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歴史とトラウマ 記憶と忘却のメカニズム

134-4(647) 歴史とトラウマ 記憶と忘却のメカニズム
下河辺美知子、作品社、2000

『大統領の秘密の娘』の翻訳者である下河辺さんの著書。第6章失声症の大統領で、ジェファーソンのことが、この本とともに語られている。

トラウマという個人的肉体的経験を表現する用語が、フロイトによって精神理学的用語となり、そしてまたその用語を使って、アメリカ文学研究者が、主にアメリカ合衆国の共同体の体験を語ろうとする試みである。

トラウマという肉体に由来する言葉は、「トラウマ記憶」と「物語記憶」という、肉体vs声の表象性を与えられ、『ショアー』に代表されるホロコースト体験の「証言不可能性」を記憶する用語として使われていることを著者は紹介している。

「トラウマ記憶」を「物語記憶」にするときの危険性  記憶の正確さと力強さが失われること、言葉になる前の五感の記憶が薄められ、変形され、一部忘却されていくこと。それによってしか言語による「物語記憶」へとの翻訳はできないこと。43

言語を絶する経験を、言語によるスピーチへ翻訳すること。
画像としての記憶と、言語記号という無機的な物質との間の断絶。44

記憶のよみがえり方に、画像的トラウマ記憶は特徴があるのだな。

著者は、もうひとつ「コンパッション」共感共苦という言葉の意味が変化してきたことも取り上げている。
ハンナ・アレントのいう「他者の苦悩に向けて過激に流しだされる心的エネルギー」compassion。18世紀、人々の間に他人に対する無関心が消えた。あらゆる革命を行った主要な人々の心に「コンパッションの情熱がつきまとい、彼らを突き動かした」49

下河辺はコンパッションのもともとの意味からの変容をこういう。51
「あなたは苦しい。そして私も苦しい」
「自然人のもつ善性の証しとしての気高さ 正義を行うためのコンパッション」へ
それは「苦しむ者と苦しみを免れている者という立場の分極化が暗黙の前提となる」と著者は言う。「正義を行うために起ち上がる」ことの出来るのは、苦しみを免れている人なのである。52

あなたは苦しい、そして私は苦しいからあなたは苦しい、だから私も苦しい へ。
想像上の苦しみを取り除くために、他者の体験を自分のものとするための精神的エネルギー 情熱。

果たしてコンパッションは自然か。著者はそれは人為的な感情だという。異なる立場の人々を国民としてまとめていく必要に応える情熱として。53

不幸の目撃とそれにたいする哀れみの気持ちは、永い時間がかかって獲得されてきた人間性のひとつなのだとアレントは指摘する。54

ルソーは、コンパッションの本質を「人が苦しんでいるのを見ることへの本来的嫌悪」にあるとしている。54

フランス革命が下位の者に向けた情熱によって突き動かされたとすれば、アメリカ独立革命を導いた情熱は「苦しむ者としての共感」であったという。57

そして探究は、「声なきコンパッション」「コンパッションの原風景」へと遡る。そして、ではトラウマとは誰におこることなのであるか、と。トラウマの連鎖、無力感のストレス。64-65

『アウシュヴィッツをいかに教えるか』でフォルジュが教育の課題を「コンパッションを生み出しうる理解へと道を開くこと」としていることが紹介され、著者もそれを人間の精神力としての想像力、共感共苦であると考えるという。71

全体主義とは「作り上げた世界を外界から隔絶することによって安定する」もの。アレンと72

統一、全能、完全、全知を求める人間の欲望と精神が、全体主義を招き、全体主義の閉ざされた世界において抹殺される声、目撃者なき状況から、外部に響きだすものが感知されるのはコンパッションの力によってであると、書くあたりの著者は、果たして狭き全体主義としての学問の世界の内にいる存在であるのか、あるいは外部にあるのか。それとも、外部の存在を知っている内部告発者であるのか。不明なまま、第2章は終わっている。73

物語記憶の政治学。「個人が接触できる規模を超えた規模の共同体は、すべて想像上のものである」アンダーソン82

個に起こることと、ホロコーストというような集合体に起こること、そして、歴史という共同体に起こることを、同じ用語で語ることの意味と意義、そして限界についての検討のないままに、精神分析的用語、例えば「多重人格性障害」を「人類全体がかかっている病」とすることは、レトリックとしてはおもしろいとしても、それは何なんだ? 110

