながら、学力向上についてだけは「協力」できるようになるのだろうか?

実は、PLTなどが「構成主義的概念」や「思考スキル」に重きをおいたカリキュラムを目指すようになったのも、それぞれに独立的な各郡、各州の教育カリキュラムや目標を越えた連邦的、包括的、傘的、普遍的に合意できるものは何かということを追求した結果であるのです。また、スーザン・ファウンテンの「3つの力」も、開発教育、環境教育などに共通して必要な力、求められるものは何かを追求した結果でした。

そこにブレイクスルーがあったという好事例を参考に、ERICも教育改革への発信を続けましょう。イェイ!
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by eric-blog | 2006-12-26 10:22 | ■週5プロジェクト06 | Comments(0)

打ちのめされるようなすごい本

163-2(773)打ちのめされるようなすごい本
米原万里、文芸春秋、2006

よねはらさんは、今年5月にがんで亡くなってる。わたしより5才年上。子どもの時にロシアに親の赴任で在住。ロシア語の通訳者として、ロシア語通訳協会の事務局長や会長などを務めてきた方。

1995年に会長になった頃から、書評などを週刊誌などにも連載するようになり、これは週刊文春に連載した「私の読書日記」といろいろな所に発表された書評の二部構成。文春の連載の最後が「癌治療本を我が身を以って検証」1,2,3となっているのが痛ましい。300

職業柄ロシア、東欧関係の政治情勢も含めて、ふだん目に止まらないであろう書籍が紹介されているのが新鮮である。

人は、読書によって、生き延びる力を与えられること、書くことによって、自分をまっとうできるものでもあるらしい。

予約できる限りのものは予約して、これから読んで行こうと思う。

以下は予約に入りきれなかったり、あるいは図書館になかったりするもので、読んでみようと思うものです。
・アリはなぜ、ちゃんと働くのか
・よみがえる部落史
・地球は売り物じゃない!
・革命の中央アジア
・「テロリスト」がアメリカを憎む理由
・2050年のわたしから 本当にリアルな日本の未来


イタリア語の通訳ができる人は5人ほどしかおらず、その第一人者に通訳してもらいたいがために、毎年イタリアから人を招いている団体もあるとかいう通訳秘話も楽しい。兼高薫さん、鳥飼久美子さんや伊庭みかこさんなど、通訳上手は、勉強家が多いし、国際感覚もすぐれていておもしろいね。

「(日本的な)組織内の個人は、ささやかな保身や出世のために全体の趨勢を敏感に察して、それにそうように動いて行く。」

それらの組織の間を、彼女らのような自立した個人が「通訳」している。そのような存在にほっとすると同時に、組織に取り込まれた女男双方の存在がこわい。

・文学部をめぐる病い
・モダンガール論
・ベリヤ スターリンに仕えた死刑執行人
・明るい夜 暗い昼

書物も、生きた人間と同じように「生きてる」のだなと、改めて思う。
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by eric-blog | 2006-12-25 11:33 | ■週5プロジェクト06 | Comments(0)

ハチドリのひとしずく

163-1(772)ハチドリのひとしずく
監修・辻信一、光文社、2005

この4月にどこかで読んで、図書館に予約して、『打ちのめされるようなすごい本』とともに、限られた予約冊数の1/5を占め続けた憎い本。しかも、手渡されたとたん、「予約が入っていますので、期限内にお返し下さい」ときた。なんとなく、内容がわかる本だったので、買う必要もないし、手元に届いたら確認したらいいや、というので、本屋に行ってもチェックしないまま過ぎてしまっていたのでした。

南米アンデスに伝わるお話で、森が燃えたときに、他の動物たちは逃げ出したのに、ハチドリが口バシにくわえることのできるしずくを火事にかけ続けていたというお話。同様のお話は『百一番目のサル』や『絶望こそが希望である』『Legs』がそうだろうと思う。『もしも世界が百人の村ならば』と広がり方は似ているかもしれない。『一秒の世界』や『1円でできること』などと同じくConciousness raising booksの一冊。

いまの状況は、一人ひとりが無力感を感じるような状況だが、諦めずに一人ひとりができることをやり続けましょうという呼び掛けである。

朝のニュースやテレビ番組の常連さんたちを見ていると、その背後に毎日毎日繰り替えしくり返し流れているメッセージは何なのだろうかと思う。明らかに、いまの若い世代はテレビは見ていないだろうなあと思う。ゲームか音楽か、何か、自分で選んだ世界に浸っている方がよほどましであろうような、内容ばかりなのだから。世界はたいくつだ。世界は恐い。
健康にいい、ぼけ防止になる、頭が良くなる。まだ人生を生きてもいない子どもが、こんな内容を見ておもしろいのか? わたしが子どもだったころ、何時間見るか、とかハードとしてのテレビ論だったのではないかと思う。いま、わたしたちは、子どもを取り巻くメディア世界の質を分析してみるべき時代にあるように思う。

