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ひと味ちがう人権ワークショップ

90-3(416) ひと味ちがう人権ワークショップ
山中千枝子、明石書店、2002

高知県人権啓発センター勤務でも元中学校教員。
詩と、自分史と、参加型ワークショップの方法論の三部で構成されている。

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断罪

私はゆるさない
 差別をしたあなたを
私は決して過去のことにしない
 差別したあなたたちを
偽善と欺瞞で
 ぬりたくった鎧で
当然のように私をおとしいれ
声高らかに正義を語る
     あなたたちを

過去の罪は
 つぐなわなければならない
そのことでしか
 前へは進めない
なぜなら
 また、同じ過ちを繰り返すのだから

私は許さない
 差別をしたあなたを
私は決して過去のことにしない
 差別したあなたたちを

そのことでしか私は
 前へ進めないのだから

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人権作文より

「小学校の時、学級はメチャメチャやった。Mくんがよう暴れた。
ぼくはそのたびにとめていた。何回も何回もとめんといかんかった。
暴れ始めると、他のみんなは席について知らん顔をして勉強していた。みんなでとめたらMくんもやめたと思う。でも、誰もとめんかった。だんだんしんどくなってぼくも止めたくなかった。とめた後は、かくれていろいろやられた。」

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小学校から不登校になり、夜間高校に通っているこの作文を書いた子どもは、山中さんのお子さんだそうです。

わたしも、男制中心社会の問題を指摘し続けるのに疲れますし、名誉男制の地位に着くことができる立場にもいるので、やめよかなと思うことすらあるのですが、ま、ERICという団体にある限りは続けざるを得ないのでしょうね。
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by eric-blog | 2005-06-29 08:55 | ■週5プロジェクト05 | Comments(3)

イスラームと現代

90-2(416)イスラームと現代
中村廣治郎、岩波書店、1997

神は普遍的で不変であるはずだ。であるならば、神のいかなる啓示も、個性的で時代に縛られた存在である人間が、それを理解できるはずもない。

それが感想だ。

いかなる言葉を介して語っても、その言葉の偏在性は、解消できない。
ではなぜ、神はそんな無駄な努力を何度も重ねるのか。
なぜ、人間は神を必要として、求めるのか。

神の啓示が、立法的なことにまでおよぶイスラームの場合、政教分離が課題となる。分離主義には、
・急進的世俗主義 共産主義国における公私におけるイスラームの排除
・穏健な世俗主義 国家のイスラームからの分離、主権在民など
の二つがあり、そして、近代におけるイスラームの衰退が現代のイスラーム原理主義につながっているという。

一夫多妻婚については、アミーンは、公正に扱うという正義が不可能である以上、コーラーンは認めてないという立場すら取る。91
また、離婚についても妻の権利を守るための配慮が民法などにといれられるなど、モダニスト政府は、夫の力が絶大であるとされるイスラーム社会において夫の権利を制限する方向で法改革がなされている。103-110

原理主義が敵対する力が三つある。124
・体制的宗教
・世俗的国家とその合理化された官僚組織
・市民社会 堕落したメディアや世俗的な文学、教育

124原理主義は「近代」への痛烈な批判であり、社会的危機、イデオロギー的多元主義の時代に強力なアピールとなる。...寛容と多元主義、教義の歴史性の否定であるが故に、近代社会とどう折り合いをつけるかであろう。

20世紀初頭のイスラーム社会における混乱を、本書はさまざまな引用から描き出す。
・第一次世界大戦後のエジプトにおける無神論と退廃、個人の自由を口実にした宗教と道徳の破壊
・宗教的経済的道徳的デカダンス
・ユダヤ人のパレスチナへの移住の増大、パレスチナ人との対立の激化
・個人主義による責任感の喪失と社会的カオス
・西洋の帝国主義
共産主義も自由世界にも共通する「唯物主義」と「貪欲と専制」が「西洋」なるものについての理解であった。134

そして西洋の道に変わるものとしてのイスラームの道。イスラームは、物質的、知的、宗教的、現世的側面のすべてに関わる。
ナセル体制への批判もまた、イスラームの復興の中では必然であったという。145
イスラームの復興のためには、まず前衛が活動し、世界を支配している「ジャーヒリーヤ」の暗黒を打破することが必要となる。145

