<   2005年 03月 ( 5 )   > この月の画像一覧

春休み

かくた@ericです。

2003年5月1日から始まった「週5プロジェクト」。いつも御高覧いただきありがと
うございます。「千夜千冊」を目指して、一週間に5册、年間35週以上を目標に、参
加型学習を推進するファシリテーターにとって必要な読書、あるいは参考になると思
われる本を中心として、紹介してきました。

初年度は、2003年5月1日から2004年4月6日までの40週、166冊でした。
2004年度は、2004年5月13日から2005年3月3日までの38週200册で、途中7月から
はexciteブログにも並行して紹介するようになりました。ブログの方は、2月までで
累積1万以上のアクセスを記録しました。
例年2月3月は比較的研修も少なくアクティビティの開発やテキストの執筆など、
次年度に向けての準備に時間がとれる時期です。特に今年は、2002年10月以来途絶え
ていたテキストの出版に取り組みたいと思います。
そこで、200册を達成したことを期に、しばらくお休みをしたいと思います。1000册
は絶対に、と思っていますから、4月の再開をお楽しみに。再見!

3月19-21日がERICの04年度最後の講座「教育力向上講座」です。ぜひご参加くださいね。
[PR]
by eric-blog | 2005-03-07 21:39 | ◇ブログ&プロフィール | Comments(0)

オルター・グローバリゼーション宣言

78-7(366) オルター・グローバリゼーション宣言
スーザン・ジョージ、作品社、2004
Another World Is Possible, if...
Susan George

後書きで訳者が紹介しているのだが、スーザン・ジョージ自身は自分たちの運動のこ
とを「グローバル・ジャスティス」と呼ぶ方が好きなのだそうだ。わたしもそうだ。
ちょっと、この本のタイトルは残念な気がする。

それはさておき、内容は、大きく2部から構成されている。
Another world is possible, if....
Another world is within reach, if....
である。つまり、オルタナティブな世界像とそのための道の提示である。

016
「前例のない時代に直面しているがゆえに、多くの答えは、民主的な討論を通して、
集団でしか生み出すことができないようになっている。以前には、誰も国際的な空間
を民主化しようとはしなかったし、地球上のすべての人々に一定水準の生活を保証し
ようという試みもなかった。これらのゴールは、もはやユートピア的なものではなく、
現実的な見通しであり、そこから「もうひとつの世界は可能だ」という宣言が生まれ
る。」

資本主義の空間と時間

今年のERICのテーマは「市民性教育」であるが、ぜひ、グローバル・ジャスティスに
ついての検討はその項目に入れたいものだ。
[PR]
by eric-blog | 2005-03-04 18:25 | ■週5プロジェクト04 | Comments(2)

トラウマの発見

78-6(365)トラウマの発見

森 茂起、講談社選書メチエ、2005

日経の書評2/27付けで紹介されたもの。書評には「トラウマと向き合える社会的余裕
がトラウマ研究を進めている」というような紹介があったかと思う。なるほどそうな
のだが、わたしはこの本を読んで、「歴史の中の科学ジャーナリズム」「知の挑戦」
「専門知と公共性」など学問や科学そのものについての再整理という研究ジャンルに
分類した。「●●概論」というテキストが、同じように理論的発展の経緯や著名な学
者、それぞれの学説などを紹介していたのだが、この本が「トラウマ研究概論」では
なく「発見」であるところに学問や科学、研究が社会的文脈と切り離せないというこ
とを示唆している。

いま手元に日経がないので、確認できないが、書評を読んだ感じと読感の違いはそう
いうところかなと思う。

著者は、心的外傷を残すような刺激・ストレスの近代化の要因として技術の進歩があ
るという。それは一番最初にトラウマが問題にされた事故が「列車事故」であったこ
とから、技術の進歩が人間が出会う事故の大きさを拡大しているということだ。それ
は「近代文明が生んだ病」36と考えられる。
そこには、また「補償欲求」という心理的要因が働くという。38
惨事トラウマ
トラウマの二次受傷
そして、トラウマ研究は、そのような「共感の苦しみ」に突き動かされているという。
47
援助者の苦痛の軽減が研究そのものや、援助のためにも必要なのであると。

