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ことばの誕生

86-2(402)ことばの誕生  行動学からみた言語起源論
正高 信男、紀伊国屋書店、1991

多作の人ですよね。ジュンク堂で検索しただけでも30点も出ている。
わたしの二年先輩に当たるはずですが、霊長類の音声コミュニケーションと人類のそれを比較研究しているのが今回のテキスト。前に紹介したのは人間の子ども中心だったのですが、今回の本は霊長類がどのようにコミュニケーションし、そして、その発達を人間のそれと比較しています。

霊長類についての研究は、この本でなくても読めるものだと思いますが、おもしろかったのがこれまでの言語発達の研究が満一歳以降について終始しており、それまでの経過を研究していないということを発見し、自分でその研究をしてみようと取り組んだ部分の紹介です。
サルについての音声研究において、テープに録音するという方法から迫っている著者ですから、人間の赤ちゃんについても同じ方法で取り組んでいます。

パトリシア・クールの研究でMothereseというのがあり、母親語と著者が名づけて研究したその特徴は、「子どもが応答するまで発話する」ということである。
乳児のことばの獲得がそのようなものだということを読んだら、とたんに、もっと大きくなってからのコミュニケーションを思い浮かべた。「わかったのか、わかったのなら返事しろ」ってやつです。あれも応答するまでやるんですよね。応答するってどういうことなのでしょうか。

・ヒトは、それそれ゛れの地域に固有の体系をもつ言語を習得しなければならない。ではほかの霊長類の地域差は習得か遺伝か。101
・鳥類の実験では、鳴き声を聞かせずに生育した場合、さえずることができないことがわかっている。102
・母子交換実験によってニホンザルとアカゲザルの間でも、育てた母親の発声に似てくることがわかった。108
・ニホンザルの発声行動の可塑性111
・集団の意味112

ティンバーゲンに始まった動物実験行動学がひとつのピークを迎えつつあった1990年代に、ヒトを対象にする研究に著者が転じていった時期に、それまでの霊長類の研究についてのまとめとして書かれた本である。霊長類研究とヒト研究のつなぎとしてもおもしろい本である。
簡単なことでも「わかった」と思わないこと、疑問を持つこと、が研究者の資質であるが、それに飽きないというのも大事な資質なんだな。対象を変えて、同じ方法でやってみる、機材を変えてより精緻にやってみる。
観察だけに終始したローレンツの後継者が廃れ、実験を交えたティンバーゲンが生き残っているという著者の観察もまた、おもしろい。
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by eric-blog | 2005-05-31 09:47 | ■週5プロジェクト05 | Comments(0)

言語と植民地支配

86-1(401) 言語と植民地支配
植民地教育史研究年報2000年、皓星社、

言語学の側からの日本による植民地支配と日本語強制についての研究が進んでいるという。それに対して植民地教育史はどのような貢献があるのか、そんな問題意識で取り組まれた特集が二つである。ひとつは「植民地教育と言語問題」もうひとつは「植民地朝鮮の教育と教育内容」である。その他、シンポジウムと書評などから構成されている。

「日本人による朝鮮語学習の経路と動機」で山田寛人は、3.11独立運動(1919)を契機として朝鮮総督府が「武断政治」から「文化政治」へと方針変換をせざるを得ない状況に追い込まれた、そのひとつとして日本人官吏に朝鮮語習得を奨励するための規定が定められた。(1921) 朝鮮語奨励規定によると一級に合格すると俸給が上がる。
山田は朝鮮語を習得した人々の動機について調査し、「手当金が非常に重要で有効な手段」であったことを指摘する。46
「合格者たちは日本による朝鮮支配という現実が朝鮮人にとっていかなる意味を持つものであるかということには極めて無自覚であり、「朝鮮語学習=国家(日本)の利益=両民族の幸福」というような図式で、「内鮮融和」という統治イデオロギーをとらえ、受け入れていた。」47