それに対して、これらの本は「手に取る」という意識的な行動なしでは届かない。つまりConverting the convertedであり、converted支援本である。諦めずに、回りに働きかけなさいよ、である。そのように思い決めて、いまの仕事を選び、ライフスタイルを選んでいる者にとっては、はいはい、またか。である。この人たちがテレビ番組の常連さんになることはないのだろうか?

CRB群としては、何が流行り、何が広がるのか。

・簡単
・きれい
・おしゃれ
・わかりやすい
・セレブもやってる

そんな要素が入っている本です。

クリスマス・プレゼントにぜひどうぞ。もしも、回りにまだconvertedしていない人がいるならば。
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by eric-blog | 2006-12-25 10:46 | ■週5プロジェクト06 | Comments(0)

逝きし世の面影

162-2(771)逝きし世の面影 日本近代素描1
渡辺京二、葦書房、1998

教育マニフェスト作成会議で話題になった本。500ページにものぼる大著。しかもこれが最初で、次ぎの刊行予定も、というのだから、すごい。
もう一種類「渡辺京二評論集成I」というのも借りた。これは「日本近代の逆説」「小さきものの死」「荒野の燭光」「歴史と文学の間」が揃っていた。1999年刊。

著者は、近代化によって日本のそれまでの文明は滅亡したのだという。そして日本の近代を描くために、その文明がどのようなものであったかを、幕末から明治にかけて来日したあまたの外国人たちの観察から描こうとしているのがこの第一巻である。

「われわれはまだ、近代以前の文明はただ変貌しただけで、おなじ日本という文明が時代の装いを替えて今日も続いていると信じているのではなかろうか。つまりすべては、日本文化という持続する実体の変容の過程にすぎないと、おめでたくも錯覚して来たのではあるまいか。」7

この説にまったく同意である。ただ、なんらか影響するものは何なのかを知る必要があると思うけれど。歴史の連続性と不連続性。いま、江戸がもてはやされ、伝統が掘りくり返され、里山が脚光を浴びている。それらは「ガラスのケース」に入れられた博物館のものでしかない。消費される大人可愛い文化様式であり、決して生活様式でも、生産様式なのでもない。相変わらず、子どもたちの幼い脳は、「いま」に、そして「近代」にのっとられ続けており、そのことに危機感を抱いた大人たちが、自分たちの「趣味」としての文化様式をなんとか刷り込みたいとあがいている。

高層ビルの屋上の稲荷も、茶の湯の家元が不滅であろうとも、「それらの事象は、・・・現代文明的な意味関連のうちに存在せしめられているに過ぎない。・・・新たな図柄の一部として組み換えられた古い断片の残存を伝統と呼ぶのは、なんとむなしい錯覚だろう。」12

残るものなら残るだろうし、残らないものを教育や公権力の力でどうこうするのも片腹痛い。教育はもっと「共に生きる未来」を見据えた努力としたいものだ。大人のノスタルジーと消費文化の強要など、限られたエネルギーの無駄遣いでしかない。

さて、では果たしてこの一冊で、亡びた文明の総体がわかるか? わからない。
「民族の特性とある文明の心性とは、一見かわちがたく絡みあっているにせよ、本来は別ものである・・・死んだのは文明であり、それが培った心性である。民族の特性は新たな文明の装いをつけて性懲りも無く再現するが、いったん死に絶えた心性はふたたび戻っては来ない。」13

昔の日本人の表情を飾ったあのほほえみは・・・永久に消え去ったのである。13

文化人類学的視点しか、日本の文明が何であったかは描写しえていないというのが、外国人の書いたものに頼る由縁であるが、彼らは西洋を先進かつ普遍とする立場、西洋文明の立ち場から未開として叙述している。21
そのような偏見はありつつも、そこに何かがあったという事実。そして、それを叙述された時に、日本の国のリーダーたちは激怒した。そこから近代国家として成長しようとしていた者として、オリエンタリズムに閉じ込められること、を斥けたいという気持ちが働いていた。15

以下、陽気な人々、簡素さゆたかさ、親和と礼節、雑多と充溢、労働と身体、自由と身分、裸体と性、女の位相、子どもの楽園、風景とコスモス、生類とコスモス、信仰と祭り、心の垣根と、各テーマごとに、外国人の見聞がまとめられ、検討されている。

