<   2004年 09月 ( 61 )   > この月の画像一覧

対立がちからに

57-6(242) 対立がちからに
プロジェクト・アドベンチャーの実践
グループづくりに生かせる体験学集のすすめ
ウィリアム・クライドラー・リサ・ファーロン
C.S.L.学習評価研究所、2001年2004年3刷
みくに出版

Adventures in Peacemaking

10章からなるアクティビティ集。156のアクティビティが紹介されている。
ERICの訳した『対立から学ぼう』と同じ著者による。

いわせさんは、ここで学んだA,B,Cの実践が子どもたちを伸ばすとずいぶん役に立つと言っておられました。
A=ask たずねる
B=brainstorm 解決方法をブレーンストーミングする
C=choice 選択する、意思決定する
シンプルなのがいいですね。対象学年は3-4年の児童だそうです。
[PR]
by eric-blog | 2004-09-30 16:30 | ■週5プロジェクト04 | Comments(0)

ビッグイシュー13号

銃をビデオに持ち替えて。
サパティスタ民族解放軍、一斉蜂起。

ビデオは記憶する。
ビデオは表現する。
ビデオは伝える。
ビデオはつながる。

韓国での人権教育ワークショップで、被抑圧者の戦い方としての3R'sが言われていたことを思い出す。

Record
Report
Remember

である。

忘れないこと、理不尽に消えた命のことを。
[PR]
by eric-blog | 2004-09-30 14:44 | ■週5プロジェクト04 | Comments(0)

ローマ人の物語−勝者の混迷

57-5(241) ローマ人の物語−勝者の混迷
塩野七生、新潮文庫2002、原著1994

文庫版の6-7巻は、原著では第三巻にあたる。共和政の成立からカルタゴ=ハンニバルとの戦いによって軍事力も高まったローマが、表題の通り「勝者の混迷」に陥っていく。その混迷とはまさに市民=兵役の義務を負って統治に参加する人々の日常と戦争という非日常の葛藤に端を発している。自衛戦争であればいざ知らず、遠くスペイン、そしてマケドニアと戦争が続く中、当初は冬期は休戦、兵役は一年交代であったものが、長期化する。数を並べて「うちの町の良さを支持しているやつらはこんなにいるんだぜ。攻められるもんならせめてみろ」なんていう示威行為としての戦闘から、戦略的機動的戦闘へと戦闘自体も様変わりする中で、市民兵とは言え、訓練も必要になる。軍指導者に従って舞うように刺す、そんな機敏さも求められる。無理ダヨナー、そんなこと。

そ、海外派兵が、国の根本をゆるがせたのです。

で、戦いが終わってみると、自作農中産階級が没落していく。農地を手放す。海外での勝利で莫大な富を得た貴族階級に荘園経営としても富が集積する。さあどうするどうなるこの階級の対立?! 
という展開なのです。秀逸なのが
「福祉を充実させれば解消する問題ではない。失業者とはただ単に、職を失ったがゆえに生活の手段を失った人々ではない。社会での自らの存在理由を失った人々なのだ。...人間が人間らしく生きていくために必要な自分自身に対しての誇りは、福祉では絶対に回復できない。...」48 泣いてしまいました。イギリスの再雇用促進プログラムで「持続可能な雇用」というキーワードがあるのですが、時代の変化と自分の職のあり方を主体的に考えることができるようにすること、だと思いました。
さて、世界史でもこのあたりはお馴染み。どの先生だって喜んでとりあげている、あたりさわりのない遠い過去も、こんなに身近。護民官グラックスの「農地法」の登場です。
公正さを求めたこの改革も、既得権を守りたい元老院派につぶされる。血が流れた。共和政になってから400年近くで初めての出来事だ。そして、この対立は次の100年のローマの内乱へと続いていく。「急速に大国になってしまったローマの「疾患」」69の結果として。
その後、海外の戦役で功績をあげたマリウスとスッラによって、軍制改革がなされていく。志願制の導入により、「市民」のジレンマはなくなったのか? しかし、その間にもローマとその他の国々との関係も変質していく。本当にローマは小アジアまで侵出する必要があったのか? 最初は関係諸国間の対立への介入・調停であったものが、しだいに「侵略者」「帝国主義」とも目されていくまでに膨張してしまう。

