<   2006年 03月 ( 44 )   > この月の画像一覧

再帰的近代化 近現代における政治、伝統、美的原理

128-7(619) 再帰的近代化 近現代における政治、伝統、美的原理
ウルリッヒ・ベック、アンソニー・ギデンズ、スコット・ラッシュ、而立書房、1997
Reflexive Modernization Politics, tradition and aesthetics in the modern social order
Ulrich Beck, Anthony Giddens and Scott Lash, 1994

三人がそれぞれに書いて、合わせてみたら、おもしろい一冊になったというものだ。

何がわかったかといえる本ではなく、いま読んでいる『愛と憂鬱の生まれる場所』という脳生理学の本ほどには、社会哲学の本は勇気付けにはつながらないなあ、という印象が強まっただけ。ただ、ベックの近代の近代化というのは、よくわかった。その後の政治の再創造がよくわからなかったのだけれど。

引用文ばかりで、しかも長いです。

あ「なるほど、reflectiveとreflexiveをどのように使い分けているのかと不思議に思っていたのだが、そういうことなのか。」省察と再帰の違いがわかりました。はい。

**********************************************

----------------------1 政治の再創造-------------------------------
ウルリッヒ・ベック

「再帰的近代化」は工業社会というひとつの時代全体の、創造的(自己)破壊の可能性を意味している。11

モダニティの徹底、近代の近代化
社会のある時代から別の時代への移行が、政治的意思決定のための討論や意見対立、党派色の強い論争を一切回避したまま、意図しなかったかたちで非政治的に生じていく 13

社会変動につながる潜在性と内在性
《望まれたもの》+《よく目にするもの》=《新たなモダニティ》

再帰的近代化は、社会全体に不安が際限なく浸透し、またあらゆる領域で同じように派閥闘争が際限なくつづくことを暗に意味している。...それ自体の力で意図しない正反対の帰結をもたらしていく。...狭い意味でのリスク社会の葛藤ダイナミズムが重なっていく  15
リスク社会は...自立した近代化過程の連続のなかに出現していく。17

近代化の基盤を近代化の帰結と対決させる再帰性を、近代化における知識の増大や科学原理の適用という自己省察と区別する。18

なるほど、reflectiveとreflexiveをどのように使い分けているのかと不思議に思っていたのだが、そういうことなのか。

「財」の配分を巡る対立に、「負の財」の配分を巡る対立が、リスク社会には覆いかぶさっている。財の生産にともなうリスク、原子力や化学関連の巨大技術、遺伝子研究、環境に対する脅威、過剰な軍備拡大、西側工業社会以外での窮乏化の進行をどのように配分し、阻止し、管理し、正当化しうるのかをめぐっての対立。18
これから生ずる脅威が五感でとらえられないだけでなく、われわれの想像力を超えるものであること、つまり化学によっては確定できない。19

近代工業社会が依存してきた自然資源や文化資源が枯渇し、集合的な、集団に固有な意味供給源が解体しはじめている。...結果的にすべての意思決定作業を個人に委ねるようになる。20

封建的な、宗教による超越論的な確実性から工業社会へ、工業社会から地球規模のリスク社会へ。..今日人々は、多岐に及ぶ、互いに矛盾する場合もある、地球規模のリスクや個人的リスクとともに生きることを求められているのである。 20
不平等は拡大しているが、..社会におけるその中心的位置づけを失っている。さらには自我でさえも、もはや自明な自分ではなくなり、自己を語る矛盾だらけの言説へと断片化している。人々は、今日、近現代社会の複合性のために、確かな、信頼できる根拠にもとづいて必要な意思決定をおこなうことなしに、つまり、生じうる帰結を考慮せずに、こうした「リスクをともなう好機」を自分のものにするよう求められている。21

リスク社会においては、科学技術や工業の発達が引き起こす脅威の予見不可能性の認識は、社会的凝集性の基盤に対する自己省察と、世間一般の通念と「合理性」の基盤に対する検討、吟味を余儀なくしている。...社会は、その社会そのものにとって主題となり課題となっていくのである。22

