カテゴリ:■週5プロジェクト12( 161 )

断ち切らないで 小さき者を守り抜く「子どもの家」の挑戦

この本でも取り上げられている「こどもの里」。映画になりました。

『さとにきたらええやん』

http://www.sato-eeyan.com

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断ち切らないで 小さき者を守り抜く「子どもの家」の挑戦
田中聡子、西村いづみ、松宮透高、ふくろう出版、2012
1878冊目

子どもの権利条約は、子どもの権利を保障する最終的な責任は国家にあると、明言している。もちろん、一義的には両親、家族、子どもの母語集団や地域社会などに、保護の義務と責任はあるのだが、それが難しい場合には、行政、国家が責任を負う。そして、そのように国際条約で定めたということは、最終的には国際社会が責任を負うということである。

その原則を共有することがまず必要だ。

大阪市改革は、子ども支援にも及んでいる。児童いきいき放課後事業と学童保育(留守家庭児童対策事業)という国の対策は、さまざまな地方自治体での取り組みをバックアップする形で、整備されてきた。

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放課後の子どもをどのようにケアするかというのは、子どもを取り巻く社会環境の急激な変化に伴って、多様なニーズが生まれている。対応は遅れている。

大阪市の子どもの家事業は、地域のニーズから始まり、行政の施策によってバックアップされるようになってきたものだ。学童保育や他の事業のように対象年齢などの制限や制約が少ない、「特別なニーズのある子ども」を対象に展開されている事業である。特別なニーズというのは、障害があったり、在日であつたり、留守家庭でもシングルであったりなどだ。大阪市内29カ所で、実施されている。

それがいま、2013年から「事業仕分け」されようとしている。

ある「子どもの家」利用者の内訳を見てみよう。

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さまざまなニーズがある子どもたちの居場所となっていることが読み取れる。

特別なニーズのある子どもたちに応えない行政や社会であるならば、わたしたちはなんのために税金を払うのか? 税金とは、社会的有利性の再配分機能によって、「正義」が実現され、正義が実現されることで「秩序ある社会として安定」である。

http://ericweblog.exblog.jp/14998769/

「強い」日本、「勝つ」日本を、企業支援による経済政策へのてこいれや、競争原理をあおることで達成しようとする政治家が、トップをとっていくことは、少子高齢化という成熟した社会に軋みを引き起こすのではないだろうか。

成熟した社会にいらだちを感じる人びとがいるのもわかる。老人の歩みの遅さにいらいらする感覚を思い出せば、理解できるだろう。しかし、その老人を知っていたら、あるいはゆっくりとしか歩めないような事態、けがや病気、の体験があれば、共感的な理解を持つことができる。

元気を取り戻す、強い日本を取り戻すと叫んでいる人が、しっかりと自分たちの社会の現実をみすえていって欲しいと思う。
                            2012年9月27日記
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by eric-blog | 2016-04-20 13:54 | ■週5プロジェクト12 | Comments(0)

金曜官邸前抗議 デモの声が政治を変える

金曜官邸前抗議 デモの声が政治を変える
野間易通、河出書房新社、2012.12.20
1940冊目

本を書く人は、記憶力がいいのだなあと、いつも読んでいる本ですら横において、書きカキしているわたしは、驚くばかりだ。あの動きの中で、何が起こったかを、264ページ超の情報にまとめているのだ。

超というのは、以下の情報が20ページほど、付録されているから。これもすぐれもの。
・金曜官邸前抗議3.29〜11.2 スピーチ抜粋
・金曜官邸前抗議の経緯 2011.10.22〜2012.11.11 

2012年3月29日木曜日、300人から始まった官邸前デモが、4月6日から金曜日午後6-8時になり、そして6月29日金曜日には20万人もにふくれあがった。

野間さんはフリーの編集者。1966年生まれ。官邸前デモを主催している人は、それぞれ仕事以上の働きをしているという。それは、小さなデモをやっていた人びとの連合体として始まった。2012年の春から夏にかけての物語りである。

そして、首都圏反原発連合が徹底して行っているのは「シングル・イシュー」「団体旗は立てない」「政治的発言はしない」という原則である。官邸前からは、官邸に向かって声をあげること。歌ではなく、個人の想いとして。その声をトランジスタメガホンで、グミ坂下まで届けている。

もう一つ主催者として行っているのが交通整理、安全確保。40名から、時には100名を超えるボランティアが、交通整理を行っている。

これまでのデモには見られないことが、起こっているのだと、野間さんは言う。
警察の弾圧が少ない。整然と20時になったら解散していく。怒りというよりは、祈りのような。

