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南アフリカ 「虹の国」への歩み

158-4(759) 南アフリカ 「虹の国」への歩み
峯陽一、岩波新書、1996年

欲張りな本である。なぜ「テンジン」多文化主義時代の異文化間出会いの在り方を探るワークショップを行ったときに、この本に出会っていなかったのだろうかと、後悔の念すら抱く。

近代国民国家が成立する以前からの南アフリカ地域の歴史や、18-19世紀にかけて世界の覇権が移り変わる中での大国の南アフリカ経営姿勢の転換、時々の多様な移民のルーツを持ちながらも南アフリカで「アフリカーナー」というアイデンティティを育てた人々の動き、そしてアパルトヘイト政権による周辺アフリカ諸国不安定化介入政策とその影響、鉱山産業と黒人労働など、「虹の国」の背景がちりばめられている。

とはいえ、新書なので、各出来事に割かれているページは少ない。非常に適切な要約であり、さらに最小化するのは難しい。ぜひ、読んで下さい。そして、複雑な国際的な力の介入の歴史の結果を引き受けながら、前向きに取り組み続ける姿勢に学びたいと思います。

「どんな困難が待ち受けていても、アフリカは平和を達成する。疑い深き者は信じないかもしれないが、アフリカは繁栄する。」(1996年5月8日、新憲法採択 ムベキの記念演説より)

「私たちは、いまだに続く貧困、剥奪、苦難、性差別、その他の差別の束縛から、すべての民衆を解放していくことを誓う。・・・私たちは誓約する。自分たちの心に何の恐れも抱くことなく、人間の尊厳に対する不可侵の権利を保障されて、黒人も白人も、すべての南アフリカ人が胸を張って歩くことができるような社会を、すなわち自分自身と世界に対して平和的な「虹の国」を、建設していくということを。・・・この美しい土地が、ある者による他の者の抑圧を再び経験し、世界の鼻つまみ者に
なるという屈辱を受けることなど、決して決して繰り返されてはならない。かくも輝かしい人間の偉業の上に、太陽が沈むことがあってはならない。自由が支配する。アフリカに祝福あれ。」(1994年5月10日、マンデラの大統領就任式の記念演説より)

スティーヴ・ビーコの「黒人意識」とは、貧困や暴力によって植え付けられていく劣等感からの解放であったという。「支配者の手中にある最も強力な支配の武器は、被抑圧者の心である。」24

憲法改正が議論され、教育基本法が書き換えられる「国」が、南アフリカから学ぶことができるのは、暫定憲法であるかもしれない。
政府の在り方について、
影響を与えているのはノーベル賞経済学者ウィリアム・アーサー・ルイスの洞察、1965年、である。

39-40
欧米社会は地主・貴族・資本家などの裕福な少数派と貧しい多数派との対立が支配的な「階級社会」の色彩が濃いが、アフリカ社会は、地域的あるいはエスニックな対立が支配的な「複合社会」である。・・・階級社会で育った二大政党制を規範視し、小選挙区制を複合社会にそのまま導入すると、破滅的な結果になりかねない、とルイスは主張する。というのも、複合社会の選挙は、特定の地域や民族を代表する政党どうしの対決になりやすいからである。多数決の敗者が国家権力から完全に疎外されることになれば、地域格差とエスニックな対立感情が拡大し、社会は相互不信の悪循環に陥ってしまうだろう。
ルイスは複合社会にふさわしい社会システムとして、緩やかな連邦制の枠組みのもとで、比例代表制を導入し、一定割合以上の得票を得た全政党が連立政府を構成するように憲法で明確に規定する、という方式を提案した。こうすれば、中央政府の政策によって影響を受ける少数民族や周辺地域も、政策決定のプロセスに参加する機会を保証される。

そして、南アフリカの国民統合政府GNUはその方式を取っているというのである。
はああああ、うらやましい。しっかりとした思索家に恵まれ、また、そのような合理性を選択することのできる理性が、うらやましい。

日本は重層的な文化を背景にもち、地域的な自然環境との間で培われた多様な風土を持つ複合社会だとわたしは思う。
近代国家という「想像の共同体」と、地域共同体の間には「標準化・スタンダダイゼーション」と「個別性」の間での綱引きが存在する。
対立を好まないコミュニケーションのスタイルは、二大政党制になじまない。
理念よりも、間人主義的倫理観が支配的である。
など、考えるべき課題はたくさんあるのに、ではどのような「形」がいいのかという具体的な提案がない。

結果、いまの小選挙区制によって、こんなことが起こっている。
・投票率が5割程度。
・過半数をとった人が当選する。
・20-30%の声を代表する政府ができあがる。
・多くの人が政治から逃避し、政策をサボタージュする。

