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タックスヘイブンの闇 世界の富は盗まれている!

2016 年5月10日

■IWJインタビュー
http://iwj.co.jp/wj/member/archives/49793

2016/05/10パナマ文書とうとう解禁!日本の有名企業名が続々登場するも日本政府は調査を放棄!?次の革命はデジタルの力でもたらされる!岩上安身による『タックスヘイブンに迫る~税逃れと闇のビジネス』著者・合田寛氏インタビュー!

■合田さんの著書
タックスヘイブンに迫る:税逃れと闇のビジネス
合田 寛、新日本出版社;東京 2014.9

=====以下、2013年7月18日==================

2013年10月14日 東京新聞
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この記事に紹介されている志賀櫻さんは、2015年12月20日に亡くなった。


■タックスヘイブンの闇 世界の富は盗まれている!
ニコラス・シャクソン、朝日新聞社出版、2012
2013冊目

ちょうど、311の騒動が日本で持ち上がっていた頃に出版された問題作。

タックスヘイブン、脱税天国というと、ケイマン諸島やセント・ビンセントおよびグレナディーン諸島など、船主さんたちが船籍をおいたりする諸国のこと、と考えていた。いまや、脱税天国、あるいは節税帝国の中心は、ロンドンのシティとニューヨークのマンハッタンの二極の戦いなのである。この本は、いかに金利の上限政策を撤廃させ、金融業に有利な法制度を合衆国で、そしてシティで獲得してきたかの物語である。そして、それは、途上国の貧困がなぜなくならないかの理由でもあるのだ。マイクロ・ファイナンスの堕落以上の物語であり、その堕落の根源にある金融天国となりはてた世界の姿でもある。

ケインズは、金融資本家ではなく、産業資本家の側にたった経済学者であった。そのため、彼は資本規制を支持した。ブレトンウッズ体制は、資本移動の規制を実現していた。109

そのような規制を離れることを「オフショア」と言う。

守秘性、プルーデンシャル規制の回避、ゼロ税率などがオフショアの魅力である。
そして、彼らは、落としやすい国から落としていき、その存在を交渉力にして、オフショア的条件を他の地域でも獲得していく。殺し文句は、「いいもんね、あっちの国に行くから」と。途上国の一次産品に対する商社らの交渉力と同じことだ。

「アメリカの銀行は、1930年代にヨーロッパの逃避資本をあつかって巨額の利益を得ていたので、透明性がニューヨークの魅力を損なうことを恐れて、(ケインズらの国際金融の透明性)この提案を骨抜きにした。」111

結果、1948年のヨーロッパの経済危機に対する米国からの援助、マーシャル・プランは、その逆の流れ、ヨーロッパから米国への逃避資本の流れよりはるかに小さかったのだ。

1960-70年代、年間成長率は途上国においても高かった。
80年代に入って、資本規制が世界中で緩和され、オフショア・システムが繁栄を謳歌するようになると成長率は急激に低下した。113

しかし、2009年5月以降、OECDタックスヘイブン・ブラックリストは記載件数ゼロ。

多国籍企業に対する二重非課税、資本移動に対する非課税、そして、逆累進課税。金融資本家が恩恵を受けるシステムが、世界を疲弊させているのだ。

アメリカの納税者の上位0.1%の実効税率は1960年代に60%であったが、2007年には33%に低下していた。41

富を上方に、リスクを下方に再分配する。213

途上国は違法な資金流出によって、2006年だけで1兆ドルものカネを失った。すなわち、途上国に入ってくる海外からの援助1ドルにつき10ドル流出したのである。227

悪貨は良貨を駆逐する。

カネは易きに流れる。

著者は文化を変えなければならないと、提案する。

透明性を高める
世界貿易の60%が多国籍企業の内部で発生している。彼らは利益はゼロ税率のタックスヘイブンに、コストは高税率の国に集めることで租税を削減する。406

途上国のニーズを優先させる
途上国の課税基盤をしっかりさせる。

シティの解体
などなど。

途上国と先進国の市民をつないで一つの目的のために団結させられる運動があるとすれば、このオフショアを考える運動こそがそれだと、著者は言う。

Tax Havenを脱税天国と訳してしまったが、havenは港、避難所のこと。Heavenは天国。でも、英語の語源って、同音系で根っこが一緒だったりするから、あながち間違いとも言えないか。

こちらは、日本人の大蔵官僚の方が書かれたもの。『タックス・ヘイブン-逃げていく税金』志賀櫻、岩波新書、2013
図解がすばらしい。また、とてもわかりやすいので、両方合わせて読むことをおすすめします。

2013/08/14 「最低でも世界の富の4分の1は租税回避されている」岩上安身による志賀櫻氏インタビュー
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/96288

タックス・ヘイブンで行なわれる悪事は三種類。
◯高額所得者や大企業による脱税・租税回避
◯マネー・ロンダリング、テロ資金への関与
◯巨額投機マネーによる世界経済の大規模な崩壊


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なんと、富裕層の方が税負担が低いのは、日本も同じということだ。
税制を改革して、所得税制を柱に据えるのであれば、「逃げる富裕層を止める」具体策が必要だと、著者は言う。83

