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ESD ファシリテーター学び舎 for BQOE 2015年度 ふりかえり

ESD ファシリテーター学び舎 for BQOE 2015年度 ふりかえり

【週5プロジェクト総括】

2015年4月1日から始まった週5プロジェクト15は、214冊を紹介。
(2016年3月31日で2472冊まで。220冊!やったあ!)

戦後70年の節目の年であり、わたし自身も60歳になった節目の年。戦争と平和、社会への提言に関する本をたくさん読んできたように思う。

■参加型熟議民主主義をすすめよう!

いま、議会制民主主義の多数決だけで、国政が動かされていくことに危機感を覚える。衆参両院で自公で過半数を締めるとは言え、投票率は50%程度、その中で25%程度の得票であり、選挙民全体からみれば17%程度の支持しか得ていない政権なのである。

フィシュキンは、平等、参加、熟議、非専制を民主主義の原則とする。いまの状態は専制に他ならない。少数派の意見を聞く姿勢も、市民社会における熟議をすすめる手だても、とられていない。「熟議」民主主義は、2012年の夏を最後になりを潜め続けている。

Informed consent情報を得た上で同意する、インフォームド・コンセントは医学の世界で、患者が自分の治療について情報を得た上で意思決定をすること。

同様に、わたしたちも、わたしたちの「からだ」である地球や社会にかかわる意思決定について、情報を得て、決定したいと願うのではないだろうか?

意思決定のためには学びが必要だ。それは環境であれ、人権であれ変わらない。
人もそうだし、社会もそうだ。

それが2012年夏のエネルギーの未来についての公聴会の開催であったのだと思う。原子力をベース電源にするのか、それともその他の道を選ぶのか。8割が脱原発を支持した。

ヒロシマ・ナガサキという原子力の軍事利用による被害を被った人々が、「平和利用」という名の下に、原子力を諸手をあげて歓迎したかのような時代もあった。しかし、いまや地震列島、地盤の不安定さなどから、日本で原発を持つことの危険性の認識は高まっている。廃棄物のもっていく先が定まらないのだ。

それを不安に思わないのだろうか? 未来の世代に対する責任を思わないだろうか?

■ 積極的平和を構築しよう!

戦争、平和、沖縄についての本も多い。

「積極的平和」という概念については、『いっしょに考えて! 人権』で人間の安全保障という人権概念が出てきた背景として、紹介している。

安全保障と言えば国家安全保障と考えられていたものに対して、緒方貞子さんらは、人間の安全保障が国際社会の安定につながることを提唱した。人間の安全保障とは「恐怖からの自由」「欠乏からの自由」という人権保障そのものである。

積極的平和とは、武力衝突や戦争の不在ではなく、人権がなされていること。

軍事力の強化によるものではないことは、この言葉を最初につかったガルトゥングが、構造的な暴力がないことと定義し、安倍首相の用法にいなやを表明したことからも、明らかだ。

沖縄の非武装中立平和主義は、極東のクロスロードにある日本列島の生きる道でもあると、わたしは思う。

明治時代の追いつけ追い越せの富国強兵政策を、根本から考え直すことが、対米追随からの脱却の道だと思っている。

重武装の道を選ばないためには、民度の深化が不可欠だ。わたしたちの社会の民主化だけではなく、アジアの民主化に対する信頼を築くことが必要だからだ。

少子高齢化に対応するために外国人労働者に門戸を開くとしても、わたしたちが頼る先はアジア諸国なのではないか。アジアの安定が日本の未来でもある。

自ら火種をまく愚は避けたいものだ。

これまで軍隊を持たないと言っていた日本が武装を強化する。
そして、イスラエルと協働して武器開発に乗り出す。

そんなメッセージが世界に安定をもたらすと、
どのような想像力があれば、思えるのだろうか?