きめ細かく時代を写し出す塩野の筆致は、ゆえにこそ、「考える」素材もふんだんに提供してくれる。しかも、塩野自身に習って、ごく大胆に。今年は次のカエサルの巻までがすでに文庫で発売されている。次の出張は土曜日に名古屋だ。時間に不足はない。はずだ。
[PR]
by eric-blog | 2004-09-30 11:23 | ■週5プロジェクト04 | Comments(0)

閑話旧題

かくたです。

ブログへの訪問者が累計で3000人を越えました。わたしが「週5プロジェクト」としてアップしているのは平日を中心に週に5日程度なのですが、ブログ訪問者はもちろんノンストップ。夜、夜中に訪問数がぐっと伸びるのはインターネットらしい。
ブログを開設したのが7月13日ですから、2ヶ月と16日、78日間です。
アップした件数ハ287件。去年の「週5プロジェクト03」を夏休みに集中的にアップしたので、一日の件数がべらぼうに多いように見えます。最初の頃は一日50名など全然行かなかったので、単純な平均は無意味ですが、一日38名程度。それが今日はすでに129名。
わたしはブログ提供者としてかなりおもしろい情報にアクセスできているし、「記事管理」などの機能も使えているので、とても便利なのですが、他の方々の使い勝手はどうなのだろうか、と心配にもなります。
ブログのコメント欄でもいいですし、ERICのメルアド、あるいはかくた個人のメルアドeric1@try-net.or.jpまで、ご意見、ご提案などありましたら、お寄せください。
[PR]
by eric-blog | 2004-09-29 17:04 | Comments(1)

仏教サンガにおける和解のための七つの実践

● 仏教サンガにおける和解のための七つの実践
(ティク・ナット・ハン著『仏の教え ビーイング・ピース』(中公文庫)より)

過去二千五百年の間に、仏教の寺院のなかで、「和解のための七つの実践」と呼ばれる方法が発達しました。このようなテクニックは、僧たちの集団での諍い(いさかい)を解決するために形成されたものですが、私たちの家庭、社会でも、役に立つのではないかと思います。

第一の実践は、「対面して坐ること」です。
共同体全員の集会において、皆が共に、心を集中して坐り、呼吸と微笑をします。戦う気持ではなく、役立とうとする気持で坐るのです。これが基本です。
争っている二人の僧が出席します。共同体の皆が、二人が和解に達するのを期待していることを、二人は知っています。誰も一言も口を開かないうちに、そこにすでに、平和の雰囲気が漂っています。
人々は、集会以外のところで噂に耳を傾けたり、どちらかの僧についての話を広めたり、彼らの振る舞いを批評したりすることを慎みます。こうしたことは、役に立ちません。すべてが、共同体のなかで、公に発言されなければなりません。
こうして、二人の僧は、対面して坐り、呼吸し、いかにむずかしくても、微笑をします。

第二の実践は、「思い出すこと」です。
集会全体が忍耐深く坐って聞いているなかで、双方の僧は、争いのいきさつの全体を、それと関わりのある細部のすべてにわたって、思い出そうとします。
「私の記憶では、それは雨の日で、私が台所へゆくと、あなたがそこにいました……」と思い出すことのできることをすべて話します。これは、とても大事なことです。なぜかといえば、二人の僧が過去のことを改めようとしているからです。
共同体における生活の規則は、その日ごとに起こりつつあることを、はっきりと知ることです。今起こっていることを、あなたがはっきりと知らなければ、ある日、爆発が起こります。それでは、遅すぎます。
集会が開かれて、二人の僧が対決しているということは、すでに争いが爆発して、公のものとなったということです。坐って、過去の細部を思い出すことが、過去に関する限り、今、することのできる唯一のことです。
たとえば、ある女性と男性が結婚して、潜在意識のなかで何が起こっているかを知らずに、なおざりな生活を送ってきたとします。彼らの感情と認識は、危険な状態をつくりあげています。
時として、表面から離れたところで、ものごとが起こり、これがついに爆発して、手遅れとなり、対処することができなくなります。そこで、最後の手段として、離婚か、諍いか、ひどい場合には、殺し合いということになります。
瞑想するということは、あなた自身のなか、あなたの感情、あなたの体、あなたの認識、あなたの家族において起こっていることを、はっきりと知ることです。これは、どのような種類の生活においても、重要なことです。
そのつぎには、想い起こすことです。共同体の内の、細部を詳しく想い起こすほど、それが役に立ちます。