・幸せで満足、機嫌のよさ60
・気楽な暮しを送り、欲しい物も、余分な物もない101
・挙動の礼儀正しさ、他人の感情についての思いやり140
・礼節によって生活をたのしいものにするという、普遍的な社会契約149
・上級者と下級者の関係は丁寧で温和。法の支配と自由。228
・根底においては民主的、自己の人格的独立を確保233
・女性の自由と社会的享楽293
・子どもの参加と大人の子どもへの熱中
・自然に対する素樸にしてほとんど度外れというべき愛378
・ひとと生類がほとんど同じレベルで自在に交流する心的世界432
・迷信と現世利益と娯楽の混じりあったような宗教のありかた447
・そこでは全てが安寧と平和を呼吸していた465
・平和、底抜けの歓喜、さわやかな安らぎ468
・自分自身のすることやありかたにおかしみを感じるという、自己客観視のセンス471
・災害などを受け入れる態度

「成員の親和と幸福感、あたえられた生を楽しむ気楽さと諦念、自然環境と日月の運行を年中行事として生活化する仕組み」の文明。474

近代産業社会と西洋的なヒューマニズム、個という意識など、西洋がもたらしたものも含め、1980年代、近代は終わりを告げたという。

近代を駆け抜けた日本。さまざまな軋みがあって当然なのだろうなあ。





  
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by eric-blog | 2006-12-20 13:34 | ■週5プロジェクト06 | Comments(0)

勇気の源はなんですか?

162-1(770) 勇気の源はなんですか?

伊藤千尋、憲法9条・メッセージ・プロジェクト、2006
腹の底から憲法でいこう、憲法9条・メッセージ・プロジェクト、2005

前者はジャーナリスト、朝日新聞の記者である伊藤さんが「世界から見た日本国憲法」という講演を行った、その講演録。

憲法や民主主義のシステムというのは使ってなんぼのもの。伊藤さんは、中南米やスペイン、そしてアメリカでも、憲法が「使われている」という。9.11
の自爆攻撃から、テロに対する戦争一色でアメリカが染まり、そして「大統領に戦争権限を一任する」法案が可決された。その時、一人だけ反対したバーバ
ラ・リーさん。彼女は、憲法に照らして、議会の役割とは何かを問い、そして大統領に一任するという法律に反対票を投じる。

土曜日の「教育マニフェスト」づくりの会合で、教育再生会議が安倍晋三さんの言葉を引いて教育の理念を語っている資料が共有されました。諮問された側
が、諮問した人の言葉を引いて議論を進めるというのは、いかにも本末転倒。どこに専門家としての矜持があるのだろうかと疑問がわく。全体主義というのは
「議論不可能性」のことだよな。そのことが恐い。

コスタリカには憲法裁判所があって、電話一本で憲法違反の申し立てができる。そして、小学校一年生で、まず基本的人権を学ぶ。

なぜ、日本では「人権」を学ぶと「わがまま」になる、ということばかりが「心配」されるのだろうか。まともに憲法も、人権宣言も読ませていないくせに。

世界で平和憲法を持っているのはコスタリカと日本だけ。

攻められないような国づくり。
軍隊よりもっと有効な投資先がある。
「兵士の数だけ教師をつくろう!」
「自分の生活をよりハッピーにする」それが教育。33

なんで、こんな当たり前のことが日本では難しくこねくりまわされるのだろうか。

でもね、国連憲章も、基本的に「平和」憲法なんですよ。武力による国際紛争の問題解決はしない、という。だから、それぞれの国の憲法に「戦争の放棄」の
あるなしでどうのこうの言う前に、国際社会の責任として、どうあるべきかを考えるのでもいいように思うのですけれどね。

^^ ^^ ^^ ^^^ ^^ ^^ ^^ ^^ ^^ ^^ ^^
存在に謙虚に
先人に感謝し
先達に学び
自分に正直に
責任をもって考える・行動する
^^ ^^ ^^ ^^ ^^^ ^^ ^^ ^^ ^^ ^^ ^^
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by eric-blog | 2006-12-19 20:24 | ■週5プロジェクト06 | Comments(0)

韓国と日本の交流の記憶日韓の未来を共に築くために

161-2(769)韓国と日本の交流の記憶日韓の未来を共に築くために
李修京、白帝社、2006

日韓両社会は戦後生まれの人口が8割に迫ろうとする今もなお、・・・日韓友好関係が芽生えようとしても、過去の「大日本帝国の栄光」に囚われた一部の人々から「自国の歴史を批判するのは自虐的だ」「植民地統治は近代化に貢献した」などの発言が飛び出し、その芽は枯れそうになります。
私たちはいつまで過去に学ぶことが出来ないまま、感情的で攻撃的な流れに翻弄され続けなければならないのでしょうか。[本書の趣旨 より]