最初からルーティン化しようとしたわけではない。ただ、状況がどんどん変化していく中で、毎週何か課題が起きて、表現する場をもたざるを得なかった。

定時化したことの効果を、「金曜日にあそこに行けば必ずやっている」ことで、参加しやすくしたと、指摘する。

デモは、いまや全国100数十カ所で、定例デモとして金曜日に行われるようになっているという。

さらには、柄谷行人さんが言うように「日本がデモをする社会になったということ」だという。

首都圏反原発連合の代表と野田首相が会見し、それが中継されたことも画期的なことだった。いくつもの画期的なものを引き起こした金曜官邸前反原発デモ。

デモで原発が止まるのか? デモで何が変わるのか? 

それは、わたしたちのこれからにも問われていることだろうなあ。

日の丸をどうするかという問題がもちあがった時のことも、報告されている。野間さんは、比較的敏感な方の人であるからだ。ほとんどが40歳代を中心に担われているという首都圏反原発連合では、ほとんど、問題にもされなかった。

淡々と、それはサッカーの試合の時に、頬に日の丸を書くような、船舶が所属を示すために、どの国の船舶でも掲げるように、お子様ランチのような社会習慣として、容認する。

団体旗については、それが掲げられることで「実質的には「別の何か」を主張してしまっている。」170

赤旗、赤黒旗、チェ・ゲバラ旗、レインボーフラッグなどと同じく、日の丸も、「特定の政治的テーマに関する旗」とは見なしていなかった、ということだ。

「くに」を返せというナショナリズムの訴えとして、民主主義の象徴として、振られるものなのだと。175

誰か一人でもふっていたら、その集団全員を代表しているかのように、見せてしまう「日の丸」は、わたしたちがそのように受け止めるから、すなわち暗黙に力を付与するから、その力を発揮する。

それはそうだ。日の丸があっても、心が緊張しなければ、「あなたもだ」と言われたように思わなければ、問題がないのだが、残念ながら、わたしのからだ反応は、すでに「侵略の象徴」という「市民運動のアプリオリな解釈」に染まっているので、居心地が悪い。それを続ける限り、市民運動と一般社会は乖離していくと、野間さんは言うのだが。何か知恵はないものか。

日の丸の使い方ガイドライン。作ってみようか。
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by eric-blog | 2013-03-26 10:04 | ■週5プロジェクト12 | Comments(0)

原発事故報告書の真実とウソ  10年に一度の過酷事故

「原発事故報告書」の真実とウソ
塩谷喜雄、文藝春秋、2013.2.20
1939冊目

四つの事故調の特徴と結論や提案について検討したもの。以前、柳田さんの紹介をブログに転載した。
http://ericweblog.exblog.jp/17410515/

シビアアクシデントの起こる確率について「10年に一度」と推計した部分を紹介していた。

四つの事故調について、ブログの以下の記事も参照してください。
http://ericweblog.exblog.jp/15938032/
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津波について、保安院が2011年5月に出した「9.5指令」、これまでの津波の備えに対して、津波高を9.5mあげた備えを、全国の原子力発電所に対して求めたものだ。これが、その後のストレステストでの電力会社による評価報告書の「安全余裕」改ざん事件へと尾を引いていく。71

規制庁の行き当たりばったりの体質があらわになるくだりだ。

官邸からの介入についての項目では、著者は「すべてのビデオの無修正・無条件」での公開を求めている。
「十数万人の住民に避難を強いる大事故、数十兆円におよぶ損失を日本社会に与えた事故をめぐる緊急対策会議に、社員のプライバシーが存在するであろうか。」141

これはまったく賛成である。東電会見での無駄な応酬ではらちがあかない。

著者はさらにアカデミズムとジャーナリズムのあり方にも踏み込む。第8章。193〜

そこには「原発安全神話」と並んで「地震予知幻想」があげられている。安全神話はよく言われているが、「地震予知幻想」というのは、巨大地震を2-3日前には予測できるようにするための研究調査体制に大金をつぎ込んでいる、もう一つのビッグサイエンスのことだ。原子力ムラはいまだに謝罪したとも、悔い改めたとも、方向転換したとも、わたしは認識できていないが、確かに、地震学の人がとても真剣に「地震が予知できなかったことを反省し、学問の再構成を迫られている」と発言したことは覚えている。どこでだっけ?

