カテゴリ:□週5プロジェクト16( 272 )

被ばく 10人の専門家

Days Japan 4月号

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肥田舜太郎さん、逝く。
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by eric-blog | 2017-03-21 14:52 | □週5プロジェクト16 | Comments(0)

識字神話をよみとく 「識字率99%」の国・日本というイデオロギー

識字神話をよみとく 「識字率99%」の国・日本というイデオロギー

角知行、明石書店、2012

2732冊目


ヤッホー! 読みやすい本である!

何よりも、著者名のよみが明確である。ふりがなつき。

章ごとに、初出の人名はひらかなで、カタカナ語も英語と併記されている。

英語、外国語の氏名も、姓名の順なので、参考文献リストに混乱がない。


漢字で表記しないものは「意味づけ」が可能な単語である。つまり、日本語の「みる」に、いろいろな漢字が当てはめられる。それを一つの漢字に縛られないために。


頼むからこの表記法を徹底してくれーー!


しかし、「識字率99%」というようなイデオロギーを垂れ流して平気なこの国ではそんな革命は起こりそうにない。識字による差別を強化すらしたい人々もいそうだからね。


識字率99.6%というのは戦前の数字らしい。神国日本バンザイ!である。


漢字のおかげで読字困難症が少ないというのもガセらしい。研究していないだけなのだ。識字も同様。読めない人はない存在として対策をサボっている。


そもそも「読める」とはどの程度なのか? 限界識字者という存在にも目を向けない。


日常の「よみかきイベント」を探れば、実際には14%ぐらいが限界識字者であるらしい。


学術用語もカタカナ語ではなく漢字で書かれると「水頭症」とか、何かわかったようになる。そのことを研究して人がいるらしい。


一方で「漢字イデオロギー」というのもある。戦前、兵隊の思考を鍛えるために漢字多様化政策すら取られたらしい。


漢字知識を持ち合わせた識字者による同じ識字者を相手として作り出した言説。それが漢字イデオロギーだ。168

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by eric-blog | 2017-03-21 13:30 | □週5プロジェクト16 | Comments(0)

識字をとおして人びとはつながる

識字をとおして人びとはつながる

小沢有作編、明石書店、1991

2731冊目


識字とはどういうことか。


学校教育で文字を習得しなかった人々が「識字」の対象であり、識字学級の学習者たちである。ということは、次のような特徴があるということだ。


1. 被抑圧者である

2. 学卒者中心の社会での実利は何もない、出世もない、金儲けもない。

3. 知識の所有にも繋がらない。「銀行がた」学びにはならない。


では何のため?  92-


・辱めを受けない

・生活の自立

・わが表現の解放、自分の言葉の発掘

・社会への見方を変えていく


村を離れる識字からムラに根ざす識字へ。


自立と共生=人間化のひとつの容態

文字の奴隷から文字の主体へ


しかし、知れば知るほど、他者の文字の奴隷になる


識字の意味を他者にかすめ取られている。


この本では、この部分の前段に「学校の識字」とは何かが書かれているのだが、逆にしてみた。


学校の識字  80

  1. 1.ことばや文字に対する恐怖
  2. 2.識字差別意識の培養
  3. 3.成績差別意識の形成
  4. 4.成績制度の底辺への固定化
  5. 5.学歴差別意識の扶植
  6. 6.能力主義イデオロギーの注入
  7. 7.もつ側の価値観への同化
  8. 8.差別する意識の浸透
  9. 9.生活を見る目をくらませる


最悪やね。


つながる学びを求めたい。



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by eric-blog | 2017-03-21 12:25 | □週5プロジェクト16 | Comments(0)

相席で黙っていられるか 日中言語行動比較論

相席で黙っていられるか 日中言語行動比較論

井上優、岩波書店、2013

2730冊目


中国人の日本語研究者のお連れ合いとの共同研究の成果。


面白い。


けど、紹介の仕方がわからない。違いはそんなに単純じゃない。ね。



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by eric-blog | 2017-03-21 12:00 | □週5プロジェクト16 | Comments(0)