戦争にまつわることは、秘密だらけで明らかにすることには時間がかかる。

大量破壊兵器をめぐるイラク戦争も、
ドイツ軍のアフガン派兵についても、
残したものは混乱と痛みであったことが、明らかにされつつある。

国連平和維持軍の役割も再考が求められるだろう。

武装強化は、世界の不安定さを増すだけなのだ。

■貧困・格差・オルタナティブ

若者の貧困、経済的徴兵、下流老人。女性の低賃金と貧困、シングル・マザーの困窮の問題だけでなく、貧困はいまや各年代層に広がっている。

地域共同体や家族からは問題解決能力が失われている。そのために、当事者たちは国の政策に右往左往させられているのだ。

石井紘基さんがあきらかにしようとしたように、課題は「特別会計」なのだ。政策で決定することのできる予算が、右往左往を増幅する。

どんどん増える財団法人や公益法人。胸先三寸で配分される予算。

補助金、助成金で運営しているNPO,NGOも、同様だ。予算のつくところ、あっという間に団体が増え、そして消えていく。被災地支援も、助成金、補助金がなくなる五年目を迎えて、大きく様変わりしていく。

株価だのみ、大企業頼みの経済政策は、優良な雇用を生み出すには至らない。
いまや経済は金融経済によって左右される存在だ。経済を政策の指標にすること自体があやうい時代であることを、よく理解する必要がある。

国際金融の世界は、一国の予算でなど、どうにかできる規模では、すでにないのだ。ブラック・スワンは、いつどこでどのような規模で生まれるのか、誰にもわからない。たかが一国の政権ができることと言えば、小手先の小銭稼ぎでしかない。そんなことに一国の予算を割くのは、自殺行為である。

そして、いま、日本の年金は焼身自殺で燃え上がり、保険は米国にのっとられ、医療保険もぐらついている。そして、教育はと言えば、迷走中だ。

国民から吸い上げた潤沢な資金が、まだまだ日本にはある。それを国家の足腰強化のために使うのが、すじだろう。

■教育の迷走? ESDをガイディングスターに。

教育については「アクティブ・ラーニング」が大流行。それがなんであるかは、あまり明確ではない。文科省の定義によれば「発見学習、問題解決学習、体験学習、調査 学習等が含まれるが、教室内でのグループ・ディスカッション、ディベート、グループ・ワーク 等も有効なアクティブ・ラーニングの方法である。」とする。

「学修者が能動的に学修することによって、認知的、倫理的、社会的能力、 教養、知識、経験を含めた汎用的能力の育成を図る。」と、導入の目標が定義されている。

学校教育においてもっとも大切なことは、「学校全体アプローチ」であることは言うまでもない。能動性を育てることが、ある授業の一時間だけでできると思うことが理解しがたいことである。

学校文化そのもに「隠されたメッセージ」が生まれてしまうことを指摘したのはイバン・イリイチである。すでに学校には隠されたメッセージがあり、学習するということは、すでに学ばれていることの脱学習を伴うことを曝露した。

いまの学校文化が子どもに対して伝えているメッセージは何だろうか?

そのメッセージは「能動的に生きる」ことを称賛しているだろうか? 
どうすれば「能動的」であるということかを、具体的に手取り足取り教えているだろうか?

主体的に学ぶということは放っておいてできることではない。ほとんどの子どもにとってはね。

家庭はどうだろう? 地域はどうだろう? 社会はどうだろう?

希望よりは危機感を訴える本が多かった。それでも「なりたい未来」に向けて行動することがAvtive Hopeなのだと、ジョアンナ・メイシーさんの本は言う。

そんなこと、参加型学習の学びの伝統の中に、すでにも何回も何回も共有されている。「なってしまう未来・なりたい未来」。わたし自身、なりたい未来をめざして、なりたいような在り方で生きることを、選び続けている。

教育学を志して、わたしが学んだいちばんのこと。「わたしの人間形成に責任を持つ」ということ。

そのために「多くを知る」ということも実践していることの一つで、週5プロジェクトもそのための努力の現れだ。

教育者たちよ! みんなして、学習者に対して「能動的」であることをメッセージとして、伝えよう。

■明治時代に創られたもの

衝撃的だった本は『山県有朋』だった。

ここまで民主主義を嫌い、弾圧し、国体から換骨奪胎してしまった人が、いたのだという驚き。

そして、いままた、それと同じことがくり返されようとしているのかという恐怖。

今年も多くの著者、研究者、先達たちに感謝。

よりよいものを創りだしていく力としたいと思います。多謝。
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by eric-blog | 2016-03-31 09:33 | ■週5プロジェクト15 | Comments(0)

民主主義

民主主義
文部科学省著作教科書、径書房、1995
2472冊目

ネットにこんなページがありました。

[民主主義](文部省著作)  教育基本法が制定されてからまもなく、中3と高1に配布された教科書。
 この資料は、その一部を抜粋したものです。
 
 内容としては、今の時代にそぐわないものもありますが、今では考えられないような民主的な理想を、当時の文部省が持っていたことを伺える貴重な資料と思われます。
 以上により、ここに紹介します。
  
 入力ミスなどはご容赦を。
http://homepage3.nifty.com/yeonso/edu3.htm
 文部省著作教科書 
 
 「民主主義」
 
 1948年上巻 
 1949年下巻 発行

ジャーナリストの江川(読めない)子さんが去年の6月に書いている。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/egawashoko/20150618-00046787/

上巻がPDFで見れる。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1710437

滑稽な挿絵までついてと、大江健三郎さんが書いている。
染み通るように、受け入れられて行ったことがよくわかる記述だ。


とはいえ、全部で17章の中の一章が女性の政治参加について書かれているってすごくないかい?