わたしたちは、同じ星の同じ人間なのだというところから、未来に果たす責任を考えよう。というのが筆者の立ち場である。

金子文子を追って、つい先頃出版されたばかりのこの本にもたどり着いたのだが、高等学校の副読本の体裁でまとめられている。まだ、全部は読んでいないのだが、前半は、「日本との未来を築くために」で、在日コリアンや韓国人の「掛け橋」となる存在や努力に連なる個人を取り上げている。後半は「韓国との未来を築くために」で、韓国との交流に役割を果たした日本人を紹介している。

金子文子は「朴烈の妻として生きた金子文子」となっており、猛烈な異和感が走る。さらに、そのページを繰ると、最後にアクティビティというか、やってみよう、考えてみようというような「教科書的展開」の部分があるのだが、そこの問いが「すべてを信じられなかった金子文子が、朴烈とだけは信じあえたのはなぜだろうか」119となっている。

竹島問題について、コメントを求められたペ・ヨンジュンが「私に役割があるとすれば、国家や領地の線を引くような発言をするよりも、アジアの全家族の心と心の線を結ぶことだと考えています。」60 というのは、なるほどね、だ。領土問題をすべての踏み絵のようにしてしまうことは、関係をせまいものにしてしまう。国民国家をすべての踏み絵にすることは、関係をせまいものにしてしまう。

国家の枠ですべての人類が生きざるを得なくなっている近代。その国家の枠組みが非人間的な行為を強制することから、どのようにすればわたしたちは解放されるのだろうか。

中等教育段階の人々に対して、どのような「偉人伝」「先人伝」が求められるのだろうか。金子についての文章から、それを考えてみたいと思った。

もう一冊、日本人ばかりを取り上げたものだが、「善玉」「悪玉」とり交ぜて紹介しているのが『韓国・朝鮮と向き合った36人の日本人』舘野暫、明石書店、2002
こちらの方は、女性は二人。金子以外のもう独りは、韓国孤児の母となった田内千鶴子。
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by eric-blog | 2006-12-14 10:22 | ■週5プロジェクト06 | Comments(0)

ケガレからカミへ

161-1(768)ケガレからカミへ
新谷尚紀、木耳社、1987

伝承遊びの指導の時に、レクチャーをしてくれた方だという。どんなことを書いているのか。伝統・伝承・芸能について、たくさんの本を書かれているのだが、シンプルな主張のあるものを選んでみた。

民俗学の資史料の山から、神事にみられる「ケガレ」「ハラエヤル」などの行為が、「カミ」「マレビト」に対する畏怖、信仰へと、代る、替る、換る、変る過程とメカニズムを解いたもの。

岡山県久米郡の護法善神を祭る祭礼で、七日間の精進潔斎を行った護法実(ごほうざね)が、神へと近づく存在となりつつ、人のケガレを持って彼岸へと昇華するかのようなものがあるという。その祭りの描写の中で、「ケイゴの少年たちがギャーティ、ギャーティと叫びながら周囲を輪になって走り回り」75とある。

般若心経にある「ギャーティ、ギャーティ、ハアラアギャーティ」を新井満さんは「往くぞ、往くぞ、彼岸に往くぞ」とさとりに至る真言の意味を訳している。(『自由訳 般若心経』朝日新聞社、2005)

その真言を子どもたちが叫んで、ヒトをカミの次元へとけしかけて行くというのは、とても面白い構造である。神社、仏教、修験は、わかち難く結びついたものなのだなと思う。

と、まあ、これは前置き。この本を紹介しようと思ったのは、子どもの遊びについての分析が面白かったからだ。柳田国男の分類を引きながら、「おもちゃ遊び」「身体遊び」「場所遊び」「言葉遊び」をあげ、またロジェ・カイヨワやホイジンガが人間と遊びの関係について、従属よりも自由、堕落よりも創造を発見したことを引いて、これらの遊びと創造性の関連を示している。(204、図17)