いまは、ネオ・モダニズムの主張が、数は少ないが展開されているという。それは、ラフマンの「コーランは無謬であるいう意味では神の言葉であるが、それが預言者の心に来たり、次にその口から出たという意味では預言者の言葉でもある」とする。コーランの永遠性とその神的性格という考えを、他方では、そのテクストの個々の法的内容の永遠性という考えを区別しようとする。
・テクストについての歴史的なアプローチ、年代的研究
・コーランの法的規範と、それらの法が実現しようとする目標・目的を区別する
・コーランの目的を、社会的状況の中に位置づけて理解する。社会学的アプローチ
ラフマンのそのようなアプローチは保守派には理解されなかった。202

また、アルクーンは、批判的脱構築として
「啓示は歴史をこえるものである。しかし、啓示の中の諸原理は地上の諸事件の中に体現される。アルクーンの歴史的批判は、イスラーム本来の精神的経験を救出することである。」「そしてそれは、イスラーム世界に広くみられる聖法の下落と弱体化をみれば、緊急の必要事である。」215
しかし、その姿勢については、まだイスラームの世界ではほとんど日の目を見ていない。

宗教的なリーダーのあり方というのと、すべての人々がそうなるというのは、違うのではないかという気がする。
こんな人騒がせな「神」というのは、本当に全能なのか。
なんて、ほとんど無神論で生きていられる社会にいる者は気楽だね。
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by eric-blog | 2005-06-28 16:16 | Comments(0)

キリストの殺害

90-1(415)キリストの殺害
W.ライヒ著作集、太平出版社、1979

片桐ユズルさんつながりで、久々にライヒを読んだ。70年代の熱、反逆であった人だと思うのだが、『聞け! 小人よ』というのも、フロムなどと並んで読んだものだが、そもそも聖書をとくと読んだことのないものが、あるいはまたキリスト教的なもののとらわれがない者が、ライヒの著作を読んで、なぜ解放されるだろうか。
ライヒ的なるものによる囚われが、1970年代に育ったものには、あるのではないだろうか。「反逆」「懐疑」「諧謔」の精神が。
人生の階段から考えても、20代前半が、既存のものに対する批判的な精神、反発に満ち溢れているのは、当然だろう。
「遅れてきた定着民」としての若者は、身分も低く、分け前も少なく、既得権というほどのものもなく、ましてや特権と呼べるものはほとんどない。彼らの最大のメリットといえば、「すばやく学ぶ」ことができるというほどのことだ。
だから、1970年代の若者が「反逆的」なムードを好み、浸っても、それは当然なのだろう。

キリストは「生きた生命」そのものだった、だから「神」であった、という。『ヒンドゥー教とイスラム教』で、ちらと読んだマホメットは、中年男が啓示を受け、部族のための闘いに勝利することで彼の受けた啓示そのものも認められていくという、いかにも世俗的な展開によって広がっていくのに対し、キリストの場合は、もっと根本的な葛藤が、キリストと彼を取り巻く人々との間に存在したことが描き出される。

190
キリストには、どんな制服もぴったりしなし、またばかげたものに見える。...キリストが名誉博士号をもらうなども考えられない。...かれは記録されて人間の歴史のないのどんな時期の、どんな場所の、どんな町でも異郷人だったにちがいない。...民衆はそれを愛し、そのような資質をもつひとのまわりにむらがる。しかし、民衆は、自分ではけっしてそうしない。
...崇拝者たちといっしょにいてさえ、かれは場違いである。
キリストは、よろいをつけたひとたちのなかでは、どこにいてもまるで場違いなのだ。

192
この世界には、だれにでもはっきりとみえて、わずかの常識と判断さえあれば理解するのに考える必要もないような単純な事柄がたくさんある。思春期の性器的欲求不満の苦しみも、そのひとつだ。男でも女でも、みんなこの苦しみを通過してきた。だれもかれも、男女を問わず、この苦痛と失意とたたかってきた。発情とは性器機能の成熟で、じゅうぶんな抱擁への準備完了だという事実を主張するのがあなたひとりだけのあいだは、あなたはぶじだ。ところが、20世紀初頭のどこかの大学での心理学会に参加して、この単純な事実を語り始めると、あなたは絶望的にいろんなことにまきこまれてしまう。