 上巻

第 一章 民主主義の本質
第 二章 民主主義の発達
第 三章 民主主義の諸制度
第 四章 選挙権義
第 五章 多数決 
第 六章 目ざめた有権者
第 七章 政治と国民
第 八章 社会生活における民主主義
第 九章 経済生活における民主主義
第 十章 民主主義と労働組合
第十一章 民主主義と独裁政治

 下巻

第十二章 日本における民主主義の歴史
第十三章 新憲法に現れた民主主義
第十四章 民主主義の学び方
第十五章 日本婦人の新しい権利と責任
第十六章 国際政治における民主主義
第十七章 民主主義のもたらすもの
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by eric-blog | 2016-03-31 09:29 | ■週5プロジェクト15 | Comments(0)

給食で死ぬ! いじめ・非行・暴力が給食を変えたらなくなり、優秀校になった長野・真田町の奇跡!!

給食で死ぬ! いじめ・非行・暴力が給食を変えたらなくなり、優秀校になった長野・真田町の奇跡!!
大塚貢、コスモ21、2012
2471冊目

1992年、長野県の中学校に赴任した著者は、まずは「おもしろい」「わかる」授業をすることを先生方に求めた。

勉強がつまらなくて非行に走った子どもたちは、その後、立ち直れないことが多かった。17

教員たちも、ビデオカメラを自費購入して焼津のまぐろ漁を取材したり、がんばった。

改善は見られたが、それでも課題があった。いろいろと観察して校長が発見したのが「食の実態」

38%が朝食をとっていない
菓子パン、ハム、ウィンナー。
コンビニ食品で血がドロドロ。23

家庭が食の改善に取り組まないのなら、学校給食から!
すべてを米飯に。
給食が終わった時に、図書室がいっぱいになった!

花づくりにも取り組む。文部大臣賞受賞! 子どもの姿勢が変わった!

凶悪犯罪の背景には脳が荒れていることがある。

2009年。

ジェイミーのスクール・ディナー イギリスでの取り組み。

TEDのプレゼン
http://digitalcast.jp/v/13544/

人間の生活を取り戻そう!
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by eric-blog | 2016-03-30 16:53 | ■週5プロジェクト15 | Comments(0)

日本とドイツの気候エネルギー政策転換

日本とドイツの気候エネルギー政策転換
渡邉理絵、有信堂、2015
2469冊目

http://www.amazon.co.jp/日本とドイツの気候エネルギー政策転換-パラダイム転換のメカニズム-渡邉-理絵/dp/4842055715

7千円もする本である。

その著者による講演会を聞いた。

理念の構造をPeffley and Hurwitz(1985)に習って「深層理念」と「政策理念」「表層部分」の三層でとらえ、その深層部分がどのように経年変化するかをインタビュー調査によってみたもの。

著者自身の研究の特徴を「25年という長期間」「日独の比較」「結果としてのパラダイム転換の有無」の検討の三つとしている。

結論としては、気候保全重視グループも、経済保全重視グループも、その立場と政策確信理念は一致しており、また、政策確信理念は変化しない。

ただ、ドイツではヨーロッパ連合における政治的影響力への配慮が政策転換を促していたのかもしれない。

また、日本の被調査者は、「気候変動についての知見」から、気候変動がおこる蓋然性について「わからない」と答えた人が多かったのが印象的。自分の価値観に合わないことは情報として入らないという「フィルター効果が働いたのかどうか、今後の課題。


理念の核心部分は「既存の制度、過程、規則、そして政治・経済・宗教・教育システムによって補強される」

支配連合メンバーは基本的に保守的で現状を維持したい。

にもかかわらず、彼らの政策確信理念の規範的部分に関わる制度の需要が高まるのは、実はその制度が規範的部分に定食しないように運用されているからなのか?