・限度を越えた苦しみ、特殊な性質の苦しみの記憶
がトラウマである。7
PTSD Post-traumatic stress disorder
・鉄道脊椎症、戦争神経症
・本人の麻痺、回避/解離、想起/反復強迫、記憶は消せない、偽の記憶
・援助者の共感の麻痺

治療の現在 181
・暗示法/カタルシス法の限界=支配・被支配というトラウマ状況の再現を引き起こ
しやすい
・トラウマ性記憶を物語記憶に変えること。「過去の体験に由来するイメージの処理」
断片的な記憶の再構成と統合によって「距離をもった過去の記憶」となっていく

トラウマの予防も大切185
・早期援助・予防的援助・危機介入

しかしトラウマに強い人間を作ろうとすることは、それ自体がトラウマになってい
る。それは「感じやすい」という特質、「苦しみを受け止める」という行為は、責め
られるべきことではなく、むしろ人間の尊厳に属することである。言い換えればトラ
ウマに弱いのが人間だということである。トラウマに強い人間を作るのは、人間を何
か別ののに変えようとする試みである。188
人間にはトラウマを修復する力が備わっている。189

もしも、著者が「近代」「あるいは「近代的な科学技術」が人間関係そのものを変化
させたという点、そのためにトラウマの扱い方が変化したということまで射程に入れ
て語ってくれていたら、トラウマが近代に「発見された?景としては説得力が高く
なったであろうにと思う。

つまり、鉄道事故であれ、戦争の体験であれ、わたしたちはその経験の直後、ひょっ
とすると一人で、その経験を共有しない他者が、正常な日常を送っている、送れてい
るという状況の中で、一人で、その経験の物語りを紡ぐ必要がある。そのことが、物
語り記憶の紡ぎ直しを難しいものにし、そして「共感の共有経験を持たない他者」に
対する違和感をより強くするのではないだろうか。そのような視点が個人的虐待と惨
事のトラウマの質的な違いも説明することになるように思う。

いい本ではあるが、虐待によるトラウマも扱いながら、近代を技術事故だけにとどめ
ている分析が残念な本である。
[PR]
by eric-blog | 2005-03-04 18:24 | ■週5プロジェクト04 | Comments(0)

軍事組織とジェンダー-自衛隊の女性たち

78-5(364)軍事組織とジェンダー-自衛隊の女性たち
佐藤文香、慶應義塾大学出版会、2004

336ページもの大著である。博士論文の出版物。社会科学の意味のひとつは、このような日常的には不可視な領域に踏み込んでいけることだろう。読んでいて、ドキドキする。インタビュー、アンケートなどの実態調査、新聞、ジェンダー関連フェミニストの雑誌、そして論文など、多様なリソースに当たりながら書き上げられている。1997年から2002年までかかったという大作だ。

『軍事組織とジェンダー-自衛隊の女性たち』というタイトルは、「開発における女性Women in Development」から「ジェンダーと開発Gender and Development」WID/GADの視点の切り替えと同じである。

ジェンダー議論の存在を前提にフェミニストであることの選択をしているわたしは、人類の発展史的に、そして人間の自己実現の相互保証という教育的な社会の条件として平和共存主義、いわばロールズの万民の法の三原則=非拡大主義としての平和、法治、人権に賛成するものであるが、現実に軍隊が存在していることも事実だ。また、いまだに軍事によって国防を考える人々が存在することも。