著者が指摘するのは、地震予知幻想が「リアルタイム防災システム」の整備を遅らせてきたのだと。新幹線はリアルタイムでの地震波をキャッチして、緊急停止などの措置をとる体制を作り上げている。それに対して原発にそのシステムがあったかどうかすら、どの事故調査報告書にも書かれていないという。地震の多い日本では、リアルタイム防災システムの存在は、原発の稼働率を下げるだけの邪魔者だったのだろうと。200

著者は、体制としてはいまだに「地震予知幻想」からアカデミズムとしては脱却していないと指摘しながらも、「やむをえない事故だった」と結論づけただけの日本原子力学会を含む原子力ムラよのは、期待を寄せる。

なるほど、だから、いま規制庁・規制委員会での攻防が「地震学」中心になっているんだね。ストレステストでの津波対策のウソ・バレバレはもう問題にならないぐらいなのだということは、きちんと覚えておかないとね。

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そうそう、そもそも、この本を読み出した最初のきっかけは、と探すと、第7章 事故調が調べなかった原発のリスク」にありました。つまり、どの事故調も問題にしなかった問題がある、と。

○沿岸部に立地していることのリスク
○集中立地によるリスク と 事故の連鎖のリスク
○老朽原発のリスク
○原発事故リスク

原発事故リスクについては、2011年10月25日に発表された原子力委員会 原子力発電・核燃料サイクル技術等検討小委員会(鈴木達治郎委員長)「原子力発電所の事故リスクコストの試算」が報告している。

五つの場合に分けて、日本の原発で過酷事故が起こる頻度が計算されている。

日本の原発で過酷事故が起こった頻度から発生頻度は500炉年に一度、となる。現在日本にある原発は50基なので、1/500に50をかけて、「10年に一度」となる。著者は、これが大きく報道されなかったことに警鐘を鳴らす。

計算方法は次のようだ。

2011年3月時点で、日本の商用炉の運転実績は1423炉年。福島第一で3つの炉が運転中に過酷事故を起こしたので、1423÷3=474炉年に一回の事故となる。

この計算には、使用済み核燃料が水素爆発を引き起こした福島第一原発四号基の問題は含まれていない。

この数字に驚愕しないのであれば、1000年に一度の規模の大津波は、1000年後まで来ないさ、とたかをくくっている原子力ムラと同じ体質が、あらわだとしかいいようがない。
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by eric-blog | 2013-03-24 11:17 | ■週5プロジェクト12 | Comments(0)

これだけは知っておきたい 日本と韓国・朝鮮の歴史

これだけは知っておきたい 日本と韓国・朝鮮の歴史
中塚明、高文研、2002
1938冊目

人間は、優越感を抱く存在だ。克己心や自負心、自尊感情は、大切に育てるべきものでもある。
集団になった時も同じだ。自分たちの集団の優越性を、感じたいし、表明したい。

しかし、それはとてもプリミティブなお話の段階だ。いわゆるそのような「絶対主義」の時代を経て、他者を知り、他者の優越性や良さを知り、それらが並び立つことができるものだということを知る。「相対主義」の時代を経て、人格形成をしていかなければならない。

著者は、日本と韓国・朝鮮の関係には、古代国家の形成や、古事記や日本書紀に描かれたイメージ、例えば神功皇后による三韓征伐などが影響していると言います。『日本書紀』に描かれた朝鮮蔑視。それは、明治時代になって、紙幣が作られ、そこに人物図が描かれるようになった時、神功皇后が描かれたことになって、掘り起こされ、強化されたのです。29

近代になって、わたしたちは、ロールズの言うところの「万民の法」の三原則、非拡大主義、法治、基本的人権によって国を作ること、また、日本国憲法によって、侵略主義に反対する立場をとることを、明示しているはずです。

それぞれの国は、それぞれの歴史を持ち、主権が認められるべき存在なのです。それは一人の人間についても同様だと、わたしは思います。

さて、「国家」を建設するために、「国家意識」と「優越性」を共有する、それが「建国の物語」であったのでしょう。アボリジニのドリームタイムなども同じく、自分たちが何もので、どこから来たのか、どんな存在かを伝承することは、集団や共同体に、共通してみられるものです。いわゆる創世神話です。

大きな事件として、日韓にはこんなことがあったと、著者はあげます。
◯蒙古襲来、13世紀。
◯豊臣秀吉、16世紀。殺した韓国人の耳や鼻を切り取って持ち帰り、埋めたものが「耳塚」。この時も秀吉は、「日本は神の国であり、秀吉の天下統一は天命である」という文書を、明の使者に渡しています。47