言葉から社会を考える この時代に<他者>とどう向き合うか

言葉から社会を考える この時代に<他者>とどう向き合うか

東京外国語大学言語文化学部、白水社、2016

2728冊目


東京外国語大学で専攻可能な27の言語について、それぞれの教員が書いた随筆集。その言語の今や学習のどうき、言語の変容などが紹介されている。


一読しつつ、言語は「より簡単に合理的に変化する」中で、民族言語の文字の復活や母語教室など、維持する努力も続けられている。


『ヒトはいかにして人となったか言語と脳の共進化』

テレンス W. ディーコン、金子隆芳訳、新曜社、1999

http://ericweblog.exblog.jp/746537/


は、「幼い脳が乗っ取られやすい言語が生き残る」と指摘されている。


多くの言語が消滅していく中で、均質化と多様性がせめぎあっている。


人権教育をやっていると、教育そのものが、そして差別抑圧を回避しようとすることが、排除する言葉や言い回しがあることを思う。その言葉の使用者にとっては、その否定そのものが抑圧のようにも受け取られるであろうことも、思う。


しかし、『援助者の思想』を読んでいると、まだまだ表現しきれない、主流派に取り込まれてしまっている思いや存在があると確信する。


今の社会が持っている文化的ブルドーザーは、地表にあるものを暴力的に地ならししていくだけでなく、その重みで土を踏み固めることで、土の中からの芽生やモヤモヤした存在をも押し潰しているように思う。


ここに書かれた27の言語は、まだマシな方なのだ。


識字とは何か。


言語を知っている。自分の母語ではない場合もある。

文字を学んだし、読み書きできる。

BICsレベルだけでなく、CALPレベルまでの言語流暢性がある。


などいくつかの指標があると思う。


識字率とは何か。すら、難しい問題なのだよね。



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by eric-blog | 2017-03-16 17:13 | □週5プロジェクト16 | Comments(0)

日本は朝鮮で何を教えたか

日本は朝鮮で何を教えたか

旗田巍、あゆみ出版、1987

2727冊目


1985年にあゆみ出版から朝鮮総督府が出した教科書が全て復刻されたことを記念して、19851124日、成城大学において「幻の教科書の行方」というシンポジウムが開かれ、そしてその報告を中心に、そして復刻版の翻訳も含める形でこの本が作られた。


最近、東京都北区に東書文庫という教科書図書館があることを初めて知り、何回か利用した。戦前戦中のものも揃っており、機会があれば、ぜひ、実物を手にとって見てほしい。


わたしは習字の教科書を中心につ閲覧したのだが、植民地支配時代の教科書ではハングルが出てくるのは最後の最後だ。


日本国内においても皇民化教育が徹底されていくのは国民学校においてであるが、植民地においても1943年から皇民化、つまり、学校が軍事目的に使われる傾向が強まった。


学徒動員と軍隊の下請け教育の実践である。104


植民地においては日本語しか話せない教員を採用し、児童生徒に日本語を覚える圧力を強くかけている。


1910年明治43年から1945年までの36年間。1911年に出された朝鮮教育令によって「皇室を崇敬すること」を旨として制定される。65



私立学校に対しても規制を厳しくし、結果、民族教育を不可能にし、寺子屋教育(書堂)も大正7年の書堂規則により制約していく。



同時に、日本が持ち込む教育を「文明教育」として、それまでの伝統的な教育に対して優位性があることを強調する。「天子の恩沢を蒙らしめて文明の民とする」。朝鮮の歴史については、大国に脅かされる地政学的位置にあり、独立が難しいと断定し、日本が併合することを合理化。


三年で朝鮮人の子供を日本人の子供と同じにするという目標を掲げた。


しかし、日本の子供になっても、日本人に対する恭順と序列は明らかであった。


このような教育政策によって何が残されたか。


日本人の朝鮮人に対する差別意識であったと、報告書は指摘する。




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by eric-blog | 2017-03-16 16:35 | □週5プロジェクト16 | Comments(0)

援助者の思想

援助者の思想

リンダ・ジンガロ、御茶ノ水書房、2008

2726冊目


原著の出版が2007年。日本語版への序文に翻訳者たちとの交流が窺われる。しかも日本語版の方が先に出版されているのだという。そして、麻鳥澄江さんの、懐かしい名前。女たちのカレンダーなどの企画をしていた方だったか。