リスクは限りなく増殖するが、...何をしてはいけないかを教えるが、何をしらたよいかを教えてくれない。24
予測しえない、責任を負えない帰結が生ずることを考慮にいれて、意思決定のための、妥当性のある利害関係のための、批判のための、規則や基盤を新たに確立し直すこと。...社会発達の再帰性と統制不可能性は、地域や階級、民族、政治、科学などの管轄範囲や境界を壊しながら、個々のサブ領域を侵食していく。 ...リスク社会はまた、その趨勢からして自己批判社会でもある。 26
人は決定的解決策を求めることもできずに、...永久に意思決定をいかざるを得ない。誰が、なぜ、どのように生き、行為し、またそうした生き方や行為の仕方を学ぶことができるのか、あるいはなぜそうできないのかが、逆に今の時代の人の生活歴や政治の最重要問題になっているのである。 28

人は個人化することを運命づけられているのである。...結婚や家族に関する伝統でさえも、個人の意思決定に依拠しはじめており、人々はこうした矛盾をすべて個人的なリスクとして経験せざるを得なくなっているのである。33
自分がどんな人間であったのか、今はどんな人間か、何を考え、あるいは何を行うのかが、その人の一個人としての存在性を組成しているのである。33

自作自演の生活歴、再帰的生活歴

意思決定ではあるが...自由な意思決定ではなく、ジレンマを引き起こすモデルのもとで、他の人によって強制され、自分自身をむりやり奪われた意思決定である。35

「一義的」モダニティと「両義的」モダニティという、二つの異なる時代に属する対立や権力闘争、手段、活動の舞台から構成される、混沌とした世界である。36

「何でもあり」であり「もう何も起こらない」

工業と政治、科学、住民の間でコンセンサスを作り出すための協力関係の枠組みとそのための討論の場が求められている。58

専門知識の独占排除、情報開示、意思決定構造の公開、部分的周知性、

-----------------2 ポスト伝統社会に生きること--------------------------------

地球と個人の行為が緊密であるために、両者の間に介在する、国家を含めたあらゆる種類の集合体や集群は、消滅してはいかないが、明らかに再編成されるか、作り変えられていく。109
知識ゆえに、開かれた、偶然性の高い世界になってきている。110

伝統はすべて規範性なり道徳性を内包しており、したがってそうした意味内容は、伝統に拘束力という特性をもたらしている。...伝統は、伝統の有す道徳性が伝統に固執する人々に何らかの生きていく上での安心感をもたらすゆえに、現実に保持するような影響力をもつことが可能であると推測できる。伝統の心的支えになっているのは、情緒的なものである。124

伝統は...状況依存的で...「内部のもの」と「他者」の区別と排他性を持ち、...アイデンティティの媒体である。...アイデンティテぃとは、時間を超えた恒常性の創出...一人ひとりのアイデンティティとより広い社会的アイデンティティとの結びつきの維持は、すべての社会で、生きる上での安心感の最も重要な必要条件である。151

182
人類学は、分類学的人類学「非欧米文化の伝統が有す異質性は踏みにじっていくべき外部環境についての学問」として始まり、「消滅し始めている世界の記録者であり、またある意味でその消滅の原因」となった。

伝統は擁護されるか、原理主義になるかである。188
地域的慣習は《過去の名残り》か、あるいは《習癖》個人的な型にはまった行いになっている。189
型にはまった行いは、...生の連続性にたいする構造化媒体となっているため、生きる上での安心感にとって重要である。190

過去の名残りとは、決して発達していかない過去の、あるいは、少なくとも現在との因果関係がその過去の名残りにアイデンティティをもたらす重要な要素ではない過去の、記号表現である。...差異の記号表現として存在すること192

理路整然とした言説で正当化されるときのみ、存続することができる 196
ポスト伝統的対人関係は、...このような言説のための空間が創り出され、維持されていかなければ、存続していくことができない。198
関係の解消。対話が限界に達した場合に生じる暴力。
「不確定な空間」というグローバル社会。社会的きずなを、過去から受け継いできたものでなく、むしろ望ましい結果が得られるように《つくり出して》いかねばならない社会である。...《権威》の面では分権化され...対人関係の分野では、他者に心を開くことは、社会的連帯の条件である。...地球規模のコスモポリタン的秩序のなかで「友好の手」を差し伸べあうことは、...倫理的意味を内包している。200
個人生活における「感情の民主制」から、グローバル秩序にまで広がる「対話型民主制」の実現可能性。200

