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どくふれん/人間万事塞翁が馬

111-2(519) どくふれん 元祖「シングル」を生きた女たち
古庄弘枝、ジュリアン、2005
111-3(520) 人間万事塞翁が馬
大原一三、宮日文化情報センター、2005

独身婦人連盟、1967年設立、2003年全国組織としては活動停止。創設者大久保さわ子さん。1926年生まれ。

合わせて、『人間万事塞翁が馬』という大原一三さんの本も読んでいた。大原さんは、この間紹介した小水力利用推進協議会の会長を引き受けてくれていた人。この本は、彼の自伝で、宮崎日日新聞に151日間連載されたものをまとめたもの。彼も1924年生まれ。この本の脱稿が8月、つい先ごろお亡くなりになった。(111-3(520)、宮日文化情報センター)

時代を作ってきた人々であり、また、時代に翻弄された人々でもある。


両方とも、安定した職をけって政治家に転身したところが似ている。一方は県議会議員、一方は農林大臣まで務めたのだから、男女の差別は大きいか。

いや、そんなことよりも、「男たちが必死で男性社会を守ろうとしている」ように見えた戦後の日本企業は、いまどんなところにあるのだろうか、が気になる。

大原は言う、日本がこの100年の間に起こしえた奇跡は「集団主義」「勤勉さ」「貯蓄欲とその投資」「教育」「官民協調」が支えたのだと。258

一方、どくふれんを読むと、活かされない女性たちの力があったこと、しかし、その企業や国家に吸い上げられない力が、自分たちの自助努力としてさまざまなサービスや支えあう生き方という形をとって花開いたことが読み取れる。

世界の表舞台を動かした「男たちのドラマ」の核にいた人と、悪条件を生き抜いてきた「女たちのドラマ」いずれにも共通するのが、なんだか知らないが「パワー」なんだよね。

もし、「昭和」を読み解く「本とのインタビュー」ワークショップをするとしたら、これらの本は、いい史資料になるだろうと思う。

さらに共通するのは、「勉強好き」なのだが。

わが父は1925年生まれ。彼はどのような歴史を見てきたのだろうか。
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by eric-blog | 2005-11-30 09:14 | ■週5プロジェクト05 | Comments(0)

土地の文明

111-1(518) 土地の文明 地形とデータで日本の都市の謎を解く
竹村公太郎、PHP研究所、2005

出版は最近であるが、それぞれは著者が2001年に『建設オピニオン』に連載していたもの。ぜひ、前著『日本文明の謎を解く』を入手したいと思ったですね。
えっ、買いなさいって? 大丈夫、竹村さんはそんなこと言わない人です。彼の「図書館」はどうやら八重洲ブックセンターらしいですから。地図売り場で座り込んで読みふけるというツワモノには負ける。

「謎」というのは、ミッシングピースなのであり、ピースがないと思えるまで、なんらかの全体像があって初めて生まれるもの。竹村氏の幅広い関心と知識が、するすると像を結んで行く、そんな謎解き的展開がとてもおもしろい読物にもなっている。

まずは、皇居。なぜ、天皇・皇后が出入りするのは半蔵門なのか? である。皇居前広場などの存在で、大手門の方がメインなのではないかと脚光を浴びているが、実は半蔵門が江戸城の正門であり、天皇家は、徳川家に敬意を表してだか、それともやはり地形的構造的にメインはメインである理屈に気づいたせいか、それを継承しているのだという。
半蔵門とはどこにあるか。たったひとつ、江戸城に直結している五街道の雄、それが甲州街道であり、それは新宿通りのとおる台地を、その先の江戸城に向かって入城した徳川家康のたどったルートなのだと。

そして、その城に直結した台地に、親藩の屋敷群を配置し、正門死守の体制を固めてあると言う。

それだけで終わったとしてもおもしろい。しかし、ハナシはそれで終わらない。なんと、あの赤穂浪士47人が三々五々江戸入りし、討ち入りまでの身を潜めた先がどこあろう、麹町近辺だ、というのだ。新宿通り、親藩ずらずらの街中に16人も。これはもう「警視庁の空き部屋に犯人が潜んでいた」としかいいようのない、スパイ国家徳川時代の現実なのだ、という。潜むか、普通? 確信をもってかくまっていたんだろ! としか考えられなーーーーい。