・シティズンシップ課税、自己開示制度など

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巧妙に、オフショアの制度がすすんできた1990年代。日本はその餌食にされたという。に本の金融機関が外資系金融機関に食い物にされた! フィアスコ。『大破局』

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1971年以降の日本経済運営は失敗続き、見るも無残なのだと。164
政治家による地元への利益誘導と、官僚による省益確保の体質が身に付いてしまったと。

読んでいると、剣道五段、騎兵並みの馬乗り、小火器の名手であるという著者が、救世主に見えてくる。144
手に汗握る活劇シーンもてんこ盛り。巨大なカネには暴力がつきまとう。

タックス・ヘイブン・エンジェルズ、では、なんか優しすぎるか。しかし、いま、危機意識を持って立ち上がる人々が必要だ。
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by eric-blog | 2016-05-13 15:04 | ■週5プロジェクト13 | Comments(0)

自衛隊の国際貢献は憲法九条で 国連平和維持軍を統括した男の結論

2014年5月12日 東京新聞
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自衛隊の国際貢献は憲法九条で 国連平和維持軍を統括した男の結論
伊勢崎賢治、かもがわ出版、2008、2014.3.7
2171冊目

日本の国際協力に武力はどこまで必要か
http://ericweblog.exblog.jp/19515293/

同じ著者による単著である。こちらの方が、おもしろいなあ。著者の国連平和維持軍での経験が、例えば「軍隊は兵站が勝負である。彼らは組織的に食糧を調達している。しかし、軍隊に食糧を依存することはできない。文民である国連は、自分たちの給料で食糧を調達しなければならない。」同じ国連平和維持軍活動で働いていても、武士は食わねど高楊枝ならぬ、文民は食わねどやせ我慢、なのである。物品の流通もままならない東チモールでの経験である。

これまでも現場からのレポートは多い。ここに紹介されているエピソードも、初出ではない。
『インド・スラム・レポート』(明石書店,1987年)
『NGOとは何か――現場からの声』(藤原書店,1997年)
『東チモール県知事日記』(藤原書店,2001年)
『武装解除――紛争屋が見た世界』(講談社現代新書,2004年)

わたし自身もカンボジアで体験したことだが、NGOから日本のODAの支出について、軍事支出を増大させないように条件をつけてほしいという声があった。わたしは、日本の憲法の精神に照らして、それは可能であるはずだと思ったが、日本政府は「内政干渉にあたる」からと、条件をつけなかった。

同じことを著者はいう。「条件つきのお金の出し方に習熟すべきだ」と。79
そして、それは平和憲法を持つ国だからこそできるのだと。

このブログでも何度も言っているが、日本国憲法の言っていることは、別に独自ではない。国連憲章に書かれていることなのだ。しかし、国際社会において、国の憲法にも同じことが明記されているわけではない。だからこそ、憲法9条を持つことの優位性は高いのである。リアル・ポリティクスの視点から考えても、いまの改憲動向は、「惜しい」またく惜しいことなのである。

東チモールの国連維持軍が撤退する時、東チモールに軍隊を創設しないことを求めた。が、かなわず、結果的に独立から2年後にクーデターが起こる。警察と軍隊の両方が力を持ってはりあうようになった結果だ。34

2007年11月の衆議院テロ特別委員会における証言と質疑も収録。

自衛隊の「平和利用」も視野にいれた現実主義者からの、国際社会、国連平和維持軍にとっての日本という存在意義についての本である。

しかも、おもしろい! ちょっと他のも読んでみよう。
とはいえ、現場の葛藤はすごいだろうなあ。
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by eric-blog | 2014-05-13 10:52 | ■週5プロジェクト13 | Comments(0)

戦前の少年犯罪 

戦前の少年犯罪 
菅賀江留郎、築地書館、2007
2181冊目

戦前の少年犯罪は、殺人事件だけでも年間100件以上発生していた。

「いまの少年犯罪は・・・」などと語る人は、しっかりと事実を見なさいよ、という本。

著者はウェブサイト「少年犯罪データベース」を主宰している。http://kangaeru.s59.xrea.com/

○若い人のあいだで、心中が最高にロマンティックなイベントとして大ブーム(昭和10年)、三原山
○2.26はニート犯罪だった。
○戦前は主殺し、親殺し、老人殺し
○いじめ、教師をなぐる
○桃色交遊、幼女レイプ、
○旧制高校生は史上最低の若者たち

刺激的なタイトルが並ぶ。

伝統や歴史の「つまみ食い」が好きな人に「騙られない」ようにしようね。

もちろん、統計データもたっぷり紹介されていますよ。

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by eric-blog | 2014-03-31 11:54 | ■週5プロジェクト13 | Comments(0)

日本における外国人・民族的マイノリティ人権白書2014年

日本における外国人・民族的マイノリティ人権白書2014年
外国人人権法連絡会編集発行、2014
2180冊目

すばらしい報告書である。ぜひ、入手してください。でも、ここだけは、寺中さんの労作ですが、紹介しておきます。

入手方法はこちらから。2014年度と書き換えて、お申し込みください。

http://korea-ngo.org/library/library_pdf/jinkenhakusho2013order.pdf

人権勧告リスト

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【辛淑玉さんインタビュー】

http://iwj.co.jp/wj/member/archives/19289


【感想です。】
まさしく、いま、人権関係の市民運動をしているのは弁護士だけ、という状況を如実に示す学習会だった。当事者と当事者をサポートする弁護士。教育者はと言えば、大学教員、つまりは、その道の専門家である。