193
律法学者は知識の宮殿への扉の番人である。...民衆のすわりこみと、こころとからだの硬直が、科学にあらわれたものなのである。

194
真理はそれじたいが犯罪である。現状にあわせてつくられた国家にとって、その生死を左右する犯罪なのである。

94
人間性の理解をさけるために人間はあらゆることをする。
・重要性の宣言
・研究のための大学会の設立-学会ごっこ
・大集会の開催
など。
われわれはいまや、ひとの全存在のダイナモが生(性)エネルギーによって動かされていることを知っている。...人間社会に生まれる子どものひとりひとりがよろいで防衛され、...ひとは社会的自律の強力なバルブと、じぶんじしんの本性に対する唯一の感情的通路を閉ざしてしまったのだ。

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春画の国、日本からながめると、ライヒの問題提起そのものも、性に過剰な役割を押し付けているとしか思えない。

20世紀の大きな思想的なゆさぶりと、そして東洋的なもの、日本的なものの文脈の中で、強烈な自我の形成、個人主義の確立というチャレンジも受けず、カソリック的な性の抑圧も受けず、崩壊した家父長的な監視もなしに、集団生活からはがまん以外のいかなる公共性の概念も身につかず、欲望だけが肥大した消費社会の中で、いまの若者たちはまともだよなあ。

共に、生きていくに足る人々が、多数輩出されている事実に驚く。人間たいしたものだ。
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by eric-blog | 2005-06-28 10:20 | ■週5プロジェクト05 | Comments(0)

ESD facilitators college

かくたです。

今日は第1回の実践コースです。

パネルを見ていても、コーディネーターからの発信や進捗の報告が少ないですよね。
今回は前回のアクティビティ・コースと違って、ファシリテーター総出演というこれまでのERICの主催講座に近い形で行っています。

ナント大分から足立さんもご参加、そしてミャンマー帰りのヒロ佐藤さんも来られる予定。

参加者数は5名。ファシリテーターの方が数が多いという相変わらずの勉強熱心なERICです。

NPOにおける高等教育の提供とはどのようなものであるのかを、考えたいと思います。
高等教育は、これまで『専門家教育』『研究者教育』「高級官僚教育」など、投資に対する見返りが大きい教育であったわけですが、ESDは、教育的指導者育成と言いながら、必ずしも、教員だけを意味していない。固定的な職業人の育成ではなく、まさしく「教育的市民」として市民社会に、若干の専門性をもってかかわることができる人の育成です。

市民社会のお百姓さん、とでも呼びたいところだが、そうすると海の民や森の民を差別する構造に取り込まれそうでもあるし。でも、市民社会って「農耕社会」のイメージが強いなあ
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by eric-blog | 2005-06-25 08:29 | △研修その他案内 | Comments(0)

熱い紅茶

89-4(414)熱い紅茶
アヌラー・W.マニケー、星雲社、1995

ディアスポラ 国境離散民 というのだろうか。インド系タミル人がスリランカに移住してくる。結婚相手はジャフナ・タミル、スリランカ北部の半島に住むタミル人。インド系を嫌っている。貧しさのゆえに、インド系と娘が結婚したことを恨んでいる。そして生まれた子どもは誰が見てもシンハラ人にしか見えない。タミル語が話せず、いずれの祖先の地にも戻りたがらない。
彼らが住み着いて15年以上もたっている。しかし、町の発展計画によって、彼らの住む土地が値上がりしていく。
双方にいらいらが募っていく。
しかし、わたしから見れば、不当な取引の横行、弁護士を雇うことができる者だけが法律によって守られる、政府の反対派などに対する政治的いやがらせとしての買い取り価格などへの介入などの事態が重なって、苛立ちが増している気がする。必ずしも、民族的な、あるいは行事の違いなどに対する苛立ちではないのだ、つもっていったのは。

北部でのシンハラ人に対する攻撃が引き金となって、南の町でシンハラ人のタミル人に対する焼き討ちが起こる。

訳者の中村禮子さんは、中村尚司さんのお連れ合いなので、お会いしたことがある。これまでにも『明日はそんな暗くない』の翻訳や『わたしのスリランカ』の著書もある。
『明日は...』は1970年代の社会主義革命の嵐に巻き込まれる大学教授を描いた小説の翻訳だ。

スリランカ、海の真珠。サルボダヤ運動の地。行ってみたいところだね。
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by eric-blog | 2005-06-25 08:17 | ■週5プロジェクト05 | Comments(0)