なぜ、徳川は吉良に対して厳しかったのか。こんな100年掛かりの仕返しは、怖くて読んでいられないぐらいなのだが、まあ、前田家の正月行事は、明治維新まで「用意は整ったか」「いましばらく」という掛け合い漫才のような敵討ち、臥薪嘗胆のうずまく江戸時代だったらしいから、ま、いいか。
事の発端は二つ。ひとつは有職故実に詳しい吉良家は、京都とのパイプが太く、1603年に家康が征夷大将軍に任じられるにあたって、力を発揮している。そして1605年には秀忠が征夷大将軍に任じられることで、徳川家世襲の磐石が整った。その時、歴史が動いた。徳川家康は、矢作川という、岡崎を流れ吉良領地を通って知多湾に流れ込む川の付け替えを台地を切り開いて行ったのだ。それが二つ目。
徳川家世襲の基盤づくりに「恩」を売った吉良家に頭があがらないのがいや、長らくの上流下流の水争いと、豊かな河口の干拓農地独り占めが許せなーーーい。それが元禄15年1703年の赤穂浪士による討ち入りで、報復劇として幕を閉じたというわけ。

その他、疫病うずまく京都をきらって清涼なる地鎌倉にひきこもり、結果台頭しようとする武家に愛想尽かしをされた源頼朝、泥炭地の地下水位を下げるために行われた石狩川の河川改修、新潟平野の排水を担った二つの分水路、日本最低の客室数しかない奈良の交流路を外れた千年の眠りなどなど。

大阪についてのストーリーは、「なぜごちゃごちゃしているのか」「地籍確定が1パーセントしかないからだ」というのはショック。わたし、十和田湖で青森秋田の県境のことをあざわらったのに。都会の皮膚感覚が強いのが大阪だ、と著者は解説するのだけれど。

奈良から京都へという遷都、そして江戸への遷都は、まわりの森林への伐採圧と資源の枯渇の結果だという。そして、江戸幕府は、日田、吉野、徳島、木曽、飛騨、秋田、蝦夷などを木材供給基地として支配し、開発した。「文明のエネルギー負荷を広く薄く分担させた」254

さてはて果たして、東京遷都は本当に必要なのか。リアルじゃないよね、とデータ文明論者の竹村さんは言う。
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by eric-blog | 2005-11-30 08:46 | ■週5プロジェクト05 | Comments(0)

21世紀水利用シンポジウム「地域で生かそう! 小規模水力エネルギー」

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21世紀水利用シンポジウム
「地域で生かそう! 小規模水力エネルギー」
05年11月24日 大分県日田市中央公民館

参加者150名

・水のエネルギーは太陽エネルギー

・日本は急峻な山が国土の67%だが、その急峻さが降雨という形になった太陽エネルギーを集積する装置になっている。(すごい太陽エネルギーが日本の国土には水という形で働いている)
・化石燃料や原子力は終わりが来る。
・水で電気を作り、そして電気で水素を作り、水素を燃やしてエネルギーを得る形を早く作ること。
・これまでの電力事業は都市中心の設計だったが、これからは地域が自立してエネルギーを設計する。
・ビジョンを描けば、技術はついてくる。ビジョンを共有していこう。

・町村合併で日田市には、風、水、太陽など多様な自然エネルギー、新エネルギーのモデルが集まった。これからは「日本一の自然エネルギーの町、日田」としていっそう利用促進を果たしたい。
・水郷(すいきょう)日田には昔から、さまざまな水車が活用されている。それらを残しつつ、それらの知恵は次に発展させていこう。

ちょっとまとめすぎですが、こんな感じでおもしろかったです。

小水力利用推進協議会と日田市、そして日田市にあるNPOひた水環境ネットワーク共催のシンポジウムでしたから、きっと、共催者の誰かがまとめてくれると思います。
協議会のホームページアドレスです。
http://energy-decentral.cocolog-nifty.com/mhp01
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by eric-blog | 2005-11-25 11:31 | △研修その他案内 | Comments(0)