気候変動に対する対策として、日本の経済保全グループは「自主努力」をあげていることが多く、規制を嫌う傾向があるように思った。著者は、講演においては、「ドイツで自主的取り組みが低いのは、すでにその段階ではないという認識」と説明していた。

彼らが退職したのちどうなるかというのは知りたいなあ。中高年女性の生き甲斐が「社会化」「精神化」「純化」するという研究があったけれど、男性はどうなのだろうか?

「わからない」と答えつつ、知識はもっており、導入されている規制に対しては、それを技術対策としては受け入れて実行しているわけだから、「endorsement」することをいやがっているように思う。「専門家じゃないから言えない」と言いつつ、自分の判断は言わないという。

ESDの視点から言えば、だからこそ、価値観の教育が必要なのだなあということ。しかし、もしも、支配連合の人々の価値観が、その既得権の側という立場によって獲得されるものだとすれば、その価値観があるから支配連合の側で勝ち残れたのかどうかも含めて、立場によって強化されいるとするならば、変革の可能性は低いなあ。

佐々木中さんの本と前後して紹介したのは、「神の罰」あるいは「恩寵」と思えた事態が急転直下、既存の価値観の枠組みに投げ返されてしまうメカニズムが、「事件」や「事故」のような価値観の転換をせまる外部要因としてあったとしても、大衆という、支配連合の側ではない人々が、「ふるさと」として現状を構成しているものを希求し、そこに自らを投げ入れてしまうメカニズムが「チリの地震」に見られたような気がしたからだが。

つまり、外部要因でアクターたちが「変わらなければ」と思ったとしても、引き戻されてしまう要因も、またたくさんあるということだ。

環境と自己の再帰的再強化システム。

わたしたちは変われるのだろうか?

なんて課題を、1755年のリスボン地震の後の西洋知識人も突きつけられたと考えていたわけだが。
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by eric-blog | 2016-03-29 15:12 | ■週5プロジェクト15 | Comments(0)

Dou selected lectures 2009-2014

Dou selected lectures 2009-2014
佐々木中、河出文庫、2015
2470冊目

『切りとれ、あの祈る手を』他、何冊か、佐々木さんの本を読んでいる。匂いとして『働かずにたらふく食べたい』の著者と同じものを感じた。不思議だ。

自分を中心とした思索をかいま見るせいだろうか。

当代一の哲学者だという。

洋の東西、地球のいま昔の空間軸、時間軸をとてもひろくとって、いまを定位してくれる。そのあざやかさ。思考するってこういうことだよね。と。

死についての議論は苦手なので、紹介することすらできない。あまり、生きていることに疑問を持ったことがないので。
でも、「砕かれた場に、ひとつの場処を」はすごい。

こんな風に「場所」ではなく、「場所」と書くような人であり、わけのわらかない語彙がふと出てくるというところに、哲学者であるだけでなく、作者と紹介されている片鱗が。

とまれ、この2011年4月15日になされた講演で、著者は、3.11についてコメントを求められるのだが、なぜコメントしないのかということについての語りから入っている。

まずは、コメントを求めること、発言を「強要する」権力作用と感じると。ロラン・バルトはファシズムをそう定義している。
ジル・ドゥルーズは、「沈黙の気泡」を整えることの大切さを。124

その上で、著者は、とらにドゥルーズの次のことばを紹介する。
「強制収容所と歴史の犠牲者を利用して」「食い物にしている」哲学者非難。

語ることで「利用する」ことになる。

では、どのように語ることができるのか。その例を著者はジョナサン・トーゴヴニクという写真家のルワンダ虐殺事件を扱った写真集を取り上げている。127

利用していないと著者が思うのは、「理解」することも「代弁」することもできないときに、「いかに誠実に絶句するか」「その絶句をどのように人々に伝えるか」
実践として基金を設けて働いている写真家。

ここまでしてようやく「なんとか免れている」

われわれは当事者ではない。

どのように語れるのか? 専門家でもないわたしたちが?