さてはて、根本的な変革の方向はどこなのだろう。
少なくとも、近代国家という「想像の共同体」を、「天皇」というシンボルの元での「より上位のアイデンティティとしての国民」によって創出した「長州」の戦略の繰り返しを「伝統的日本」に摺り替えて行うことによってではないことはあきらかなように思える。

持続可能な社会は、確かに過去の蓄積、その結果としての自分たちの有り様の延長上に求められなければならないのであろう。しかし、何をつくり出したいのかという理念が「伝統の復活」であるというのでは、「日本型コンフリクト」構造そのものになり、協力は不可能になる。

伝統文化とは、近代に創出された国民的アイデンティティのことを言う、この不思議さと、議論や理屈の幼さに、涙が出る。

あれ、こりゃ、本の紹介とは違ったね。ついつい、自分の関心に引き付けて読んでしまううものだから。
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by eric-blog | 2006-11-24 11:29 | ■週5プロジェクト06 | Comments(2)

コルチャック先生

158-3(753)コルチャック先生
近藤康子、岩波ジュニア新書、1995

「不当な支配に伏することなく」について、国家答弁が続いているが、議論のどこに子どもの権利条約遵守があるだろうか。

子どもの権利条約の精神的な父と呼ばれたポーランドのユダヤ人、コルチャック先生についての本。「一日を生き延びることは、一冊の本を書くより難しい」と彼をしてなげかしめたゲットーでの状況。映画を見たことがあるが、誰が死に、誰が生きるのかを偶然が支配する状況において、コルチャックが孤児院の子どもたちとともに「トレブリンカ」に向うという選択をする。

子どもは自分の気持ちを聞いてくれる大人を探している。36
子どもの問題を子どもに解決させる。「子どもは大人をだましとおせるが、子どもをだましとおすことはできない」子ども裁判48

孤児院での教育を、コルチャックは予防と治療に分けて考えている。

予防としては
・喧嘩の権利公明正大ななぐりあい・喧嘩の方法、手続きを決めておく。
・感謝メモ
・落とし物箱

治療としては
・労働「働くのも、勉強するのも望まない者、何でもいいかげんにする者は、自分自身に害になるし、みんなにとっても役に立たない。」80
・目標達成に向けた賭け

強制移住の前週、子どもたちとタゴールの『郵便局』を上演したと言います。
その招待状に添えられたヴワディスワフ・シュレンゲルの詩。

原作以上の何かを
それはムードがあるから
感動以上の何かを
それは体験だから
俳優たち以上の何かを
それは子どもたちだから

ユニバーサル合宿で披露された劇を思い出す。
子どもたちの成長には、芸術的なもの、審美的なもの、善きものなど、肯定的なものが欠かせない。否定的なものを禁止するのではなく、遠ざけるのでもなく、認めながら、善きものを選択していく、選択し続けていく意志と力を養うことなのだよなあ。
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by eric-blog | 2006-11-22 14:02 | ■週5プロジェクト06 | Comments(0)

児童養護施設と被虐待児 施設内心理療法家からの提言

158-2(752)児童養護施設と被虐待児 施設内心理療法家からの提言
森田喜治、創元社、2006

大阪の児童養護施設の心理職員として20年、そしてアドバイザーとして7年関わり続けてきた著者が、まとめたもの。同年代の実践者として、さぞかし、試行錯誤も多かったことと思う。最初の頃に関わった子どもたちが、いまや30代。共に酒を酌み交わす機会に恵まれて、彼らが平均的な家庭を築いていることに、エールを送る著者。その気持ちがよくわかる本である。

序文を寄せているのは著者の指導教官であった東山紘久さん。本文からの表現をたくさん引用しつつ、著者の洞察と問題提起を紹介している。なるほど、こんな引用の方法があったかと思ったので、ちょっと、まねてみますね。

人間が人と関わるときに大切なことは、自分自身をオープンにできることである。・・・心を閉ざし、過剰適応している子どもに、職員の方がオープンに接していくためには、職員自身の人格が成熟している必要がある。・・・オープンさは施設で働く心理療法家にまず求められるだろう。(iv)