第三の実践は、「強情でないこと」です。
共同体の皆が、二人の僧が強情をはらず、和解に全力をつくすことを、期待しています。
結果は重要ではありません。二人のどちらもが、和解と理解のための気持ちをもって、全力をつくすことが、もっとも重要です。
あなたが最善をつくして、理解と受容に全力を傾けているとき、結果を心配する必要はありません。最善をつくすだけで充分です。相手も全力をつくします。
会合の雰囲気が、決め手になります。なぜかといえば、皆がこの二人の僧に多くを期待しているからです。しっかり努力しなければ、兄弟として認めてもらえないことを、二人は知っています。

第四の実践は、「ぬかるみに藁(わら)を敷く」ことです。
ご存じのように、雨のあと、田舎道を歩くと、ぬかるみがあります。ぬかるみに敷く藁があれば、安全に歩くことができます。
尊敬をうけている先輩の僧が、一人ずつ選ばれて、紛争をしている側を代表します。この二人の僧が、当事者の感情を鎮めるようなことを、集会において述べます。
仏教の共同体において、人々は、高徳の僧を尊敬し、彼らを、「尊師」と呼んでいます。彼らが、あまり多くのことを言わなくても、共同体の人たちは、その発言を真剣に受け取ります。
一人が、彼の代表する僧に関わりのあることを述べ、それが、もう一方の僧が理解するための助けとなり、その感情、怒り、抵抗を鎮めます。それから、もう一方の高徳の僧が、相手の僧が良い感じをもつような言い方で、彼が代表する僧を庇護する言葉を述べます。
こうすることによって、彼らは、二人の僧の胸中にわだかまっているかたくなな感情をとかし、共同体によってなされる評決を受け入れやすくします。
ぬかるみに藁を敷くのです。ぬかるみは、論争を表します。そして藁は、教えによる、愛に満ちた親切心を表します。

次の段階(第五の実践)は、「自発的告白」です。
二人の僧が、ほかの人たちが指摘するのを待たず、おのおの、みずからの欠点を明らかにします。ほかの人たちが言うと、あなたは、違った感じを抱きます。あなたが自分で言えば、それは素晴らしいことです。
最初に、あなたは、小さな弱点をさらけだします。あなたには大きな弱点があるかもしれませんが、はじめは、小さな科(とが)についてだけ、述べます(こうした段階のすべてに、特別のやり方があります)。
告白をするとき、たとえば、このように言います。
「その日は、私はあまり心を集中していませんでした。私は、これこれのことを言いました。ひどいことです。お詫びします」
いかに小さな告白であっても、相手の感情を良くします。これが、相手が、同じ程度のことについて告白する道を開きます(ソ連とアメリカが、小さなことがらについてゆっくりと鎮静化を進めることを、想像してみてください)。
その場には、二人を励まそうとする気持が満ちています。皆が支持し、鎮静化が実現することを期待しています。
それそれの僧の内にある、目覚めた人のありようが現われる機会を得て、怒りと恨みによる切迫感が弱められます。このような雰囲気のなかで、互いに理解し合い、受け入れる可能性が生まれます。
そこで、二人の先輩僧が、反目している僧たちに、想い起こさせます。
「まず第一に、あなたたちは、共同体の一部です。共同体の幸せが、もっと重要です。自分たちの感情だけを考えないでください。共同体の幸せを考えてください」
こうして、二人のそれぞれが、犠牲を払う気持になります。共同体によってなされる評決や決定を受け入れる気持になります。