そして、明治時代の「征韓論」。一方的に彼らが劣っているという論調で、半島をめぐって、日清戦争へと突き進むのです。

そして、日韓併合、占領。

さらには戦後の朝鮮戦争への日本の加担まで。

迷惑な隣人です。日本が島国であるという特性から、文化や社会のあり方が規定されてきたように、韓国・朝鮮も半島である、中華という大国の辺境に位置しているという条件を引き受けて、国家を形成してきているのです。

どれほど創氏改名を強制し、日本語を教えても、彼らはわたしたちは同じにはならなかった。何が民族を形成するのか、居住地、言語、文化、などがありますが、彼らは独立した民族なのです。

そのことを受け止め、これまでに歴史的に日本からの侵略行為があったことを認め、また、たくさんの人間や文化の交流があったことを知り、これから、どうすれば、近代国家の枠組みすら超えた、未来に向かう関係を作り上げられるのか、それを考えることが、必要だと思います。

まずは、互いに蔑視することのない、近代的な国家観を、わたしたちは身につけることから、始めなければならないですね。

『ミンピ暗殺 朝鮮王朝末期の国母』 角田房子、新潮社、1988
『朝鮮王妃殺害と日本人 誰が仕組んで誰が実行したのか』 金文子、高文研、2009

この二冊も、ぜひ。金さんの本は、新たな歴史史料に基づいて、暗殺への日本軍の関わりを描き出しています。

日中韓、三か国共同による歴史教科書も、このブログで、まだ、紹介していなかったのかなあ? 


『未来をひらく歴史』 日中韓の合同歴史教科書はこちらから

http://ericweblog.exblog.jp/pg/blog_view.asp?srl=11547064&nid=ericweblog
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by eric-blog | 2013-03-23 10:26 | ■週5プロジェクト12 | Comments(0)

環境問題の本質

環境問題の本質
クロード・アレグレ、NTT出版、2008
1937冊目

地球温暖化というキーワードで、北区図書館で検索すると577冊、気候変動で検索すると156冊、IPCCで検索しても11冊がひっかかってくる。

 気候変動の実態/河村 武 古今書院 ; 1980.4(451.8)

 温暖化する地球/田中 正之 読売新聞社 ; 1989.12(451.85)

 温暖化への世界戦略:気候変動に関する政府間パネルの温暖化対策(EIS報告)と提言/IPCCエネルギーと産業サブグループ 省エネルギーセンター ; 1991.5
(451.85)

そし、最近出されたものは、地球温暖化懐疑論である。
『環境危機をあおってはいけない』ビョルン・ロンボルグ、文芸春秋、2003
『地球温暖化 埋まってきたジグソーパズル』伊藤公紀、日本評論社、2003
『暴走する「地球温暖化」論-洗脳・煽動・歪曲の数々』武田邦彦他、文芸春秋、2007


もちろん、1980年代90年代にも懐疑論は存在した。この問題はずっと、綱引き戦争なのだ。

アレグレさんはフランスの地質学者であり、1997年から2000年まで国民教育大臣として政治的にも活躍してきている人である。

国際条約や国際合意の世界は、科学では決まらない。そのことを苦々しく、あるいは「おやおや顔」で観察してきたことを、忌憚なく(たぶん)まとめたものである。もちろん、政策決定に影響力を及ぼそうと努力もしておられるのだが、思い通りにいくわけではないのである。