 書いて売れ

110-1(517) 書いて売れ
堀内伸浩、明日香出版社、2005年

営業マンの心得として「書くこと」。何を、どう書くかについてヒジョーに親切に
「書いて」いるので「売れている」本である。
著者は言う、うまいヘタではなく、「書くか、書かないか」しかないのだ、と。

・相手が知りたがっていることを書く
・電子メールを書く時には、整合性に気をつける
・距離を縮める努力

など、ですが、一読して感じたことは、「工夫する」ということ、「営業マンである
ことを楽しめる」ことがポイントだなと思いました。ここに書かれていることが、
「売り」にそのままつながる、のではなく、「あなたはそこからどう工夫しますか」
ということでしょう。

何によらず、一芸に秀でるというのは、これにつきますよね。あなたの行っているこ
とを愛すること、be mindfulいうことです。

あ、わたしの書いた「ジェンダラスな日本を切り拓く」が載っている『解放教育』05
年12月号が出ました。「世界の教育運動を教室に」という特集です。世界の教育運動
の背景を書いたつもりです。

「いまや、必要のないものを買うほど、時代は甘くない」
学校教育にとって、そして社会教育にとって必要なものを、届けたいですね。
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by eric-blog | 2005-11-22 09:59 | ■週5プロジェクト05 | Comments(0)

扉を開く女たち

109-6(516) 扉を開く女たち ジェンダーから見た短歌史1945-1953
阿木津英、内野光子、小林とし子、砂子屋書房、2001

鮮烈に紹介されていた短歌を辿って、この本を手に入れたが、その流れの中で読むと、その歌すら、むなしい。フェミニズムの空白を埋めるものでもなく。

戦争に面従しつ全うせる身のおきどころ野を耕せり  阿部静枝
新旧の思想対立する家におろおろとあはれ母の婦道の 安藤佐貴子

女性だから、とかではなく、「思考停止」の大和魂に対して、短歌という個人個人の声は何をバランスしていたのだろうか。
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by eric-blog | 2005-11-18 21:07 | ■週5プロジェクト05 | Comments(0)

日本権力構造の謎 下巻

109-5(515) 日本権力構造の謎 下巻
The Enigma of Japanese Power

enigmaってヘンな語感のことばである。形容詞以外、これ以外の派生語がないというのも、ヘンな言葉である。どんな謎をさす言葉なのかも、なぞである。

上巻で、「詳しくは第11章」と予告されていたので、下巻も借りて読もうと思っていたが、そこで扱われているのは教育ではなく宗教だったというハナシ。

井沢元彦の「言霊」とは言わないが、日本語の力というのは、権力者が歴史を書いたり、そして儀式や歌の形式を流布させたりして支配を正当化したり、強化したりの歴史が繰り返された来たことをこの本で読んでいると、ことばの力の強さを改めて感じます。

第10章 文化にかこつけた権力

がおもしろいのだが、「日本人らしさ」のイデオロギーとある。昨日も「遅れてきた定着民」の活動をしていて、差別の成立にはなかば自然な成り行きということもあったのだなと発言された人がいて、わたしは行政の強制力と再配分機能の重要性にハナシをもっていったのですが、「日本人らしさ」の根拠も、半ば「自然」なようにも思えるから、なじむんですねえ。いい、悪い、危険という判断は抜きにして。
自己意識そのものにイデオロギーの機能があるのは、何も「日本」だけに限らないと思いますが、ウォルフレンが指摘するのは次のよう言葉です。
・社会的流動性のない秩序の維持
・武士道と禅
・服従と忍従
・忠誠心
・滅私奉公
・日本人の優位性
・人生への反主知主義的アプローチ
・個人の死が社会が生きること
・個は考えない、判断しない、感じない、動じない
・大和魂、大和心(本居宣長、国学運動)
・そのような江戸時代の流れの上に創られた「国家アイデンティティの構築」
・国体=包括的な国家神話の創造
・万世一系
・臣民は家族、親類「家族国家」
・イエ社会
・あたたかく、ウェットで非論理的な日本人
・同質性
・子ども時代、職場、社会を通じての「一生続く教化」と「頭を鈍らすイデオロギーびたし」状態


