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TEST in 大阪


あっと言う間の2日間でした。一人ひとりが持ち寄る「物語」が豊かであればあるほど密度は濃く、時間は長くなりますね。伝えたかったこと、共有したかったこと、まだまだありましたが、共に考えあった内容の豊かさに感謝。次の機会があることを願って、自分自身もまたそれまでに成長していたいなと思いました。

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by eric-blog | 2005-04-30 18:10 | □研修プログラム | Comments(3)

『ラーメン発見伝』芹沢語録

『ラーメン発見伝』芹沢語録
久部緑郎作・河合単作画、小学館、2000年

漫画雑誌ビッグコミックスペリオールで平成11年1999年から連載されているこの漫画は、ラーメン屋を目指して屋台で修行する二足わらじの会社員の物語。そこに敵役として出てくる芹沢某氏が、なかなかにするどい。しかも、その台詞を言うときの顔がドアップでわかりやすい。というのでトップ10を拾ってみた。(数字は単行本の巻-杯=話)
明日からの大阪での研修では、これを使ってアイスブレーキングをする予定!!!!です。

・上手いラーメンより、旨いラーメン      (2-11)
・一時間が30分より長いとは限らない      (7-54)
・うまいラーメンで満足しているのはアマチュアに過ぎない。「うまい店」をめざしてこそプロなのだ。       (7-54)
・おまえはラーメンと見ると、一口も食べないうちから、胡椒をドバドバかける口か?   (5-35)
・おまえの言っていることは「マニアの論理」であって、「店の論理」ではない。(4-28)
・厨房だけがラーメン屋のすべてではない!     (3-22)
・ヤツらはラーメンを食っているんじゃない。情報を食っているんだ。(1-7)
・誰にも理解できない理想のラーメンにいったいなんの価値がある!?   (7-番外)
・商売をしていく上で、理想を追求するということは、そういうことなんだ。(1-8)
・新しい何かとは、構造を疑い破壊することなくしては生まれないのだ!(8-66)
・ラーメンに枠などない。(10-87)

ささやかな藤本の挑戦の言葉が以下である。
・でも、ウソを食わせるのではなく、本来の魅力をわかってもらう工夫という、理想を現実にする戦略もあるのではないか。(1-8)
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by eric-blog | 2005-04-28 04:49 | ■週5プロジェクト05 | Comments(1)

傷ついた身体、砕かれた心

81-2(378) 傷ついた身体、砕かれた心
アムネスティ・ジェンダーレポート1 女性に対する暴力と虐待
アムネスティ・インターナショナル編、2001
Broken bodies, shattered minds, Torture and ill-treatment of women, 2001

アムネスティは1972年以来「拷問廃止」に取り組んで来ており、2000年からの取り組みが3回めのキャンペーンとなるらしい。その後1984年に二度目のキャンペーンを行い、「拷問等禁止条約」が採択されるに至る国際的な動きを作り出すことに成功したといいます。(はじめに、より)

三度目の獲得目標は2つ。
・私的領域での虐待行為=私人による暴力も拷問であることを認めさせる。
・公的領域での虐待行為の中でも女性に対する強姦も、性的拷問であることを認めさせる。

この報告書は、DV、性的搾取、セクシャルハラスメント、性的虐待、紛争下における性暴力、FGM女性性器切除、などが「拷問等禁止条約」違反であることを明言した画期的なもの。

8
女性に対する拷問は、男性と平等である女性の権利を否定する世界的な文化や慣習に根ざすものだ。...その文化や慣習は、...女性の身体に暴力を加えることを正当化している。
女性に対する暴力は、このような差別の土壌に起因し差別を強化していく。...男女間の不均衡な力関係は歴然としており、しかも暴力によって強化される。女性に対する暴力は、人種、民族、性的指向、社会的な地位や階層、年齢を理由とする差別によりいっそう深刻な影響を与える。このような複合差別が起こると、女性の選択の幅はますます狭くなり、女性が暴力の対象になりやすくなり、さらに、被害者が救済を受けることをますます困難にする。

国家は身体的・性的虐待から女性たちを保護するのに必要な基本的措置を講じることを怠った。それゆえに、(加害者が誰であろうと)国家には、このような女性たちがじっと耐え忍んで来た被害に対する責任の一端があるのだ。