特集2では、「実業的理科、作業理科の二重性」を永田英治が指摘する。朝鮮総督府の理科教科書と文部省の理科教科書を比較しているのだが、植民地問題と言いながら、それはそのまま植民地支配のように支配された国民の問題を突きつける。
「国民学校では、「銃後の守り」として生産をささえる教育が重視された。ところが、その目標には、「皇国民の練成」という大前提があった。たとえ不合理に思えても、増産のためには耐え忍んで勤労に励むことが要求される。」116
「ジョウイゲタツの強い教育界にあって、時局にそうことを急いだ教材が、一度権威ある教科書に採用されると、その後に受け継がれ続けて、多大の混乱を与えることになったのである。」117
「じつは、専門家によって十分検討された研究や実験を教材化するのとは違って、生活や実業に子供の学習課題をみつけ、それに対応する科学上の研究成果をあてはめるのは容易ではない。身の回りの物や現象の多くは、複雑であったり、専門家が研究実験するようには単純化できない場合が多い」118
「教育思潮の流行や時局に添うことを急いで検討が不十分になると、思いもらない困難を抱え込むことになる。新しい教育標語が叫ばれるときほど、それまでの教材の研究成果を検討しなおして、着実な前進をめざす必要があるといえるのかもしれない。」118

こんな文章を読んでいると、本当に、「植民地化されていたのは、わたしたち自身だ」と思えてしまう。大丈夫か、戦後の日本。そして、いま。
書評で紹介されている本の中では、『大東亜共栄圏と日本語』多に安代著が、南洋群島島民の日本語運用能力の高さを指摘しているところが紹介されていておもしろい。
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by eric-blog | 2005-05-30 16:10 | ■週5プロジェクト05 | Comments(0)

学力の社会学

85-8(400)学力の社会学
苅谷剛彦、志水宏吉、岩波書店、2004

社会政策としての教育政策をとらえなおすとき、学力の平均的な変化をとらえるのではなく、誰のどのような学力が低下しているのかを見ることだ。
大規模な学力調査から「効果のある学校像」にせまる。

著者らは、教育制度・政策のアセスメントの手段として学力調査が必要だという立場をとる。大賛成だ。調査は「関西調査」と呼ばれる1989年に行われた調査をベースに2001年に再調査されたもの。もうひとつは1982年に国研が実施した調査を2002年にほぼ同じ問題を用いて調査したものである。

これらの変化を見ることで、「新しい学力観」による1990年代の教育の効果を調べることが可能になる。政策立案のための調査ではなく、政策評価のための調査として、見てみよう。
「新しい学力観」とは「自ら学び、自ら考える力」の育成を目指すものであるが、すでに方針の転換すら言われている。果たして、政策評価なき方針転換は正しいのか。

学力の低下および学力の分極化が調査の結果から見られる。という。
特に、この調査で特記すべきは同和地区の学力問題も含めているところだろう。学力低下の傾向が他の学区より強いという。

また、戦後1950年代の「学力低下論」と現在の状況の比較があるのもおもしろい。

その他、家庭や親からの期待、担任の態度などの変数についても検討されている。

学力に関連する要因は多岐にわたるわけだから、議論もさまざまだ。したがって、単純な結論も出せないという。
そしてより多くの学校の協力による実践的な学力調査研究の中から「効果のある学校」を発掘したいのだそうだ。

でも、こんな本を読んでいたら、学校の先生は混乱するだろうなあ。そういう意味では教育について研究する研究者の不誠実さを感じる。何が「効果のある学校か」という道筋は提示しないまま、いじくられるんだもんなあ。学校は大変だ。

いやあ、研究者的にはいい本なんですよ。ほんと。しかし、executive summaryと提言ぐらいはまとめておいてくれ。

いまの学生たちって、ころころ変わる単位認定制度や学校制度ですごく混乱しているって知ってます? 大変だなあ。
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by eric-blog | 2005-05-28 12:46 | ■週5プロジェクト05 | Comments(0)