第六と第七の実践は、「全会一致による決定」と「評決を受け入れること」です。
会合全体によってなされる評決がどのようなものであれ、二人の僧たちがそれに従うこと、そして、さもなければ共同体から出てゆかなければならないことが、事前に同意されています。
そこで、争いを細部にわたってくまなく究明し、最大限の和解を実現したあとで、この問題についての委員会が評決を提案します。それが、三度にわたって発表されます。委員会の長が、次のように、決定を読みあげるのです。
「瞑想の結果、究明の結果、討議の結果、すべての努力がなされた結果、この僧がこれこれのことをし、相手の僧がこれこれのことをし、このことはこのように直し、あのことはあのように直すべきことを勧告します。僧たちの集会は、この評決を認めますか」
もし、全員が沈黙しているならば、それを認めることになります。
さらに、委員会の長が、同じ言葉を繰り返したあとで、言います。
「尊い集会は、この評決を認めますか」
そして、沈黙。こうして、三度目に、
「共同体は、この評決を認めますか」
三度目の沈黙のあとで、彼は宣告します。
「僧と尼たちの尊い集会が、評決を認めました。どうか、双方とも、この決定を実行してください」
これで、会合が終わります。一つの争いを解決するのに、何回もの会合が開かれることがあります。
もし、二人の僧のうち一人が評決に逆らおうとしても、それはなんの重みももちません。なぜかといえば、集会で決定された評決が、どのようなものであっても、それに従うのことに、すでに同意しているからです。
言い争いを解決するための、この七つの実践方法は、二千五百年以上にわたって、インド、中国、ヴェトナム、日本、朝鮮、そのほか、多くの国における仏教の僧と尼たちによって、取り入れられてきました。このなかには、学ぶべきこと、私たち自身の家庭や社会に応用すべきことがあると思います。                   (以上)
文責 transend
[PR]
by eric-blog | 2004-09-28 15:08 | ■週5プロジェクト04 | Comments(2)

「個性」を煽られる子どもたち−親密度の変容を考える

57-4(240) 「個性」を煽られる子どもたち−親密度の変容を考える
土井隆義
岩波ブックレット、2004

親密圏の重さ、公共圏の軽さ
つながりに強迫さりた日常
内閉化する「個性」への憧憬
オンリーワンへの強迫観念
生来的な属性としての「個性」
生理的感覚としての「自分らしさ」
「優しい関係」のプライオリティ

などなどの言葉が目次に並ぶ。
基本的には友だち関係の重さがいまの子どもたちを追い詰めているという考察です。
昨日もファシリテーターのミーティングで、小学校1年生から日曜日にはアポ取りによって4名程度で遊ぶということが指摘された。前々回のカレッジ講座で確認された「時間空間仲間の三間へが自然発生的であったかつての時代と、人為的にならざるを得ないいまの時代の違いがあるのだろう。だからこそ、いまの友だち関係が「重く」もなり、気を使うものにもなるのだろう。

-----------------
親友とは?
個人的なことには触れられない、どうふれたらいいかわからないし、奥の奥まで触れたら逃げられてしまう。4
盛り上がって、「また会おうね」でおわり。それやらなければみんな逃げていっちゃう5
屈託なさの裏の駆け引き、対立が顕在化しないようにする高度な配慮5
いつも友人と同じ行動をとり、一人だけ目立つことはしない。
けんかしない、怒鳴りあわない
親密さは気の許せる関係とは別、親密だからこそ気を許せない!7
------------
なるほどね。行動では目立たない、でも個性は求められる。そこで「感覚」に個性を求めるんだね。
------------
参考 NHK世論調査部若者調査

「素の自分の表出」vs「装った自分の表現」
関係の破たんが怖くて、出せない7

狩りの対象とは他者ではなく、「獲物」11
私たちは公共の場では不関与でいるべきだという規範に実は協力して関与しあっているのです。これは意味ある人間として他者を認めた上で初めて成立しうる演技としての無関心13
過剰な配慮と無配慮=親密圏にエネルギーを使い果たした現れ? 15 友だちの目ほどは世間は気にならない
優しさの技法
・「とりあえず、とかする?」「わたし的には...みたいな」ぼかし表現
・雰囲気重視、表面的馴れ合い
・「遊びモード」の軽い人間関係−いじめて笑い、いじめられて笑う