このような状況で「広く一般市民の意識啓発を」と言っても、実行力のないことはなはだしいわけで。戦術の一つは、「いかにメディアにとりあげさせるか」であるのだ。

聴衆は20人ほど。法科大学院あるいは若手弁護士と言ったところか。

ま、そんなことを批判しても始まらないけれど。基本的な教育がかわらない限り、排他的な「Japanese Only」の何がいけないか、何が変らなければならないか、は浸透しない。

赤福の社長がいちばんわかりやすい例なのではないか。「日本の伝統と文化を象徴する伊勢神宮に参拝できるのは、正統的には日本人だけなのである。」だから、お伊勢さんには外国人は来てほしくないのだと彼は言った。客商売の会社の社長が、である。

浦和レッズのサポーターも同じである。「日本のクラブチームである浦和レッズを、正統的に一体感をもって応援することができるのは、日本人だけである」という明確な意図で、彼らは、チームの日本人選手だけが出場するあの日、「Japanese Only」を掲げた。チームが日本人だけなのだから、応援も日本人だけでやるのだと。「我らのこの一体感を見よ」と、彼らは高揚したのだ。

文化とは排他的なものである。他と隔絶、屹立して違いがあるのでなければ、取り立てて「文化」と言う必要もない。物理的に特定の誰かを排除するという意味ではなく、内実において排他的でなければ、文化ではない。

日本文化に根強く生き延びている家父長制は、男性中心の社会システムと男性優位文化の組み合わせである。プレイヤーとしての女性の存在が不可欠ではあるが、その役割は、あくまでも従である。

人権は文明である。文明は均質化の圧力である。

文化と文明のせめぎ合いが、いまの人権状況なのだ。文明の同化圧力に対して、文化が抵抗を示している。文明は均質化を求める。だからこそ、よりいっそう、特定の文化はかたくなに、保守的になる。

いまの物質文明、経済体制の均質化圧力は高い。産業技術社会は、文化的生活における物質的様相を画一化し、ローカルな色彩を残す消費も、「ローカリティ」として商品化されている。経済取引も金融もグローバル化している。

文化が文明に対抗する力を持つためには、結束力が頼りだ。日本文化のなんたるか、伝統のなんたるかが、何であるのか、そんなことの共通理解や定義など必要ない。語れば、いいのである。語れば騙れるのが文化だ。なぜならば、「ローカリティ」は消費されるものでしかなくなっているのが現実だからだ。

誰が語れるのか。日本文化については男性の語る力が圧倒的に強い。

地域で、家柄がよく、地域活動に熱心で、何代も続く篤志家の家系で、長男である。そんな人が、語る力の復権をめざしている。これまで「男女共同参画社会」の旗ふり役が台頭する中で語ることができなかった肩身の狭さを跳ね返したいのだ。

それは、帝国軍人も同じだ。日本の国のためにと戦ったのに、戦後のあまりにも長きにわたって、人非人扱いされてきた。日本鬼子とののしられてきた。特に、士官級の人々の葛藤は強いのではないか。

徴兵されてきた「どん百姓」のせがれらが、どんなに教育しても、あの戦争の大意もわからず、野戦にだせば恐怖心から無駄な殺戮にまで走り、おさえるためには慰安所すら設置しなければならなかった。こんなはずではなかったのに・・・と。

公職追放解除後、軍人恩給再開後は、経済的にはよくなった。しかし、名誉は回復されていない。その鬱屈した思い。

力を付与することはたやすい。文化的なゲームなのだ、人間関係は。日本の階級遵守語がプレイヤーとしての役割演技をやりやすくしてくれる。「うちの主人が」なんてことばを、なんの痛痒も感じることなく、意味を忖度する必要もなく使うことで、力を付与していることにも気づかず、あまつさえ、そういうことで「主人」をコントロールさえしているのだというような思いさえ、どこかで抱きながら、言うのである。

学校は、文明を教える場所である。しかし、文化的に色付けられた言語の存在なしで、文明に至ることは、普通の人間にはできない。文明は、文化のことばを通して、翻訳されて入ってくるのだ。

日本の、あるいは漢字圏に共通することとして言えば、もう一つの文明語である「漢字」による変換を経て、文明は日本にもたらされる。カタカナで、表記したとしても、なんらかの「日本文化色」およびダブル文明による像のぶれは免れない。

学校は、そのような「日本文化中国文明色」で翻訳された文明を教えようとする。

教えている人間の「日本文化色」「中国文明度」「文明開化度」によって、学校教育の内実は左右される。左右されてしまうのだ。人間のやることなのだから。

教えている人間の「日本文化色」を均質化するのが「愛国心」である。文明に取り込まれないように、団結力を高めるためである。文明に何が取り込まれ、何が取り込まれていないのかすら、自覚のない人々が、無自覚に「伝統」や「日本」を振りかざしている。