12
扱く林死せゅら否対すね暴力特別報告者(E/CN.4/1996/53)は「.....国家が私人による個人の権利侵害に対して制度的に保護を提供できない場合、その国家は共謀していると見なすことができる」と断言している。国家のなすべき当然の努力には、虐待の防止、捜査・起訴・裁判の執行、被害者の救済と補償が含まれる。
13
国家による不作為=不十分な防止策、警察の冷淡な対応、虐待を犯罪と認めない、司法におけるジェンダー・バイアス、公正な法的権利の侵害
加害者の責任を見逃すことではない。罪に応じた刑罰を受けなければならない。

この本で取り上げられ、紹介されている事例がどれほどの国々にまたがるか、おびただしい数なのだが、言及されていないことが不在の証明にはならない。きちんとした調査をしていなかったり、事実が語られることが抑圧されていたりするのだろうから。しかし、国名をあげておくことも無駄ではないだろう。あなたが、世界の国々のどこかを訪ねるときに、あなたの見る風景には入ってこないかもしれないところで、隠れた次元で起こっていることがあるということを意識化するために。

バングラデッシュ、中国、コンゴ、エクアドル、エジプト、フランス、インド、イスラエル、ケニア、レバノン、ネパール、バキスタン、フィリピン、ロシア、サウジアラビア、スペイン、スリランカ、タジキスタン、トルコ、米国(2000年1月から9月のあいだに拘禁中の女性に対する拷問や虐待が報告されたものp.48)

被抑圧者の3つの技術 Record, Report, Remember
記憶、そして意識化のためには「祈り」の習慣のあることが、有効かもしれないな。

「トルコでわたしも考えた」第4巻を最近読み、月曜日に恵泉で「カンダハール」を途中まで見、そして「ギャラリーフェイク」32巻を今朝読んだのだが、ブルカやチャドルなどを「捲かなくてはならない」文化に触れるとき、「イスラムは人間の弱さを前提に考えているのだな」というような高橋ゆかりさんのような感想に反して、だんだんドキドキ感が高くなるわたしなのだ。というのも、女性に対する事例に中近東は多い、のと、表面化できない、できにくいものを感じるせいなんだけどね。
人間の社会から暴力がなくなることはないだろうが、なくす努力は続けられていくだろう。Sisterhoodとは、生きる希望への手の差し伸べあいのことなのだ。たぶん、人類愛も。
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by eric-blog | 2005-04-27 14:49 | ■週5プロジェクト05 | Comments(0)

ヌサンタラ・ヌサンタラ

かくたです。
ERICのメーリングリストへの書き込みですが、いい内容なのでブログでもシェア。
今週末の大阪での講座にも予定通りの人数が集まり、ERICのESDfc人間修行講座、絶好調!!!
******************************
発信人:中島 大
つのだ様、梅村様、皆様

 つのださん個人に返信しようとしていたら梅村さんからもコメントが入
ったので、また書かせてもらいます。

 ヌサンタラ(nusantara)とはインドネシア語で「多島海」のこと。
インドネシアそのものがヌサンタラともいえますが、ジャワ島のように内
陸の隅々まで開発された島とはイメージが違います。
 逆に、スラウェシも広い島ですが、こちらは熱帯林破壊が進む前はおそ
らく内陸交通がほとんどなく、沿岸部に点々と都市や村が拡がる状態だっ
たでしょう。そして周辺に拡がる多くの小島。そういった、交通のほとん
どを海上交通に依存する「海域」がヌサンタラなのだと私は理解していま
す。そして、スラウェシから東、ニューギニア島との間に拡がるヌサンタ
ラがマルク(モルッカ)諸島です。
 私はフィリピンに行ったことがありませんが、同行した仲間はスールー
諸島とマルク諸島の違いについて議論していました。スールー諸島から
フィリピン、台湾、琉球諸島、そして北は日本列島まで、西はマレー半島、
スマトラ島からアンダマン諸島まで、西太平洋からインド洋にわたるヌサ
ンタラ・ヌサンタラを「島嶼東南アジア」と呼んで歩き回ったのが
鶴見良行さんだと思います。
 「ヌサンタラ・ヌサンタラ」と書いたのは、以下のイメージです。梅村
さんのおっしゃる琉球諸島(ヌサンタラ)とスルー群島(ヌサンタラ)と
マルク諸島(ヌサンタラ)の間の類似と相違、それをさらに日本列島から
アンダマン諸島にまで広げて考える、そんなイメージ。
(インドネシア語) (日本語)
オラン(orang) 人
オラン・オラン 人々
プラウ(pelau) 島
プラウ・プラウ 島々
ヌサンタラ 多島海(諸島)
ヌサンタラ・ヌサンタラ ??