ドメスティック・バイオレンス

89-3(413) ドメスティック・バイオレンス

2册です。
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ドメスティック・バイオレンス-愛が暴力に変わるとき
森田ゆり、小学館、2001

「ドメスティック・バイオレンスとは、大人または10大の若者が、その配偶者や恋人など親密な関係にある者に対して、身体的、性的、心理的攻撃を含む暴力をくり返しふるうこと」19

虐待のサイクル=ハネムーン期→緊張期→爆発期  レノア・ウォーカー『バタード・ウーマン』より 92

DV加害者のとるパターン(MAWSプログラムより)
・暴力
・誠意と花 謝罪し、やさしくする
・あらさがし 相手を批判する、暴力をょ引き起こしたのは相手の対応だと攻撃する
・暴力 権威と支配を維持するために暴力をふるう

パワーとコントロールの輪[『ドウルース』参照]110
・男主人
・威嚇行動
・脅し
・性的
・否認
・心理的
・孤立
・経済的

DVを起こす原因=DVのサイクルを回す原動力
性差別社会において、加害者・被害者が身につけてきたこと
加害者
・学習した攻撃性
・経済的社会的優位
被害者
・学習した受動性
・経済的社会的弱さ

それが個人対個人の場面になった時に、
加害側には「自尊心の欠如」→「学習した支配感」→「相手をコントロールするニーズ」
が生まれ、
被害側には「学習した無力感」→「自尊心を奪われる」「自己コントロール力の剥奪」
が生じる。123

男性中心の考え方がセクシャルハラスメントを容認し続けて来たように、...男性中心の考え方がDV を容認し、支えて来た。126

つまり、ドメスティック・バイオレンスは、加害側に学習されたもの、被害側に学習されたもの、そして、引き金「抑制機能の欠如」というトライアングルで引き起こされる。172

力の優位性によって相手を自分の思うようにしようとする態度が変わらなければならない。...自分を怒らせた相手も悪いと思う限り、加害者が本気で責任を取ることはないでしよう。127

その他、被害者へへの援助、加害者への対応などについても、森田がアメリカで学習した成果が紹介されているよくまとまったいい本である。
日本での活動は1997年より。

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ドメスティック・バイオレンス
戒能民江、不磨書房、2002

1992年に日本ではじめてドメスティック・バイオレンス実態調査を実施した法女性学・家族法の専門家。国際的な取り組み、ジェンダーの問題としてのドメスティック・バイオレンスについての解説、日本におけるDV防止法の成立などについて解説している。

森田と異なるのはドメスティック・バイオレンスの根拠を「近代家族」の家父長制支配を貫徹させる有効な方法としての「暴力」があったとする点である。76
「理念的には否定されるべき「暴力」を隠ぺいする装置が、近代社会の「公私二分論」であり、その下で展開されたのが「プライバシーとしての家族」擁護論であった。」76
「「家庭内暴力」ということばは、家庭や家族にはふさわしくないものと思われて来た「暴力」が実は家庭だからあること、...家庭と暴力との抜き差しならない関係を記した。」78

日本の民法は、822条、親の子どもに対する暴力を認め、そしてその行き過ぎを国家が監督する地位につけている。79 つまり「児童虐待は行き過ぎた例外」という神話を補強している80

父親の男性的権威、夫をたてて子ども中心に生きる母親というジェンダーの論理が、暴力教育をも容認する。81
ジェンダー支配がもっとも鋭く現れ、だからこそ、もっとも深く潜在化してきたのが、ドメスティック・バイオレンスである。82
家庭内という中立的なことばによって、暴力はジェンダー支配感系から生じることが隠ぺいされる。82

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現在の日本社会において、男性・女性の両性が存在するコミュニティにおいて「親密圏」を擬似的に作り出そうとする行動は、そのコミュニティにおける「ジェンダー支配関係」を助長する。
ということですな。
性差別社会→セクシャルハラスメント→ドメスティック・バイオレンスは、同根です。
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by eric-blog | 2005-06-24 14:24 | ■週5プロジェクト05 | Comments(0)