やさしくできる範囲がせまい18
思い遣りではなく関係性の維持そのもの18 はずれるとヤバイ
対立の回避が陰湿ないじめに19
全体の共同性へと統合されないまま、それぞれの小宇宙がお互いに交信不能な状態で併存しているだけ23
「班が県、学級が国」ほどの違和感23

その社会的背景として「個性」への憧憬24
社会化による成長という観念の喪失29
教師と生徒という役割を演じあう公共性の関係の崩壊29
学校空間の公共圏的性格が肥大化した親密圏によって侵食される29

「好き嫌い」「いい感じ」=内発的衝動の切実さが重要32
「いま」だけがリアリティを持っている。過去から未来へという自分を保てない34
歴史感覚の欠如と感動志向39
歴史性を見い出しにくい時代、背景の膨大な物語りの堆積を実感できない

状況依存的で容易に変容しやすい生理的な感覚や内発的な衝動は、一貫した態度を基礎付けるための自律的ジャイロスコープとしては不向き45
個性への依存、しかし自律的ではありえない、そのために知者からの肯定的な評価によって支えてもらうことを必要とする45
「個性の重さ」が「友だち関係の重さ」に転換する46
「優しい関係」が満たしてくれる承認要求48

言葉の介在を必要としない親密圏では、他者は他者であって他者でない。54
自分と同質な感覚の延長上にしか認識されない54 鏡像関係によって維持される自分
共依存的な「友情」56

それが破たんしたとき、社会生活からの撤退59
女の子の方が依存度が高い61
男の子には上昇志向的な役割期待がまだ働いているので、「友だちの評価を気にせず」がありえる62
伝統的役割期待から解放されている分、親密圏への依存が高まる63

人間関係を築いていくに際して、かつてよりも高度なコミュニケ−ション能力が必要。...いまの若者のコミュニケーション能力が劣っているように見えるとすれば、それはコミュニケーションの困難さがかつてより目立ってきているから66

内発的な衝動や生理的感覚に「本当の自分」の根拠を見い出すとすれば、親密圏において、願望としては「素の自分の表出」を求めたい。しかし、それをすると対立を顕在化する。「演じている意識」の強さ68
70
個性を創りあげるものとしてとらえること。
人間の成長とは「個性を延ばす」ことにある。
次の世代に何を託すか、から教育を考える

小林道雄「少年事件への視点」『世界』2000-2001年
セネット「公共性の喪失」晶文社、1991
[PR]
by eric-blog | 2004-09-28 15:02 | ■週5プロジェクト04 | Comments(1)

非暴力トレーニング入門

木野さんからの報告を元に「平和」講座に向けての準備会合を行いました。

非暴力トレーニング入門
参加者21名 事務局5名含む

2004年9月24日18.00-21.00
非暴力トレーニング 3時間
・人間知恵の輪
・暴力/非暴力チャート
・ガンジービデオ

2004年9月25日10.00-12.30
非暴力トレーニン続き2.5時間(計5.5時間)
市民と警官のロールプレイについての参加者からの違和感
・「自分はここにいることが居心地が悪い」という意見、「自分は公務員だから」「臨機応変に対応したいけれど決まりの方を優先している」
・「わたしも」という意見
・「警官が悪い」というレッテルを貼る活動だ
・設定が「権力の横暴」を誇張するようなものになっていないか。

2004年9月25日13.30-17.00
トランセンド 3.5時間
奥本京子、藤田明史(トレーナー)
態度と行動と矛盾の三角形と、妥協ではなく「超越」=ウィンウィン解決を求めるための二次元軸でレクチャー。独創的な方法で考える。(藤田)
表面化しないニーズに焦点を当てることが鍵なのではないか(木野)
「超越」するための具体的なハウは発見できなかった。

転換案を出すためのエクササイズ「隣家のネコのいたずら」(20分)
・さまざまな場合についての想定を行い検討する
・自分のゴールは何か、隣家のゴールは何だろうというゴールを確認する。「でも、隣家のゴールはわからないよね」
・できれば何もしたくない(奥本)
・独創的なアイデアが現実的な意見によって否定される傾向が強かった。「方向性はいいんですけれどね」ファシリテーター
「超越」というのがあるのは理解できた。

