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「男だてら」に「女泣き」

150-6(723)「男だてら」に「女泣き」ジェンダーと男女共同参画社会入門
奥山和宏、文芸社、2003

岡山県の研修に出かけた時、紹介された本の一つ。図書館になくて、ジュンク堂でお取り寄せで、ずいぶん時間がかかってしまった。2006年三刷りのものだから、ずいぶん売れているものだ。

自身の、小学校での授業について「ジエンダーフリーは暴論」とやりだまにあげられた経験をお持ちだ。

セックスとセクシャリティとジェンダーは、それぞれ違うものだけれど、ジェンダーフリーというと性差(sex)の違いもないように扱うのか、と反論される、らしい。

要は性の違いで、「入り口」の段階で最初から扱いを変えてしまうことがおかしいという問題。就職という社会生活について、結婚という家庭生活について、それぞれの「入り口」で女男で役割を分けてしまうことは、おかしいのだ。

基本的には、その「人」の資質、能力、希望、意思、条件に応じて、仕事や役割が選び取られていくことが望ましい。「括らずに活かせ男女の多様性」41

では、いまのジェンダーフリー・バッシングは何をしているのか、なぜなのかについて、奥山さんは、「らしさ」とはアイデンティティにかかわるものだけに過剰に反応する人々がいるのだろう、82「役割は異なるが価値は等しい」という枠組みによる育ちをした人々とそこからの既得権にしがみついている人々がいるのだろうという。「これまでの「枠組み」に居心地のよさを感じている人たち」149
しかし、逆流はいつまでも続かない。本流は流れていく、と。

「男女が互いの違いを認め、生かしあう」といういかにも耳に快い言い回しは、その「違い」を皆が同じように備えているという空想的な人間観を前提にしている。126
などの表現が○。

そして、彼らの論理の展開を次のようにまとめている。127
・男女共同参画社会は「性差を否定」するのか!  を売り込む
・「男らしさ」「女らしさ」を否定するのかと畳み込む
・性差とジェンダー差の区別はあえてしない、あるいはわからないふりをする
・「「性差」を取り払うことをめざすものではない」とすべきところを「男らしさ、女らしさを否定するものではない」と混同させる
・国が「男らしさ、女らしさ」を肯定したことにする

個人の好みは公的規範にならない。
「男らしさ」「女らしさ」についての公私混同はやめよう。

「男らしさ」「女らしさ」はジェンダーの問題であり、それは時代により、社会により、変わるし、特に人権にかかわって異議申し立てがある場合は、「人間」を優先する。

男女の役割について、職業的イメージとしては
・補助的な仕事
・生活に潤いをもたらす
・「美しさ」にかかわるもの
というようなかたよりがある。69
現実の社会そのものが「かくされたカリキュラム」として機能していくのだが、だからこそ、啓発的な教材においては、「あえて」自分のたちの思い込みに気づくために、女男を入れ替えて考えてみるというトレーニングが大事だと奥山さんは言う。

その他、おもしろかったのは
・「女ことば」ではケンカができない 102
・自称詞の種類が女性には少ない103
・文末形式で「断定」「命令」「強調」「確認」「否定」などがいずれも穏やかになってしまう106
三つ目の文末は最近は変わりつつあり、女性特有の文末形式はいずれ寿命だというのが国語学者の見解らしい。
いずれにしろ「男ことば」「女ことば」はいわば私的なことばで、公的な場所では用いられることはない。108

最後に
「男女共同参画社会のめざすものは「豊かさ」のとらえ方自体の革命なのかもしれない。」

変革の本質が何なのかはわからないけれど、現象としては変革は起きているというをわかりやすく書いている本だ。

最近のわたしのこだわりが「近代の超克」なのですが、市民の「男性」色、専門家・専門職、科学の「男性」色など、「男性」色の強いものは、何か人間性に対する落とし穴があると疑ってかかることにした方がいいね。

「桃太郎を育てたのは誰?」など千年考学の題材になりそうなものもあるのがいい。
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by eric-blog | 2006-09-29 11:29 | ■週5プロジェクト06 | Comments(0)

延長された表現型

150-5(722)延長された表現型
リチャード・ドーキンス、紀伊国屋、1987
The Extended Phenotype, 1982

これまでにも、
悪魔に仕える牧師 2003
虹の解体  2001
遺伝子の川 1997
ブラインド・ウォッチメーカー1986
を紹介したが、そのドーキンスの『The Selfish Gene』1976に続く二作目がこの本である。
利己的な遺伝子とは、生命体は遺伝子のヴィークル、乗り物だという考え方だ。
そして、この本では、集団的によりよい生き残りが得られるケースについても、遺伝子の乗り物としての個体群と考えるということが示されている。

新しい議論を提起する上で、ドーキンスは非常にち密に話を進めていくのだが、その上、この本には巻末に19ページにわたる用語集がついている!