うーーーん、なぜ臨床心理学や心理療法をやったら人格が成熟し、オープンな人になれるのか、はなはだ疑問だが、しかし、東山さんのおっしゃりたいことはよくわかる。

以下は本文より。

この世に生を受け、両親の愛情のもとで子どもたちは、成長を期待され、その期待に護られながら人格の成長を遂げていく。・・・しかし、これらの環境がすべての子どもたちに適切に保障されているわけではない。・・・家庭は社会の様々な荒波の影響を受け、守る力のない家庭は崩壊の危機に立たされる。それは必ずしも親の責任によるものだけではない。(3)
児童養護使節は、児童福祉法にのっとり、家庭崩壊ゆえ、家庭での生活ができなくなった子どもに対して、家庭に代わって最低限の成長、発達の保障を行い、また、精神的安定を目的として療育を行うことがその役割となっている。・・・被虐待児童が増加するにつれて、・・・施設の小規模化、心理職の導入、被虐待児対応職員の配置など、そのシステムは被虐待児童を対象として改革が行われてきた。・・・本来の施設の子どもたちのためのシステムにはあまり目を向けられていない。心理的ケアは、過去に虐待の歴史が記載されている子どもには必要とされ、記載がなければその必要性を唱えられることはない。(5)
たとえ子どもが問題を起こしていたとしても、被虐待児でなければ、心理療法の必要性は唱えられず、・・・虐待の記述のない子どもたちであっても、心理療法を必要とする子どもたちは多い。過去の出来事、不安定な家族からの影響、施設の集団生活といった三重の傷を負っている。・・・施設で生活する子どもたちすべてに平等にその機会が与えられるべき。(6)
安心していられる環境とは、肯定的な自己像のみを受け入れてくれる環境なのではなく、それら肯定否定もまるがかえしてもらえる環境であり、子どもはその中で安心していられる。(29)
周囲の大人たちにとっては、否定的な行動としてうつるため、さらに否定的なかかわりを受け、それが否定的な自己イメージを深めることになり、ここに悪循環の輪が生じる。彼らは、自己統制できないまま行動し、その行動が周囲には受け入れられることはなく、否定的な像がその子どもにあたえられることになり、子どもはとらに周囲から否定される体験を深め、ますます衝動的な行動を出現させることになる。・・・乱暴な子どもと接する際には彼らの攻撃的でない行動のなかから、肯定面を汲み取り、否定的行動の意味を理解し、どのようにアプローチするかを考え、日常の生活の中で、彼らを受け入れていくように配慮する必要がある。(36)

ポイントは存在の肯定なのだね。

好かれるために肯定的な面を見せる→否定的な面も受け入れを要求する→安心・安定。
というサイクルにたいていはなるのだけれど、否定的な側面を出したときに、悪循環に入ってしまう場合があるということか。(65)

著者は、子どもたちのケアにあたることは、多大な心のエネルギーを要することであるにもかかわらず、近年、職員の人間関係の希薄さが、職員の心の病を生み出す一つの原因になっていると警鐘を鳴らす。
児童養護施設の子どもたちのケアにあたっては、職員同士の人間関係、助け合いを必要とするが、それがなされないと、その職員は自己嫌悪と責任感の中で挫折してしまう。(71)

職員の役割についての次の一文も、教育一般にも共通する点だとわたしは思う。

他者に対する愛情深いかかわりの体験、さらに、その生活体験の中で、日常の対人関係や、生活の中での社会的規範にのっとった規制を身につけ、適応的な社会性を身につけさせる役割を持つ。しかし、その社会性も日常の人と人との関係の中で自然に成立する規範であった、その文化の中で生活する以上身につけなければならず、しからも、それは、人間対人間の信頼関係の中で生きることを希望し、求められるからこそ得られるものであることを職員は認識する必要がある。ソーシャルスキルは子どもを抑圧するための規範ではなく、子どもが他者とともに秩序を維持するために必要最低限の基準である。それらは、子どもが他者との肯定的関係を結ぼうとしたとき、おのずと必要とされるものであるため、ソーシャルスキルの根本には子どもに、人に対する肯定的感情や信頼関係が培われている必要がある。(68)

まったく、今回の研修で確認したことそのものだね。
さらに、著者の目は、親からの虐待と虐待を取り巻く社会にも向いていく。生活文化のくり返し、虐待の再生産、病理を原因とする虐待という三つの虐待パターンを紹介する中で、著者は、生活文化としての虐待について以下のように述べる。

子どもをなぐるという「家庭の文化」で成長してきた親たちが、新たな方法で、子どもを養育していくことが果たして可能なのであろうか。・・・近隣の目は、虐待をしているという評価をすることになり、次第に、かつての文化の中で生きてきた家族は、・・・閉鎖的、孤立的な世界に入り込んでいく。(96)・・・お互いに監視しあう中には、実は虐待のスタイルが潜在して、近隣がその家族を虐待することになる。虐待している近隣は、逆に正義として報告されることで、自己満足に陥り、いわば、正義の虐待が行われていることになる。・・・親たちのレッテル貼りに終わらず、親の話しを聞きながら、より望ましい子どもへのかかわり方を考えていくことと、旧来の子育て法に頼るのではなく、現代的な方法の教示も必要になろう。そのためには、子育ての方法についての教育の必要性もさることながら、親たちの信頼してきた支配的な文化を否定するのではなく、親のもつ肯定的な子育てのスタイルを共に調整していく必要がある。(97)