社会調査へのアプローチ-論理と方法

85-7(399) 社会調査へのアプローチ-論理と方法
 第2版
大谷信介、後藤範章、他、ミネルヴァ書房、1999年初版、2005年2版

いまの社会は社会調査で満ちている!
しかし、いま「調査環境の悪化」が起こっている。あまりに調査が行われ過ぎて、調査者のアカウンタビリティがゆらいでいるからだ。20
そのために4つの課題を少なくともクリアーしてから調査しよう。22
・調査研究の着想
・先行研究のフォローと課題の鮮明化
・既存の統計データの加工・分析
・過去の調査のフォローと結果の検討
調査は最後の最後なのだ、と。

いくつかおもしろいまとめを抜き出しておくと

質問の作り方86
意識を問う質問
1) 評価を問うもの
2) 期待・要望を問うもの
3) 考え・意見・態度を問うもの
4) 興味・関心を問うもの
5) 意志・予定を問うもの
事実を問う質問
1) 現在の状況・状態、属性を問うもの
2) 過去の経験・動機・きっかけを問うもの
4) 知識・認知・所有を問うもの

社会調査の方法 176
・面接
・留置(配送)
・郵送
・電話
・集合
・その他
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by eric-blog | 2005-05-27 16:56 | ■週5プロジェクト05 | Comments(0)

社会調査入門-量的調査と質的調査の活用

85-6(398) 社会調査入門-量的調査と質的調査の活用
K.F. パンチ、慶応義塾大学出版会、2005年
Introducation to Social Research: Quantitative and Qalutative Approaches by Keith F. Punch, 1998

質的な調査と量的な調査を綜合ことの必要性が近年高まっているが、そのための入門書として書かれたもの。

12
方法としての科学の本質的な要素は、
第一に、現実世界のデータ、科学は経験的なデータに依拠するものである。データをもってそのアイデアを検証する。
第二に、理論が担う役割。説明するための理論。データを説明すること。
すなわち、データと理論が科学の本質的要素である。そのいずれもが存在していること。

世界に関するデータを集めること、理論を構築してこのデータを説明すること、さらに他のデータでその理論を検証することは、科学的な試みである。

社会科学という用語は、人間の行動に対する科学的な研究の事。社会が意味するのは、人々とその行動のこと。科学は、研究するための方法。
社会科学の目的は人々とその行動に関する説明理論を作り出すこと。13
社会学、心理学、人類学、経済学、政治学が主要な基礎社会科学としてあげられる。
さらにそこから応用社会科学として、教育学、組織論、行政学、経営管理学、ソーシャルワーク、看護学、保険衛生研究、医学や公衆衛生学、家族研究、児童発達研究、マーケティングと市場調査、余暇研究、コミュニケーション研究、法学や司法研究、政策下学と政策評価、そして社会経済発展の研究などなどなど。13

科学的知識の階層構造26
個々の事実から経験的一般化があり、それらをたばねる説明的理論がある。=実証主義的な視点に由来する考え方であり、知識についての法則定立的な見解を強調する。下から上。

よい調査問題と悪い調査問題66
●明確である
●具体的である
●答えることが可能であり遂行可能である
●相互連関的である
●実質的に適切である

量的なデータは収集と分析についての議論の背景が深い。
質的なデータについては以下の研究方法が出されている。
・インタビュー
・観察
・参与観察
・文書データ

第11章では、質的調査と量的調査の統合についての問題が検討されている。結合のアプローチとしては次のようなものがある。340-341
1. トライアンギュレーション三角測量の論理
2. 質的調査による量的調査の促進
3. 量的調査による質的調査の促進
4. 総合的な見取り図を描くための量的・質的調査の結合
5. 構造と過程=質的調査は過程をとらえるのに優れている
6. 調査者の視座と対象者の視座=質的調査は出発点に対象者の視座が取り入れられる
7. 一般性の問題
8. 質的調査による変数間関係の解釈
9. マクロ・レベルとミクロ・レベルの関係
10. 調査過程における段階
11. 混合Hybrids