と、著者は、ちょっと調べればわかることを、時空を駆使して、語るのです。

実際に、あの程度の地震は、千年に一度どころか10年に一度ぐらい日本でも起きていること。世界で見れば被害の程度は数十万人の死者であったりすること。

原発事故も頻発していること。

従って、「the only one」という感覚と「one of them」という感覚。「かけがえのない一」であるとともに「多くの中の一にすぎない」ということ。142

東北の直接的被災者の方々の体験をthe only oneとして取り扱いつつ、しかし、どこかで自らの苦しみはone of themであると突き放す。
自己憐憫に浸ったり、躁状態と鬱状態をくり返して右往左往することは何の役にも立たない。143

と、ここまでが前置き。なが! 作家や哲学者は饒舌だねぇ。

啓蒙の光が核の光を創りだしてしまった。

1755年、リスボン大地震は、啓蒙思想家たちによる神学批判をまきおこした。諸聖人の日という祝日に起こった厄災。

そして、著者が紹介するのはハインリッヒ・V・クライストの『チリの地震』。もうこれは、今日、借りに行く!

かくして地震とはグルントの動揺、根拠の動揺。
法や秩序が崩壊し、同一性が崩壊し、無根拠で惨たらしく残虐で、非道特で、救いがなく、モラルがなく、無限に突き放す剥き出しの現実。163

坂口安吾。「ふるさと」

ふるさとはゆりかごではあるけれど、大人の仕事は、決してふるさとへ帰ることではないから。(「文学のふるさと」)

学問は限度の発見だ。私はそのために戦う。

この最後の引用も、坂口安吾なのかなあ?

息もつかせぬ講演、であるな。

そして、なんとその次に収録されている講演会は4月28日、素人の乱12号店で行われた地下大学での「屈辱ではなく恥辱を 革命と民主制について」。

いやあ、もう今日はここまでにしておく。

表題の漢字、どう転んでも転換できない。全の真ん中一本がない字なんだけどね。
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by eric-blog | 2016-03-29 13:01 | ■週5プロジェクト15 | Comments(0)

悪役: 世界でいちばん貧しい大統領の本音

悪役: 世界でいちばん貧しい大統領の本音
アンドレス・ダンサ、エルネスト・トゥルボヴィッツ、汐文社、2015
2468冊目

この4月に、ウルグアイ元大統領のホセ・ムヒカが来日する。ぜひ、スピーチを聞きにいこうと思っているが、本も読んでおこうと、探してみたら、なんとも刺激的なタイトル「悪役」という本があった。
彼が大統領の時代に、海外訪問先も含めて長時間時間をともにしたジャーナリストによって書かれたもの。

Una oveja negra al poder 翻訳ソフトにかけると力への黒羊。

やんちゃ坊主とか、はぐれものというような意味があるようだ。

1964年には盗みで逮捕されたこともある。その後トウパマロスのメンバーとして逮捕投獄もされている。

自由の拡大は無政府主義によって可能だ。それがムヒカの考え方だ。

彼は「無礼者」でもある。ウルグアイの大統領府にも「典礼」担当職員が20人もいる。ムヒカ在任中、彼らはなすこともなく、ヒマだったのだ。

ネクタイをしない大統領。

質素に生きるということを大統領官邸においても実践し続けた人。

メッセージは明確だ。

そして、そのようなルメッセージを発する人は、黒い羊なのだ。
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by eric-blog | 2016-03-28 15:59 | ■週5プロジェクト15 | Comments(0)

旅する名前

旅する名前
車育子(ちゃ・ゆっちゃ)、太郎次郎社、2007
2466冊目

昨日借りていたのに、枕元に置いておかなかったのは一生の不覚! と思うほど、おもしろかった。おもしろいというのは失礼だけれど、「ひっかかり」や「瑕疵」がある方が、他人から見て人生に味がある。順調に行っても、別にトップになれたりするわけではないのだから、フツーに生きているとすると、「傷」がある方が、語れる。

いろいろな異和感が気づきになるからだが、在日の場合は、アイデンティティのもとになる「言葉」「食べ物」「行事」「国籍」「ルーツ」、そして「差別」など、人生満載。

家で呼んでいる名称、ハンメでおばあさんのことを呼んではならない。
キムチが弁当に入っていたら、あけずに、水を飲んで我慢する。
親戚が集まると必ず踊りだす。
どぶろく(マッコリ)を作って、密造酒の摘発に合う。
帰化してもいいと思って作文し、「朝鮮系日本人として誇りをもって生きたい」と書いたら、行政書士に帰化しない方がいいでしょうと言われる。

あかんわ、これ。日本、滅びる。

いまだに、米国はどんどん流入人口で人口が増えている。
ずっと、米国の人口は2億4千万ぐらいと覚えていたのに、気がついたら3億越えている!