表現型  phenotype
個体発生のあいだに遺伝子と環境の共同の産物として、生物体の表にあらわれる属性。表現型発現

延長された表現型 extended phenotype
ある遺伝子が世界に及ぼすすべての効果。生存の機会に影響を及ぼす場合に限る。

「遺伝子は、世界に対して働きかける表現型効果の結果によって、その対立遺伝子と比べて有利になったり不利になったりする。」384
しかも、延長された表現型は近縁な個体、血縁集団によるものだけではなく、異なる個体によって共同的に操作される可能性についても、考えざるをえないのだという。387

動物による造作物の遺伝的進化とか「造作物遺伝学」とか、だんだん遺伝子を巡る議論も複雑になっていく。
ビーバーのダムが一匹以上のビーバーによって共有された一つの表現型であるのと同じく、殻という表現型はカタツムリ遺伝子とともに吸虫遺伝子によっても影響を受けた一つの共有された表現型なのである。393
(この吸虫に寄生されたカタツムリの殻は厚くなる。そのことで、カタツムリの資源を繁殖から生存へと移行させ、その吸虫遺伝子は有利になる)
というように表現型を捉えると、生態系の中での共生、寄生などの個体間、種間の関係は「延長された表現型」として遺伝子淘汰の結果であり、競争であると言うことができる。

というような話だ。ずいぶん、長らく手元に止めておいたのだが、どこのどの言葉を引用すればいいのか、なかなか焦点が絞りにくい本だったなあ。ドーキンスの本らしく、多くの事例と、多くの検討と、思考の試行と、と何にせよ分量が多いのだ!

locus of control 環境統制感 と訳されているこのlocus という単語に、他の用例で思いつくものがないと、つねづね思っていたのだが、

遺伝子座 locus
ある遺伝子によって占拠される染色体上の部位。

というのが用語集に紹介されていたのも、おもしろかったね。

裏表紙の絵は、ネッカーキューブという騙し絵のような長方体だ。ドーキンスは遺伝子についての考え方をまったく違う角度から捉えようとしているこの本の最初のエピソードとして、コリン・ターンブルがピグミーの友人ケンゲを森から連れ出して山に登り、大平原を見下ろした。はるか下にバッファローが見える。ケンゲは尋ねた。「あれは何と言う虫だ?」と。バッファローだというと、そんな馬鹿げたウソをつくなと笑った。森林の視界に慣れた彼には、距離感による大きさの判断は必要ないということだ。

人間のものの見方、考え方は、経験に左右されている。
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by eric-blog | 2006-09-25 16:07 | ■週5プロジェクト06 | Comments(0)

食と農から暮しを変える、社会を変える 行動のためのヒント集

150-4(721)食と農から暮しを変える、社会を変える 行動のためのヒント集
ISEC、開発と未来工房日本語版作成、2006

International Society for Ecology and Culture
が出版した冊子Action Packを開発と未来工房が翻訳したもの。

土曜日の会合で、久々に鎌田さんに遭遇。開発と未来工房で代表理事をしているとのこと。定価500円のものを、いただいた!  太っ腹だね。注文される方はhttp://adf/jp あるいはメールでpost@adf.jpまで。

社会運動にはレジスタンスとリニューアルという二つのアプローチが必要です。4

というのが気に入りました。

『ラダック 懐かしい未来』の著者であるヘレナさんからのメッセージも第五章に含まれています。そこで彼女は、彼女自身が10年前よりも楽観的に感じてきていると、さまざまな動きが始まり、継続されていることから感じていると報告しています。
そして、個人からだけ始めるのではなく、「私たち」から始める、コミュニティとしていっしょに働くことの大切さを言います。個人も社会も、です。
人々がよりよく生き、幸せになること。心と魂を本当に養うものはなにかを自分自身に深く問うこと。