評価の基準349
●調査の「骨組み」
●調査で利用された経験的な手続き
●データの質
●調査で得た知見と結論
●調査のプレゼンテーション


368
分析的折衷の用語
量的 質的
変数指向的 事例指向的
範疇化 文脈化
分析的 総合的
エティック(音声的) エミック(音素的・意味的)
分散理論 過程理論
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by eric-blog | 2005-05-27 16:54 | ■週5プロジェクト05 | Comments(0)

クレオール語と日本語

85-5(397)クレオール語と日本語
田中克彦、岩波書店、1999

クレオール語というのは、2つ以上のことばの影響を受けつつ、作り出された、さまざまな祖国からもぎ取られて同じ場所で暮らすようになった人々が発達させたことば、とでも言えばいいのだろうか。もしもpc politically collectにこだわるならば。
100年前までの言語学では「みにくくくずれた奴隷のことば」と言われるそうだが。
そして柱になることばは、奴隷を支配し、命令したことばによっています。
しかし、田中は言います。「なまることは、人間にとって自分の尊厳をまもる最後のよりどころだと」なまりの中にふるさとが映し出されている。31
「なまることが世界の思想と人類の文化に貢献する方法、クレオール語から学ぶべき点はここ」31

スペイン語、オランダ語、ポルトガル語フランス語、英語などを芯にしてピジン語が生まれ、ピジンを母語として生まれ育った人々のことばをクレオールと呼びます。47
子どもは親から受け取り、変えていくのです。

しかし、この分類も幅があるので、まとめてピジン・クレオールと考えた場合、世界には127の言語が見出される。50-51

カリブ海、南太平洋、など島嶼地域のものが有名なのにも何か理由があるのだろうね。

日本語と韓国語の間でちゃんぽんで話すことばを「ポンセン語」として研究してみてはどうかと思うが、規範日本語と規範朝鮮語の圧力があまりに強くて、このことばが独自で成立、発展する可能性は低そうだ。54

などということを読んでいると「正しい日本語圧力」というのは国家指向だということがよくわかる。

文字というか綴りと音の離反というのは、多少なりともどの言語にもあるようで、田中さんは、「ウソツキの習慣を身に着けるのがことばの勉強だという印象を子どもは持つ」とさえ言い切ります。なぜ、英語の授業が難しいか、よくわかりますよね。

相変わらず、いろいろな仮説をどんどん大胆に提示するお方でした。
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by eric-blog | 2005-05-27 07:33 | ■週5プロジェクト05 | Comments(0)

教育力としての言語 シュタイナー教育の原点

85-4(396) 教育力としての言語 シュタイナー教育の原点
広瀬俊雄、けい草書房、2002

いま日本でシュタイナー教育を実践している学校、教員はどれほどいるのだろうか。著者は広島大学大学院教授で広島シュタイナー教育研究会を主宰されているそうだが、ウィーンに留学しシュタイナー教育を研究したのは1990-91年。齢48歳の時であります。子どもさんもシュタイナー学校に通わせたのだそうです。感動的な教育に出会ったのだそうです。
ちょうどこの本を出したときが60歳。シュタイナー教育のブームと言えば、子安美智子さん、葛西さんの人智学研究などがきっかけだったと思うから、80年代かな。

ERICが教育力向上講座を始めたのが2000年だから、課題の認識としては、シュタイナー教育の人々とも一致するところが大なはずだばーよ。

教育力をもたない騒音語。
凶器としての言語。
物質的感覚的になった言語。

まず、著者は現状、社会と教育における、を思いっきり憂いて、第一章第二章、そこから幼児期、児童期、青年期に必要な言語教育を説く。第三章第四章第五章。

まままま、課題の分析はおいといて、大切なコンテンツの方に移りましょう。
幼児期にあっては「話す」「聞く」ことの習熟、そして児童期にあっては、言語の基盤となるものを習熟。それはつまり、
○実物との結合で習得された言葉
○思いと一体となった言葉
○言語と芸術を結びつける
○実際的な体験と結びついた言葉
○利己欲を克服する言葉