アフリカ系アメリカ人とか、日系とか、共生がうまくいっているか否かは別にして、そういう多様なルーツを明示的に受け入れている。

日本人ってなんだ?
極東のこの島国は、多様な流入人種で成り立っていることが、遺伝子的にも明らかにされている。言語も、安本美典さんによると「流入語」らしいし、文化的には、青木保さんによると重層的らしい。それが日本の活力なのに、だったのに、いつからこんな狭苦しい島国になってしまったのか?

国際人を育てたいと言いながら、自らは国際人になることを否定している。

日本というルーツを持ちつつ、普遍的な価値を認めたり、日本の中の多様性を尊重したりすることはできるはずだ。「日本」を平板にすることは、生きものの原則に反するなあ。

いま、沖縄が非武装中立の交易観光立国をめざしているが、琉球列島だけではない。日本列島も、同じような地理的位置にあるのだ。

目を覚ませ! と、この本を読んで、つくづく思った。
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by eric-blog | 2016-03-27 08:44 | ■週5プロジェクト15 | Comments(0)

科学者は戦争で何をしたか

科学者は戦争で何をしたか
益川敏英、集英社新書、2015
2465冊

200年後、戦争はなくなっていると、益川さんは希望を語る。
人類は戦争を放棄する方向へ進化すると。

第二次世界大戦、米国で原子爆弾が国策として推進された。科学者はいとも簡単に戦争に動員され、そして政策決定からは排除され、声は政治に届かない。

戦後、核廃絶、反戦を訴える科学者の動きが生まれた。
しかし、いま、研究の現場は「選択と集中」という投資的な資金の動きによって、翻弄されている。

「科学者さえ、研究の全貌が見えない」という。77

では、選択的に資金が投下される科学はどうなるのか?
「潤沢な資金が腐敗を生む」
そして、軍需産業は戦争の危機を煽っている。

民生にも使えるならいいじゃないかという正当化。

名古屋大学の平和憲章

http://sc.coop.nagoya-u.ac.jp/media/9906/kensyo.pdf
http://www.geocities.jp/heiwakensyou2006/

そして、益川さんは言う。
原子力はあらゆる問題の縮図なのだと。149

「平和利用」と「軍事利用」という裏表。

原発事故は、安全面をないがしろにし、商業主義に走った政官財産の癒着構造がひきおこした人災! 157

しかし、研究者として、益川さんは、原子力研究は続けなければならないと主張します。安全な廃炉のためにも優秀な人材と資金の投入が必要だと。163

長い目で見ると、戦争をしない時代へ。
テロという消耗戦、力でねじ伏せる時代は終わった。174
不満を埋める装置を創ること。
貧しい国においても子どもたちの生きる権利、教育の権利を確保できるような装置。

法による統治を前提としない国は少なくなっている。175

危機感を持ちつつ、希望を語る。そして、どんどん発言する。二足のわらじもはけないような奴は、ものにならん。
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by eric-blog | 2016-03-25 17:50 | ■週5プロジェクト15 | Comments(0)

フェアトレード学 私たちが創る新経済秩序

フェアトレード学 私たちが創る新経済秩序
渡辺龍也、新評論、2010
2464冊目

NHK記者、JANIC、JVCなど、ジャーナリズムと現場の両方を体験してきた著者によるフェアトレードについての実践と議論の総まとめ! すばらしい!

「おわりに」で著者は言う。

フェアトレードは、「人間性」を回復しようとする営みである。
「見えざるコスト」を顕在化させ、社会と環境に十二分に配慮した経済を取り戻そうとする営為である。
社会的公正と商業的成功という相反する2つの目的を同時に達成しようとする試み。
そのためにフェアトレードはさまざまな矛盾。理想と現実。
バランス。
自由か公正かの二者択一ではなく、より高次元で統合する。323

国内フェアトレードによるまちづくりとの協働で、国内問題にも取り組む。途上国の問題も国内の問題も、自由競争と効率優先の新自由主義思考に根をもっている。325

その意気やよし!

しかし、愕然とするのは日本におけるフェアトレードの認知の低さである。
カタカナ語だからというのではない。すべてが流行で流れていくお国柄のせいなのか。
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にもかかわらず、「環境に配慮したものであれば、買いたいか」という問いには7割がYesという。

意識と行動が伴っていないということなのかな?
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もう一つ、ショックなデータはイギリスのもの。
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NGOなどへの寄付をするという人が激減しているのだ。これはどういうことなのだろうか?