否定的、監視的、管理的な教育文化を持っている人々に対しても、同様の努力が必要なのだろうなあ。

職員に要求されるもの-----------153-154
・自分自身の心の世界に開かれ、しかも、その開かれた世界で子どもと触れ、子どもを理解する。
・子どもをケアするというのは、担当の職員やその他の直接間接職員で作り上げる器の中で子どもたちを抱えることに等しい。

社会的なルールに縛られた中での、個人的な生活をする場。そこにあるさまざまな難しさをていねいに掘り下げている。

その上で、子どもが安心できる環境とは
・養育者が頻繁に変わらない
・生活環境の価値観が一定である
・他者の侵入の少ない環境
・子どものある程度の自由が保障されている

職員側が肯定的な人間関係を体験させたとしても、それに傾倒し、それを内的モデルとしていくことは同時に、その親を手放さなければならないということになる。(254)
彼らは望ましい人間関係のモデルを持たないまま、新たなスタイルの人間関係を学習しなおさなければならないことになる。・・・彼らのこと否定的なスタイルをも受け入れられる体験を深めることは、彼らとの情緒的、肯定的人間関係を結ぶベースとなる。こうして初めて、子どもは人に対して興味を示し、自分から関係を持つことを求めるようになる。(258)

児童養護施設そのものが、子どもたちにとってストレスフルな場であり、また心に傷をもたらす可能性のある体験であることを考慮するなら、被虐待の子どもを対象とするだけでなく、児童養護施設に入所せねばならなくなった子どもたち全体のことを考慮してのアプローチを模索する必要があろう。(278)

その中にあって、子どもの心理療法、職員の精神的ケア、コンサルテーションという役割(75)を果たす心理担当職員の役割はどうあるべきか、著者は人間ひとりひとりにあるコンプレックスやパーソナリティにつながるものを大切にしながら、お互いの肯定的な関係を結んでいく努力を、大人どうしも含め、結んでいけることを求めているように思う。

教育の基本にも、それが求められるように思うのだが。
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by eric-blog | 2006-11-22 12:07 | ■週5プロジェクト06 | Comments(0)

情報のさばき方

158-1(751)情報のさばき方
外岡秀俊、朝日新書、2006

新聞は30分で作られる

情報の整理、伝達者として、次の基本原則は、とても役立ちますね。

基本原則一情報力の基本はインデックス情報である
基本原則二次に重要な情報力の基本は自分の位置情報である
基本原則三膨大な情報を管理するコツは、情報管理の方法をできるだけ簡単にすることである
基本原則四情報は現場や現物に当り、判断にあたっては常に現場におろして考える
基本原則五情報発信者の意図やメディアのからくりを知り、偏り(バイアス)を取り除く

30年の職人技の集大成がこれだという。

また、文章の特徴を「わかりやすさ」「美しさ」「正確さ」の三点で整理し、新聞記事の特徴は「わかりやすさ」にあるのだと言います。212

正確さの代表格が法律やマニュアル。

現在、テレビが得意としてきた「面白さ」が、新聞にも求められるようになってきているという。しかし、活字メディアは面白さを追求するより、より「わかりやすさ」を追求した文体へと進化することが、これからの発展だろうと著者は言う。213

メモがテープより、グッド。メモはすぐに書き込みをして補足する。もっとも大事なのは、日時と場所、相手、そして連絡先だという。つまり、内容は、再取材可能なものなのだという「インデックス情報」優先姿勢なのである。57

一日一行の行動記録など、「続けられる」簡単な情報整理の方法の工夫がいいね。

伝説の疋田桂一郎さんのインタビューの技法。いやいや、わたしなどはワープショックしてしまう人だけに、とうてい新聞記者のインタビューはできないなあ。
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by eric-blog | 2006-11-21 10:20 | ■週5プロジェクト06 | Comments(0)

わたし、あなた、そしてみんなのスキルトレーニング

2006年度チャレンジ・コース
「わたし、あなた、そしてみんなのスキルトレーニング」記録

実施日:2006年11月18日(土)19日(日)各日10:00~17:10
参加者:6名+ERICスタッフ5名(田中は2日目のみ)
ファシリテーター:
角田尚子(S6)木野美穂(S1,5)佐藤玲子(S3)田中幸子(S4)野口真之(S2)