結果、「文明」を教えるべき学校教育は引き裂かれる。「ヒドン・カリキュラム」とイリイチが看破した、ダブル・スタンダード、ダブル・バインド状況が出現する。

文明を語る言語は「CALP」である。Cognitive Academic Language Proficiency認知的学問的言語流暢性と訳しておく。カナダの多文化教育研究者、カミンズが概念化したものだ。それに対するに学校で教えられるのではなく、人間が集団の中に生まれでることで身につけていることばがBICs Basic Interpersonal Communicative skills基本的人間関係コミュニケーションスキルである。BICsをベースに、CALPが育つ、学校が育てるのはCALPであるというのが、カミンズの論である。

多文化継承語の問題について、カミンズは、母語の確立および母語によるCALPまでの育ちがCALPの能力を左右すると考えた。母語の思考レベルが高くなければ、他言語で教えられる、例えば英語で学科を学ぶという力をつけることが難しいというのだ。

数学や理科、社会科学の概念や議論は、ユニバーサルであり、普遍的であり、翻訳可能な言語で語られている。大学、Universityを卒業するということは、そのような普遍的言語で、翻訳可能な議論を、国際的に交わすことができるということに他ならない。

教科の体系化というのはCALP言語に基づいて行われている。

和魂洋才。いまだに、そういうことが可能なのだと、いまの教育行政にたずさわる官僚、関係者は考えているのかもしれない。しかし、現在のOECDを中心とする、つまりは先進諸国を中心とする教育改革は、「よりよい質の教育」を求めて「エビデンス・ベースト」科学的証拠に基づいて行われようとしている。

教育改革を語る言語が、すでにCALPなのである。

いま、教育改革で語られていることは何か。教育目標としては、知識中心主義から脱却し、生きて働くことのできる知識であり、その知識を活用する力でなければならない、つまり、今風の言語で言うと「competency」コンピテンシーである。Competentというのは、「~~することができる」という能力であり、スキルであるが、「しようとする」という意欲までを含めて、本当に「生きて働く力」としてとらえられているということである。

教育改革を「コンピテンシーの育成」を目標として、「エビデンスに基づいた検証のプロセス」によってすすめて行こうというのが、いま、なのである。

ところが、日本社会には、BICsとCALPの間に、日本文化語とでも言うべきコミュニケーションおよび人間関係のレベルが存在する。それが話されているのはほとんどすべての日本の組織においてである。大学や学界すら、その例外ではない。

そこにおいて純粋にCALPで話そうとする人は、煙たがられ、パージされることだろう。

・官公庁における「入省年度」による上下関係および同期が政務次官になった場合、他の同期生は「天下り」するという慣行
・会議において、「年長者から発言する」という暗黙の了解。
・組織において、上位者が残業している時に、部下が先に帰ることがためらわれるという感覚。
・女性社員が軽く扱われる実態

などなど、日本文化語が暗黙に語り合われている場面は無数にある。

学校にも学校文化語があると、「小一プロブラム」の背景を説明したのは岡本夏木である。BICsから、学校が教えるべきCALPの間に、学校という文化特殊の言語があり、言語が基盤をおいている行動規範、人間関係、規範がある。

その背景にあるのが、明治維新である。近代学校教育制度は、「国民国家」を創造し、「国民」を生み出した。「国民」が語る「標準語」を教え、国民皆兵につながる教育勅語や戦陣訓をたたきこんだ。女性に学問は不要なだけでなく、女性には標準語すら不要であった。

第二次世界大戦後も、学校の建物も、言葉も解体されることはなかった。「前へ並へ」「右向け右」。わたしは、どこの国でもこのような集団行動を効率化するためのトレーニングというのは学校教育に取り入れられているものだとばかり思っていた。米国に留学するまでは。

学校教育を成立させるのに、この訓練は不要である。

しかし、日本では、軍事教練として導入されたこれらの訓練が、終戦後も、何の疑問ももたれずに、つまり「集団行動の効率的指導」という歪んだ理解のもとに継続されたのである。

集団行動の効率的指導には、他の方法もある。型から入るのではなく、なぜから入ること。練習によってそろえる必要はないこと、合理的な集団行動が実現すれば、それでよいのだということ。そのような問い直しが無かったのが、戦後の日本の学校教育なのである。

何が問題なのか。

集団行動を教えるのに、「型を練習する」のが日本文化である。
集団行動を教えるのに、「なぜ」を考え、工夫するのが、もう一つのやり方である。

ポイントは、「ヒドン・メッセージ」の違いである。

「型から入る」場合、「みんなが揃うまでやる」「時間の効率は問わない」という隠された学習がある。一人ひとりが過ごす時間の質は問わない。

「なぜ」を考える場合は、時間の効率も工夫の一つになるのではないだろうか。「考える」ことで、一人ひとりの時間の質的な向上、コンピテンシーの向上につながる。

もともと好戦的な出自をもった学校文化語が、無批判に、さらに「日本文化語」に絡めとられようとしているのが、いま、なのである。

コンピテンシーという知識・技能・意欲の三位一体としての力を伸ばす教育のためには、教育活動の場全体、教育内容や方法の全体が、首尾一貫したメッセージを伝えていることが、教育効果をあげる。ダブル・バインド、タブル・スタンダードは教育の効果を妨げるだけでなく、質をも下げることはあきらかだろう。