-----------------------
以下、ギデンズの「応答」部分から。

原理主義は「他者など誰一人存在しない」世界のなかで、異邦人を悪魔と見なしていく。しかし、原理主義はときとして危険な存在になるとはいえ、モダニティとの対話として、テクノロジーによる決定に還元できない行為領域や価値の領域が倫理的に乾ききっている状態を深刻に受け止めている主張でもある。346



ラッシュについては、また別の機会にしたい。ああああ、今日は原稿書きをするつもりだったのに、
1. 二日酔い
2. ガイアの夜明けが「名医を育てろ!」をやっていたのが、「名教師を育てろ」だとどうなるかと思って興味をひかれて見だした
3. 見ている間に、本の紹介の文章の入力ぐらいはできるだろうと思って、この本を選んだ
4. 今日の気分にあっている文章に出会った。
5. 紹介するなら、マジに、と思って引きずった。

「名医..」のよかったところは、「病気を見るのではなく、人間全体を見ることができるように」訓練するための「スーパーローテーション」という方法を取り入れている病院があるということと、「愛する家族を見るつもりで」診療することだという日野原重明さんのことば。
日野原さんは、「医者はことばが大事だから」ということと、「シ」ではなく「ラ」の音で話すことの大切さを言っていたなあ。
[PR]
by eric-blog | 2006-03-31 14:14 | ■週5プロジェクト05 | Comments(0)

戦争を知るための平和学入門

128-6(618) 戦争を知るための平和学入門
高柳先男、筑摩書房ちくまプリマーブックス138、2000

日本平和学会会長であった著者が中央大学で講義した内容がまとめられたもの。1999年7月15日に亡くなられた後、佐々木寛さんらが加筆監修。
平易な口調で読みやすい。

平和学の目標を暴力の極小、社会的公正の極大という方向を目指しながらも、ユートピアを描くことではなく、現実的に「研究」すること、現実的な学問をすることだと、言う。講義からは、彼の実践学に対する思いと、その学を選んだ気持ちが伝わってくる。

「戦争の原因を、多くの学問を応用してつきとめ、平和の諸条件を探求する学問」
そして、政治学や法律学社会学などさまざまな分野の共同研究から、一人の人の多学応用的学問へ 12

これは、高谷さんの地域研究へのアプローチに似ているね。

平和についてのキーワードとして「信頼醸成」を調べたくて検索したらこの本がひっかかってきたのだけれど、あまり言及がなかったのが残念。

構造的暴力

不正義というキリスト教的観念と、不殺生、非暴力を唱えたガンジーの非暴力主義

サブシステンス、これって「風土」のような感じがするけれど、その土地にふさわしい生活の仕方。26

自己実現の機会の在 27

囚人のジレンマ と 信頼醸成

軍需産業で働いている人、アメリカで350万人、旧ソ連500万人、フランス80万人。53

兵器の移転メカニズム

アイデンティティを巡る紛争

外からの開発、下からの開発
ODAについての評価

平和について研究するという時の「対語」軸
[PR]
by eric-blog | 2006-03-30 09:15 | ■週5プロジェクト05 | Comments(0)

学校でこそできることは、なんだろうか

128-5(617) 学校でこそできることは、なんだろうか
里美実、太郎次郎社エディタス、2005

『学問のすすめ』は実は能力主義宣言だった。
学問のあるなしで、学問をすることのできる能力のあるなしで、貧富と身分の格差が
できるのだ、と。いわゆるメリトクラシーの考え方だが、封建的身分固定社会から近
代個人主義の導入にあたる時期においては、輝きを放ったこの「学問の機会の平等主
義」。011

いま、わたしたちは教育が格差を助長する時代に生きている。

一方で、フレイレが「預金型」「問題提起型」と定義した前者に当る「情報蓄積型」
「同化吸収型」学習への依然としての偏重が、「学習の個別化」「能率化」から学校
の解体へと向っているという。052

ERICが「参加型」にこだわっているのは、互いの学び合いや協力による問題解決など
であることがこの間のBQOEを求めるTEST教育力向上講座において明らかにされてきて
いる。だからこそ、「学校教育」が変わらなければならないという思いは同じだ。