本文においても、その傾向は指摘はされているが、背景の解説はない。ショックだ。

この本が出されたのは3.11以前。震災後、わたしたちはもっと「国内フェアトレード」の考え方を浸透させ、「食べて支援」などという人権も環境も無視したような動きに、フェアトレードの原則で対抗することはできなかったのだろうか? と、ふと、疑問に思った。

フェアトレードの四世代。広がり、深まり、新経済秩序となることを期待したい。

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フェアな未来へ: 誰もが予想しながら誰も自分に責任があるとは考えない問題に私たちはどう向き合っていくべきか 単行本 – 2013/9/10
ヴォルフガング・ザックス
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by eric-blog | 2016-03-25 11:48 | ■週5プロジェクト15 | Comments(0)

戦争する国の道徳 安保・沖縄・福島

戦争する国の道徳 安保・沖縄・福島
小林よしのり、宮台真司、東浩紀、幻冬新書、2015
2463冊目

3.11以降、このお二人とは、親近感を覚えるようになってきている。小林よしのりさんと宮台真司さんだ。東さんは、この対談の司会、のような佇まい。
とはいえ、『福島第一原発観光地化計画』http://ericweblog.exblog.jp/19248239/は衝撃的だったし、パネルディスカッションでもお話を聞いたことがある。

小林さんは、最近、対米政策についての発言に親近感を覚えるし、宮台さんは、そのあふれんばかりの才能をサブカルチャー以外に「まじめ」にそそぐようになったことに親近感を覚える。

この三人に共通することは、他の人と議論にならないというところ。パネルディスカッションなんて、なんもおもしろくなかった。議論の土俵が違うというのか、規定的な路線での言葉遣いや枠組みの前提そのものを、たぶん疑っていたり、疑うことによる知的な挑戦や発見を楽しもうとしていたりするのだろう。

でも、この本はすごい。わかりやすいし、地平も広い。

『戦争論』を小林さんが出したのが、もう17年も前。日本の右傾化に拍車をかけた本と評価されているようだが、最近の『新戦争論I』『大東亜論』の受け止めは違っているという。右に寄りすぎた日本を真ん中まで戻す闘いを始める覚悟だという。12
第一部は公開鼎談のまとめ。テロと戦争について。

宮台さんは「主意主義」の右翼と「主知主義」の左翼という「態度」で分ける。

反東京裁判的態度と対米追随が表裏一体となった安倍政権。旧勢力と旧勢力を生かしてくれたアメリカの蜜月。17

人が感動する利他性や貢献性が右翼。一匹狼。

『これが沖縄の生きる道』宮台
沖縄の本気度を示すこと。
『沖縄論』小林

沖縄の二重性。連帯とホンネ。分厚い血縁主義、「もの言えば唇寒し」の恐怖感。24

防衛省の役人たちは、辺野古をゆくゆくは自衛隊基地にしたい。28

冷戦後の1994-96年が転機。97年、新ガイドライン。

宮台さんの考える対米自立路線は「重武装中立化」。武器の開発コスト考えたら、無理だろうけれど。鳩山さんもその路線だっただろうと。アジア信頼回復、憲法改正、重武装化、各種主権回復のパッケージ。33

対米追随のおかげで、沖縄は条件闘争にならざるを得ない。35

ではどうするか。スコットランド独立運動に学ぶ。出自ではなく、イングランドと異なる価値意識の伝統。42

ルーツを言わない、共通価値をうちたてる。「自立価値」。「内地が失ったこういう価値に基づいて、沖縄の社会を運営したい。その価値に共鳴する人なら、日本人だろうが、アメリカ人だろうが、仲間だ。」43

理は大事。しかし、理が通るだけではだめ。・・・通る理なんて、立場によっていくらでもつくれる。省益のような「村」ですら「公への貢献」という理になっている。52

個人より集団の方が動機づけになりやすい。
情念に訴えること。「誇り」を語ること。沖縄戦で犠牲になった沖縄で米軍基地を放置するのは恥だと宣言すること。

劣化した感情の発露。

反知性主義ではなく。感情が劣化しているから知性を尊重できない。55

 外資系や多国籍企業を儲からせても、とりくるダウンはない。56

ボトムアップで、地域に分散していくしかない。
どんどん個に分断されていくから、これでは活力そのものが生まれない。


「保守」とは、基本的に人間は賢くない。理性には容量限界がある。だから、社会全体のような複雑なものを、理性でコントロールできると考えるのが不遜だと。抑制的で謙虚な立場が「保守」。58