「人権」という文明を教えたいのであれば、文明を教えるにふさわしい言語活動を導入することが肝要である。

あまりにも、無批判に、「日本文化語」を通じて人権を語ってきたことが、教育現場の葛藤と混乱を増している。

BICs一次ことば、学校文化語・日本文化語=二次言葉、CALP三次言語、それぞれをしっかりと自覚することが必要なのだ。

その分析なしで、「Japanese Only」を語ることはできない。

その分析なしで、人権教育を考えることはできない。
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by eric-blog | 2014-03-31 10:49 | ■週5プロジェクト13 | Comments(0)

自衛隊という密室 いじめと暴力、腐敗の現場から

自衛隊という密室 いじめと暴力、腐敗の現場から
三宅勝久、高文研、2009
2179冊目

田母神さんは幕僚長だった頃、出張はすべて自衛隊のヘリで行っていたらしい。たぶん、いま、安倍晋三さんがやりたいことも、それなのだと思う。権力志向の人々の夢。「閣下」と呼ばれること、庶民に一切見られることも見ることもなく、移動できること。愛想をふりまかなくてもいいこと。

同じ著者による自衛隊関連本は多い。それでもよく取材できているなあと思ったら、やっぱり、「都合の悪いことを書く人には協力できません」と。49

わかりやすすぎーーー!都合の悪いこと! オンパレードがこの本だ。

・自衛隊には自殺が多い
・自衛隊内での事故は隠蔽される
・自衛隊絡みの収賄、天下りが多い
・公務員であるのに、参議院選挙などの時に、立候補者の講演会を開き、幹部が寄付し、選挙運動を支援している。

自分の感覚が麻痺していくのが怖いが、もしもわたしが幕僚長ならば、「わたしは、○○君の選挙に協力しているよ」ということを圧力を自覚しつつも言うだろうなあ。

力の濫用というのは、力の自覚なしにはありえないからだ。そして、もちろん、力の濫用、使ってよい力以外の部分に力を使うことは、暴力である。

自衛隊が暴力的な組織になるのは、上下関係の「力の格差の感覚が大」である組織や社会にはつきまとう「力の濫用」と下位のものによる「力の付与」が存在するからである。一人ひとりの「人権」、普遍的な価値としての個の尊重、自由や選択、自己決定や自尊、などの価値よりも、「関係性」の価値に重きをおいているからだ。

個人主義、自由主義の社会であれば、「暴力がない」かと言えば、そんなことはない、と即座に言い切れる。米孤軍基地の周辺に暴力沙汰が多いこと(沖縄などの例)、そして米軍の中にも暴力が多いこと、グアンタナモのように、収容者に対して非人道的な扱いをしていることなどの例をあげるまでもない。「自由」が正義になった時、人は「正義」の名の下に暴力を振るう。

価値観と価値観の間の葛藤の問題を、わたしたちはしっかり議論しなければ、「正義」をふりかざした道徳教育に取り込まれてしまう。

そして、この本は、そのような機能不全に陥っている組織で起こりうる出来事のカタログである。同様のことが、もし、あなたの組織で起こっているとすれば、それは同じ病がはびこっている証拠だ。

幹部は守られ、兵隊は使い捨てられる格差社会、階級社会の見本市を見て、他人事だ、自衛隊は別なのだと言える人はいないのではないか。

最近の事例では、イラク派遣された自衛官の事故の問題がある。

■2014/03/13 【大阪】米軍車両にはねられ、今も障害が残る ─イラク派遣の元自衛官・池田頼将さん
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/129232

■2014/03/20 米軍と自衛隊が意図的に隠蔽? クウェートで米軍車両にはねられた元自衛官・池田頼将氏が語る
http://iwj.co.jp/wj/member/archives/18817
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/130188

生き残るために、幹部になるにはどうすればいいのだろうか? 

「ずる賢く」立ち回るか、あるいは「まじめ一本やり」(神聖喜劇の東堂のように、自衛隊も法治主義なので)、その二種類しか、自衛隊で長く生き残ることはできないと、分析する自衛官もいる。

「日本社会の○△□」をこれまでわたしは「バリア」の分析としてのみ考えてきたが、生き残りの「戦略」を考える上でも有効であることがわかる。

○均質さを好む  仲間を作る
△力の格差の感覚が大 派閥に入る、力を付与する、力を濫用する
□リスクをとらない 前例主義に徹する、違うことはしない、改善を提案しない

うむむむ、書きながら、わけながら、説得力があることに驚く。日本社会における保身術。

・南京大虐殺はなかった。という幕僚長がいた。
・自衛隊には「帝国海軍」以来の伝統があると、訓示される。
・広島県江田島の海上自衛隊は旧海軍兵学校の跡地にあり、「教育参考館」には東郷元帥の「御遺髪室」があり、帝国海軍の歴代対象や軍神を紹介、賛美している展示がある。20