 「シマ」はヤマトコトバなので「島々」という造語はできるけれど、「
多島海」あるいは「諸島」は漢語なので「諸島・諸島」というような造語
ができないところが残念。ヤマトコトバがないということは、日本人にと
って「多島海」「諸島」という概念があまり重要でなかったとも言えるで
しょう。
 その一方、プラウ・プラウ=島々、のような造語ができること自体は
日本語とインドネシア語の類似でもあるわけです。安本美典の研究(基礎
語彙における語頭の子音の一致率を統計学的に分析し、言語の類縁関係を
調査)によると、歴史的類縁関係が明確な言語(韓国語等)を除いて、
日本語と統計的に有意な類似がある言語は、彼が調査した範囲では唯一
インドネシア語だけだそうです。
 天皇家が実は南海系、ということだって、荒唐無稽とも言えない。古事
記に出てくる神話とフィリピン・インドネシアの神話の類似を研究した本
がありましたね。「黄泉の国まで追いかけてゆく」「1000人殺してやる、
1500人生んでやる、といった呪詛のやり取りをする」といった要素に分解
すると、フィリピンあたりの神話とかなり共通する要素があるそうです。
(何の本だったかなぁ?)

 かくたさんが「バジャウのテレビ番組を見た」と書いていましたが、多
分その番組を製作したのは門田(もんでん)さんです
(海工房HP→http://www.umikoubou.co.jp/)。
 つのださんが「見たい」と書かれた中島撮影ビデオは、その門田さんが
編集中。5月28日の埼玉大学鶴見良行文庫完成記念シンポでお披露目予定
です。(私も細々と編集してはいますが)。テロップやスチル写真も挿入
するそうです。
※ 5月28日(土)14:00〜 さいたま市立生涯学習センターにて
 実は29日朝10時に海工房で下見の会(門田・藤林・中島)があります。
つのださんも来ますか?
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by eric-blog | 2005-04-27 09:57 | Comments(0)

ヌサンタラ航海記

81-1(377) ヌサンタラ航海記

村井吉敬、藤林康編、リブロポート、1994年

相愛(つれあい)の中島大がいまビデオの編集にはまっていて、今日は昨日の韓国ドラマ「オールイン」を見てました。え、全然関連が見えないって? わたしにもよくわからないのですが、昨年の誕生日祝いは、DVDレコーダー・プレイヤーだったのです。実は、中島が自分の撮影してきたヌサンタラのビデオをDVDにして編集したかったというのが、誕生日プレゼントの裏にはあったという。
いやー、芸能界は離婚破局ばやりですが、1999年に結婚したわたしたちはまだラブラブ。
ヌサンタラとは、インドネシアの多島海のこと。それで、中島が「ヌサンタラ」「ヌサンタラ」と話していて、ビデオを見ていて、「ふっるいビデオだなーー、学生時代にでも村井さんたちに連れられて行った航海のことででもあるのだろうか」と思っていたのです。ところがびっくり、1988年の時のことだったのですねぇぇぇぇ。わたしがグリンピの仕事をはじめたのがちょうどそのころ、海洋生態系の仕事でソロモン諸島を訪ねたのが1993年だったですから、5年違いでこの古色蒼然感は何なのでしょうか。わたしが訪ねたその年はちょうど「ガダルカナル戦勝記念」のお祝いがあった年だったのですけれどね。(http://www.qmss.jp/qmss/pac-war/guadalcanal.htm)いま行けばもっと変わったところと、それでも変わらないところとが見えるのでしょうね。