思春期・青年期にあっては
○意欲的で探求的な思考を促す「学ぶ楽しさ」
○世界への関心
○生き方の探求
そのために授業に参加する(一方的な講義型の授業は見当たらない、と)、教育者と対話する、仲間と話し合う、読書する、伝記自叙伝を読む、日記をつける

こういうことが教育的指導者にできればいいのですよね。そのような教育的指導者をどのようにこの広瀬さんが大学院で育てているのかが見えない。いいのか、60歳でそれで。

なんでみんなそれぞれに努力して、考えて生きているいまを無碍に言うかなあ。やりようがないじゃん。「わが国でも意欲的で探求的な思考を具備している青年も少なからずいる」176 なんだよ、それ。 
なんでいいものは外にあるだけなのかな。でも、こういうことを講義してんだろうなあ。それじゃあ力はつかないよ。力は発揮することによって身についていく。成長がある。難しすぎず、易し過ぎず、だ。 ALWAYS, AND ALL THE WAY through your life!
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by eric-blog | 2005-05-26 09:11 | ■週5プロジェクト05 | Comments(0)

話術

85-3(395)話術
徳川無声、白揚社、2003年新装版、1949年初版

なんとすごい本。たいていは1949年頃に書かれたものなんて、読みにくいわ、時代がにおうわ、無理して読んで、やっとこエッセンスを拾い出す、てな感じなのに、この本の瑞々しいこと!

でも、ジュンク堂では、品切れだったなあ。

ファシリテーター必携の一冊と言ってもいいでしょう。1940年代50年代のテキストの良さは、変に専門分化していないところで、基本のところが幅広く押さえられていることが多いことでもあります。そんな良さが十分に味わえます。

総説、各説、話題の泉という構成。各説以降は、時のあるいは過去のハナシ名人たちのエピソードがたくさん紹介されている。ちと、これは古いかな。誰のことやらさっぱりわからない。

まず、ハナシができる人間というのが、すごい、というところから入ります。「広大無辺なご利益」がハナシができるということであれば、人間の中でもハナシがうまくできるほど、人間らしく進んでいるということ。自分は言うなというのは封建時代の遺物であって、さっさと捨ててもらいましょう。18-20
封建時代が、日本人の口封じをしてしまったのではないかと。日本は古来言霊の国でもあったのだから、多いにハナシについての研究をしようではないか、と。
誰にでもできそうだけれど、難しい。特に漫談などは、名人と下手との区別も難しい。何が違うんだ、というところだが、ま、こんなことぐらいは考えているんだよ、とハナシの要諦に、無声さん、入っていくのですな。

○心よき人が話すこと。ハナシは人なり、コトバは心の使い、よき心よきハナシ
○ハナシは言葉の建築物。意志を伝える、感情を伝える、知識を伝える、その目的によって組み立てをかえる。美しい言葉、強い言葉、正しい言葉。
○声調口調、大きい声、強い声、美しい声。毎日の心がけを忘れないこと。
○間。マとは虚実のバランスなり。

各説では、日常の座談会談業談から演壇にたっての演説説教演芸など、それぞれの分類についての無声さんの考えがすっきり紹介されている。歯切れがいい!

知人同士の座談についての心がけなんてアクティブリスニングそのものです。
笑ってしまったのが「相手の名刺を粗末にするな」です。手に持ってくるくる回したり、燃したりするのはいただけない、と。
座談15戒というのがあるのですが、まとめておきますかね。
1. 一人でしゃべるな
2. 黙り石となるなかれ
3. 反り返るなかれ
4. 馬鹿丁寧なるなかれ
5. お世辞やたるなかれ
6. 毒舌屋たるなかれ
7. コボシ屋たるなかれ
8. 自慢屋たるなかれ
9. ほら吹きたるなかれ
10. 酢豆腐たるなかれ
11. 賛成居士たるなかれ
12. 反対居士たるなかれ
13. 軽薄才子たるなかれ
14. 朴念仁たるなかれ
15. 敬語を忘るなかれ