イデオロギーとは「深い思索を余計なものとして排除する目的を持つ」思想体系や信条の体系である、と著者は言う。42
そして、日本における法制外の権力の行使と正当化に使われている議論の多くが、400年も前に登場していると指摘する。44

自民族中心主義が人種差別だと批判されることのない国、それが日本なのですね。後発の特権でしょうか。
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by eric-blog | 2005-11-18 11:13 | ■週5プロジェクト05 | Comments(0)

語りつぐ戦中戦後 2 本州最後のトキ

109-4(514) 語りつぐ戦中戦後 2 本州最後のトキ
歴史教育者協議会、労働旬報社、1995

一昨日、昨日と新潟に行ってきたので、「トキ」の話題は身近だった。いま、佐渡の山深い谷津田を保全して、トキが戻ってきても生息できる環境作りという息の長い取り組みが学校を中心に行われているのだそうだ。

戦後50年を記念してのシリーズ。従軍慰安婦がらみで検索に引っかかってきたもの。「かにた婦人の村」と韓国の「ナザレ園」。

歴教協の活動はとてもすばらしいものだと思っていますが、なぜ、戦後教育運動が「教育の人間化」を果たせなかったのかを、「教育の実力」である授業の部分から考えたいなと思いました。学力テスト反対というような動きとは別のところに、仮説実験や歴教協はあったのではないかと思うからです。

教育の人間化というものが、1970年代後半から80年代にかけてアメリカで進められました。それは、それまでの科学教育から学習者中心に、選抜のための教育からユニバーサルな教育へという変革を目指したものでした。結果、中等教育段階までは選抜色ではなく、選択色(選択がしばしば結果としての選抜になることはあっても)が強いカリキュラム構造になっていくのです。

林竹二は、教員の実力行使としての授業を言うのですが、仮説実験の人々も、そして歴教協の人々も、結果的には教科の枠を超えなかったのではないかと、林の授業と比較した場合、思うのです。

教育の人間化の中で、Study of Manという教育番組が作られ、そして、次にCosmosが創られていく、科学が学際性、ホーリスティックな様相を帯びて行く、その時に、教育が伝える科学像も大きく変わっていったのです。

「教育者」の権威を捨てられなかった戦後教育の姿、なのでしょうか。実験と言いながら、仕掛けられていることを、子どもたちの方がすばやく見抜いていたり。市民性教育未満であったりしたのでしょうか。なぜ、彼らの教育の実践力行使と現在の教育課題というのは、どこでずれてしまったのかを知りたいと思います。
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by eric-blog | 2005-11-18 10:25 | ■週5プロジェクト05 | Comments(0)

今あなたにも伝えたい

109-3(513) 今あなたにも伝えたい
るるくめいと、せせらぎ出版、2005年
AIDS Peer Education Note Edited by High School Students

ピア・エデュケーションというのは、エイズについての知識を若い世代の人達がトレー
ニングを受けた上で若い世代に伝えて行く「仲間教育」ということ。東京都でも現在
第8期生を募集中であるそうな。
東京都福祉保健局健康安全室感染症対策課エイズ対策係
第8期募集中

この本は、大阪府立松原高校のピア・エデュケイターたちがまとめたもの。同校は、
吉村和彦校長や、檜本直之教諭が第三回全国教育系ワークショップフォーラムで発表
者になっている、この本とその関連書籍をまとめたのが平野智之教諭だったりする、
保健所の飯沼恵子さんが発案、大学人も協力というような環境にある。ERICメーリン
グリスト・メンバーの栗本敦子さんも長らく同校の「ジェンダー入門」を総合学習の
枠で行っていらっしゃるのだと思います。学校評議会も機能している、か。

2000年から取り組み始めた「るるく」は知る、考える、動くの最後の文字をとったも
の。
第一部はエイズについて、第2部はメッセージ、そして第3部は活動についてである。
エイズに限らず、多くの課題について、ピア・エデュケーションの活動が広がるとい
いね。
いやあ、でも、東京と岩手、そして立命館大学あたりしかインターネット検索にひっ
かかりませんでした。まだ、学会と協会とかは発足していないのかな。協力した早稲
田大学の菊地栄治さん、元国立教育政策研究所、が『るるくで行こう 新たな学びの
スタイルで性と生を考える』(2003年学事出版)という本を出しているようですけれど。
七尾養護学校における性教育実践教諭を処分した東京都が、どんなエイズ教育をして
いるのか、どのようにピア・エデュケーションを受け止めているのか、興味がありま
すね。知事部局と教育庁は違うのかもしれませんが。