ローマ帝国の国家予算はすべてが軍団兵の維持のためだった。いや、国家予算なるものの根源、創出が国防だったのだから。ローマ帝国の繁栄は、国防予算と言いながらその配分によってローマ街道、水道、物流・情報流に影響するインフラ整備を進めたこと。インフラなしでは戦えない軍隊の体質というか、インフラによる常勝国家の実現を遂げたことだ。軍団兵は男性だったんだけれどね。
いま、日本の国家のGNP1%の国防予算で、わたしたちは戦後60年の安全を保ってきた。白兵戦については「強国すぎる」日本だから、そこに脅威はありえない。ミサイルによる破壊の脅威に対する対策は、軍隊の人数ではなく、情報戦と迎撃力によってしか保てない。そして抑止力と迎撃力は拮抗しながらエスカレートするというのは冷戦構造で体験ずみ。「信頼醸成装置」による相互的武装解除が求められる。しかし、いま日本に対抗できる軍事費と設備を持った国はアジアには見当たらない。日本の現実は、世界第4位の国防予算をもってしても、迎撃力が不十分だとおびえなければならないというようなことではないはずだ。それが現実。

それはさておき、論文である。
三元図式のそれぞれについて論議を整理することが必要だと佐藤は言う。
53
●軍事組織の存在を正当なものと認めるか否か +-
●男女に対する役割と業務の平等な配分を認めるか否か +-
●男女の差異を個人差よりも大きなものと認めるか否か +-
この三次元軸にそって、8つの象限がめいめいされている。

1+-+ミリタリスト伝統主義者
2--+アンチミリタリスト伝統主義者
3+++ミリタリスト差異アリ平等派
4-++アンチミリタリスト差異アリ平等派
5++-ミリタリスト平等派
6-+-アンチミリタリスト平等派
7+--ミリタリスト実力至上主義者
8---アンチミリタリスト実力至上主義者

ここで、「主義者」と「○○派」と区分されているのはどこかというのがおもしろい。

軍事組織は公領域でもきわめて特殊。8
男性基準で後世され、ジェンダーを主要な編成原理としている。8

これってなんだか自衛隊をすごく「男性原理美化」する言い方だなー。全体を読んで感じたのは、自衛隊の実態に迫っていないということ。なぜ、「女性」の視点を持ち込むことが自衛隊の現実を見えないようにしてしまうのかが、また、おもしろい。必ず、他の自衛隊の実態についての本と同時に読むべきものだと感じた。

フェミニズムは
・公領域への女性の参入と平等
・近代を超える射程として「公私の分離とその序列」「公的領域の組織の編成原理」などの批判
を含んでいるために、「女性兵士が軍隊に入ることで何が変わるのか」を問うことになる。9
マイノリティとしての女性は「悪をなす」ことからも排除されているのか、それとも男性権力のより緊密な共犯関係による被差別者のさらなる差別に加担するのか。10
などの議論がある中で、著者は本書の方針を次のように言う。
・自衛隊における女性の過少代表性によって女性隊員に強いられている男性隊員とは異なる役割
・組織のジェンダーイデオロギーがもたらす男女間および女性間における軋轢

「近代国民国家が、みずからを構成する下位集団を編成し<国民>を創り出して行く過程は、同時に<非・国民>を創り出す過程であり、そしてまた国民をジェンダー化する過程でもあった。」(井桁『「日本」国家と女』2000年所収)

50年代の母親大会、60年代の女性団体の分裂、男性の運動の下請け的な側面。113
などの社会的な動きに則して、自衛隊の女性採用策も変わる。いま現在を佐藤は「第4期」ととらえるのだが、そのジェンダー表象の特徴をこうまとめている。
・プロとして男女がともに働く職場、平和創造者
・女らしい女性自衛官を男性の応援団に組み入れる203

第1期は分離、第2期は女性の特質、第3期は職域配置の三原則による分離、第4期には母性保護という制約209

訓練内容が男性の基準でつくられている233
小銃が男性の体格をモデルに作成されているため不利233
男性の基準に近づく努力と「プラス面は個人として、マイナス面は「婦人自衛官」全般としての評価」
分離型は、「二流の自衛官より一流の婦人自衛官」239

グリーンピースの船に乗っていた時、男女が船室を分け合っていたことを思い出す。体格が大きい二人の人間が場所を共有するのは不都合だからということだった。
出産、セクハラなど通常の職場でも問題になることについては、自衛隊でも同じのようだ。しかし、「傷つきやすい者は弱者を守る軍隊に居場所がない」265