いかに評論家というものは、自分の言葉で語っていることの少ないことかというのが、この本を読んでの感想かな。

ラカン 大文字の他者に依存する主体
尾崎豊 声の殉教者
国家としての正統性を合理性、言語主義に求めたアメリカ合衆国「自由・平等」
にもかかわらず、アメリカ合衆国にもたらされる「クレオール」という攪乱、人種という記号
クレオールという用語そのものの変化「植民地で育った人々」から「混血化」へ205
ハンチントン 「国境をこえたディアスポラ集団」「母国政府を支援している」クレオール的混交の充満 209
ルービー 印刷文化による「無声音の国家」と「有声音の国家」そして有声音の国家は「感情的に結ばれた、肉体的経験を伴う国家」を出現させる。『アメリカを声に出す』251

ウィンザー椅子という大量生産されたヒット商品に腰掛けて語り合われた民主主義的平等252
「すべての人間は平等に創られている」という独立宣言の中の文章が引用され、その言語記号が国家を形成する。260

そして、さらなる混乱へとトラウマという言葉は導かれていく。317
思い出されることを恐れられている記憶
忘れているということを忘れている
自分の過去から切り離されている

トラウマという言葉は、未来を開かないことが、この本を読んでよくわかった。ほとんど不可知論の世界。それが悪だといっているのではないが。

どうすれば、いまを、そしてこれからを生きていく力が、生まれるのかと、不思議に思う。書くことを未来につなげる方法はあるのか。未来につなげるものを書く力を得たいと思う。
共感共苦のトラウマから共感共生の未来へ。行きたいものだね。
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by eric-blog | 2006-05-31 08:58 | ■週5プロジェクト06 | Comments(0)

The Big Issue 創刊50号

134-3(646) The Big Issue 創刊50号

インタビューは『ナイロビの蜂』の女優レイチェル・ワイズとメイレレス監督。
集英社文庫で原作も同名で出ている。アメリカ出張の機内映画で見て、感動した!!!!

特集は小熊英二ゲスト編集長による「今、日本という社会で生きること」
小熊さんの視点は好きだなあ。多様な、というか、しっかりとした自分の生き方をしている1960年代以降生まれの人たちが紹介されている。

近代人の孤独は19世紀から論じられてきていた。
・社会とのつながりの欠如
・貨幣に還元されてしまうことの疎外
・個人を超えた感覚
・祖先が生きてきた山川から切り離されること
デュルケム、マルクス、見田宗介など、さまざまな人たちが近代人の疎外感を論じてきました。
日本では明治時代にエリートたちが感じたであろう疎外感は「国家」とのつながりで解消され、戦後は会社やあるいは社会運動が「つながり」のもとに。

いま、それらがなくなった時代に、若者たちが近代人の孤独に直面していると。

また、大人たちがフリーターやニートを批判するのは、もし彼らが生きのびたら、自分たちの人生はなんだったのかを考え込んでしまうからだ、とも。12

The Big Issueはホームレスの人々に声の手段をもたらし、声によって社会とつながり、その対価で経済的自立を果たしている雑誌だ。
わたしたちはどうすれば社会や貨幣を人間や地球のいのちのために向かわせることができるのだろうか。そんな知恵のひとつが、この雑誌だと思っている。

人間の意志が、ひとつひとつの時間や行為を積み上げていくんだよね。惰性ではなく。
いやあ、惰性も悪くはないと思うけど、若者はよってたって未来が保証される「惰性」まで行き着いていないからね。いや、わたしたちの社会も、そんな惰性は見つけていない。だから、伝統主義に戻ることはできないと、道をわたわたと探し続けているのですけれど。
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by eric-blog | 2006-05-30 09:14 | ■週5プロジェクト06 | Comments(0)

カナダの継承語教育-多文化・多言語主義をめざして

134-2(645) カナダの継承語教育-多文化・多言語主義をめざして
ジム・カミンズ、、マルセル・ダネシ、明石書店、2005年
Heritage Language, 1990
Jim Cummins, Marcel Danesi

PLTコーディネーター会議の分科会「ESLの子どもたちに届く、教える環境教育のあり
方」をプレゼンテーションしてくれたBertica Rodriguez-McClearyさんから紹介され
たジム・カミンズの著書を、日本語で調べたら、これともう一冊『ぼくたちのことば
をとらないで』の二冊しかなかった。