意識の向上と行動。

たっぷりと参考文献を紹介している59-60ページを見ていて、そうそう、先ほどの本の紹介の時に、いくつか、おもしろそうな本があったのを思い出した。
・中国の環境政策 生態移民 2005
・地下水の世界1992
・プリオン病とは何か2005
・シルクロードの緑と水はどこへ消えたか 2006

この本の参考文献の中では次のものがおもしろそうかな。
・「里」という思想
・変革は、弱いところ、小さいところ、遠いところから
・百姓仕事で世界は変わる
・地産地消と循環型農業

正しく、ERICが変革の担い手になれるわけだね。

この5月に、ラダック関連シンポジウムが開かれたのだったね。

12-2(48) ラダック 懐かしい未来
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by eric-blog | 2006-09-25 13:28 | ■週5プロジェクト06 | Comments(0)

回想ビルマ作戦 第33軍参謀痛恨の手記

150-3(720)回想ビルマ作戦 第33軍参謀痛恨の手記
野口省己、光人社、1995年

明治44年1911年生まれの著者が、ビルマ作戦に1943年から45年に参加した時は、32才から34才だ。そして、この手記が出版されたのは戦後50年。84才の筆とは思えないものがある。

育った時代、生きた時が違うのだから、如何ともしがたいが、大量に書かれている戦記物一般に、大きな異和感を感じざるを得ない。

例えば、あとがきにある
「祖国が滅亡の危機にたたされたとき、多くの戦士は一切の利害損失を放擲し、私情を乗り越えて、祖国の危急を救うために一身を犠牲にして、敢然と困難に立ち向かったのである。」
なんで、ビルマで?

「イラワジ会戦で日本軍の敗戦が歴然となり、。。。ビルマ国防軍一万がいっせいに蜂起して反乱を起こし、英軍側に寝返ってしまった。
思えばビルマ侵攻作戦当時、全面的に日本軍に協力してその手足となり、ともに英軍と戦ってビルマの独立をかちとり、独立後は日緬同盟条約を結んで、アジア解放のために共甘同苦、ともに手を携えてと誓いあった仲であった。
このように、ビルマは他のアジア諸国にくらべて、親日的であると評価されていた。日本軍から軍事顧問団を送り、兵器、弾薬等をおくって、日本軍が手塩にかけて育て上げたビルマ国防軍であった。
しかも、反乱直前、増強・・・
刃を日本軍に向ける出陣式とも知らぬ日本軍人のお人好しぶりに、さぞ腹の中ではせせら笑っていたことであろう。」263

「(ビルマ側の)彼らのスパイ活動があまりに執拗だったので、その巣窟とみられたカラダン河谷の集落を第33師団の市川大隊が掃討して、敵性のはなはだしいと思われた集落の焼き討ちをしたことがあった。終戦後、これが戦犯としてとりあげられ、市川大隊長以下多数のものが絞首刑に処せられた。相手のスパイ活動は不問に付されたままであったのが、なんとも承服できなかった。」265

「「生きて虜囚の辱めをうけず」との日本古来の伝統から(投降を命じる)ことも実行不可能であった」214

明治に国民皆兵制度を作り、そのために標準化された戦陣訓の、どこが日本古来の伝統なのか。

昭和19年5月、ビルマからインドへ侵攻しようとするインパール作戦に投入された人員は8万5000人。「損耗率」は70%以上。

人は、このような「言葉」でかたり続ける限り、自分の生きている論理を対象化することはできないものなのだなと、しみじみ思う。そして、語り続けることで、自縄自縛の箍が締め付けられていく。より強化な自省と自己論理化を伴って。

戦後、軍が解体されたために、散華した将兵の遺族の身の上についても救援の手を差し伸べることができなかった215とか、どこまでも、「軍」の論理が再生産されていくその結果が、いまの社会なのかもしれないね。

この年代の「軍人」たちがいまだ200万人ほども、いまの社会に存在しているという事実。

さて、慰安婦の存在についても触れられていますが、「いよいよというときは軍属として処遇し、..戦力化すればよい。..戦死した場合は、..軍人に準じて取り扱ってやればよい。靖国神社にもまつり、その遺烈を顕彰してやればよいではないか」222という山本参謀長のことばが引用されているのだが、そんな例があるのだろうか?
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by eric-blog | 2006-09-25 13:02 | ■週5プロジェクト06 | Comments(1)