自衛隊という組織は、決して、戦後、新たに生まれた組織ではないことが、容易に諒解される。太平洋戦争を戦った軍人たちの名誉を回復したいと願っていると、これらの展示を見て、人は思わないのだろうか。
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by eric-blog | 2014-03-28 08:33 | ■週5プロジェクト13 | Comments(0)

茨木のり子詩集 鎮魂歌

茨木のり子詩集 鎮魂歌
童話屋、2001
2178冊目

1965年に刊行されたものの再版。歌われているのは1950年代半ばから60年代にかけての情景だ。

武藤類子さん (福島原発告訴団・団長)
http://blogs.yahoo.co.jp/mknony0623/18289522.html

がスピーチの中で引用していた「怒りの火薬を湿らせてはならない」を探して、「鎮魂歌」に出会った。

なぜ、火薬は湿ったのだろうか? そんなことを「最上川岸」を読んで思った。

********
子孫のために美田を買わず

こんないい一行を持っていながら
男たちは美田を買うことに夢中だ
血統書つきの息子に
そっくり残してやるために
・・・・
(けとばせ、なげろ、叩き売れ)
・・・・・
人間の仕事は一代かぎりのもの
伝統を受けつぎ 拡げる者は
   その息子とは限らない
   その娘とは限らない

世襲を怒れ
あまたの村々
世襲を断ち切れ
あらたに発って行く者たち
無数の村々の頂点には
一人の象徴の男さえ立っている

*********

わたしが育ったのは、まさしくこのような空気を吸ってのことだった。
それがいまや「和風総本家」「秘密の県民ショー」「お宝鑑定団」などの伝統回帰、クールジャパンのかけ声の中で、有象無象も無批判に、墓場からよみがえっているにもかかわらず、怒りの声はないのではないか。

火薬は湿りやすいものなんだね。だからこそ、彼女は「湿らせてはならない」と警告したんだね。

火薬を持って戦うよりも、生き延びることを選んだ99%の末裔が、99%なのではなかろうか。

一人ひとりに与えられた「生涯火薬量」は等価である。さあ、この火薬、どう使おうか。

同じ詩集に所収されているのが「りゅうりぇんれんの物語」であり、1945年から1958年まで、北海道の山中に隠れ住んでいた中国から拉致され強制労働に奴隷状態でつかされていた男の物語である。

確かに、わたしたちの社会は、忘れやすいものだね。

「時代の空気とともに生きていたい」と言って、社会派映画監督を止めて、コメンテーターとして活躍した大島渚も、死んでしまったし。

『絶望の隣は希望です!』やなせたかしさん、晩年まで大活躍であったよね。


「火薬を湿らせてはならない」は以下の詩集に所収。
『茨木のり子詩集 対話』
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by eric-blog | 2014-03-19 14:59 | ■週5プロジェクト13 | Comments(0)

神聖喜劇 コミック版 大西巨人原作

神聖喜劇 コミック版
大西巨人、のぞゑ のぶひさ絵、幻冬舎、2006
2177冊目

1919年生まれ、96才。と、図書館の資料ではなっているが、Wikiでは1916年大正5年生まれなのか。90才すぎると、誤差のうち? 亡くなったことを伝える新聞報道では97才と。

神聖喜劇は1978年が初出ということになるのか? 映画化の動きが2005年ぐらいにあり、そこからシナリオ、漫画化も起こったようだ。

コミックと言っても、簡単に読める内容ではない。多かれ少なかれ、著者本人の軍隊での実体験に基づいて書かれていることなのだろうが、軍隊というのは、額面上は「文書主義」であり、「法治主義」であり、嬉々として議論を展開していることが、読み取れる。本当は、軍隊生活を楽しんでいたのではないか?

殴られるかもしれない、制裁を受けるかもしれないというぎりぎりのところで展開される合理性についての議論は、その後の人生には皆無であったことだろう。

もっとも印象的なやりとりについて、紹介する。休日に外出した東堂が、その日病気を理由に休んでいた。そのことが書かれている文章を確認した上で、制裁を加えるシーンだ。上官の勝ち誇った顔。東堂は64発までは数えたが、その後は頭が真っ白になったと。

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観察の中には、「平等」を建前にしている軍隊における差別がある。
・「学校卒」とそれ以外
・地方と都市
・部落
・前科者


巨人逝く 巨人逝くとも 春は来る

いろいろな意味で、「あの戦争」の体験が、言論に影響してきていることを、実感したニュースであった。

ETV特集
http://www.nhk.or.jp/etv21c/update/2008/0810.html
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by eric-blog | 2014-03-18 12:00 | ■週5プロジェクト13 | Comments(0)

フード左翼とフード右翼 食で分断される日本人

フード左翼とフード右翼 食で分断される日本人
速水健朗、朝日新聞出版、2013
2176冊目

食は政治なり。食への投資が未来の形を決める。

で、その食への投資がいま分断、すなわち二極化しているというのが著者の指摘だ。おもしろい指摘としては、「左翼は右翼に転向するが、フード左翼がフード右翼に転向することはない」という。