実施プログラム-------------------------------------------------------------
[アクティビティ名] (時間:活動形態)
【1日目:11/18】
セッション1 10:05~12:10 共通基盤づくり(ft:木野)
・ 2日間のねらいについて
・ 自己紹介:ポストイットに書き出す(個人→全体共有)
  1)わたしのまち自慢
  2)わたしの関心
  3)講座への期待
・[場の使い方]二人一組→全体共有
・[ルールづくり]二人一組→全体共有
 2日間を安心して話し、お互いに学び合えるコミュニティのための心がけ
・[わたしを見つめる3つの窓]
  1)わたしのいいところ10個
  2)人生のタイムライン
  3)この社会の人々で共通して持ちたい価値

セッション2 13:10~15:10 自己の開発(ft:野口)
 ・からだほぐし (全体)
 ・「自分自身の内発的な力」or「自分を育てるもの」を
  『自分自身』を中心に書き、キーワードを出す[連想図]
  (個人→三人一組→全体共有)
 ・出てきたキーワードをセルフエスティームに含まれる3要素、または
  アサーティブネスに含まれる3つの要素で分類する。
  (三人一組→全体共有)
 ・セルフエスティームをのばすためのスキルとは(三人一組→全体共有)
 ・出てきたキーワードをグルーピング→スキル群を命名する
 ・スキルを育てるー「人/環境/カリキュラム/評価」
  (三人一組→全体共有)
 ・セッション2のふりかえり(全体)


セッション3 15:20~17:10 関係発達(ft:佐藤)
・三ヶ月の赤ちゃんにどのように話しかけるか[ロールプレイ]
(三人一組)
・期待していたもの/どのように働きかけたか(三人一組→全体共有)
・12歳に話しかける[ロールプレイ](三人一組)
・期待していたもの/どのように働きかけたか(三人一組→全体共有)
・「健やかな成長」とは?「幼児期」「児童期」「青年期」で考える。
 (三人一組→全体共有)
・『ひとがひとをわかるということ』資料を読む(個人)
・「関係性の中で個が育つとは○○である」(個人→全体共有)
・関係性の中で個が健やかに育つために必要なスキルとは?
[ブレインストーミング](三人一組→全体共有)
・スキルを育てるために必要なこと[マトリクス分析]
 (三人一組→全体共有)
・セッション3のふりかえり[傾聴](二人一組)
・今日の積み残しや知りたい用語をポストイットに書き出す


【2日目:11/19】 
セッション4 10:05~12:05 社会発達(ft:田中)
・[お似合いのイニシャル]で自己紹介(全体)
・からだほぐし・あたまほぐし(参加者より)
  1)ストレッチ
  2)トランプ:同じマークでグルーピング(ジェスチャー)
  3)数字の順でラインナップ(ジェスチャー)
・1日目のふりかえり(二人一組→全体共有)
・いじめの事例から考える
  1)作文を読む(個人)
  2)不登校になった理由[因果関係図](三人一組→全体共有)
  3)出てきたものを「ひと/環境/カリキュラム/評価」の要素で
    分類する(三人一組→全体共有)
  4)気づいたこと・感じたこと[ポップコーン方式]
・因果関係図で考えた諸要因に対する手だてを考える(三人一組→全体共有)
・第5セッション「ファシリテーション実践」に向けてグループづくり

セッション5 13:15~15:00 ファシリテーション実践(ft:木野)
・[評価の視点づくり](3人一組→全体共有)
・ファシリテーション実践
  1)『わたしの人生の目標』
  2)『自分の言いたいことをきちんと表現できる』
 3)『重層的自己分析』
・アクティビティの分類「わたし/あなた/みんな」「意識化/肯定的/問題解決」
 のマトリクスで分類
・カリキュラムづくり ?考えたい対象別でグループになる
[オープンマーケット方式] 
 →「わたし/あなた/みんな」つけたい力・できていること


セッション6 15:24~17:08  カリキュラムづくり(ft:角田)
・セッション6のねらい、進め方
・スキル分野別・ビルダー年間計画表づくり(三人一組)
・スキル分野別・ビルダー月間計画表づくり(三人一組)
・計画表を使いこなすアイデア・気づいたこと・感じたこと(全体共有)
・環境・風土はなぜ大切か(三人一組)
 →2つの枠組みからどちらかを選択して分析
・2日間のふりかえり
  1)木になったイメージで傾聴(二人一組)
  2)サークルタイム(全体)
・修了証の授与
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by eric-blog | 2006-11-20 18:30 | □研修プログラム | Comments(0)