管理教育と学力競争が、人間を非人間化する社会に適応する人間を作り出している。
088
文化が人間を疎外する097

・自閉的な子ども
・集中力の欠除
・勉強への不安と逃避
というような傾向に対する学校の反応も広がっている。108

「知識とよぶに値する知識、確実に何かに到達する知性の訓練は、社会生活の諸活動
にしたしく積極的に参加することによってのみ得られる」
そういう仕方で知識を作り出していく、その経験が民主主義社会の「市民」を育てる
学校をコミュニティのほう芽たらしめる
共同体の文化的実践への参加のプロセス
デューイの問題意識202

203-204
1. 構成的な諸活動が学習の基本、活動型、参加型、獲得型
2. 経験の知的拡大と、直接的な経験を越えた人類の長く遠いいとなみに視野を拡大
することが学校教育固有の仕事
3. 社会とのかかわり、他者との協働、社会連帯の絆を育てる

そうなんだよ、デューイは読んでいるのだ。しかし、それだけでは、いまの学校に入っ
ていって、実践を紡ぎ出せる力にはなっていなかったと思うんだよね。

これらの努力の集積、改革的改革の上に、学校教育は構造的な変革を遂げることがで
きるのだろうか。

もうひとつの学校づくりにも関わっている著者であるだけに、この本は、わたしにとっ
ては、とても残念な内容だった。

そう、学校でこそできることは、すでにデューイが言っていたことなんですよね。

【参考文献】
エヴァレット・ライマー『学校は死んでいる』
馬場宏二『教育危機の経済学』
デューイ『学校と社会』

------New Year's Resolution '06!------
・at ERIC研修の充実
・GAPの完成を目指した温泉合宿
・リソース室in Osaka開設
・『レッツ・コミュニケート!』を広げる
・『いっしょにすすめよう! BQOE』の執筆
---------------------------------------
[PR]
by eric-blog | 2006-03-30 09:13 | ■週5プロジェクト05 | Comments(0)

開発援助か社会運動か

128-4(616) 開発援助か社会運動か
定松栄一、コモンズ、2002、2004二刷

1961年生まれ、やっぱり文字化された世代だね。シャプラニールがバングラデッシュ以外の国に支援を広げようとするときに選ばれたネパールの初代駐在員となった人だ。

カマイヤという一年単位の契約農業労働者、と書くと、契約社員のような存在に聞こえるが、小作ですらなく、地主に対して債務を負った労働者だと言えば、どうだろう。その彼らが、土地の権利を求めて政治的な運動をする時、外国NGOはどのような支援をすることができるのだろうか。

それが定松さんが「住民主体の開発」を追及する中で直面した課題だ。

シャプラニールの立場は「政治的中立」。16年間の援助団体勤務を経て、日本に帰国中だった定松さんに飛び込んできた2000年7月、カマイヤ解放の報がネパールから届く。解放と言っても「債務取り消し」、いわば日本の徳政令であっただけで、何ら根本的な構造革命ではない。そのために、これまでの地主との契約関係を打ち切られ、そして土地からも追い出される事態が発生する。

再定住用土地、雇用の保証、最低賃金の保証。

これらの条件を獲得していくための政治的な運動を進めなければならないカマイヤたちにとって、開発援助団体とはどのような存在であるのか。彼らの側も、NGOとは何ができる存在かを考えることによって、「援助」のあり方の「すり合わせ」をしていた。それをシャプラニールが勝手に「住民主体の開発」と名づけていただけではないか、と定松さんは思い当たる。NGOが求めるような「主体」とならなければ、援助の対象とならない。

貧困は、政治的・構造的な要因の帰結である。

次は日本こそをフィールドとしてとの思いで1999年に帰国した彼は、いままたセーブザチルドレンジャパンネパール事務所長として彼の地にあるという。

文字化された世代の「概念」による思い込みの激しさは、しんどいなあ。
とはいえ、「書く側」であることを引き受けざるを得ないのだろうけれど。

日赤職員としてのエチオピアでの2年間
イギリスの大学に留学して、フレイレの成人教育の手法に出会った一年間
シャプラニールの8年間

分析する側、知ろうとする側、記録する側、概念を持ち込む側、援助する側として見られ、観察され、測られている人々の存在は、途上国の政治状況にとって、どのような意味があるのだろうか。

開発援助は、もはや先進国が避けて通ることのできない交流、共生の形の一つなのである。
[PR]
by eric-blog | 2006-03-29 10:28 | ■週5プロジェクト05 | Comments(0)