おもちゃ遊び熟練・発明、ホンコとウソコ
身体遊び鍛練、ハンデ
場所遊び勇気・発見、異郷意識、リーダーシップ
言葉遊び創造、文芸・歌謡、ことわざ

もちろん、そこには「危険性」も伴うのだが、新谷さんは「子どもたち自身の間で上手な配慮が働いてるのも見逃せない」という。205
一人勝ちは長続きしないから、本気/ホンコとウソコを分けてやったり、身体遊びにハンデをつけたりなどをしているのだ。
言葉遊びについての著者の分析はおもしろい。「人の悪口をいい、はやしたてるものへと流れる危険性を常にはらんでいる。・・・しかし、それに対しても小さいうちは何の口答えもできず、くやしい思いをして耐えねばならないが、やがて、みんな、言葉の力に気づいていくことになる。(言い返す)ことわざを知るとともに次第に勇気がわいてきて、ことわざがまさに言葉の技であり、きわめて有効な武器ともなることに気づくのである。」209

210
どうやら、遊びというのは、二十世紀往こう、ホイジンガやカイヨワによってあらためて、人間にとって主体的で自由な精神にもとづく文化的な創造力に満ちた営為であると、高く評価されなおされてきていながらもなお、やはり実際上の人々の感覚としてはどこかうしろめたさの残る営為でありつづけているのは、それが今みたように、すべては人々を、暴力、性行為、賭博、のぞき、うそつき、いじめなどといった危険へとひきずりこまずにはおかない不気味な力を秘めているからであろう。そして、逆にまたそれを、子どもたち自身が今みたような上手な工夫によってそれぞれ回避する努力を重ねてきているところにこそ、遊びのもち文化的創造力というものをあらためて見てとることができるであろう。

子どもの遊びの特徴として
・真似事、現実社会の鏡
・流行現象と伝染力
があり、大人社会の秩序と価値の体系に対して、・・・超論理的なエネルギーでもって、その意味を問いなおしつづけている。212

言葉争いは、物理的暴力や衝突を避けるための儀式でもあるというのは、どっかにあったなあ。

英文に訳された抄録も巻末に含まれている。
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by eric-blog | 2006-12-13 09:59 | ■週5プロジェクト06 | Comments(0)

思想の身体 性の巻

160-4(767)思想の身体 性の巻
大越愛子、井桁碧、春秋社、2006

国家などの共同体が形成されていく際に、そこから排除される人々への暴力を通して新たな秩序が形成される ベンヤミン「精神暴力論」 214

近代国家、民族国家の形成過程においては、暴力というものを抱え込まざるを得なかった・・・民族を一つの単位として国家を立ち上げるということは人為的なものであるため、虐殺・戦争がある意味で不可避であった・・その際、多数の名前もない人々が犠牲になるということが近代国家形成の一つの過程にあった 215

この本の第三章だけが、心に残る。朴烈とともに天皇を襲撃しようとした金子ふみ子についての『「私を女と云うな」という女である』

戦前の男尊女卑、貧困の中で、学業もまっとうできず、男の都合だけで私生児になったり、祖父母らに引き取られたり、疎まれたり。そうした体験から金子は訊問調書で以下のように述べる。138

彼女が彼女自身の体験から肯定し、希求する「個人の価値と権利に於いて平等観の上に立つ結束」とは、「相手を主人と見て仕へる奴隷、相手を奴隷として哀れむ主人」そのどちらをも排斥する、そうしたものだった。
・・・国家も君主も、「民衆の心持ちの命脈の上に繋がりかかっている」・・・概念にすぎない君主に「尊厳と権力と神聖を付与」するために「神授君権」説が捏造されたのである。
・・・日本の国是として賛美、鼓吹されている「忠君愛国」思想は、少数特権階級が「私利を貪るための方便として美しい形容詞」で包装した、「他人の生命を犠牲にする一つの残忍なる欲望に過ぎない」

・・・天皇の万世一系を奉じ、それに連なるとする自らの家系を誇り、朝鮮人を蔑視する父、あるいは天皇の赤子たる〈日本人〉を撃つ。139

「朴が朴の道を歩むように、私は私の道を歩む」。そしてそういう金子は「あなたを一人死なせてはおかない」141-142


朴と金子は天皇による恩赦を拒否する。が、金子は独房で縊死したとされている。金子を死刑にすることは、金子の思想の存在を認めることになる。それもできず、天皇の心の広さを押し付けることにも失敗した国家権力が、何をしたのか。

とはいえ、完全に口を封じることができない法治国家では、あったのだね、近代国家化した日本と云う国は。

NHK「祖父の戦場を知る」2006年12月9日 ETV特集・選
やっと、中国やレイテでのことを語り出したのだ、召還された200万人はいるだろう人々が。戦後60年の蓄積が、彼らの体験に対する見方を、支持していることも、忘れてはならないと思う。平和への願いを、生き続けることが、人と社会を成長させていく。
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by eric-blog | 2006-12-09 16:55 | ■週5プロジェクト06 | Comments(0)