発達の三つの視点と育てるための手だて

わたし あなた そして みんな という 発達の三つの視点と育てるための手だてを 人 環境 カリキュラム 評価 の観点から考える研修でした。自己の発達は関係性の発達と社会性の発達とに支えられているものです。
その発達が阻害されている七つのパターンを考えて見ました。
自尊感情も低く、人間関係も苦手、社会性も低い「---」、それぞれにでこぼこのある「--+」「-+-」「+--」、「-++」「+-+」「++-」など、特徴と成育歴における課題も分析しました。人の心が七色に分類できるものではないとしても、有効な働きかけにつなげていけるのであれば、いいツールになりますね。
カテゴリーは手だてを考えるためにある。
たくさんのアクティビティや働きかけの引き出しがある方が良いのでしょうが、原則がわかっていれば、いろいろ工夫する事ができるはず。
いじめや非行など子どもたちの状況をともに考えられたのも良かったです。
元気で、善きことへの意志を育てつつある子どもたちを伸ばす手だてももちろん考えましたよ!
テキストにまとめる予定です。乞うご期待。
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by eric-blog | 2006-11-20 07:51 | 研修プログラム | Comments(0)

心の先史時代

157-5(750)心の先史時代
スティーブン・ミズン、青土社、1998
The Prehistory of the Mind, A search for the origins of art, religion and science, 1996

歌うネアンデルタール もおもしろいと思ったけれど、必読書にあげるとすればこちら。心理学者が書いたものとして『現代人類の心の起源』The Origins of the Modern Mind, 1991, Donaldがあるが、心理学を援用する考古学者としてこの本は書かれている。18

認知考古学の時代。

遺伝子の突然変異の確立からの推計で、人類の発生は600万年前と考えられている。脳の拡大は、200万年前から150万年前あたり、と、50万年前から20万年前あたり。
人間の行動の劇的な変化としては、6万年前から3万年前にかけての文化の爆発的八たちで、第二の変容は一万年前の農耕の登場。20

ガードナーの多重知能論などもとりあげながらの展開はとてもおもしろい。
約400ページの大著のうち100ページが注というのは、さぞかし翻訳者泣かせだあったろうと思うが、それでも300ページもある本文をどのように紹介すべきか、とても迷う。が、先を急いで、結論をここでは御紹介しよう。

最後の変化、つまり一万年前の心のありようの変化として起こったことは、4つあるとミズンは言う。

1. 植物資源を収穫し加工するときに集中して使えるような道具を開発する能力。これは技術的知能、博物的知能から発する。
2. 社会的権威や権力を獲得するための媒体として動物や植物を用いる傾向。これは社会的知能と博物的知能を統合することに由来する。
3. 植物や動物との間に、人間との間に発達させるられる関係と構造的に相似な「社会的関係」を発達させる傾向。これは社会的知能と博物的知能との統合がさらに進んだ結果である。
4. 技術的知能と博物的知能とを統合してできる、植物や動物を操作しようとする傾向。

「今日の我々の心は、我々が個人として発達する背景の産物であるのと負けず劣らず、進化の産物でもある」
「したがって、心について知りたいことがあれば、・・・ぜひ考古学者にも聞いていただきたい。」297

その探求のプロセスがあますところなく書かれている本です。
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by eric-blog | 2006-11-17 09:37 | ■週5プロジェクト06 | Comments(1)

未来を拓くシュタイナー教育 世界に広がる教育の夢

157-4(749)未来を拓くシュタイナー教育 世界に広がる教育の夢
広瀬俊雄・秦理絵子、ミネルヴァ書房、2006

教育を語る、教育改革を語る本の導入の常として、現在の問題を列挙するのが定番だ。しかし、この本は、さすがに教育学者が書いているだけに、結果の列挙だけでなく、教育の混迷も網羅していて、わかりやすい。もちろん、それらの列挙の一つひとつがシュタイナー教育礼讃への伏線なのですが。

「希薄な親子関係、行き過ぎた早期教育、目先の点数にとらわれる学力観、模索状態の小学校英語教育、不十分な総合的な学習、思慮なく行われる疑似体験の増大、根強い知育偏重、全身による活動の教育の不足、急がされることが多く、たっぷり浸ることの少ない学習、点数競争、芸術的なものの軽視、教師と子どもの温かく厚い信頼関係の減少と弱化。」ii

2005年4月、神奈川県藤野町に国によって正式に認可された学校法人「シュタイナー学園」が小中一貫校として設立された。(勉強会で行こうねと提案されたまま、実現していないけど)

シュタイナー教育について、この本では、次のような章立てで紹介している。
・子どもたちは卒業後どうしてる?
・教育活動としての演劇
・外国語、英語教育
・教師
・宗教
・幼児教育の根本原則
・日本の現状

昨日の勉強会で「HITOTSU学」http://1.peace-production.jp/の人に会ったのだけれど、学校改革とうたっているのに、シュタイナー教育を知らないというのは結構衝撃をわたしは受けた! 教育を語る人々がどこまで何を勉強してから、語るべきかということは言えないと思うけど、あんまりにも他を知らないのもなんかなあ。自分の信じるところを推進するのでいいと思うけど、他を知らずに「自分たちの改革はいい!」と叫ぶことは、結局は狭くなるのではないだろうかね。