自分たちの課題について「超越法」を応用するエクササイズ(40分)
・市町村合併のジレンマ
・課題設定に時間をとられたグループがあった「ぼくたちには課題がないんだよね」
・「コーラスを楽しみたいvsコンテストに勝ちたい」は課題か、でファシリテーターが介入して「それは対立ですよね」で、課題とするようになったが、時間切れのグループも。

参加者からのサボタージュが見られる。
・自己開示できていない
・分析を深めない
・課題だと思わない

トランセンド法
・「芽」を根本的になくす方法
・目に見えている対立から根本的な対立の解決

「超越」的解決を進めるために
・本当に満たされたいことが満たされていなければ、「超越」はありえないのではないか。
・「超越的になるために」もう一度「隠れた当事者」はいないのか、誰が当事者なのか
・設定したゴールは妥当なのか


ファシリテーターの「超越」に向けての課題・発問
・「集中 分析 発見」
・挑発する

参加者の状態についての判断・診断・手立ての「即断ゲーム」
・どんな徴候
・どんな発言
・どんな姿勢
・どんな態度

「対立は悪くない」カレッジ講座のふりかえり

「傲慢だ」という決まり文句
「わかるということは傲慢だ」
「それは傲慢だということに気づきました」(謙虚さのアピールか)
「同じ経験をしていないと共感できないのではないか」
「逆に言えば、同じ経験をしていれば共感できるばすというのは傲慢なのでは」
「わかるわ」と言った時に「簡単に「わかるわ」と言わないで」
「わかる」とは「理解」
傲慢=おごりたかぶり、人を見下して礼を欠くこと。
自信をもって主張することを評価しない。根拠もなく何を言っている?
ステレオタイプ的な言い方を自制すること。

歴史的分析
[PR]
by eric-blog | 2004-09-27 21:26 | ▲ファシリテーターの課題 | Comments(1)

トランスジェンダーの時代

57-3(239) トランスジェンダーの時代
性同一性障害の現在
虎井まさ衛
十月舎、2003年新装版、原著2000年

先日、埼玉県人権同和センターでの研修に出かけた時、連続講座の最後に虎井さんの名前があり、「へぇーー、虎井さんにも来てもらうんだ」と担当の星さんと話しが盛り上がった。とはいえ、名前を聞いただけで、まだ著書は一册も読んでいなかったのだが。
その時の話しで面白かったのが、FTMfemale to maleである虎井さんは、すっごく「男性」に対するステレオタイプ的あこがれが強かったので、ジェンダーという点では、固定した観念が強いのだそうだ。そういう意味では、女性たちのグループに話しに出かける前は、勉強してから行くとか。

というような話しを聞いていたわりには、虎井さんの性転換による体験はとてもおもしろい。平積みで何種類も置かれていたのだが、その中でこの本を手にしたのは、帯に「金八先生」で上戸彩が性同一性障害の生徒役をしていたとき、読んでいたのがコレ、と紹介されていたのと、ぱらぱらとめくった時に(これができるのが書店の利点)飛び込んで来たのが「男性のからだを手に入れていくにつれて、感覚が鈍くなっていくのがわかった。」(男体の快楽、102)
という箇所。
これからも、FTM, MTFなどを経験する方が増えて、さまざまな女男の違いをレポートしてくれるということになったら、なんとわたしたちの社会は情報的には豊かになることか。そして同時に、さまざまな違いというものさしをたくさん持てるようになる、つまりより自由になれるのだろうと思う。その先に何があるのか、は、わからないながら、「個人個人のアイデンティティの重層性」が認められる社会というビジョンには添っているように思う。

ちょっとおもしろかった箇所を紹介します。
・日本人は手先が器用だから、世界一のTS国になるかもね044
・三島由紀夫「男の肉体は明るい平野の起伏のように、一望の下にくまなく見渡される」103
・男性ホルモンの投与によって触覚痛覚が薄くなる。,,,簡単な体103-104
・男は視姦されない。105着替えをみられても構わない。なんたる自由106
・筋肉の裏付けのある選択の自由。自分を見るものが自分より圧倒的に強い力を持っている場合、いくに男だとてその視線から自由でいることは難しいのだ。106
・人目をひかない地味な存在、だからこその自由、だからこその余裕。広々としたこの気持ち。106