貧困の克服-アジア発展の鍵は何か

89-1(411)貧困の克服-アジア発展の鍵は何か
アマルティア・セン、集英社新書、2002

故小渕首相の演説を引用して、センは「人間は生存を脅かされたり、尊厳を冒されることなく、創造的な生活を営むべき存在であると信じている」ことを強調する。

人間の安全保障を「人間の生存、生活、尊厳を脅かすあらゆる種類の脅威を包括的に捉え、これらに対する取り組みを強化するという考え方」とする。136

いま、なぜわたしたちが協力して努力しなければならないか、消極的な理由と積極的な理由をセンはあげる。137-138
「人間の生存、生活、尊厳」が近年広がりつつある危険や災難のために妨げられている。そのために今すぐ特別なアンガージュマン(意思的・実践的政治参加)が必要とされている。
人間としての生存を脅かす暴力に対して、よりよく連繋して抵抗するために、私たちの努力と理解を結集できる大きな可能性が開けている。私たちは、脅威や危険に満ちた世界で生きているだけではありません。私たちが現在生きている世界というのは、危機的状況の本質が以前にも増して的確に把握されるようになった世界でもあるのです。..これらの脅威に立ち向かうことができる経済的・社会的資産が拡大している。...解決するチャンスも増した

「人間の安全保障を伴う景気後退」という目標のために、私たちは新しい社会的参加を必要としている139

そして、民主主義が、政治的な配分のチェックのためにもっとも機能するのだという。「現代的な意味での民主主義と政治的自由の擁護は、洋の東西にかかわらず、世界中のどの地域においても、啓蒙運動時代以前の伝統の中に見出すことはできない。」94

40-46
発展は脆弱である。
上昇期には調和的である社会も、下降期に分裂が生じる。
特に、突発的・短期的に起こる困窮状態に対応する「公正さ」が求められている。
政治的民主主義は政府がかならず人々のニーズに応えて、また苦境にある人々を支援する政治的インセンティブとなる。

「発展というものは人間のさまざまな自由の拡大のためのプロセス」56
「自由こそは発展の重要な手段であると同時に主要な目的である」57

自由のための「保護のための安全保障」が重要

この本は、わたしたちが「保護は主体性の発揮のためにある」と子どもの権利条約を読み取ったことと同じことが言われているのです。わたしたちは、子どもの権利条約の精神は今後は成人にも当てはめられていく原理だと確信しました。そのことが、この本では詳細に述べられているのです。
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by eric-blog | 2005-06-21 05:38 | ■週5プロジェクト05 | Comments(0)

ふつうの女たちへ

ふつうの女たちへ

ひとり たたかうしかない たたかいなんだね
あなたが そんなに おもいつめていたなんて
あなたの こどくが わたしの み にひびく

ひとり たたかうしかない たたかいなんだね
わたしが こんなに おしころしていたなんて
わたしの こどくが あなたの み にひびく

ひとりひとりが たたかうしかない たたかいだったんだね
わたしたちが こんなに きずおいのままにいたなんて
ちが なみだが きずを あらいあう

ひとりひとりが わたしのままにむきあえる そのために
あなたの こどくと わたしの こどくと
みとめあおう ひびきあおう

わたしは そばにいます
わたしたちは ここにいます for you
And for us

------------------------
片桐ユズルさんの「ふつうの女の子に」という詩からのインスピレーションから創りました。

ふつうの女の子に

ひとり たたかうしかない たたかいなんだね
あなたが そこまで おもいつめたとは
あなたの こどくが ぼくのみにしみる

ボストンバックに きものをつめて
退学とどけ と 片道キップ
ひとり たたかうしかない たたかいなんだね

ぼくは あなたに なにもしてあげられない
ぼくには かねもなく コネもない
あなたの こどくが ぼくのみにしみる

ただ がんばれと 声をかけけるだけ
ただ 花束とキスをおくるだけ
ひとり たたかうしかない たたかいなんだね

つめたい風がふきはじめ 窓にあかりがつくと
しらないひとたちのなかにいる
あなたの こどくが ぼくのみにしみる

ときどき がんばれの声がきこえてくると
そこにも 仲間がいる と知る
ひとり たたかうしかない たたかいなんだね
あなたの こどくが ぼくのみにしみる

片桐ユズル詩集、現代詩文庫32、1970より----------

かくた
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by eric-blog | 2005-06-19 12:25 | ◇ブログ&プロフィール | Comments(3)