わたしがシュタイナーに感じた異和感は、人智学が西洋的哲学的発展の上にあるものなので、それをそのままというのは、なじめないところがあった、ということかな。というのも、プロテスタント系できあがり図を自分の将来像として受け入れることに抵抗が強かったからなんです。すみません、沈思黙想性格穏やか音楽的芸術的教養豊富大人には向かないんです、わたし。

と、わたしのことはさておき、シュタイナー。シュタイナーの人智学思想そのものは、教育をはるかに超えていることは、共有しておく必要があるけれど。

全世界に1000校ほどあるというシュタイナー学校。
いちばん多いのは、やはりドイツ。ついで米国、オランダ、スウェーデン、スイス、ノルウェー、オーストラリア、イギリス。イタリア、フィンランドと続く。南アフリカが14位で、16位がブラジル。世界58ヶ国にあるのですが、圧倒的にヨーロッパです。東南アジアでは、日本、台湾だけ。あのシンガポールにも、マレーシアにも、ないのか?! エー? ホント?

勉強熱心、新し物好きのアジア人が、シュタイナーを学ばないはずがないから、シュタイナーを学んだが、その「同盟」の方法とはたもとを分った人々もいたのだろうし、いるのだろう。また、シュタイナー学校連盟に加盟していない組織もあるはずだ。

1975年以来、ドイツの教育基本統計調査では、「シュタイナー学校」という区分が登場している。校数も生徒数も増えつつあるというものの、それでも学齢人口に占める割合は1%以下。とはいえ、100人に一人、シュタイナー教育を受けた人々がいるということは、すごいことだ。いいことだ。成果としての人間形成に、人間が「なぜ学ぶのか」に応える教育を受けてきていることの意味は、とても大きい。27
潜在能力の強さ、学ぶことへの意欲、「探求者の発見の目」「改革者の憐れみ深い心」など、初等中等教育の果たすべき役割としては、これ以上のものはないだろう。

これまでにも紹介しているかもしれないけれど、特徴のまとめは、わかりやすい。16
1. 幼稚園、初等中等一貫教育のシュタイナー学校、教員養成所の三施設を核とする
2. テストや通知表の排斥
3. 児童期までは、教科書や視聴覚教材を使わない、「教育芸術」
4. 子どもたち自身による自分独自の教科書「エポックノート」
5. 知的教科を周期集中で教えるエポック授業方式
6. 8年間一貫担任制
7. 一年生から始まる二か国語の外国語教育
8. 創作活動における本物志向
9. フォルメン線描やオイリュトミーなど、独自の諸能力形成手段
10. 学校建築
11. 子ども本性の内的欲求の段階に即した教育観

幼児期「摸倣欲求」「メルヘンへの欲求」
児童期「権威への欲求」「芸術的なものへの欲求」
青年期「自立的な心理探求への欲求」

わたしにとっては、「農作業」というのも、はずせない特徴だと思ったけれど、あげられていないのは残念。

ブログでも紹介した広瀬さんの本が「言語の力」についてであること。言語には自我を目覚めさせる力がある。外国語の教育によって、言語能力そのものを伸ばすことが、シュタイナー教育では目指されているのであり、けっして付け足しの知識、スキルではないことが大切だ。

シュタイナーがめざす社会的、民主的、自由な人間形成。
教育目標・内容・方法に合意した教師集団による教育効果が高いのは、当然のことだろう。それでも、人間が多様であるのがおもしろいところだね。

【関連ブログ】
85-4(396) 教育力としての言語
あれ、もっとシュタイナー関連は紹介しているようにおもうけど。
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by eric-blog | 2006-11-16 10:43 | ■週5プロジェクト06 | Comments(2)

教育を拓く 教育改革の二つの系譜

157-3(748)教育を拓く 教育改革の二つの系譜
堀尾輝久、青木書店、2005

1970年代以降の、著者による講演や論文を構成したもの。

教育改革に関わる議論を、著者は以下のように列記する。

子どもの権利は、教育が人間が人間であるためのものであり、そのために特に子どもに重要なものと考えるのか、それとも、それは単に政治経済に従属し、経済効率の視点から改革を求めるのか。
国民統合意識の手段としての教育なのか。
一人ひとりの発達に応じた教育を考える能力主義なのか、それとも期待と投資の傾斜の理屈づけ、強壮と序列主義としての能力主義なのか。
子どもの権利、教師の専門性、父母の選択、学校の自律性。