子どもたちに語るこれからの地球

150-2(719) 子どもたちに語るこれからの地球
日高敏隆+総合地球環境学研究所、講談社、2006

誰のための地球環境なのか。人間は、地球についても地球環境問題についても、実は何もわかっていない。研究所の名称にも地球環境科学とはなっていない。科学ですべてがわかるというわけでもない。いま科学は、やっと天動説程度の認識に至っただけなのではないか。自分の立ち位置から見える事実を事実としてものごとを推論している段階なのだ、と。それぞれの科学がそれぞれの立ち位置からの天動説を解明しているだけで、全体が見えていないと。
科学は個別の事象は説明できても全体を見ることはできない。だから、これから必要なことは、神話を、科学といとう神話を疑いつつも、知識を積み重ねて、自ら地動説を見出せるようになっていくことが大切だ、と。

うっへえーーーー、こんなこと、子どもには難しすぎないかい?
少なくとも、わたしは天動説にも地動説にも「無条件の関心」を向けたことがないなあ。

総合地球環境学研究所所長である日高さんを初め、11人の著者論文集。多くが、わたしと同世代! これからの知の世界の変化が楽しみだ。

緑の文明史が指摘した農業の問題、まだ一万年ほどしか経験のない世界。それについて、佐藤洋一郎さんは、農業による環境破壊はのがれることのできない宿命なのか?と問いつつ、閉鎖的な流域圏農業&生活のスタイルが確立されれば、希望はあるという。

子どもたちに対して、「わからない」と言おう、という科学者たちの宣言の書である。
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by eric-blog | 2006-09-25 11:17 | ■週5プロジェクト06 | Comments(0)

幼児期

150-1(718)幼児期
岡本夏木、岩波新書、2005

前著に続いて、ことばと発達の問題を簡便に語ったもの。

再録になるがことばの発達期を4つに分けている。160
・胎生期
・誕生期乳児期の終わりから二才過ぎまで
・生活化期二才半から小学校の中ごろまで
・自律期ことば自体が自律した体系として働きはじめる、ことばのことば化

そして、幼児期の発達を考える上で大切なのは、ことばの生活化をどのように過ごすかということだと。つまり、「なぜことばか」なのだと。

行動をことばへ
ことばを行動へ
その相互作用を通しての、確認。

二次的ことばは対話としての一次的ことばの上に重層的に築かれる。一次的ことばの対話的確認の土台がまずあることが大切  175

岡本さんは、現在の社会がそのような一次的ことば体験を貧困化していることを嘆いておられます。
・学業との関係で二次的ことばへの移行を促進する
・対話の減少

そして問題なのは「ことばの乱れ」ではなく、「誠実なることば」の喪失なのだと言います。201
誠実なることばを岡本さんは「他者に向けて語りかけながら、そのことばが、より強く本人自身に語りかけることば」204と定義しています。自他を規定する力を、そのことばがどれほど持つかが誠実さの基準なのだと。

その一方で、岡本さんは、「大人の非合理性」を指摘します。大人が子どもを「しつける」とき、大人には「手本性」「一貫性」「合理性」が求められるのだけれど、人間そうはいかない。ポイントは大人が「しつけ糸」を外す時に、自律的な行動規範が培われていることなのだ、と。それを支えるのは子ども自身の「誇り」なのだと。
できるようになるの喜び、自負心が、自律につながると。大人の非合理性にもかかわらず、培われる倫理性が大切なのだと。大人の非合理性は、倫理における葛藤とその超克という発達の契機にもなているのではないか、と岡本さんは、別に擁護するわけでも非合理性を推奨するわけでもなく、見つめます。54

しつけという受身の時期から、主体性の確立へ。
「はじめは、自分の快・不快原理に従って行動し、親の言うことに反抗していた子どもが、やがて賞罰によって飼いならされ、親に服従してその言いなりになってゆくのがしつけの過程だとしたら、幼児期はまさに子どもがおとなに敗北してゆく屈辱の歴史に他ならないでしょう。」
子どもがしつけに立ち向かい、それを真に受け入れ、そしてさらにそこから脱却していくことを可能にする子どもの誇り、自尊心という原動力をつみとらないこと。50

岡本さんのこの表現、大好きです。
しつけ糸は大人がかけ、本縫いは子ども自身が行う。
人間のグランドデザインは遺伝子に組み込まれているかもしれないが、細部を仕上げていくのは、対話的行為を通した育ちと、自分自身なんですよね。