「軍隊の女性」から「軍隊と女性」というより大きな物語へ エンロー、2000『策略--女性の軍事化とジェンダーの政治学』岩波近刊  332

軍隊の女性を突き放し、「ひとりにさせない」場をつくる335
そのために議論の訴状に乗せるということ。
------------
結局、フェミニストであるということは、「女性」というカテゴリー、ジェンダーを疑いながらも、「女性に起こる問題」と向き合うことからは解放されないものなのだよね。
[PR]
by eric-blog | 2005-03-01 11:25 | ■週5プロジェクト04 | Comments(0)

憲法24条+9条

78-4(363) 憲法24条+9条-なぜ男女平等がねらわれるのか
中里美 博、かもがわブックレット151、2005

著者は、憲法改変は「男女不平等な性別分業型家族に基礎をおいた軍事国家へと日本を作り変える」という構想なのだという。8
9条の改変だけではあまりにも露骨すぎて、国民の危機意識に火をつけてしまう。そこで「新しい人権」議論とセットにして、議論の行方を見えないようにする。

改変議論の背景や論点は次のように整理されています。
・家族や共同体の破壊が懸念される 9
・国民の義務に「家族を扶助する」ことが入れられるべき 10
・国家は家族を保護する 10
・家族の扶助する義務は男女不平等に課す 11
・国防の協力義務 11
・兵役の義務 「男は男らしく、女は女らしく」13

なんてことを読んでくると改変派らは「攻められるには強国すぎ、攻め出るには小国すぎる」という17世紀に確認できた地政学的地位をどのように認識しているのかと思わざるを得ない。

改変の方向について人権に照らして考えてみる。
◎世界人権宣言「国家は個人の権利を奪えない」
◎差別撤廃「差別は社会的・文化的・歴史的に形成されており、それを理由に正当化することはできない。また、積極的差別是正措置を社会的・文化的・歴史的にとること」
◎子どもの権利「生存・保護・発達・参加」
少なくとも、改変の方向は「新しい人権」についての積極的な方向とは考えにくい。
また、人権については国際標準が先行している。日本は後追い状態。ということは、ここにいう「新たしい人権」というのは、現在の「男女共同参画」についての議論と同じく「国際標準はああいうてまっけどな、わてらは別の基準もってまっさかい」ということの表明を国家レベルでもやっちゃおうよ、ということ、そして国家レベルでなら、外交や交戦など、国家固有の機能についての条項も入れないとね、ということらしい。

国家レベルでも「新たな公共」についての議論が求められているということだ。しかし、しつこく、わたしは「攻められるには強国すぎ、攻め出るには小国」という認識の共有なしに、そして、いま日本が国際的にどのような位置にあるかの認識の提示のない国防議論は危ういと思う。すべての認識を書くことはできないのは当然だが、外交・交戦はセットのはずであり、それらの認識の提示、共有、前提としての言及なしで、「家族」や「国民の義務」の側だけから語られるのは納得できない。

著者は24条と9条のセットを「近代国家が、男性市民に与えた2つの正統な暴力」46すなわち公的暴力=軍隊と私的暴力=DVととらえます。そして、「男性の私的暴力と公的暴力のあいだに相互関係・強化関係があるということは、それらの暴力をなくしていく過程や努力にも相互関係があるというを意味します」47
「あれだけ凶暴な軍隊を維持し行使している社会では、DVは減らないでしょう。」48

「日本国憲法は公的暴力をなくす努力の指針。9条の消極的非暴力主義と前文の積極的非暴力主義。」

49
自民党案が国防の義務という"男らしい"公共心を育むためには、24条の男女平等家族では無理であり、...と考えた

男女の「私的平等」の課題、家族内労働の不平等は先進国と比べて大きい。

「家族」という枠組みをとりはらっても、人間のリプロダクションの場である親密圏は存続する。24条はそのような「新たな親密圏」のあり方の原則を言っているものだ。61
[PR]
by eric-blog | 2005-03-01 09:40 | ■週5プロジェクト04 | Comments(0)