世の中を変えて生きる

最初読んだ時は、トレーニングや教育の部分ばかり読んでいたのですが、今回は、24
ページまでの社会経済政治的分析の部分までに惹かれて読みました。

------------------------

128-3(615) 世の中を変えて生きる
バージニア・クーパー、その他、嵯峨野書院、2000
Resource Manual for a Living Revolution, 1977, 1981, 1985

「世界中のどんな理論もトレーニングも、それが日々の生活の中で具体的な行動に結
びつかなけれど、実際には役に立たない」
序文より

この本の完成に5年以上かかった、と著者らは序文で言う。1972年に始められたプロ
ジェクト。きっかけは、1960年代の人種差別撤廃、ベトナム戦争反対などの運動から
社会変革の運動そのものに広がり、そしてトレーニングや教育の必要を感じ始めたか
らだという。そのころから、わたしたちは「わたしたちは変わらなければならない」
という国際的な合意の形成と行動計画づくりに取りかかり始めている。本当に。

それから30年たって、日本にこの本は紹介された。

トレーニングの部分、そしてチーム・ビルディングの部分は、すでに他の文献などが
あるので、今回は「理論化」の部分を取り上げてみたい。
社会変革を漠然と共有はしているが、組織におけるビジョン、ミッション、アクショ
ンの共有の方法論は実践してきたが、そもそも社会変革がなぜ必要なのかについての
合意形成から始めたり、どうしたいのかを考えるというのは比較的に少なかったよう
に思うからだ。
1960年代を見、70年代を経験し、80年代に市民運動に取りくみ、90年代にNPOを設立
してきた人々は、ついつい、その変化を自明のものとして考えてしまう。「だか
らNPOなんだ。だから市民活動なんだ。だから社会主義革命ではなく、ていねいに改
革していくことなんだ」と思っているけれども、若い世代から見れば、それは生温い
のかもしれないし、また、変革すべきほどの問題はないと思えるのかもしれない。
変革のための教科書をと考えた場合、この本のようなものを書くのだろうか?

■1 社会を変えていくための理論

・人間の性質を考慮する
・権力を理解する
・権威や真理を理解する
・社会問題の原因
・社会を変えていくための個人と組織の役割
・変えるのは可能か、そしてビジョンは
・変化のしくみと変化の可能性

1. 理論を書き表わす
これらの観点について、自分自身にとって重要かどうか、自分の考えの柔軟性などを
振り返ってみる。グループで検討する。

2. 実際のプロジェクトやキャンペーンから、その背景となる理論を学ぶ

・活動の器粗にある理論
・行動の理論との整合性
・理論の柔軟性
・理論の変更と発展
・理論の行動への影響

3. 理論と行動の統一

・参加してみる
・話してみる
・観察してみる
・理論と行動を結び付ける
・ネクスト・ステップのために集中的に考えてみる

4. 行動理論としての非暴力を深く学ぶ

・対立を避けない
・非暴力行動についての本を読む
・組織や制度の力の有益な点、有害な点を知る。
・傷つけない、報復しない
・対立する相手に対する敵意を取り除く
・開放的であること
・行動の最終目標はプロセスの中にもある。
・不正を取り除くには時間とエネルギーが必要
・生態学的環境は、「いのち」のもと
・社会を変えていく活動が人々の自発的行動に支えられてこそ持続することができる。


■2 政治・経済学の分析

・有限性
・汚染
・戦争
・富の遍在
・海外援助、海外投資
・差別抑圧と経済との関係

1. 分析するために文献を読む

2. 分野や課題を絞る

■3 新しい社会のビジョン

1. ビジョンを作り上げるセミナーを開催する
2. 別の社会を訪れたり、それについて勉強する
3. 具体的課題についてビジョンを描く

■4 戦略を作り上げる


◆◆◆BQOEガイドライン◆◆◆

・教育的人材育成のための2年間相当の教育課程を修了したと認められる人材を採用
する
・一人ひとりの学習者の視点から、責任あるコーディネーション、マネジメントを行

・教育目標、教育内容、教育方法に応じた適正な学級人数を実現する
・学び続ける組織の5原則を実践する【チーム学習、自己習熟、ビジョンの共有、自
己イメージの変革、システム思考】
・学習環境をすべての人のBQOLの観点から整える
・専門性、学際性、地域性、市民性、国際性などの観点から多様なリソースに対して
オープンな体質をつくる
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
[PR]
by eric-blog | 2006-03-29 08:50 | ■週5プロジェクト05 | Comments(0)