NPOの教育力

88-3(410)NPOの教育力--生涯学習と市民的公共性
佐藤一子編、東京大学出版会、2004

恵泉の図書館で見かけて、こりゃ借りるより買いの本だなと、ERICで買いました。

生涯学習社会における教育の4セクターとして
・公的な学習機関
・地域セクター
・非営利共同セクター
・市場セクター
を想定している。11

NPOは高学歴の人の参加者が比較的多く、教育力の特質としては「サービス提供」から「政策提言・問題提起」という軸で、当事者としてかかわるのか、あるいは支援者としてかかるのかという分類で、
1. 調査研究
2.専門性
3.仲間作り
4. 批判的認識・提言能力
などを伸ばすことにつながる力を持つという。

16
NPOは「学習する組織」であることをつうじて知識資本を蓄積し、社会的に有用な新しい働き方を生み出していく実験場。

学校教育が不全化していることを指摘しながら、著者があげている市民社会におけるオルタナティブな教育機能というのは
1.学校を離脱した子どもたちの場
2.市民性教育の展開
3.ボランタリーな学校支援
しかない。
また、学校教育改革過程におけるNPOの参画と包摂の事例は、
1.開かれた学校づくり
2.ネットワーク
3.学校の設立
である。
45-57
DEAとかPLT的な活動はどこに入るのかな。

というような若干の疑問を除いては、わたしたちがこれまで考えてきたNPOの教育力について、とてもよくまとまっている本です。

いちど、勉強会をいたしましょう。
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by eric-blog | 2005-06-18 10:22 | ■週5プロジェクト05 | Comments(0)

無痛文明論

88-2(409) 無痛文明論

森岡正博、トランスビュー、2003
Painless Civilization

1998年から2000年までの間に『仏教』で連載されたものの集大成。連載ものの集大成は、これからは避けよう。

この本を紹介してくださったのは西武文理大学の増川さん。いつも、ご自分の書かれた書評を下さる。それが講師室の話題になる。なかなか、面白い。

読むまでもない本である。文明とは個人を越えるものであり、痛みとは個人に発するものだから。「文明」に顔を見たとたん、それは個性を持ち、存在として対等さを獲得する。しかし、「文明」は痛みを知らない。そのことが、文明に同化しなければならないと感じる個人に対する圧力となり、また無痛化装置ともなる。その無痛化を認知し、対抗しようとして人間はまた新たな装置を作り出す。

存在がすべてに優先する。

わたしがわたしであること、わたしが生きていること、人が生きていること、森が生きていること、木が生きていること、虫が生きていること、水が生きていること、空気が生きていること、わたしが生きていること、わたしが生きてること、生きていることに伴う痛みを認識していること、認識は痛みそのものではないが、痛みにもなれること。痛みと共に生きること。わたしが生きていること。わたしが存在すること。存在が消えること。

わたしの存在と、わたしにとっての存在があること。そして消えること。

「私はこの本を書くために生まれてきた」後書きより
本を書くことで生きることができる文明に、わたしが生きているということ。

タイトルから刺激をいただいて、後は、一人ひとり、独りひとり、考えましょう。そして、ERICコミュニティでは、ワークショップのテーマにいたしましょう。共に考えるために。


以下は、そのための言葉群です。------------------------------
人間の自己家畜化
1. 人工環境化
2. 食料の自動供給
3. 自然の脅威の克服
4. 繁殖の管理
5. 品種改良
6. 身体の形態の変化
7. 死のコントロール
8. 自発的束縛
6までは小原秀雄の「自己家畜化論」やフォンアイクシュテットより。7.8.は著者による。
家畜の安楽と悲哀を人間も引き受けている。

文明を進めるのは人間の欲望。「身体の欲望」12
1. 快を求め、苦痛を避ける
2. 現状維持と安定を図る
3. すきあらば拡大増殖する
4. 他人を犠牲にする
5. 人生・生命・自然を管理する

無痛文明にひた走る道に、しかし、こころの平安は得られない。34
生命の反抗力が生きているから。35
生命の最後のあがきが「自閉」「反復」「アディクション」などの行動に現れる。

本を読むということ、他者の命に触れること。すべての命に触れることはできない。すべての命がわたしとともにあるが、どの命と近しく触れ合うかを選ぶわたしがある。
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by eric-blog | 2005-06-17 22:31 | ■週5プロジェクト05 | Comments(0)