からだが大きくなっていく時に、変化していく時に、わたしたちはどのように「縫い変えて」いくのでしょうか。
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by eric-blog | 2006-09-25 10:42 | ■週5プロジェクト06 | Comments(0)

伝統芸術とは何なのか 批評と創造のための対話

149-5(717)伝統芸術とは何なのか 批評と創造のための対話武智鉄二、富岡多恵子、学芸書林、1988ちょっと、富岡さんに習熟してみようかな、と。同じ大阪人を遠距離から見ているものとして。わたしはナンバ歩きというのは、古武術の甲野さんあたりが再発見したのかなと思っていました。武智さんは、明治の軍隊教育、そしてその軍隊教育に奉仕した小学校がナンバをなくしたと言う。61軍事教練は反ナンバ。ナンバには遠心力の利用がないので、方向転換できない。慣性と惰性がない。だからまっすぐ走るしかない。それでは近代軍隊はできない。で、国語も地域語を認めず、現代語というエスペラントで統一した、と。63靴、洋学、下着、オッパイがセックスシンボルだったり、セックスの時の道具だったりなどは、身体的な拒否反応が起きていたのが、明治以前の日本人たち。わたしたちのからだも、よくぞここまで変わりけり、だね。水田耕作民がベラベラしゃべることは、百年、千年たってもない。抜けないものが民族文化。166「歌舞伎はね、ある意味では天保時代に、もう存在意義を失っているんですね、わたしの考えでは。その時代から、創造的なエネルギーってものはなんにもなくなっているんですよ。」210デレビは極限的反ナンバ。ミニマムな肉体労働。他者や機会に依存している。狂言や能に、弥生時代からの農耕の動きとからだが凝縮されていて、修練の中にあらわれる。武智さんは、この対談集の後、亡くなられたそうである。1912年生まれ。76才。
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by eric-blog | 2006-09-23 11:54 | ■週5プロジェクト06 | Comments(0)

ことば育ちは心育て ダウン症児のことばを拓く

149-4(716)ことば育ちは心育て
岩元昭雄、甦子、かもがわ出版、2005

1998年に、日本で初めてのダウン症者として大学を卒業した綾さんとのことをこれまで御家族で二冊の本にまとめてこられている。その三冊目。
英語、フランス語の学習を続けている彼女は、その語学力を活かして、国際的に活躍し始めている。

父親である昭雄さんは中学校教員。

「人は障害のあるなしを超えて、誰もがその人なりの在り方で成長する。」11

ことばよりも先に「思い」がある。生命維持にかかわるもの、人との関係性で共に喜ぶ思い、そして、自分の中だけにある思い。15
それらの思いをことばにし、伝える努力をすること。受け止めること。

両親が心掛けてきたことは次のようなことだ。
・童謡、童話(日本は世界有数の童謡の多い国らしい。)25
・ゆっくり、はっきり、回数多く、できるだけ一語文にならないように。35
・音楽を豊かに、43
・漢字は難しくない。文章の中で、自然に。49
・日記を続ける
・数学の問題を一日5分続ける。父親手作りの「継続ノート」
・何よりも健康一番、自分のペースで。

難しいからと回避するのではなく、できるように工夫していく。そんなことの積み重ねが見えてきます。そして、岩元さんは、綾さんの中学校・高校を通しての知識、思考力、判断力が伸びたことから、「普通教育とは、知的障害が有る無しにかかわらず、すべての人に可能な限り、その人その人に合った十分な手だてを講じて、保障されなけれはならない教育だと考えます。」121

ゆっくりと、自分のペースで発達していく姿。小学校では、教室に入るのがきつくて、いつもいつも先生にうながされて入る。いじめにも合う。

聞かせる、書かせる、続ける。

何よりも、子どもの頃に「ことば」を獲得すること。それがその後の可能性を拓いていったのだという。

そこに伴走するのは、誰ですか?
すべての子どもたちの学ぶ権利に伴走するのは、誰ですか?
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by eric-blog | 2006-09-23 10:07 | ■週5プロジェクト06 | Comments(0)