これはウソだな。わたしは、ほとんどベジタリアンを目指していたが、子育てが終わったら、食に対する興味と緊張感がなくなって、母親に育てられたような食生活へと簡単に回帰してしまった。別にいいかあ、って感じ? あからさまだなあ。

だから、「高齢者とセントラル・キッチン」という未来も、そんなに怖いとは思わない。著者は、これからの老人ホームなどでは、「フードショー」などで陳列されている大人数対応型調理器具で作られた食事が提供されるようになるだろうと、見ているのだ。

どちらかというと、高齢者施設におけるセントラル・キッチンの問題は、別のところにある。我が母、84才が言うには、自分でメニューを考え、買い物に行き、調理することが惚け防止なのだと。給食サービスや、宅配弁当に頼るようになると、あっという間に惚けると。それはそうかもしれない。だとすれば、高齢者施設については、もっと「食」への参加を心がけるべきなのだ。子どもたちに対する「食育」と同じように、「食リハビリ」という考え方だ。

いずれにせよ、フード左翼とは過激なネーミングだが、左翼の定義「より平等な社会を目指すための社会変革を支持する層」からすると、著者の定義するところは、すごく違和感がある。ま、右翼左翼というカテゴリーがすでに解体されつつあるのだろうけれど。

以下の表に見るように、フード左翼は地産地消であり、有機農業であり、つまりは地域主義であり、健康志向である。それに対してフード右翼は、グローバルな貿易で入手できる食糧で格安に、大量生産で提供される「添加物入りの安い食品」、ファストフード、冷凍食品、B級グルメなどを食べる人々であるという。B級グルメは地域主義的であるが、ジャンク指向よりなので、フード右翼のジャンルに入るようだ。

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p.23

「放射能離婚」も起こるような昨今、実は、夫婦の間でも、この指向性は分断されているのではないかと。これは当たっているのであれば、離婚必至だね。

いやあ、いま、ホントに左翼と右翼がねじれているなあ。

次のマトリックスでは、特にフード左翼について、「政治的選択」的なプロットがなされている。
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p.59

世界においても食の二極化構造はすすんでいる。「工業製品」としての食の世界が拡大しているのだ。63

そして、著者が「フード左翼」の極左として紹介しているのが『美味しい革命』のアリス・ウォーターズのシェ・パニース。1971年開店。

オーガニックで、地元の農家から仕入れた食材で作る。


大きな政府の元での、反グローバリゼーションの地域主義の取り組み。「スローフード運動は、自国の食を守る美食精神こそ国境を超えて連帯できる」ことを示した。86

地域が自立的であるならば、大きな政府はいらないはず。そこに、矛盾を感じるよねぇ。果たしてフード左翼は、左翼と呼ばれるほど、政治的な存在なのだろうか?

そして、とてもおもしろいエピソードは、「Occupy Wall Street」のデモに参加し、ズコッティ公園にテントを張って生活をしていた人々が何を食べていたか。

なんと、デリバリー・サービスをしているレストランに対して、クレジットカード払いで、寄付がたくさん行われたというのだ。おもしろい! 145

食糧生産について、すべての技術革新を否定すべきだろうか?

『繁栄』というマット・リドレーの論を引きながら、著者は遺伝子組み換え技術についてもオープンに検討する。

しかし、左翼は、進歩主義で新しい技術を歓迎するが、現状では、フード左翼は、技術に懐疑的だ。154

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p.127

食の未来を、理想主義にしすぎず、フード左翼の社会的貢献を広げる道はないだろうか、それが著者が提案していることだ。

その他、
映画『フード・インク』http://www.cinemacafe.net/official/foodinc/

この本では紹介されていないけれど、『いのちの食べかた』というのもあったなあ。http://www.espace-sarou.co.jp/inochi/
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by eric-blog | 2014-03-17 15:53 | ■週5プロジェクト13 | Comments(0)

ルポ 賃金差別

ルポ 賃金差別
竹信三恵子、ちくま新書、2012
2175冊目


1985年男女雇用均等法
2008年改正パート労働法

「安くても当たり前の人々のつくり方」
=
「家族を養わなくてもいい人たち」「家計補助」的労働に労働権を認めないこと。


「女の時代って、本当にいいですね。女性が外で活躍してくれるようになり、大学院を修了した人や大卒のすばらしく優秀な女性がパートや派遣として正社員の半分の賃金でも働いてくれる」012

有期雇用は安くて当たり前、契約打ち切りがこわくて賃金交渉もできない。

差別とは「人々が他者に対してある社会的カテゴリーをあてはめることで他者の具体的生それ自体を理解する回路を遮断し、他者を忌避・排除する具体的な行為の総体」『現代社会福祉辞典』(2003年、有斐閣)、031

ゆがめられたカテゴリーの無批判な受容

仕事に「家計補助的」とレッテルをはる。賃金を減らすことができる。038
労働権を認めないことで、賃金への働き手の交渉権を断ち切る。046

差別が構造化されて日本社会。賃金差別が賃金差別だと認識できない社会。

「男性社員の抱く「海外に雄飛する男の世界」という商社観では、男性は海外に出向いて商談を独力でまとめあげ、これに付随する単純な事務作業を女性社員に投げ与え、仕事をつくってやっている。
ところが事務職女性の目から見ると、社内には「海外を飛び回らない」男性も多く、仕事も、事務職女性への依存で成り立っている。むしろ、男性一般職の仕事の内実を、女性事務職がつくりあげているとさえ見えている。}069