内容は、Berticaさんのプレゼンとは直接関係なく、彼女のプレゼンの内容について
は、この原稿でまとめておくことにします。今回の会議の目玉のひとつだったと思い
ます。


ジム・カミンズさんは、子どもたちの言語的発達をBICs Basic Interpersonal
Communicative Skills 基礎的人間関係系コミュニケーション・スキルとCALP
Cognitive Academic Language Proficiency 認知的学問的言語熟達の二側面から考え
ています。
子どもたちの言語能力の発達はBICsから入り、学校教育でのトレーニングを経てCALP
を獲得していく。

そして第一言語で、CALPレベルまでのトレーニングを受けた人の方が、そうでない場
合よりも熟達しやすいというのが基本的な論点です。第一言語がBICsレベルに止まっ
ていて、第二言語にとりかかると、両方ともにおいてBICsレベルに止まるのだと。(
分科会での資料より)

わたしの理論では、もともとの第一言語が「無文字」的である場合、CALPの獲得が難
しくなると思っていますが、それはさておき、そのような考え方を踏まえて、この本
です。
BICs CALPという用語は使っていないものの、第一言語という継承語を維持するプロ
グラムを弁護している。
第一言語での認知的発達が、第二言語での習熟に役立つことは、ずいぶん早くから指
摘されていたにもかかわらず、カナダが継承語+ふたつの公用語=トライリンガルの
道を歩んで来なかった理由を著者らは次のように述べる。
「もしそうすれは、社会的地位の低いカナダの民族文化グル?の知識、価値観、言
語を正当化することになるし、教育制度のなかに継承語が入り込むことによって、崩
壊寸前の過去の遺物であるイギリス同化主義Anglo-conformityがさらに弱体化されて
しまうからである。」31
もう、このまとめに尽きる!!!!

プリズン・ボーイズを読んでいた時も思ったけれど、マイノリティであることは、文
化的社会的にdeprivedされている面は強い。しかも、優位な社会の価値基準で判断さ
れ、無能であるとかのレッテルを貼られる事実は、1917年のIQテスト以来、何も変わっ
ていない。

同化するか、ひっそりと継承するかというのが、マイノリティに与えられた2つの選
択肢であった。65

継承語教育の利点として
・継承文化に対する認識を高める
・前世代とのコミュニケーション
・カナダにおける言語的多様性の双方からの推進
などがあげられている。70

第一言語が公用語でない生徒たちを、「障害児」「学習困難」などのカテゴリーにい
れて、しかも教育機会を奪い続けるのがよいのか、それとも彼らにもよりよい機会を
与えるのか、それが問題だ、なのである。

さて、ここで使われている「継承語」耳なれない言葉だが、訳者である中島和子さん
が造語したものである。(1988年論文にて)

遺産言語教育という響きは過去の遺産という側面が強いので、生きた言語という意味
で「継承語」とされたそうだ。158

BICs CALPなどの翻訳にしても、誰が、いつ、どのような文脈で翻訳するかによって
変わってくるのが日本である。これもまた、日本語を使って国際的な知の共有をはか
る場合のプラス・マイナスであろう。
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by eric-blog | 2006-05-29 18:58 | ■週5プロジェクト06 | Comments(0)

プリズン・ボーイズ 奇跡の作文教室

134-1(644) プリズン・ボーイズ 奇跡の作文教室
マーク・サルツマン、築地書館、2005
True Notebooks,2003

なんともへんてこりんな日本語タイトルだ。読み終わってみれば、原題をそのまま訳す方がいいのではないかと思う本としては『女たちの絆』And, They Didn't Die.に続いて二冊目だ。

ともかくも、メモもとらず、テープに記録することもなく、記憶から書き起こされた実体験であり、科学的でないと異義を唱える人たちには「ふん、うるさいな」と反論する作家が書いた物語です。描かれているのは少年院の少年たちへの作文クラスでの出来事だ。看守もほとんど実名。

著者が出かけていった少年院の寮に収監されているのは187という番号に分類される犯罪を犯した子どもたちだ。殺人。刑が確定するまでの間、少年院に入れられている場合でも、たいていは、そのまま殺人罪で成人刑務所で服役することになる。黒人、ベトナム移民、中国移民などに対する裁判が、彼らに有利な判決につながることは少ないからだ。