「真実を語る代償」とは何か。


語り部としての役割を押し付けられ、マジョリティが望む物語に押し込められ、息の根を止められる。


序章では自殺に至った当事者たちの事例が紹介されている。


当事者が語ることを「エンパワメント」することを推奨することを「エンパワメント至上主義」と批判しつつ、では、何が解決なのかを問う。


エンパワメントとは、まずなんであるのか。誰が誰に何を付与するのか。


パワー、「()力」の特質とは何か。


それらの問題を「性虐待のサバイバー」「貧困労働者階級」「周縁化された民族」「精神障害」「レズビアン」「身体障害者」などの複数の周縁的アイデンティティをもつ当事者として、博士号取得のためにこの論文を書いたというものだ。


ゆっくり読む。



権力について考える。



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by eric-blog | 2017-03-16 10:43 | □週5プロジェクト16 | Comments(0)

日本史のなぞ なぜこの国で一度だけ革命が成功したのか

日本史のなぞ なぜこの国で一度だけ革命が成功したのか

大澤真幸、朝日新書、2016

2725冊目


たった一度の革命。それは北条泰時による天皇の粛清と御成敗式目の制定だったと著者は言う。信長は天皇の権威を否定したが、その革命は成功しなかった。秀吉は天皇の権威を尊んだ。


北条泰時による元寇に対抗するための全国行脚のようなドラマを見たのはいつのことだったか。渡辺謙が泰時ではなかったか。国という意識が希薄な人々に防衛意識を持ってもらうための苦労が描かれていたと記憶する。


著者は、この革命は徹底的に自生的秩序を認め、それを制度化することで成し遂げられたという。


そして、泰時が天皇、上皇を弑しながら、天皇制を否定しなかったこと、それまでは中国からの継承法でしかなかった律令国家から続いて来た法制度に、御成敗式目という固有法を追加したこと、それらがとてもスムーズであり、後世の歴史研究家からも評価されていることなどを示している。


なんとスムーズな革命。無血とは言えないけれど。


革命的なのだが、否定しながらも、天皇制を認めることで、新しい秩序の構築に成功した事例。


一方で天皇制そのものは決して直接的な執行体ではない。常に執政や将軍やなどなどが存在して来た。戦前は「元老」たちが。その元老が欠けたことによって、戦前の日本には政治的責任の空白が生まれ、無責任な体制になってしまったのだと。


では戦後は? 執行体はアメリカだと、著者は衝撃的な指摘をしている。


泰時はなぜ革命に成功したのか。

集団指導体制、連署制など、ヒントは示されているが、「なぞ」の解明にいたったとは言い難いなあ。



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by eric-blog | 2017-03-15 08:34 | □週5プロジェクト16 | Comments(0)

「その日暮らし」の人類学 もう一つの資本主義経済

「その日暮らし」の人類学 もう一つの資本主義経済

小川さやか、光文社新書、2016

2724冊目


Living for Today


タンザニアの例。


お金を貯めて店を始めたいのだと言っているのに、賃仕事を引き受けるばかりの女性とその連れ合い。店を出すというような長期的な展望に基づく投資は実はかえって彼らにとってリスキーなのだと。短期的な収入に繋がる行動の方がロスも少ないからだ。


などという事例を読んでいると、日本はなんてヘンテコな社会かと返って思えてくる。二世代三世代で投資するのだから。


彼らの戦略は、夫婦のどちらかが日銭、短期的リターンを得る労働をすることで、リスクを分散するというものだ。


そして、彼らが扱う服は中国から仕入れてくる。対面契約でなければ何も動かない世界。対面で確認しても、注文したものと異なるものが届いたり、届かなかったり。


知り合いのつてを使うことで、リスクをなるべく軽減しようとする。失敗しても大ごとにはならないような程度で投資する。


そういう短期的スモールスケール、柔軟、可変な経済が、零細露天商人によって営まれている。


資本主義のもう一つの顔。ではあるのだろうなあ。




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by eric-blog | 2017-03-15 08:27 | □週5プロジェクト16 | Comments(0)

象徴の設計 「松本清張全集17巻」所収

象徴の設計 「松本清張全集17巻」所収

松本清張、文藝春秋、1978

2723冊目


明治維新はテロが吹き荒れた時だった。無血革命などと、どの口が言うのだか。

原田伊織さんの一連の本を読んでいると、そう思う。乱暴な時代だったのだ。


今、小倉にある松本清張記念館では「清張が描いた日本の近代」と言う特別展を開催している。明治、そして昭和の闇の部分を史家の目で小説にしたもの、そしてノンフィクションで描き出したもの。