さて、この航海の報告が出されたのは94年。航海から5年以上たってのこと。報告を書いているメンバーは村井吉敬、藤林康以外に、新妻昭夫、鈴木隆史、北窓時男、福家洋介、森本孝、宮内泰介、鶴見良行、中村尚司、内海愛子。進化論あり、アジアを食べる猫あり、エビあり、経済学や地域通貨あり、それぞれの関心分野もかなりばらばらの集団の乗り合い船であったようである。

1988年7月18日に始まり8月29日に終わる当番制で書かれた『航海日誌』10-36に加えて10本の文章で構成されている。日誌にはなんと角田季美枝さんの名前もあり、16名が参加していたという記述もあり、20名以上は写っている出航時の記念写真もあるのだが、それ以外の豊富な写真にも記述にも日本人が写っていない。というような、「見る側」あるいは「見た側」としての報告書です。またまたおもしろかった記述だけ引用します。

宮内さんがサゴヤシを入れた「トゥマン」について、当初バナナの葉で作っていると認識していたものが、そうではないことがわかったのは旅も終わりに近づいた頃だという。129 
空っぽのトゥマンを見かけ、解体してもらってみたら、3種類のヤシを素材に使って、それぞれの持分を生かした組み立てになっていたという。「思い込みが見事に壊されるとき、私たちは快い驚きに包まれる。偏見が崩れるということは、同時に、そこに新しい認識の枠が出来上がるということだ。認識の枠は、出来上がっては壊れ、出来上がっては壊れる。それこそが旅の醍醐味だ」
うまい!!! 出来上がっては壊れ、壊してはまたできる、のではなく、「出来上がる」続けてくるものなのだ。おもしろい。

さて持続可能な開発や社会のあり方について、中村尚司さんが言うべきことを何もこの本から引用する必要はないのかもしれないけれど、この旅で、ひとつの仮説が確信になったと言うので、引用します。162
「「商品化三原則」
1. 働いて生産できるものなら、売ることもできる=栽培養殖可能性、非更新性資源の制限
2. 売るために生産したものなら、商品化できる
3. 人命に危害を及ぼさなければ、売ることができる」

そして、最後にインドネシアのフィールドワーク経験の豊富な村井さんが、この島から島への航海から特に見えてきたとする課題を紹介しよう。197

「行政の糸はヌサンタラの果てまでも及んでいる。...その版図の中ではあらゆる行政の糸がジャカルタから放射線状に伸びている。...こうした中央集権の放射線状ネットワークと、住民の必要に応じた縦横ネットワークとの対比をもう一度しっかりと考え直す必要があることを痛感した」

それでも人々の生活は続く、のだが。

インドネシアでは、行政の放射線状ヒエラルキカルネットワークに加えて、軍の放射線状ヒエラルキカルネットワークとが混在もしているのだ。沖縄で聞いた話で、中央政府からの巫女さんがノロさんで、地付きの巫女さんがウタさんと呼ばれて両方が存在するとか。わたしたちに見えていないものを見る努力が必要だね。

TV番組でも取り上げられていた海の民オラン・ラウト、バジャウの人などはそれだけでも十分に興味を引きますよね。確か番組ではお墓をラグーンの島に作っていたように記憶しています。(http://www.asiabunko.com/p_bazyau.htm、02403-19940313地球ZIGZAGフィリピン漂海民バジャウ、など)
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by eric-blog | 2005-04-24 13:10 | ■週5プロジェクト05 | Comments(0)

学習する組織−フィールドブック「10の変革課題」

80-5(376) 学習する組織−フィールドブック「10の変革課題」-なぜ全社改革は失敗するのか
ピーター・センゲ他著、
The Daqnce of Change-The Challenges to Sustaining Monmentum in Learning Organization
Peter Senge, Art Kleiner, Charlotte Roberts, Richard Ross, George Roth, Bryan Smith
1999

組織を生きたシステムとして見ること、それは「成長の力」と「平衡の力」の間の絶えざる相互作用を理解することであり、「ダンス・オブ・チェンジ=変化のダンス」を楽しむこと。(日本語版への前書き、3)
自己拡張型のパターンを持つ成長プロセスを活性化させる。
そこでは組織としての成果と個人にっての成果が同時に生み出され、信頼ある人間関係が築かれていく。4