貧しい理性で社会的な全体をコントロールできると錯覚すると、社会の混乱で共同体が崩壊するので、感情の劣化が生じる。保守という立場には、感情の豊かさを護持するという含意がある。内発性を重視する右翼的なものとつながる。58

個人が分断されて孤立すると、埋め合わせのために強いものに所属したがる。
自分の周囲に承認を供給する共同性がないので、・・・疑似共同性や崇高な精神共同体としての国家という虚妄に自分をゆだね、自分は寂しくないと思おうとする。60

退屈。寂しさ。こんなはずじゃなかった感。社会のなかに自分の本当の居場所がない。61

一人ひとりに承認が与えられ、各人が自分が守るべき人、守るべき郷土をはっきり認識しているような社会が望ましい。62

都市に集められ、流動するアトム化した個人。ポピュリズムや全体主義。

戦後の日本は「会社」が擬制家族。

SNSからの撤退。「見えない化」コミュニティによる絆や共同性。
そこからも排除される「感情の劣化」した存在は、排除によって濃縮される。65

どうすれば、感情を育て、そこに理もついていくことができるか。

権力は強力で、いまの若者は反体制の感覚をもっていない。大衆が劣化した感情で巨大な権力に依拠している。75

福島と沖縄がもたらしている「当事者じゃないやつが何をしゃべっているんだ」という議論。これは分断奨励の議論であって、すべてが他人事だといって放置することにつながる。93

同感能力sympathy

寄り添う感情の力のある人間だけがまともな社会を営める。93
どこか主意主義的右翼のもの。

地域性が空洞化したなかで、どうすれば自立が難しい弱者の地域性を復活できるか。平屋だと地域性がつくりやすいのに、マンションだとつくりにくい。アーキテクチャーに由来する力。99

地域性や家族のつながりは、意欲だけじゃ保てない。
いまある手持ちのリソースだけ用いて、どうすればかつて共同体が持っていたよい機能を再生し、悪い機能を最小化できるかだ。昔にもどるのは無理。100

共同態でも相克態でもない相乗態。(見田宗介)

さて、第2部。

いま、新しい産業が経済成長にまったく貢献していない。206

全世界で資本主義は終わっている。それでもアメリカはフロンティアを探し続ける。フロンティアとしてのアジア回帰。

新しい発明は職を奪う。207

アベノミクスの金融緩和は無駄に紙幣をすって、株をもっているやつらのマネーゲームだけに使われた。それで終わり。208

コンクリートから人へというのは正しい。
それに対して、自民党が「高度経済成長の先」があるという、郵貯から簡保まで株に注ぎ込んで、株高の幻想だけで成長していると錯覚させる。禁じ手。209

地方を競争に追い込み、敗北に怯える地方に中央勢力を送り込み、全資源を国家と資本が活用して、
「復興」「創生」を名目にしたファンドを募ったり、補助金つけたり。
地方の足元をみたやりたい放題。213

地方は「地方創生」という言葉にだまされちゃだめだ・
三点から言える。
1. 市場に参加して競争で生き残れは優越的地位にたてない地域では事態を悪化させる。スーザン・ジョージ「構造的貧困」市場で買いたたかれる。
2. ウォーラーステイン、後進地域は先進地域と同じ道を辿って発展することはできない。先進地域は広範な後進地域を前提に、犠牲にして発展できた。
3. 市場での生き残りが不可能なことを前提として、(1)立ち行かなくなった地方を中央に依存させ、(2)霞ヶ関からPDCAサイクルを共有してすべての達成度を中央が評価(3)問題解決能力がないからと霞ヶ関からの人材派遣を拒否できなくさせる。214

百万円でも回る暮らしと百万円しかない暮らし。214

風の谷をどれだけ増やせるか。
貧しくても楽しい。218

日本人は寄り集まって一緒に暮らしていると、血縁や性愛によるものとは違う絆ができる。製造業のように、いっしょに長い時間なにかをやる。家族のようになる。223

個人の流動性をおさえこんで、ある程度の強制力をもって、複数の人間が住み続ける場所を確保。223

「集まって住むこと」の大切さ。


そうそう、大事なことを忘れていた。戦争の終結のためには「手打ち」が必要。互いの論理と正義を尊重しあいつつ、どこかで手打ちをする。

テロを絶対悪とするところで、戦争は泥沼になる。
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by eric-blog | 2016-03-22 16:42 | ■週5プロジェクト15 | Comments(0)