コーヒー、カカオ、コメ、綿花、コショウの暗黒物語

128-2(614) コーヒー、カカオ、コメ、綿花、コショウの暗黒物語 生産者を死にお
いやるグローバル経済
ジャン=ピエール・ボリス、作品社、2005

『環境教育指導者育成マニュアル』で取り上げた国際貿易の事例は、魚、エビ、綿花
の背景だった。1996年に出された『貿易の罠』から事例を取り上げた。
そのとき、挙げた特徴は3つだった。資源の過剰開発を強いる、自給自足が崩される、
国際市場価格に翻弄される。

2005年に書かれたこの本が描き出している現実は、より複雑な、1990年代に起こった
ことどもを、5つの産品について描き出している。

経済自由化、規制緩和、民営化は、経済基盤がしっかりしていない、行政機関が充実
していない、農民の組織化がすすんでいない地域においては、危機的状況を招いてい
る。...多国籍企業、国際金融機関だけに問題があるのではない。生産国側の能力不
足、背任行為、当事者の怠慢、国や地方レベルでの結束力欠除も、深刻だ。(序文よ
り)

わたしたちは、ともすると経済が生産や消費、需要と供給、流通とストック、投資と
配分の関数であることを忘れがちだ。そして生産と消費とは、土地と人に結びついた
ものであるのに対して、流通、投資はグローバル化することが容易なものだし、いつ
でも方向転換可能なものだ。
ローカルなシステムとグローバルなシステムは、どのように整合できるのだろうか。
ローカルな現実は1年単位でひからびていくのに、グローバルな現実は瞬間瞬間居場
所とボリュームを変えながら、その自由さの故に生き延びる。

なぜ、石油や、鋼業や自動車産業ではなく、コーヒー、カカオ、コメ、綿花、コショ
ウなのか。なぜ途上国の第一次産業なのか。
・労働集約的に取り組める
・高度な技術がいらない
・生産から消費までの段階が単純

著者はグローバリゼーションによる生産者の窮状を打開するために始まったフェアト
レードにも問題があると指摘する。公的資金や善意の投資、高い価格を支払ってくれ
る消費者という構造は、いまの経済にとって変わるものにはなりえないからだ。

著者が批判しているヨーッパ型フェアトレードというのは、フェアトレード認証制度
によるものだ。フェアトレード団体は、生産において、人権侵害や環境破壊のないこ
とを審査し、認証する。いまやほとんどの大手スーパーがなんらかの認証を受けるに
まで至っているという。



----------------------
角田 尚子
(特活)ERIC国際理解教育センター
eric1@try-net.or.jp
http://ericweblog.exblog.jp/
ブログで週5紹介中! 来てね!
----------------------
[PR]
by eric-blog | 2006-03-28 08:30 | ■週5プロジェクト05 | Comments(0)

TEST'06 in 東京

a0036168_1241516.jpg


3月25-26日に、ERIC事務所での教育力向上講座に集ったメンバーです!
写してくれた磯部さんが、写っていないのが残念!
参加型に習熟し、実践していくことが、なぜBQOEにつながるのか、その根本を共有できたのではないかと思います。
[PR]
by eric-blog | 2006-03-27 12:04 | □研修プログラム | Comments(0)

女たちの絆

128-1(613) 女たちの絆
ドゥルシラ・コーネル、みすず書房、2005
between women and generations, legacies of dignity, drucilla cornell, 2002

感情としての尊敬を、世代を超えて、国境を越えて、そして人種の壁を越えて、女たちに払えるようになること。尊敬がそれぞれの尊厳の源であること。彼女に「イマジナリー・ドメイン」精神的道徳的領域における自由と自己決定を認めること。

"アメリカ合衆国"という人類史上の壮大な実験は、いったい人間の諸相について、何を見せてくるのだろうか。いつも驚きを禁じえない。Peggy Mcintoshの「属性の有利、不利」を教えてくれたのは森実さんだが、コーネルは、パラグアイから子どもを養子縁組したがゆえに、そして家庭内労働者に、米国の多くの有職女性たちが支援を受けているだけに、人種の壁を実感せざるを得ない。不断の意思決定。