変革を押し戻そうとする「壁」を「入り口」にする。


3つの拡張循環の成長プロセスの中で、組織におけるソフトとハードが表裏一体となって変化していく。22

個人の学収納力やコミットメント・意志が高まっていく成長のループ
チームや変革に関わっている人々の協働のネットワークが発展するループ
組織として具体的な業績をあげていくループ

課題1 時間がない
課題2 孤立無援
課題3 意味がない
課題4 言行不一致
課題5 恐れと不安
課題6 評価と測定
課題7 改革者と部外者
課題8 ガバナンス
課題9 普及と浸透
課題10 戦略と目的

----------------
こんなことに取り組んでいる暇があるのなら、ERICの「NPO運営マニュアル」を実践しつづけている方がましな気がする。「5つの原則」よりはるかにわかりにくく、はるかに実践しにくいものになっているように感じた。

   >(+++++++メルマガの心がけ+++++++++)<

  ・定期的に送れていますか
  ・読者との関係が見えますか
  ・ERICのことが知りたくなりますか
  ・見やすいレイアウトはできていますか
  ・見出しは内容に応じて工夫されていますか
  ・文章は親しみやすく、簡潔になっていますか
  ・より詳しい情報にすぐにアクセスできるようになっていますか

  m(..)m--v(^ ^)v--m(..)m--m(..)m--m(..)m--y(^ ^)y--m(..)m
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by eric-blog | 2005-04-21 18:14 | ■週5プロジェクト05 | Comments(0)

どうなる、どうする 世界の学力 日本の学力

80-4(375) どうなる、どうする 世界の学力 日本の学力
日教組第52次全国教研 特別分科会「学力問題」記念講演とシンポジウムより
監修 長尾彰夫
編集 日本教職員組合

2003年1月26日
9.30-12.00
記念講演 A.シュライヒー「OECD加盟国における生徒の学習到達度について
Student Performance in OECD Countries
13.00-17.00
シンポジウム「私たちのめざす学力」


2002年4月から完全学校5日制が始まり、学力低下が議論されてきている。それに対して日教組の学力問題についての考えを明らかにするために議論されたものをまとめたもの。

長尾さんは、『解放教育』の最新号にOECDのPISA学習到達度調査について解説を寄せている。PISAの調査結果において日本の順位が下がったことを、日本で議論されている「学力低下」という基礎学力の低下という議論の道筋で引用していたメディアが多いことを指摘して、彼はPISA調査の言う4つの学力は、日本の基礎学力とは違うということ、PISA調査で順位が下がったことから教育を見直すのはまったく違った方向に向かう必要があることを指摘している。

その一文でもPISA調査とは何かを紹介してくれているが、この本が日本では唯一の原典と言えるものになるか。

OECDのPISA調査は2回目なのだが、このシュライヒーさんの講演は2003年、まさしく第1回目から二回目への真ん中で行われただけに興味深い。8-9

「日本の生徒が世界でもトップクラスの成績であることをわれわれの調査が明確に示した」「しかし、どの国であろうと、...急激に変化する世界の中で将来を見据え、教育制度のさらなる発展をその成功の土台に積み上げていかなければならない」
「過去において、教育制度の主要な役割は、特定の職業に向けて生徒を訓練することでした。そして想定された技能は非常にゆっくりとしか変化しないものであったのです。」
「今日学齢期に達した子どもたちの10人に一人しか製造業に従事しない。9人は高度な知識と技術、そして生産的な知識労働者になるべく、学び続ける能力と意欲を持つこと」
「彼らは変化に適応する能力を糧に働く」
「生徒は自分自身の学習を管理し、たゆまぬ努力をもってやりぬき、目標を設定し、自分が学びたいことを成し遂げたといった、学習の進捗状況を監視することができなくてはならない。」
「調査に新しい観点を生み出すこと」

その他、見出しには
・教育は消費ではなく投資
・高い学歴のない人の疎外への対応
・教育が経済成長の牽引役
・高等教育への進学率の上昇
・生徒に学び続ける力を
・質的向上
・PISAは生涯学習の活力に満ちたパターン
・集団に参加し、集団の中で機能する、共に働き、共に学ぶ
・交渉する力
・価値、信条、モラル