こういうのを読むと、たぶんに、いまの社会において「ハナシ」のトレーニングは進んできているなと思うのですよね。やっぱり、落語に出てくるほどの人はいないですものね。いまの漫才に出てくる人は実在するけれど。

業談で無声さんが引用しているのはニストラムさんの「商品知識」です。商談では当然商品についての知識が必要になり、それがハナシの中核となるのですが、さと、どれほどのことを知る必要があるのかと、無声さん「たいしたものではありませんか」と感嘆しきり!
1 在庫品の種類、a 形、サイズ、色、価格 b 分量
2 在庫品のある場所 a 販売用 b 貯蔵用
3 各商品に関する知識
  売価、自様態、在庫期間、使用法、もっとも適する使用法、便利、愉快、耐久性、安全性、純粋性、スタイル、美性、構成、製造法、生産費、供給の範囲、使用の歴史、現代使用の傾向、他種類との競争、他品との競争、製造者とその名声、品質の実験、過去および現在の使用者の満足度、

販売上の妨害となるものについてもニストラムさんを引用しつつ、ハナシ手と聴衆について考えるときの参考になると言います。最初がニストラムさん、後が無声さんの言い換え。
1. 欲しくない ソノ話ハキキタクナイ
2. 必要でない ソンナ話ハドウデモヨイ
3. 価格が高すぎる スコシ話ガムズカシスギル
4. 買うことができない トテモ自分ニハワカラナイ
5. いま少し待とう 今キカナクテモイイ
6. 現在のもので満足 ソンナ話自分デモココロエテイル

演壇での話しにおいては「単調は退屈の母」、草稿を練り上げて話すときは離れること

無声さん、ラジオドラマの原稿は自分で台本にしていたようで、彼の当たり役「宮本武蔵」についてこんな説明がある。眼で読む文章を、耳で聞く文章にかえる。「思い出した」を「ふーむ」に「流紋」を「流れ」に。187-188

ハナシは、人と人の間に流れる間のことなのですね。よき話術で、よき間を持たれます様に。
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by eric-blog | 2005-05-25 10:00 | ■週5プロジェクト05 | Comments(0)

ルネサンスとは何であったのか

85-2(394) ルネサンスとは何であったのか
塩野七生、新潮社、2001

1050年から1650年をカバーする年表が見開きで、最初に出てくる。1096年に始まり、1291年に終わる「十字軍時代」から十字軍に乗じたイタリア都市国家の経済力興隆時代、経済大国化、1348-49年のペスト大流行、1453年の東ローマ帝国の滅亡、1492年のアメリカ発見、シェイクスピアの登場と1558年からのエリザベス一世の時代へと、担い手の変遷が見えるところあたりで年表は終わる。その間にちりばめられた57名の「ルネサンス人」たち。宗教、政治、絵画、彫刻、建築、航海、自然科学、文学、哲学、詩、出版などと分類され、色分けされ紹介されている彼等は、「頂上を極めた人」たち。
彼等が極めた「ルネサンス」とは何だったのか。ルネサンスに絡んで15作もの作品を世に問いつつ、「なぜルネサンスなんですか」とそれでも聞かれることに嫌気がさして、わかりやすい対談形式で書いたという本である。「塩野七生ルネサンス著作集1」として収録されているところがその位置付けのわかりやすさを示しているだろう。

中世を支配してきたキリスト教的な価値観の崩壊に立ち会ったルネサンス人と、近代を支配してきた西欧的価値観の崩壊に立ち会っている私。...彼等が新しい価値観を創りあげるためにまず回帰した先が古代のローマなのだから、...というわけで、今はローマを書いている。8