ディアスポラ国境離散民、クイアという育ち方、異種混交、混血、異人種間の養子縁組

そのような状況を、それぞれが語り、語ったことばによって生じる新たな現実を批判し、脱構築し、また語る多様な主体を生み出し続けている"アメリカ合衆国"という現実。

資本主義経済とグローバリゼーションの果てに、
いまも女性差別的な社会の中で
不平等を生き抜く女性たちの
生き延びるための妥協の故に
彼女たちに対する「尊敬」を
失ってはならない。
彼女たちの
イマジナリー領域を含めた
尊厳を付与する尊敬の力が
フェミニストの証しなのだ。

1970年代スタンフォード大学の学生活動家であった彼女は、大学をやめて1976年まで組合活動にいた。
この本の中でも、ユニティという家庭内労働者の組合に所属している女たちへのインタビューが含まれている。

祖母は早くに連れ合いを亡くした成功した印刷会社の経営者、母は専業主婦。

娘の彼女は、フェミニスト。

なんと、世代の様相が彼我において似ていることか。

「女性」という庇護が確立していなかった時代、「生きのびる」ことが誰にとっても混沌であった時代から、「女性」が専業主婦という地位を得て、地位に縛られて、社会性を限定された時代へ。

そのような「発展的」なハーストーリーが紡がれる一方で、
不法在留
非合法移民
不平等な労働条件
は広がる。
Nobody is Illegal!

近代法と国民国家が生み出した「不法な」存在。マスやカテゴリーで語られるのではない人を取り戻すこと。人としての尊厳を求めるハーストーリーは続く。

尊厳
尊敬
紡ぎ


それぞれどんな英語なのだろうか。
[PR]
by eric-blog | 2006-03-27 12:04 | ■週5プロジェクト05 | Comments(0)

地域研究から自分学へ

127-6(612) 地域研究から自分学へ
高谷好一、京都大学学術出版会、2006

北区滝野川西図書館は、滝野川西センターの5階にある。2階がリサイクルセンターで、大学なんかで教える時の、ちょっとよそいきの服なんかはここで買う。季節のものを時期時期にちゃんと出してくれているので大変助かる。
図書館は入った右手の棚は特集と新着が棚面陳されている。芋づる式かつ目的的に出会うのではない本との出合いが時々ある。この本もそれ。服も本も思いもかけなかったものに出会う場所なのである。

京都大学東南アジア研究センター設立1965年当時からの研究スタッフ。1995年までの30年間、エリアスタディー地域研究という新しい学問分野を立ち上げ、育ててきた人の研究の成果と1995年から2004年滋賀県立大学で直面した自分学、自分の学問がうそでなかったことを証明するための自己改造。そんな二部構成だ。

地域研究は多面的、学際的なアプローチを必要とする学問だ。高谷さんは、それを学際的なチームでやるのでは限界がある。地域研究者が学際的にアプローチできる力量を自ら育てていくことが大事なのだという。

地域研究を学問として育てるためにさまざまな研究方法、手法、ツールを試して来られたそうだが、「見えないものを見る」ことができるようになるための修練はちょっとおかしい。ぷぷぷ。
「桜を見ていると魂があくがれ出る」ということを試すために、花見をするのだ。酩酊したぐらいがいいらしい。修練の結果、自分の感覚、人には見えないもの、木との関係性のようなものの気配は得られるようになったらしい。しかし、たぶん、東南アジアで、人々が共通して見ているものの境地には至っていないようだ。個人主義の学問を長年やって、そのようなからだを作ってしまった人には、かなり高いハードルなんだろうなあ。

いい加減なように見えていて、努力家なのである。

「自分のやってきた専門の研究というのがいかに意味のないものだったのかが、...はっきりとわかった。学会で生き延びていくだけのためにせっせと論文を書いてきた。...大学をやめたら...本当の仕事をするつもりだ」146
というような人が大学の同僚に増えているのだそうだ。世の中変わってきたと思うのだそうである。

高谷さんの地域研究のキーワードは「世界単位」である。(これぐらいは紹介しておかないと)unit worldと矢野暢さんが命名し、景観、内世界などの考え方にも呼応する。
世界単位には三種類のでき方があって、生態適応型とネットワーク型、大文明型。100-104
もともとが地質学の高谷さんは、「自形」と「他形」という概念で説明する。自形というのは花崗岩の中にある大きな結晶だ。他形というのはその間を埋める石英だ。図と地のようなものか。
生態適応型の微小な自形と大文明型の巨大な自形、そして他形のネットワーク型という異なった世界単位が、地球世界では共生しているのだそうだ。