そこから新しいリテラシーとして
読解リテラシー
数学リテラシー
科学リテラシー
について5つのレベルで評価。

課題は
・レベルの高い生徒に高い質の教育を
・すべての生徒に高い水準の成績を達成させる
・学校間の格差をどうするか
・生徒の社会的背景が成績に相関している現実


日本の教員はやりやすいとシュライヒーさんは言います。生徒に学ばせるための外的動機としての大学受験があるからだ。今回の調査でも依然として好成績だったフィンランドは前回の調査でも成績が゜よく、氏の講演の中でも比較にだされている。

フィンランドの教師には外的動機の助けがない。生徒が自分自身で学ぶやる気を持たせなくてはならない。
教職員は恵まれた社会的地位にあり、一クラスも平均16人。

分厚い学習指導要領ではなく、明確な達成目標。
-------------------------
そして、つまらないシンポジウム。

というか、複数のパネリスト、対談、座談会などで書き物になっておもしろいものは何もない。ばらばらな知見の放り出しあいだ。当日その場にいて、感じられる対立のニュアンスすら文字にはおこせない。唯一の例外だったのが、養老と甲野の対談だったか、と紹介したように思うが。散漫な印象がぬぐえない。

今回は4つの学力になったわけだし、PISAもどんどん変わる。結果に降り回されるのではなく、プロアクティブに行く必要があるだろうなあーーーー。でないとドルフィンキックみたいに彼らは平気で国際基準を変えるからね。ルールというのはつまりものさしのことだが、そろそろ日本もものさしを決める側にならなくちゃ。
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by eric-blog | 2005-04-21 09:59 | ■週5プロジェクト05 | Comments(0)

女は40歳からもう一度生きる

80-3(374) 女は40歳からもう一度生きる
沖藤典子、海竜社、1991

時代と世代の移り変わりは速いものだと思いました。著者は1938年生まれ。今年67歳になられるのでしょうか。わたしより17歳上。いまはどんな思いでいられるのでしょうか。
この本は1991年。14年前。わたしの今より3歳ほど年取ってから書かれたもの。ずいぶんと状況は変わりました。

ERICのレッスンバンク16号に「50になったら楽しよう」というのを紹介していますが、沖藤さんも、40歳目前の退職から、子離れの50歳と、二回大きな変化があったと言います。
どのように加齢とむかいあうのか、個人差は大きいけれど、すべてのことわざを信じる人はいないし、相互に矛盾しあっていもいるが、あると安心なのと同様、「知恵」を的確に語り伝える技は、手放したくないですね。

時代は、女性が働くのは本人の希望により当然、男性が家事を手伝うのは当たり前。とごく最近の調査でこれまでの数字が逆転したのだというのをコミック誌の欄外情報で読みました。そうだろうなあ。

たぶん14年前に読んでも、共感しなかったような状況が、いっぱい愚痴られているのがこの本なんです。「大変だな、女の人は」的な感想ですか。もともと「女が職場をやめる時」という退職前後の経緯について書いたものが出版された経緯から作家になったという方らしいです。大卒から15年。父親の癌、夫の単身赴任、娘の高校受験。「なにより大切な家族を失うことはできない」という決断からの退職。そこから、「職場」ではなく「仕事」を探したのだと。

子育てから解放され、介護もなくなったとき、女は、改めて自分の人生を組み立てる必要があるのだと。そこに「仕事」というのは大きな意味を持つ、と。

介護は大変なことなのでしょうが、80歳以上で寝たきりは2割以下です。確かに悲惨な話が声高に聞こえてくるのですが、最近国際協力系通信で「ベトナムでは年寄りが大切にされる。「ボケ老人」など見たことがない。沖縄にもボケ老人はいない。老人が大切にされる文化では、「ボケ」はないのではなかろうか」という趣旨の一文がありました。

子ども、老人、いろいろな人生の発達段階にある個体からなる豊かな相のある群れとして、人間はどのように生きるのか、その豊かさを育てるために、改めて、さまざまな知恵を持ちたいものだ、共有したいものだと思いました。

わたしも今年50歳だからね、いたわってくれ。わたしの人生の豊かさにつながる世代間協力、共生の姿が、あなたの未来の豊かさなのだからね。ホントか。
レッスンバンク「50になったら楽しよう」をぜひご購入ください。
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by eric-blog | 2005-04-19 09:31 | ■週5プロジェクト05 | Comments(1)