「教職研修の可能性をきりひらく」

大阪教育大学教職教育研究開発センター
◆開所記念イベント◆
教職教育研究フォーラム
「教職研修の可能性をきりひらく」

学校の課題に応えるために
学力・いじめ・不登校・安全・虐待・学級崩壊など、子どもをめぐる課題が重大化しつつあります。大きな期待が寄せられる学校では、毎年多くの新任教職員が採用され、教職員の平均年齢が大きく若返ろうとしています。経験豊かな教員の知恵やスキルを引き継ぎつつ、新しい考え方や枠組みを大胆に開発することが求められています。このフォーラムでは、テーマにぴったりのパネリストをお迎えして、教職研修をめぐる世界と日本、大阪の現実をつなぎつつ、これからの教職研修の課題と可能性を参加者とともに探ります。

◆おもなプログラム◆
 ●パネルディスカッション
    パネリスト◆吉田新一郎さん(ラーンズケイプ・代表/研修トレーナー)
          北野真由美さん(NPO法人えんぱわめんと堺・代表理事)
          古川 知子さん(大阪府教育センター教育企画部企画室・指導主事)
江田 昌彦さん(大阪市教育センター教育振興室・指導主事)
    コーディネーター◆森実(教職教育研究開発センター・教授)
 ●参加者によるフォーラム

◆日時◆  2006年10月7日(土)2:00-5:00
◆会場◆  天王寺キャンパス ミレニアムホール(定員125人)
http://www.osaka-kyoiku.ac.jp/campus_map.html
http://www.osaka-kyoiku.ac.jp/~nibujm/IG/IG.htm
◆参加費◆ 無料(事前申し込みは不要です。)
◆連絡先◆ 大阪教育大学国際交流・研究協力課 社会連携係
Tel: 072-978-3253 Fax: 072-978-3554
E-mail: renkei@bur.osaka-kyoiku.ac.jp
*詳しくは、大阪教育大学のホームページをご覧ください。
http://www.osaka-kyoiku.ac.jp

主催◆大阪教育大学教職教育研究開発センター
後援(予定)◆大阪府教育委員会・大阪市教育委員会・堺市教育委員会
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MORI Minoru
森  実
mmforest@mtc.biglobe.ne.jp
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by eric-blog | 2006-09-17 18:19 | △研修その他案内 | Comments(0)

女子刑務所 エジプト政治犯の獄中記

149-3(715)女子刑務所 エジプト政治犯の獄中記
ナワル・エル・サーダウィ、三一書房、1990年
原著Memoirs from the Women's Prison, 1982

1981年9月6日、サダト大統領のひとつのスピーチに含まれた「予防拘束措置命令」が、開放的な思想の持ち主である女性たちを逮捕・投獄へと導く。そして、10月6日に大統領暗殺、そして釈放まで。これはその監獄における物語り。

14人もの人が収容されている部屋には、サーダウィの知り合いである女性たちも次々と囚われてくる。その連帯感と、獄中での処遇の改善や壁の補修などを求めて戦う姿は、力強い。

しかし、わたしが脅えるのは、同室のニカーブを被った中からのぞく眼だ。そして、「女の人の顔は汚れているため、隠さなければならない恥ずかしい部分ではないのですか?」と問うてくる女たちだ。
「あばずれ女、売春婦、売春婦の娘」とののしる言葉だ。女性の唐だと陰部をののしり、父母と祖先をののしる声だ。
笑うことはイスラム法に反すると考えている人が隣にいることだ。
「神は陽気な人を愛さない」という『コーラン』の教えだ。
ニカーブもヘジャーブもつけていないのに、心はベールで被っているように閉ざしている女性だ。
人間の喜びを悪とみなす社会で育った人だ。
知識を求めることをタブー視する社会だ。
女が女であるがゆえに、知性も宗教心も、人格を陶冶することからも見放されている存在であるがゆえに、女が女であることを嫌う社会だ。

1980年代、エジプトにおいて、そのことは実在した。
ヨルダンに旅行した時、「あなたはイスラムじゃないの?」と尋ねられた時の感覚。「でも、あなたがここに来てくれたから、わたしはあなたを信じるわ」と言われた時のとまどい。まだ、そのことにつながるものが実在していることを思う。

人間を分断するのが、神なのか?
男女の犯す罪において、女だけが過剰に罰せられるのが、道徳なのか。

医者であり、大学教授である著者の、まっすぐなもの言いと知性に、共感し、畏敬しながらも、おどおどと命令に従う男たちの姿がある。
彼女の釈放を求めて動いてくれた同僚たちがいる。

それでも、わたしの心から脅えは消えない。このような脅えこそが、あってはならないことなのに。
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by eric-blog | 2006-09-17 15:32 | ■週5プロジェクト06 | Comments(0)