185
「ルネサンスの遺産を総括するとすれば、何でしょう。」
「第一は芸術品の数々。心の眼で見られれば、よりよい。
第二は精神の独立に対する強烈な執着。...自分の眼で見、自分の頭で考え、自分の言葉ないし手で表現することによって他者に伝える生き方です。
第三は、二元論ではなく、一元論的な考え方。...精神と肉体があってこそ、一個の人間であるのですから、...悪を押えて善をより多く発揮させながら生きるにはどうすれば良いか、が最重要課題。..これがソクラテスの教えでもあった。
この古代を復興したルネサンスでは、当然ながら人間が中心にならざるを得ない。善悪ともを内にかかえる人間が中心になれば、「悪」は他人の行うことで自分は知ったことではない、などとは言えない。つまり、悪魔に責任転嫁できなくなった。...自己コントロールを求められるので、精神も強靱。
解説書に頼らずにルネサンスの天才たちに向き合うこと。得た思いを自分自身の言葉で言ってみる。これさえ実行すれば、あなたもまた、ルネサンス精神を会得できたことになる。」187
「宗教改革も反動宗教改革も、所詮は西欧のキリスト教世界の問題でしかなかった。...ルネサンスで打ち上げられた精神は、西欧のキリスト教世界以外の文明圏に属す人々にとっても「関係ある」ことなのです。それを実証するのが日本語の「心眼」「克己」。時代や民族や宗教のちがいを超越して、普遍性をもつことができた理由である。」188
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by eric-blog | 2005-05-24 13:31 | ■週5プロジェクト05 | Comments(0)

もうひとつの声

85-1(393) もうひとつの声 男女の道徳観の違いと女性のアイデンティティ
キャロル・ギリガン、川島書店、1986

In A Different Voice--Psychological Theory and Women's Development, 1982
Carol Gilligan

版元品切れ、重版予定なし。恵泉で借りた。本や論文の価値は「被引用度」にあると思いますが、この本は女性学の文献中、何度か見かけていると思います。最近では....とチェックしようとしたら、exciteがメインテナンス中。こんなとき、全文検索をかけられるブログやインターネットの便利さを思うよね。

まず、道徳観や正義感の発達や心理学などの研究が、男性を中心に行われてきたのではないか、その結果女性の道徳観の発達が未熟だとか、ないとか言われてきているのではないか、そもそも、男性の発達を基準に考えているからこそのものいいなわけで、と。では女性の正義感の発達はどう計り、調査し、探求できるのでだろうか。

ギリガンは、小学生などの子どもの段階の調査の分析、小説に現れるヒロイン分析、そして、自身が行った大学生などの成人期の聞き取りと追跡調査などによって、実は正義感や道徳の発達は生涯学習的な課題だということを描き出している。(と、わたしは思った、のだが、その評価については訳者あとがきなどとずれている、ううう)
また、その発達の契機となるのは妊娠、仕事、家族などであり、それらなしで、女性のアイデンティティの形成は完成していかない。とギリガンは着眼したのだと思う。そういう調査をしているのだから。

子ども期については、ピアジェなどの研究が豊富であるので、確かに男女の比較になっていますが、成人初期についての分析以降は、女性の研究のみ。こんなところでも、逆に男性は単純化され、扱われていないことを感じるなー。いろいろ課題はあるだろうに、機械的に処理されている気がする。というようなことが後の男性学などの萌芽につながるのだろうね。