森林バイオマス最前線

80-2(373) 森林バイオマス最前線
大場龍夫、林業改良普及双書149、全国林業改良普及協会 、2005

こんな出版者があったのねと、全林協、チェックしました。森の認証制度が始まっているとかで、「『緑の循環』認証会議(SGEC)の審査機関として、全林協が認定されました。
「林業普及指導事業」の支援という業務を通じて培ってきた経験と全国に広がるネットワークを活かして、公平で中立な審査体制により、精度の高い審査を実施いたします。」ちょっとおもしろいです。第一号認証は王子製紙の上稲子山林、静岡です。
こんなに認証ばやりの昨今、果たして日本社会はそれを伸ばしていくことができるのか、それともさっさと形骸化させてしまうのか。ここも、ESD ファシリテーターの係わるべきところだなーーー。
ちょっとね、おもしろいロールプレイ、考えてしまいました。「ビジョンからのバックキャスティング」を言っているのはスウェーデンのナチュラル・ステップという団体ですが、さて、日本では何がこれから起こるやら。

さて、この本です。中島大(わたしの相愛ですが)のお仲間。現在は「森のエネルギー研究所」という株式会社の社長をされている方です。

200ページの著書の50ページはバイオマス研究普及団体資料編。17団体。うち3団体ほどが女制性リーダーシップのにおいがする。
閑話休題。

バイオマスとはその文字通り、生物のかたまり。木質バイオマスは森林系と廃棄物系にわけて考えることができるらしく、この本はその森林系についてのお話。逆にバイオマス全体の区分から見てみると、農業系、林業系、畜産系、水産系、廃棄物系と分けられている。どうやら産業構成区分で考えるらしい。16
オール省庁主導によるオール産業協力型で、日本におけるバイオマス総合戦略の策定が2002年から始まった。この本はその総合戦略に対して先進的な取り組みの紹介とその理論的背景をコンパクトにまとめている。

ERICでも「エネルギー資料データ集」をレッスンバンクで出しているが、エネルギー教育も活発に取り組まれてきている中、バイオマスをエネルギー授業の一環に入れるのは必要だろうね。
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by eric-blog | 2005-04-19 08:58 | ■週5プロジェクト05 | Comments(0)

ふるさとの生活

80-1(372) ふるさとの生活
宮本常一、講談社学術文庫、1986

宮本は「ふるさとに関する知識や理解を深めることが子供の人間形成にとっていかに大切であるかを生涯にわたって主張した」と裏表紙の解説には語られている。
村の跡を訪ねたり、人の昔話を聞いて回ったり、日本の隅々を歩いて回った人だと紹介されている。なぜ、と問われて宮本は「すきなんだ」と答えつつ、「今の私たちの生活の習慣や、村や町、そのほかあらゆるものが、どうして今のようになってきたかということは、私のいちばん知りたいことの一つです。そして世の中が今のようなありさまになるまでには、ずいぶんたくさんの人の、目に見えない努力がつまれているのではないでしょうか。その目に見えない努力が少しでも知りたいのです。」17
なぜ、山奥に住んだのか、そしてなぜその土地を離れたのか、続いているところはどのように続いているのか。この本は、わたしたちの暮らしのさまざまな部分について、それがなぜ?そうなのかにつながるものを掘り起こしています。

村、苗字、ものの名前、水田の作り方、漁業の仕方、祭り、など、わたしたちが何をどのように行うのかは、さまざまな積み重ねの結果なのだ、ということをたくさんの事例を挙げて示してくれる。

多くのことが、しかし、すでに失われているように思うのはわたしだけではないだろう。地引網、アマ、シシガキ、氏神さま、ユイ、鳥追いやぐら、幸木、手すり錘、

いまのわたしたちの生活のルーツは、日本という環境だけで蓄積されてきたものではなく、だからこそ、わたしたちはいまの生活のルーツに連なる他文化についても、宮本が「ふるさと」について知らなければと言ったのと同様の重みで知る必要があるのではないだろうか。
そうすることでわたしたちは地球市民というアイデンティティの獲得と責任ある行動をとることができるようになるのではないだろうか。
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by eric-blog | 2005-04-18 15:57 | ■週5プロジェクト05 | Comments(0)