これまで「受け身のからだ」というキーワードで女のからだを分析したことはあったが、それが感覚の鈍感さと力に裏打ちされているのかもしれないというのは、おもしろい発見だ。
いやいや、ぜひこの「男体の快楽」は読まれるのがよろしかろう。おもしろい!
もちろん、女性の時とうってかわって「男を出せ」と言われるうれしさと、何ごとにつけてもの責任の重さも、感じながら、ではあるのですが。
[PR]
by eric-blog | 2004-09-27 18:01 | ■週5プロジェクト04 | Comments(0)

日記の魔力

57-2(238) 日記の魔力
表三郎
サンマーク出版、2004

日記の効用=自分がわかる、行動日記による自己管理、自分の人生の主導権を握る、
だれの人生であろうと、その日常は、記録に値する87
時間は正確に95
「将来の宣言」をどんどん書こう
日記は人生のサポーター、元気がない時にこそ読み返す125
日記をつけると頭が軽くなる。記憶するのはコンピューターに、考えるのをわたしが137
日記が記憶を引き出す鍵になる144
プリントアウトして読む。
着想を書いておくことで、「問い」を考え抜くことになる146
人間が人間であるために必要な「考える」という行為をするために大切なのは、記憶力ではなく、記憶をつなぎ合わせる「構想力」だ175

この人の前著は「答えが見つかるまで考え抜く技術」というのがあるらしい。
これも読んでみよう。
ぜひ、パソコン日記をつけたいものだが、かならずつける項目に「起床」「就寝」「時系列の行動記録」「着想」とある。もうこれだけで、わたしは「できない」と思ってしまう。自堕落な日常がまずいやになるだろうし、行動の空き時間が許せないと思うだろう。だから、表さんが「忙しいから日記をつける」というのはとてもわかる気がする。
この間紹介したPOWERSHIFTで丸井の例があったのだが、購入パターンからダイレクトメールの出し方を決定して、効果をあげる、というのに似ている。自分の効果を最大限に、自分の行動パターンを知ることで引き出すことができるようになる、ということだ。それを表さんは「自分の人生の主導権」と言っておられるのだろうが、どうも、哀しい。ま、それを「どうも哀しい」と思う人は、そのような人生をおくり、そしてそのような人生とは「効率的」な現代のものさしからはあてはまらないということだろうなー。
もし、わたしが農業をやっているとしたら、これはとてもいいことだと思えるのはなぜだろう? 自分に対するより、より収奪的な姿勢をわたしが自然に対してもっているということであり、そのように対象化することがいやではないのだろうなー。
なるほど、表さんの「日記」はこれまでの日記とはぜんぜん違うね。言わば、POPなのだ。
でも、やってみようかな。「週5プロジェクト」に加えて?

「週5プロジェクト」はブログといういい媒体を得て、継続が楽しみになっているものの一つだが、日記については「10年日記」というのをつけている。小川町の自宅においてあるので、まとめ書きしているのだけれど、やっぱり一番書くのがいやなのが起床時間と就寝時間、それと酒量かなあ。自分を見つめるのが怖い。50才になったら考えてみよう。
ところで、「千夜千冊」に触発されての「週5プロジェクト」も、いつのまにやら200册、つまり1/5を達成したのである。しかも、いま気がついたのだが「アイヌ神謡集」から数え間違っている。ちょうど、去年のものを紹介し終えてから、何かがごっちゃになっちゃったようだね。
ということで、突然ですが、これは238册目です。すみません、段階的に修正していきます。
やっぱり読み返すってだいじですね。
---------修正番号-------------------
54-1(201)221 アイヌ神謡集
54-2(202)222 ジェンダー・トラブル
54-3(203)223 貧しい人々の声
54-4(204)224 新しい教育実践のためのワークショップ入門
54-5(205)225 参加するまちづくり
55-1(206)226 彼女の「正しい」名前とは
55-2(207)227 ローマ人の物語
55-3(208)228 裸足の1500マイル
55-4(209)229 ホモ・アカデミクス
55-5(210)230 教育の社会学理論
56-1(211)231 ガンジー
56-2(212)232 戦争案内
56-3(213)233 娘と話す非暴力ってなに?
56-4(214)234 娘と話す国家のしくみってなに?
56-5(215)235 娘に語る人種差別
56-6(216)236 POWERSHIFT
57-1(217)237 戦争と平和
[PR]
by eric-blog | 2004-09-27 16:52 | ■週5プロジェクト04 | Comments(0)