その中で山県有朋について書いているのがこれだ。


明治13年、総理大臣であり、陸軍の長であった山県有朋が、いまだ「藩」「幕府」に対するほどの忠誠を元士族の軍人たちが持ち得ていないこと。徴兵制度によって兵隊になった百姓たちは賃金切り下げに反対し、また租税負担の重さに喘いでいるムラの気持ちや民権運動の熱を軍隊に持ち込んでいることを憂えて「軍人訓戒」(明治11)をより「天皇直結」にするべくそうを練ったものが「軍人勅諭」だ。


イギリス留学中の伊藤博文からも「日本の精神的支柱としては天皇が良いのではないか」と言うアドバイスを得て、天皇から直接の言葉とすることを考えた。


西周に起草させたが、言葉が固かったため、元新聞記者であった福地源一郎に修正を求め、また井上毅らにも推敲を求めた。


民権運動を軍隊に持ち込ませないために身上調査、内偵を徹底し、行動を抑圧。互いに連帯すること、連絡しあうことを排除し、上からの命令に直結するだけの存在にしてしまったのが、この勅諭だと言える。


***************


この起草に当たった井上毅が「教育に関する勅語」も起草しています。明治23年。


よく道徳として何も悪いことは書いていないと、教育勅語については言われますが、軍人勅諭と同じく「天皇に直結する」存在として人の行動規範を正しているところに最大の問題があります。


その構造は教育勅語にはっきりするのですが、家族、地域、職業、報国と、同心円的にわたしたちが互いによって存在を支え合っている関係を拡大していく先に天皇や国家をつなげていくのです。


いまの「1/2成人式」も、ともすれば、この同心円構造によって国家主義にあっという間に持っていかれそうで怖いと感じるのですが、その問題はここでは置いといて。


悪くない道徳だ、と評価する人がいます。年長者を敬うだとか、いまの時代にかけているものだから復活しようという人もいます。


しかし、軍人勅諭が兵隊たちの相互の連帯や農民たちの運動への呼応を妨げるものであったことを想起する時、「天皇に直結している道徳」の危うさが見えてくるのではないでしょうか?


これらの勅語勅諭は、まさしく人を「鵜飼いの鵜」にしてしまうものなのです。


「同心円構造」は、西洋のアイデンティティ論でも使われるのですが、それは「わたし」を核に置いて「わたしから見た世界の広がり」のような模式図です。


人を入れ子構造の中に捉えこみ行動規範のタガをはめようとする外在的な模式図である教育勅語とは全く異なります。


同心円構造の問題点は「多様性」の欠如にもあります。みんな同じ広がりの中に存在するかのような錯覚です。しかし、実は、家族も多様であり、地域も多様であり、国家も多様なのです。そのような見方を育てる視点が欠けています。そして、「多様性」はいま、環境教育にも人権教育にも求められる鍵概念の一つであ。


http://ericweblog.exblog.jp/20937993/


同心円構造の問題点はまだあります。


いまの時代に求められている「創発」の気性、問題解決のための分析的思考、考える力、最もかけているのは「協力する力」です。その互いに連帯する力を削ぐために構想された軍人勅諭。


全くもって人を馬鹿にしたような道徳だと思いませんか? 人と人との連帯を阻んでいると言うことは、究極的には人を信頼していないと言うことに他なりません。


教育勅語復活を言う人々には、いまの市民運動の盛り上がりを恐怖する、山県有朋と同じ、民権弾圧的姿勢が見て取れるのです。そして、そのことをはっきりと口にしている大臣もいるのです。「国民主権などと、国民が国家の前に来ることがあってはならない」と。その構造が見えないことが信じられない。


人権教育の大きな柱が「差別抑圧を受けている人々に対するエンパワメントの教育」です。


「わたし」「あなた」「みんな」の力。


勅語勅諭にはエンパワメントの思想はないのです。


ついでに言っておくと、「障害者差別解消法」や「男女共同参画」などにも、エンパワメントの発想と政策的手立ては、不在だとわたしは思っています。そのことはまた別の項目で。





■教育勅語について

http://ericweblog.exblog.jp/23501803/

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/50764?page=3


■廃止の決議について

http://ericweblog.exblog.jp/23691849/




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by eric-blog | 2017-03-11 10:08 | □週5プロジェクト16 | Comments(0)