殺人罪の刑期は25年から終身刑。二人三人と巻き込んでいる場合は、継続して50年から終身刑という長さになる。

「彼らを救うことでも、改心させることでも、また自分の犯した犯罪の責任をとらせることでもないのです。私があそこに行くのは、彼らがものを書くことを勧められ、それに応えて彼らが正直に書いたからなのです。そうした、先生と生徒間のやりとりには、価値があると思うのです。たとえ、クラス以外の面で、それがなんの成功につながらないとしてもです。」350

人の生活が、檻の中で、終生営まれ続けることがあるのだ。

「...
(監禁されている)この部屋は、おれがかつてこの外で、あの鉄条網の張ってある壁の向こうで送っていた生活と、つながっているんだ。
 外から何も入ってこないし、なんにも出て行かないような世界におれは閉じ込められていた。ギャング生活の中で、身動きできなくなっていたんだ。
.....
おれ自身が鉄のボルトになっていて、外の世界がほんとうは自分の部屋(おれのギャンググループ)よりずっと大きいってことを、認めようとしなかった。世界には、仲間のやつらより、もっとたくさんのものがあったのに。
....
もしおれが自分のドアを開けていたら、部屋にだけ閉じこもってなかったら、どうなってたろうかって思う。」12-13 アントニオ

彼らが自分たち自身を外に向かって開き、自分の感情を紙に記すことができるようになる  53

この世の中は、彼らの育ちの中では「悪」であり、「力」によって張り合うところであり、どこかのギャググループに入り、所属し、そのグループのために勇敢で、攻撃的で金を稼ぐ力を示すこと。そして世界は、うまく立ち回れなかったときに落ちる「わな」であったことが、本を読んでいるとよくわかる。

トフラーのいう"Powershift"の暴力による支配と金による支配を、一生抜け出せることのない状態。知の力の及ばないところ。

ジョアンナ・メイシーのいう「世界は悪だ」「世界は罠だ」という世界観以外の世界観をもてないところ。「世界は愛」だって?

World Apart! なんという異質な世界。

しかし、作文教室を通じて、彼らは育つ。

本当に、分裂した世界にわたしたちは生きている、というべきなのか、それとも、多様なものが、どこに統合、一致点を見出せば共存できるのかを学ばなかっただけなのか。

後者であることを信じつつ、近代教育を超える術を探るべきだと、わたしは信じているのだけれど。まったく別の世界観の人もいるからね。
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by eric-blog | 2006-05-28 16:42 | ■週5プロジェクト06 | Comments(0)

大統領の秘密の娘

133-3(643) 大統領の秘密の娘
バーバラ・チェイス=リボウ、作品社、2003年、
The President's Daughter

やっと読み終わりました。
指宿会議の出張に携えたこの本。行きの飛行機の中でも読み、二日酔いの朝にも読み、バスの中でも酔いをこらえながら読み、鹿児島空港の足湯でも読み。612ページ。

著者は黒人女性作家で詩人。生年月日は書かないくせに、黒人であるか否か、女性であるか否かは問題になる国、アメリカ。その国に1802年に生まれた7/8白人1/8黒人女性にまつわる、いまの目から見たもっとも真実に近いフィクションが組み合わされてつむぎだされた物語。

白人と黒人奴隷の間の子は黒人で奴隷。1/2黒人1/2白人。肌色は関係ない。その黒人奴隷と白人の間に生まれた子どもも黒人で奴隷。1/4黒人+3/4白人。肌色は関係ない。その黒人奴隷と白人の間に生まれた子どもも黒人で奴隷。1/8黒人+7/8白人。肌色は関係ない。

そしてもちろん白人であるか、黒人であるかの違いは大きい。売る側所有する側か、それとも売られる側所有される側かに、異母兄弟たちは分かれる。白人の親戚たちと黒人の親戚たちにファミリーは分断されていく。同じファミリーを黒人側、白人側と。
混血ムラードは道徳的にはあってはならない存在だ。しかし、奴隷に子どもを生ませることは、奴隷を増やすもっとも簡単な手段だ。そこに愛情があってはならない。子どもの頃は共に遊んでも、長じるに従って生まれる愛憎。すべての白人がすべての黒人より優れていることはなく、才能は平等であるために、引き起こされる妬みや怯え。

日本でもあったなあ、そんなことが。長男であるか、次男以下であるかが、家父長の分かれ目、財産や運命を支配する側になるか、従う側かの分かれ目だった時代が。長男は、次男三男より優れていたのか?