小冊子なのですが、対象読者が誰なのか、わかりにくい。前半は、たぶんるるくめい
との公演の内容をまとめたものなのでしょうが、公演の様子がわかるというよりは
「エイズ早分かり」的なものになっていますし、後半は一転して、公演で「エイズ予
防のためにはセックスの時にコンドーム」というようなコンドーム実演があるのが中
学生や高校生にとって是か否かという課題を突き付けられためいとたちが、迷いなが
らも「実演なし公演」の要請にも応えて行くというプロセスを絡めながらの活動報告
とめいとたちからのメッセージ集。

セイファー・セックスというのは、未感染者の傲慢にも聞こえますよね。エイズにつ
いて教える時、大切なことって何なのでしょう。
うーーん、ということで、誰にお勧めするのがいいか、わからない本でした。

   -- ESDの特徴 --
  ○学際的かつ総合的
 ○価値観主導の教育
○批判的思考および問題解決志向
      ○多様な学習方法
    ○意思決定への参加
 ○地域性の尊重
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by eric-blog | 2005-11-18 10:18 | ■週5プロジェクト05 | Comments(0)

教育亡国

109-2(512)教育亡国
林竹二、ちくま学芸文庫、1995

原著は1983年。1906年生まれ、1985年没。
宮城教育大学学長を学生運動華やかなりし頃、1969年から務める。直後にバリケードで校舎を封鎖される。

麹町中学校での保坂展人さんの卒業式への出席拒否された事件。
そして、自身の国立大学協会第45回総会退席など。

1969年昭和44年中教審「大学教育について」諮問、「大学の運営に関する臨時措置法」可決。
1月には安田講堂の機動隊による封鎖解除があった年。

172
テストでは教育的に意味のあることは何一つ測ることはできません。テストというのは、人間を排除するために発達した方法なのです。...不適当な人間を排除する手段として客観テストは案出されたのです。初めは民族問題もからんでいた。ある民族を排除するために合理的な根拠をつくるために心理学者が考え出した方法だったのです。...私が学校は人間性破壊の工場になってしまったと言うのは、こういう事態を指しているのです。
175
点数信仰が広がるのについて、教師は共犯者だった。行政の力だけで教育を最後まで破壊することはできない。...日教組は学力テストの阻止を叫んで、その実施を阻止するために実力行使というような愚かなことをやった。教師の実力はそんなところにはない。...本当の教師の実力は教育の中味をつくることです。
176
学校教育の中に、点数目当ての授業しかなく、入試目当ての勉強しかなくなれば、それは教育の自殺です。

林さんが「日本は教育を通じて滅びつつある」と憂えたのは1980年。その頃、「教育の人間化」なんて言う研究会を伊藤博さんなどもやっていた。わたしが教育学では教育は良くならないと思って、研究の道をやめたのは1984年。

林竹二さんほどの人が言い続けても、あまり事態がかわっとらんのはなぜなのかねえ。
とはいえ、現実の教育は教室で、そして校庭で起こっている。何が起こっているのかねぇ、本当は。
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by eric-blog | 2005-11-15 12:07 | ■週5プロジェクト05 | Comments(1)

奥丹後の「日の丸

109-1(511) 奥丹後の「日の丸」
千田夏光、あゆみ出版、1990

聖徳太子の母である間人媛が、丹後出身だというのは丹後半島に行った時に知ったが、それが丹後王朝から大和王朝に対する政略結婚だったというのは知らなかった。あの天才は、異文化交流の結果であったものか。安彦忠彦の『ナムジ』など大和王朝の頃についてのコミックを読んでいると、そんな話ばかりだけれど。

結婚が王朝、部族、パワーバランスのためのものだったのは、なぜなんだろう。庶民には関係ないのだろうが。とはいえ、家族のためのものですらなくなってから、まだそんなに時間がたっていないのですよね。