兼松訴訟。
住友電工判決
住友金属訴訟

「本店の方、支店の人、営業所のヤツ」091

そして、「非正規しか選択肢がない」社会へ。

職務評価という道具、194

年功序列による賃金格差は、女性との賃金格差是正には使えない。
能力給もだめ。職務評価だけが、「同一労働同一賃金」に迫る道具となる。194


同一価値労働同一賃金原則の実施システム
日本の性差別賃金

ペイ・エクイティ・コンサルティング・オフィス(peco)
http://www7b.biglobe.ne.jp/~peco09/

均等待遇アクション21京都「職務評価基礎講座」屋嘉比ふみ子
なめたらアカンで!女の労働:京ガス男女賃金差別裁判

職務評価について学ぶことも必要だねぇ。

資料としては厚労省に出ているのだけれど。

"○職務分析・職務評価実施マニュアル
~パート社員の能力をより有効に発揮してもらうために~ (全体版)(PDF:7,781KB)"
http://www.mhlw.go.jp/bunya/koyoukintou/parttime/dl/zentai.pdf


以下、国際比較です。
http://www.jil.go.jp/institute/chosa/2012/12-103.htm
図表 職務評価に用いられる評価項目例と主な手順の例
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図表 職務評価に用いられる評価項目例と主な手順の例/資料シリーズNo.103
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by eric-blog | 2014-03-17 13:43 | ■週5プロジェクト13 | Comments(0)

南京事件 増補版

南京事件 増補版
秦邦彦、中公新書、2007、初版1986
2174冊目

著者がどのような立ち位置であるかを示す図を最初に示しておこう。
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と紹介したくなるほどに、南京事件は、その有無と規模が政治的なテーマになっている。中国側は30万人といい、日本側の中には、「なかった」派までいるのだから。

中間穏便派と呼べば、ご本人は怒るだろうね、これこそが歴史学なのだと。

とはいえ、1986年の初版以来、改訂版を出す時までには新資料が見つかっているのではないだろうかと期待していたとあとがきに言うが、そのようなことはないまま、今回の増補版は、ずばり、「南京虐殺をめぐる論争」についての二章を追加したものであり、貴重である。

この事件の責任を取らされた松井岩根大将は、東京裁判で死刑となった。222

蛮行を止めようとした将校や、処罰しようとした憲兵もいるにはいたようだ。しかし、焼け石に水。「人間は神にもなれば、悪魔にもなる存在なのだ」216

三光作戦、殺す、焼く、盗むをひっくりかえして「殺すな、焼くな、盗むな」を標語としたが、転戦させられ、十分な兵糧もないまま、便衣兵のゲリラ活動に怯える兵隊たちに、そのかけ声はむなしかったようだ。

「南京戦以降・・・作らなくていい敵をわざわざ増やして、さらに苛烈な三光政策を誘発するという悪循環を断ち切れぬまま、日本は敗戦の日を迎えたのである。」241

まったく、侵略戦争であったという視点を欠いたもの言いではある。抵抗が続くのは当たり前のことなのに。

「数字の幅に緒論があるとはいえ、南京で日本軍による大量の「虐殺」と各種の非行事件が起きたことは動かせぬ事実であり、筆者も同じ日本人の一人として、中国国民に心からお詫びしたい。そして、この認識なしに、今後の日中友好はありえない、と確信する。」244

第九章、十章は補遺であるが、論争そのものについて、まとめられている。

「南京論争をめぐる三派の言い分のうちホンネの部分をつなぎあわせていくと、(1)正確な数字は誰にもわからない、(2)規模の大小は別として、南京で虐殺事件が発生したという共通の認識がある」282
とまれ、いまの論争は泥仕合である。
クロを証明しやすい大虐殺派と、人気をあつめやすいマボロシ派の勢力が拮抗しているのだという。

教科書の記述の変遷もまとめられているが、
1982年、「侵略」が「進出」に書き換えられた、という誤報事件。結果、「宮沢官房長官談話」として、文部省の教科書検定規準に「近隣諸国条項」が付け加えられる。「近隣のアジア諸国との間の近現代の歴史的事象の扱いに国際理解と国際協調の見地から必要な配慮がされていること」侵略、南京事件、強制連行など11項目については検定意見を付さない方針を示した。284

1975年以前、小中高を通じて「南京事件」を取り上げた教科書は皆無。
75年、中高、各1社。80年検定では、中学5社、高1社。
83年検定から、中学7社全部、高校は5社中4社。285-6

一方で、松井石根大将の日記を田中正明が改ざんして出版するという事件も起きる。1985年。286

そこに1997年のアイリス・チャン『レイプ・オブ南京』とジョン・ラーベの『南京の真実』の刊行。248

南京論争は国際化したのだ。
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by eric-blog | 2014-03-11 22:44 | ■週5プロジェクト13 | Comments(0)