トマス・ジェファーソン。独立宣言の起草者。その彼が、自分の妻の異父姉妹で、黒人側だった女性と、妻亡き後に結ばれ、7人の子どもたちをもうけ、そして、生涯、彼女以外の妻も愛人も持たなかった。彼は、結婚もできないその黒人女性を愛したが、生まれた子どもたちは奴隷であり、愛することはできなかったようだ。そして、その女性も、たぶん彼の愛を試すためだけに、その地位とその土地と、祖父や父たちの世代が築き上げた祖国と、その祖国が生み出した分裂した家族にとどまり続けたのだろう。

その娘は、白人よりも白く、美しく、丈高く、青い目とウェーブする髪を持ち、賢く、才能があった。売れば5000ドルの値がつく奴隷として、豊かな白人の持ち物となれるだろうに、という兄弟たちの声を振り切り、母を初め、父やすべての血縁との物語を断ち切らなければならないことの試練を踏み越え、21歳になった時、ヴァージニアを離れて、北部へ、フィラデルフィアへ逃れる。黒人であることを隠すために、養子縁組し、家族はすべて黄熱病で死んだというにせの物語を作り上げて。

北部の奴隷制反対の白人たちが、黒人差別主義者ではないということにはつながらない。ちょっとした会話にも黒人に対する蔑視は見え隠れする。そしてまた黒人が受けてきた仕打ちを、北部の学校で、そしいて奴隷制度反対の集会で学ぶにつれて、自分の生き方の二重三重の物語が、自分自身を苦しめていく。そして、その物語の虚構に巻き込まれていく身近な家族たち。

そして南北戦争。

戦後、彼女を尋ねてきた黒人側の家族にも、彼女は自分が黒人であることを認めることができないまま、孫娘だけに真実を伝えようとする。年寄りの空想物語として信じない孫。
誰が黒人であることを悪とし、誰が逃亡黒人と結婚することを罪とし、誰が奴隷という財産を没収することを政治の過ちとして、幾多の命を巻き込む戦いを始めたのか。それらの罠から抜け出して白人として生きるために払わなければならない犠牲、虚構の重みを背負うのは、結局は人でしかない。奴隷制反対の運動を白人として行いつつ、自分が黒人であることを悟られることのないように、自分を否定しつつ生きるという虚構。

ほのめかされ、否定され、証拠の品をちらつかせ、そして証拠をつかまれないように焼きつくし、別の虚構を言い立てられ、手紙の中では符丁のように言及され、ないもののように扱われ、言いつくろわれ、言い逃れされてきた歴史をたどるのは、こんなにも大変な作業なのだ、ということだけは、確実だ。

「人は自分が不当に扱った者を、決して好きになれない。」510
不当な扱いの証人たちがことばを持ち、告発する。告発すれば好きにはなってもらえない。しかし、告発しなければ、自分はない。解説者は、著者は人種の壁を越える愛を謳っていると言うのだが。

それでも彼らは死ななかった。And they didn't die.
南アフリカの女たちの絆の物語が、耳に響く。

ダヴィンチ・コードは聖書についてのうそを書いていると上映禁止運動が起きているという。「不在のムラード」、大統領の娘を巡る論争もまた続く。
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by eric-blog | 2006-05-27 14:34 | ■週5プロジェクト06 | Comments(0)

指宿会議フィナーレ


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by eric-blog | 2006-05-26 11:14 | □研修プログラム | Comments(0)

指宿会議フィナーレ

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フィナーレでの子どもたちの「わらべ歌」発表。2ヶ月練習してきたというその声は、なんだか懐かしい路地の風景、通りの息吹を感じさせました。

なぜ、わたしたちに、長い教育期間が必要なのか。
環境の中で声やからだを育てる時期、環境を知る時期、そして環境とともに生きる道を探る時期。
それぞれの時期を大切に過ごし、積み上げてかなければ、わたしたちは国際社会の一員にはなれないんだろうなあ。

「懐かしさ」が先にたつだけでは、それは高齢化した社会であるというだけのことにしかならないね。
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by eric-blog | 2006-05-26 11:11 | □研修プログラム | Comments(0)