大和王朝の女性の人権に対する感覚は、いまも、まったく変わっていないのですね。

さて、大和王朝と和解した丹後王朝のあった丹後半島における戦後教育の流れが、一人の人物、ちょうどわたしの父と同い年ぐらい、大正14年生まれの男性を中心に描かれていく。

戦後、手のひらを返したようにまったく違うことを教える教員の姿。幻滅しつつも、教員となって、それを反面教師としながら、子どもと向き合おうとする主人公。しかし、民主教育がだんだんと文部省によってくずされていく中で、よそ者としての教員、お上の言うことには逆らわない旦那衆によって決定される地域の意向、しかし、子どものために学校を中心によりよい教育を目指して取り組んで行く中で協力関係が築かれていく。「日の丸」についての戦争中の記憶と上からの強制にもゆれる地域。

400ページを超える小説である。

主人公が「愛国心」「天皇のために死ぬ」ことを思い込むに至った、そして戦後の教員に裏切りと大人のいい加減さを学んだそもそもの思い込みが、実は明治25年以降の国民皆兵化策の結果であることが明らかにされる。

明治19年、山川浩という陸軍大佐を東京師範学校に任命。(このあたり、そして戦後の教育政策などについては小説とは言え、史実)それまで国民皆兵で徴兵しても、ちっとも「皇国の兵隊」にはならなかった農民たちに剛をにやした結果、21歳で徴兵する前に教育しておかなければ、「天皇が現人神」「死は鴻毛よりも軽し」なんてことは思うはずもない、と。どうすれば、子どもの頃から効果的に教え込むことができるかを研究させた。

明治22年、天皇皇后の「御真影」を配布、正月、紀元節、天長節、明治節などに奉り、最敬礼。
明治23年、教育勅語、上記の儀式の時に奉読。小学校修身の授業で丸暗記。
同年、師範学校卒業後に6ヶ月間の特別教育を必須にする。内容は軍隊教育。皇国史観と軍人勅諭の徹底。
明治26年、『君が代』を小学唱歌としてその他の歌の上位に位置づけ、上記儀式の時に斉唱。明治初期に定められた商船国旗、海軍国旗、陸軍国旗の中から商船国旗である『日の丸』を選び、上記儀式のある日に掲揚。「4点セット」の完成。

小学校の教科書に、兵隊さんについてのお話、てんこ盛りになったのがいつかは書かれていないが。

これらの方法が本当に功を奏しだすのが40年後であった昭和初年。そして、戦争群。

戦後になって、
昭和27年、講和条約発効。
昭和28年、公選制教育委員会制度。特殊学級、養護学級などの開始。教科書の選定。
昭和31年、新教育委員会法6月2日。10月教科書調査官、11月勤務評定開始、
昭和33年、学習指導要領に「日の丸」「君が代」
昭和36年、全国一斉学力テスト。
昭和38年、人的能力開発答申、「3-5パーセントのハイタレント養成のための教育」
昭和39-40年、教科書の内容増加。理数科の強化。
昭和42年、紀元節を「建国記念日」に。国防教育の必要性を文部大臣が。
昭和49年、教頭のポストの法制化。田中角栄、教育勅語賛美。
昭和51年、主任制度も法制度化する管理職規則改正。

そんなことを成人した教え子が、調べ、逆に教えてくれるようにもなる。一つずつの種に希望をつないで、小説は終わる。同和地区には「日の丸」「君が代」の強制はなかったとも言われているが、いまはどうなんだろうね。
京都の蜷川府知事の存在にも守られたこの地域の歴史は、その他の地域の歴史とどのように違っているのだろうか。

著者は、1924年の大連生まれ。毎日新聞記者から著述業に。彼の人生も、オーバーラップするのだろうな。

これは、教育を志す人、必読だね。いま、教育学部では何を教えているのだろうか。わたしが10歳、小学校4年生の時は、確かに「理科教育」がかまびすしかったなあ、指定校とか研究校だったよ、わが母校も。
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by eric-blog | 2005-11-15 11:40 | ■週5プロジェクト05 | Comments(0)