教育改革の系譜を、著者は「戦後体制の総決算」と「教育基本法の推進」の二つとしているのが、副題の意図だ。
教育基本法改正論の流れは
・55年体制の成立と期待される人間像、1965年
・中曽根、戦後政治の総決算と臨教審、1980年代
・新しい国づくり21世紀へ向けた人づくり、1990年代から現在
著者は、現在の第三期改正論は、「新しい」という中に、過去への郷愁、戦後教育への批判を内包しているのだといいます。

対抗軸は、教育基本法の推進なのですが、これらの動きに対する「アンチ」、反論の積み重ね、のように見えます。

1933年生まれ。東大名誉教授。かたや、西沢さんは東京都立大学の学長。知的生産性が、なぜ、すべて「政治的」になってしまうのか、とても不思議。
すべての論客が「政治的参加者」でしかない教育改革論議の行きつく先が政治的決着でしかないことは、誰の目にもあきらかなことなのに。
その狭間で、大方の子どもたちの人生は消耗されていく。

157-1(746)アメリカの教育改革 がスパニッシュ・黒人系の教育機会とニーズに応えることをうたったように、No Child Left Behind法が科学的根拠に基づく効果的な教授法の採択を言うように、政治的な対立はありつつ、筋をとおせる方法を、わたしたちも考える必要があるのではないだろうか。

昨日の勉強会で、イダヒロユキさんは、デンマーク、オランダの取り組みを紹介された。逆に、いま、イギリス、フランス、ドイツ、日本、アメリカなどの大国が、病んでいる。そして、その状況から抜け出す切り札が見つからない状況に陥っている。

近代は国民国家を前提として発展し、帝国主義という人口が国力につながる近代化時代というものが、確かに存在した。それらの諸国家が「近代の人間化」時代においては、機能不全状態が長く続いているのは、なぜなのだろう。
これらの大国は、いまの資本主義経済の故に、その面子を保ってはいる。しかし、それだけのことだ。大企業に牛耳られ、政治が国家の枠に閉じ込められているにすぎないことが、政治家には、自覚されていない。多国籍企業、超国家企業にすれば、国民国家の枠組みは「うまみの元」でしかないのにね。

教育論議の脱政治化。
そこに対する答えを出している本は、いまだない。

【関連文献】
新版 教育の自由と権利、青木書店、2002
いま、教育基本法を読む、岩波書店、2002
地球時代の教養と学力、かもがわ出版、2005

【反論文献】
・あと半分の教育、井深大、ごま書房、1985
・新教育基本法六つの提言、西沢潤一、小学館文庫、2001
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by eric-blog | 2006-11-16 09:12 | ■週5プロジェクト06 | Comments(0)

自閉症の子どもたち 間主観性の発達心理学からのアプローチ

157-2(747)自閉症の子どもたち 間主観性の発達心理学からのアプローチ
C・トレヴァーセン、K・エイケン、他、ミネルヴァ書房、2005
Childrren with Autism 2nd edition, Diagnosis and Interventions to Meet Thier Needs, 1998

「ある人が、街灯の下で鍵を探していた。どこでなくしたのかよくわからないが、光りのあるところの方が探しやすいので、ここで探している」

序の始まりに引用されている逸話である。

iv
自閉症は、厳密な意味では2000人に一人というまれな病気である。しかし、「自閉症スペクトラム」障害は、ほぼ400人に一人である。認知上の問題とコミュニケーションの問題が常に関連し、学習障害がある。

非言語的反応と社会への参加は、社会的理解の教師役であり、生得的な前言語的相互作用システムである。自閉症はその発達が阻害された状態。

第一次間主観性とは、「表出され、積極的に受け止められた情動」であり、直接的対人交渉の時期である。vi

自閉症は、出産前から始まる障害であるにもかかわらず、学齢期ぐらいになるまで、わからない場合もこれまで多かったと言う。大きな変化がある時期に、小さな徴候が見落とされがちになるのだという。
他者との関係を確立できないという基本的な特徴については共通理解が得られつつ、それがなぜ起こるのか、については、さまざまな仮説が積み重ねられて来ている。
認知の問題なのか、情動統制の問題なのか。
そして、対応についても、共感的かかわりを第一とする治療志向の強い方法と、系統的な行動療法、教育ニーズを強く志向する方法との間にギャップがあるという。

1996年に出された第一版に、第二版でつけくわえられたのは「終章: 断片から図へ」の章だと、後書きにある。

まだまだ、自閉症について、知られていることは限られている。しかし、自閉症の子どもの知的な発達のためには、コミュニケーションや関係性が中心的重要性を担っている。332

結論: 人間らしさの発達は本質的に人と人との間にある。139

脳生理学とコミュニケーション、人間関係の発達一般について幅広い理解が得られる本である。
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by eric-blog | 2006-11-15 13:04 | ■週5プロジェクト06 | Comments(0)