指宿の

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アコウ

300年の歴史を見てきたアコウの木の移植物語。
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by eric-blog | 2006-05-25 10:30 | □研修プログラム | Comments(0)

日本という国

133-2(642) 日本という国、小熊英二、理論社、2006年

『単一民族の神話』『民主と愛国』などの著作がある。両方ともに激厚本。
この本は、読み仮名をしっかりとふってある中学生以上の読者を対象にしたもの。

まずは明治時代に福沢諭吉が言ったこととしてよく引用される「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず」という、あたかも平等礼賛のように文言について、その後に続けて、「賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとに由て出来るものなり」と学問を勧めており、学歴社会の先鞭をつけているのだというイントロ。14

もちろん、学問は西洋であり、日本は脱亜入欧しなければならない。そして身分制度と一体だった寺子屋から近代学校制度へと変化していく時に、学歴による収入格差が、いまの感覚で言うと小学校の先生になれば初任給60万円、中等学校150-300万円。67
明治時代の学歴社会の描写から、明治中期に至って「国に尽くさせる」教育へ。72

そして戦後になって、日本が講和条約などによってアジア各国と国交を結んでいくにあたって、賠償責任をどのように扱ってきたかが述べられている。

中国は、「東京裁判で裁かれたA級戦犯が軍国主義のリーダーであり、そして、軍国主義に苦しめられたのは日本の人民も同じだ。だから、戦犯は憎むが、日本国民は憎まない」として毛沢東は中国の人々を説得した。賠償を求めるのは,罪無き日本国民を苦しめるだけだと、賠償を放棄。
その日本国民が靖国神社にA級戦犯を合祀し、首相が参るとなれば、それは国交を回復したときの条件違反でしょと。156-157

また、国家間の賠償請求と国民個人からの賠償請求権についても、日本政府は、ソ連の抑留について、両者は別だという見解も出している。155 がもちろん、アジア諸国からの逆の訴えは、賠償については決着済みと言う。

冷戦の終結後、軍縮が進行しつつある国際社会で、防衛予算を拡大している日本。
最大の「思いやり予算」を出している日本。

世界最大の軍事国家USAと、世界第二位の軍事国家日本が、歯止め無く武装していく現在とは、どのような時代なのだろうか。

ノエル・ペリンが「進出するには小さすぎ、侵略するには大きすぎる」と指摘した地政学的地位にある日本。特に冷戦後には仮想敵国など想定することもできない日本。

リアリスティックな自己認識と、それにもとづいた外交をしたいものだ。
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by eric-blog | 2006-05-23 20:36 | ■週5プロジェクト06 | Comments(0)

何がアメリカを衰退させたか

133-1(641) 何がアメリカを衰退させたか
ジョン・シルバー、イースト・プレス、1993

「哲学者が見た」と副題にあるが、著者は、アメリカの病の分析だけでなく、大学での教授経験から、公立学校の改革の必要性と可能性を述べている。

1970年代、アメリカの大学も席巻した学生運動やアンチアカデミックの言論についての「大学を汚染するもの」Poisoning the wells of Academicは1974年に書かれたものである。

たぶん1920年代生まれであろう著者の視線はおもしろい。
マザーグースなどの格言を使った「文字練習帳」の意義、そして教育の課題として
・家庭の崩壊
・教師に対する敬意の喪失
・道徳を重んじる教育の欠如
・二ヶ国語教育の誤り
・金銭で問題が解決できるという考え方
をあげている。34

著者が言う「英語以外の言語を話す人々にその母国語での教育にコストをかけるのは不可能である」59というのはいまや反論されてしまうものだと思う。
マザーグースや聖書、格言などの文章に触れることが初期の読み書き能力の育成に役立つというのは疑わしい。
60-70年代にかけて、大学の権威が挑戦された時の対応に問題があったというのも、ではどうすればよかったのかという点で、復古主義的にすぎると思う。213

しかし、それらの時代背景を読み取るためにも、それらの時代背景がある中で、次への提言を積極的に行い、未来の世代に期待をつないでいる姿勢に、引かれるところは多い。

訳者は、たぶん著者と同年代であろう鵜川昇氏、教育畑の人である。
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by eric-blog | 2006-05-22 21:27 | ■週5プロジェクト06 | Comments(0)