戦争と平和

57-1(237) 戦争と平和
それでもイラク人を嫌いになれない
高遠菜穂子、
講談社、2004年

あれほど世間を騒がせた事件がこの4月のことだったのだとは、信じられない。
今井紀明さんの手記も「ボクがイラクに行ったわけ」と「自己責任」の二冊があった。郡山さんのはなかったように思う。解放された時も、「僕はそっち側にいなくちゃならないのに」と取材する側にあることを言っていたように思う。
高遠さんのこの本はずっしりと字にうめ尽くされていて、彼女にとっての4回目のイラク入りの出発から解放までで115ページ。
その後、5月末までの「再生への道のり」が176ページまで。
第3章第5章は活動のホームページの書き込みの再録、第4章は彼女のストリートチルドレンとの出会い。
という構成。

高遠さんが、マザーテレサとの出会いから人道のために生きることを決意し、そして、「
ひとりの人間」として活動することを選択したその背景が、4月7日から15日の9日間の拘束を語るときにも、描き出される。
いずれを読んでも、「感情が行動の源泉」なのだとしみじみ感じる。いくつかの場面を紹介しよう。
・ブッダとはさとりを開いた人という意味で、モハメッドもキリストもそういう意味ではブッダであり、それらの人々の言葉を介してわたしたちは「神」という普遍的な存在に触れている。違うのは言葉だけで、普遍的なものは共通なのだと思う、と語る。72
・手榴弾で見張りにたっている男性が、「これで今日ファルージャに出かけてアメリカ兵を殺し、自分も死ぬ」という。自分たちが命乞いをしている当の相手は「並々ならぬ死の覚悟」をしている人々なのだ。74
・2日目の見張りが体を触ろうとしてくるのに対して「あんた、イスラムでしょ? あんたイラク人でしょ?」と怒鳴ったら何もしてこなくなった。81
・三日目に移動した先では、解放の日まで、老人と青年の二人しかいない家で過ごす。その警護は外国人である彼等をイラク内でのさまざまな暴力から守るための配慮だったのではないかと思いいたる。
・4月14日、ついに出発。荷物も返すと言う。行った先でビデオを見、自分たちがどのように報道されているかを知った時、「あんな恐ろしいビデオを見たら、イラク人が恐ろしい人だと思うじゃないか。なんてバカなことをしたんだ」とまくしたてる。107
・荷物から貴重品がなくなっているのを知って「アリババ(泥棒)!」と。109
・暴力は暴力を呼ぶ。自分たちで復興できるということを示すための他の方法をさがすべきなんだと言う高遠さんに、「他の方法なんて見つけられない」「どうしたら君と友だちになれるだろうか」115全身全霊での対話。
そして、拘禁は終わった。

日本で、世論に攻められて、罪悪感のみが募る日々から、高遠さんを抜け出させたのは、バクダッドの知人からのメールだ。自分がいたこと、したことを受け止めてくれていた人がいた、意味をわかちあってくれた人がいた。そのことが、高遠さんの再生につながった。その意味も背景も、何も見ようとしない日本社会に押しつぶされことを。

だから、ひょっとすると失っていたかもしれない命だが、イラクに関わりながら「生き直す」ことを決意する。

こういう熱が、極限的な状況で生きのびるためには必要なのだなと思う。そして、高遠さんが、イラクに向かった決意と思索の深さが、見えてくる。これからも、このような状況の中で、高遠さんは、成長を続けるのだろうな。キリスト教と仏教とイスラムをまたぐものを提示できるのだろう。そのことが広がっていって欲しいと願う。
[PR]
by eric-blog | 2004-09-27 12:18 | ■週5プロジェクト04 | Comments(0)