世界というものが、あるまとまりを示していることばだというのは、わたしにとっては発見だ。界 なんだね。わたしの世界とかが成り立つことばなんだということを再認識した。今後、このことばの使い方を変えたいと思う。

高谷さんはアフリカは大陸で東南アジアは海だ、ともいう。中東の岸に、インドやインドネシアから、人々が飄々と渡って来るのだという。海の民のお話は、高谷さんが滋賀のふるさと守山市下乃郷遺跡について、弥生海民説としてつながっている。これについてのお話は、まだ途上だそうだ。

二人の湖国
もっと嘘を

この二冊を、読んでみたくなった。
[PR]
by eric-blog | 2006-03-24 10:17 | ■週5プロジェクト05 | Comments(0)

Power With 4

Power With 4

大人にとって「Power With」にはどのような課題があるのでしょうか。
成人するというのは、職業を持つ、社会的役割を果たすようになるということに他な
りません。資格社会ということで、資格をとっていれば一人前というような、非常に
短期促成的な専門家ができあがったり、マニュアルをこなせればできるような職業も
あったりと、いま、職業的社会化は多様になっています。
同時にわたしたちが職業を通して「持続可能な社会」や「持続可能な開発」に関わっ
ていることも事実です。
つまり、わたしたちには職業の社会化という課題もあるのです。*1
現場における職業的社会化は、先輩や上司からの指導などによるものだと考えられま
すが、人類共通の課題についての問題提起を受け止めた世代は、これまで通りを継承
していくことは、問題の温存にしかならない、従って職業的社会化の諸段階において、
異義申し立てを行うことも伴ってしまうでしょう。
まるで、「反抗期」の長期化のように見える現象があって当然なのではないでしょう
か。問題提起をし、それを受け止め共に問題解決に協力する。そのような組織がより
よく生き延びるのだという研究もあります。*2
常に、自分たちを検討・研究し、変革していくことができる力、それがPower Withに
求められるエンパワーメントです。
日本において、非政府組織が法人格を取得できるようになったのは1990年代も終わり
ですが、それは市民社会組織というセクターへの認知が高まったということです。
NPOやNGO、CSOやCBOなど、行政や企業以外の働き方、職業的社会化ルートが、選択肢
として拡大したとも言えるでしょう。それらの組織は社会の市民社会化を進めると同
時にNPOにおける「市民」の職業化という側面も持っています。職業化された市民が、
再び社会運動としての市民活動組織として自己を再発見するというようなことも起こ
ります。*3
NPO職員のサラリーマン化などという一般化ができるほど、まだまだ有給職員は多く
はありませんが、今後も課題となる事柄ではあるでしょう。
正社員としての雇用が少なくなっているいまだからこそ、「本物だと思えるものを追
求する」「世界を変えることではなく、自分の世界を変える」そんな、職業の人間化
とも言うべき現実をわたしたちは手にすることができるのではないでしょうか。


ポスト近代に生きるということは、絶えまざる自省、自己認識、自己改革のプロセス
にあるということです。学び続ける仲間を維持すること、学び続ける組織に組織を変
革していくこと、そして常に学び続ける自分をそこに発見すること、それがPower
Withの根源なのです。
そのためにも、わたしたちはもっとも基礎的な力として「学ぶ」ことに肯定的に、集
中して取り組める条件づけを、学齢期に行っておく必要があるのです。学ぶことは、
人生を楽しむためにあるのです。

Quality of LifeはQuality of Learningにかかっているのです。

【注・参考文献】
*1
Professional Socialization
Socialization of the Profession
あるいは職業の人間化と呼びたいところです。
*2
The Fifth Discipline, Peter Senge,
*3
開発援助か社会運動か、定松栄一、コモンズ、2002


-- あっ、そうなんだあ --

小人は私利私欲に走り
中人は党利党略を練り
大人は国威国益を計り
公人は公理公路を拓く

-------------------------
何も考えず、何も思わない人は、
郷入郷従する。
--------------------------
[PR]
by eric-blog | 2006-03-24 09:25 | ☆よりよい質の教育へBQOE | Comments(0)