さて、ことば借り的紹介です。たしかに被引用度が高くなるのがわかる、いいことば群があります。長く引用したいのですが、大変なのではしょっています。

・心理学、発達理論の研究家たちは、...男性の生活を規範として受け入れて、女性を、男性という記事からつくりあげようとしてきた。4
・しかも、男性との違いを「女性が発達をしそこなったことの原因」フロイト、としてとらえる始末。4 「女性にはそもそも明快なエディプス解消への起動力が備わっていない。..したがって女性の超自我は不完全なもの」「男性よりも正義感が少ない...人生における急場を感受する傾向が乏しく、ものこどの判断に感情に左右されやすい」5
・チョドロワの研究「女性のパーソナリティは、他人との関係の中で定義される」
・性のアイデンティティは、男女いずれも3歳になる頃までには確立される。
・それまでに世話をしてくれる人が典型的に女性である場合、性のアイデンティティの形成における人間関係の力学構造は、少年と少女で異なってくる。
・少年にとっては分離と個別化。少女にとっては、愛着。そして愛着の否定、切り離しが返って危機となる。
・切り離しがmustである男性の発達という尺度から見て、切り離しが不必要である女性の発達において分離の失敗を発達の失敗と捕らえてしまった。8
・少年たちの遊びは、口ゲンカがあっても続く。少女たちの遊びはケンカで終わる。(ジャネット・レバーの遊びと社会化の研究より)8-9
・少年は規則を創り出すことが好き。(ピアジェ)・子どもというものは、規則に従った遊びをすることが道徳性の発達に必要な規則を遵守する精神を学んでいく。(ピアジェ)に加えて、そのような教えは、口論をしていく過程でなされる役割者得の機会を通じてもってとも効果的に学ばれていく。(コールバーグ)10
・少女は、ケンカの解決のための規則を苦心してつくりあげるよりは、むしろ人間関係の継続を遊びの継続に優先させている。
・少女の遊びは「一般化された他者」を指向せず、「特定の他者」を演ずるのに必要な共感と感受性の発達を促進する。(ジョージ・ハーバード・ミード)11
・エリクソンの人間の心理社会的発達の8段階。幼児期の「信頼対不信」、第2段階「自律性対恥と疑惑」第3段階「自発性対罪意識」第4段階「勤勉対劣等感」そして青年期へ。
・この発達段階は、男性中心。アイデンティティにおける親密さは二の次。それはわかるが、だからどう、という14-15ページあたりは全然同意できない。大学でエリクソンに触れて、違和感もなく、自分の発達課題を考えてきたわたしには、ギリガンのこのあたりの分析は無意味だ。
・権利の概念(コールバーグ理論による5.6段階)はあらゆる理性的な人間が同意できるような、客観的にみて公平かつ公正に道徳的ジレンマを解決することを指向する。責任の概念は、...どんな方法にも限界があるということに焦点をあて、解決されないままの葛藤を説明しようとする。30
・女性の発達のわかりにくいなぞは、ライフサイクルにおいて女性は、人にたいして愛着をもちつづけることの重要性を認識している点にあります。32...一般発達論が、人間の分離、自律性、個別化、それに自然権をほめたたえる中で、この認識を保つこと。

大学生、成人への聞き取りより。
・義務や犠牲という観念は平等の理想と矛盾する112
・傷つかずに葛藤を解決する方法が道徳にはある。115
・相互関係の認識と、道徳判断や選択の主体的な判定者としての自己の認識
・葛藤を残さない決断はありえないし、排除を含まない行動様式もない。209
・理屈がすべてじゃない。全体を分解してから、各パートを寄せ集めてみても、全体の方が大きい。213
・感情を切り捨て、心配りもやめた女性たちの行き着く道徳的ニヒリズム。...強者が人間の絆を断ち切るような世の中にあって、「なんのための心配りなの?」...強者は道徳的である必要はないのであって、弱者だけが人間関係に気を配る。220
・個人の要求のために「自然な絆」を分解させるのが、権利の論理。一方このような個人の要求を人間関係のなかに組み込むのが、責任の論理。234
・道徳性とは力を意識すること245責任は自分の影響力の意識246
・責任という心配りの限界。262

・「主体的な人間になる」過程で、..夢という期待が脅かされると、「とりかえしりつかない失敗」を避けるために、男は「逃げ出す」(レヴィンソン)270
・人々は自分という人間の一部。283
・正義の倫理が平等の前提から出発する一方、心配りの倫理は、非暴力の前提に基づいている。305
・公平と心配りのあいだの対話は、...成人の仕事と家族関係をより理解できるかたちで描く。305
・状況に左右される発達の本質。305









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by eric-blog | 2005-05-24 12:18 | ■週5プロジェクト05 | Comments(0)