自然科学と社会の関係をしめすエピソードをいくつか。

◯ヴェーゲナーと大陸移動説。1910年に発表。彼が正しかったことがわかるまでに60年の歳月が必要だった。22
◯パターソンと有鉛ガソリンの追放 自動車業界や石油業界のロビイストたちは、無鉛ガソリンの方が売れ行きがよいことに気づいた。「歴史からの教訓:科学的知見から産業ならびに医療関係のロビー活動に対して立ち向かうことを躊躇することはない。しかし、戦いに勝つためには、科学的根拠がなければならないことはない。戦いに経済的利益が伴うとき、政治的戦いを勝利に導くことは、明らかに容易になる。」
◯ローマクラブ「成長の限界」 「第一次環境ブームが起こり、世間では「これまでどおりのやり方」が踏襲された。・・・ところが、産業界が最もエコロジーを考慮するようになった。・・・要するに、テクノロジーの変化が起こったのである。」31
◯オゾン層ホールとモントリオール議定書。 フロンを用いない化学分子の発見がCFCの使用禁止を決めた。「歴史の教訓: 人類には危険を究明し、これを会費するための手段を迅速に高ずる能力がある。 警鐘を鳴らし、さらには代替技術を発明するという点において、科学者が担う役割は効率的である。 大気のメカニズムを解明するまでにはほど遠い状態である。」37
◯ジュシウのアスベスト 「1980年のアメリカ環境保護委員会がアスベストの危険性を指摘。 世論は燃え上がった。 結局、保護委員会は、アスベストの吸引は微量であれば、大丈夫だが、建物のアスベスト除去作業は危険であると断定。アスベストが飛散するので。」40 にもかかわらず、フランスでは、除去作業に24億ユーロが投入される財政スキャンダルになっている。「教訓: すべての科学進歩はコンセンサスを打ち壊しながら確立されてきた。科学に直接民主主義を当てはめることはできない。 談合体質を持ち込まない。 経済だけが決定要因である。 メディアは一般的に有害な役割を演じている。戦闘的で極端な悲観論者に選挙されているからだ。 研究費をせしめるために、また自らの社会的地位を固めるためにメディアを利用する科学者どもは、科学を、さらには自らをも貶めることになる。」45

そして、いま、エコロジスト、環境原理主義者たちは、地球温暖化にむらがっていると。予防措置という名前の先制攻撃で、どんな政策でも通させることができる!

温暖化問題にとっての最大のゴロツキはアル・ゴアである。72

凶暴な環境原理主義は、暴力的である。

「環境原理主義グループの目的とは、人類に関しては、罰することであり、過酷な生活を強いることである。また、社会に関しては、拘束を課すことであり、規制を教科することである。その方法論は、これまでにも教会が使用してきた手法と同様である。すなわち、恐怖である。」76

人が新たな信仰の対象を求めているからではないかと、著者は、このまるで信仰のような、宗教のような原理主義的的な態度の背景を分析している。79


そして、フランスにおいて環境政党は支持者を失っているという。

アレグレさん自身は、安全に原子力を使うこと、遺伝子組み換え作物は、テロ対策を万全にすれば大丈夫という立場。

一方で、人類の活動が大きな影響を与えている分野として「水」環境を指摘している。海洋環境や漁業資源の枯渇も含めて、憂慮すべき事態だと。

地球環境問題について、パニックに陥る必要はないが、傍観は許されない、と。

やれやれ、この人は、99%の人が、自然科学者ではないことを、あまり意識していないのかもしれない。

日本の人口で言えば、1億2000万人の内、2000万人は学齢期以下。小中高の先生は100万人ぐらいで、大学教員は30万人ぐらい。情報通信業で150万人。大学教員を含む研究職は100万人。自然科学が分かる人、自然科学の情報を元に、ものごとを考えることができる人なんて、人口の2%にもならないだろう。それが問題なのだ。

科学は民主主義でないとしても、社会は人で動いているのだから。
行動変容は求めるが、そのための理解のベースをどう築くのかが最大の課題だと、わたしは思うのだが。



以下、ちょっとおもしろい、大学教員の年令構造。
http://tmaita77.blogspot.jp/2011/05/blog-post_25.html
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by eric-blog | 2013-03-22 17:46 | ■週5プロジェクト12 | Comments(0)

性的虐待を受けた子ども・性的問題行動を示す子どもへの支援  

性的虐待を受けた子ども・性的問題行動を示す子どもへの支援  児童福祉施設における生活支援と心理・医療的ケア
八木修司、岡本正子、明石書店、2012
1936冊目

2011年の日本子ども虐待防止学会での出会いからまとめられた本。骨格は「
性的虐待を受けた子どもへのケア・ガイドライン」の考え方によっている。

さらに、保育士・施設心理士、児童相談所の方々とのミーティングや施設への訪問調査、アンケート調査などにから拡充された内容となっている。

性的虐待を受けた子どもに対する理解を深め、適切なケアを考えるためにとても有用な本になっている。

コラム「子どもが入所した一日目を大切に」に、子どもに対する姿勢が集約されていると感じた。p.91

・ 言葉や態度をつくして安心させること

ガイドラインは3つのステップでまとめられています。p.79-89
STEP1子どもが安全で安心して生活できる環境整備
STEP2 健全な発達を促進する支援体制
STEP3 性的虐待を受けた子どもと家族の個別課題を理解して行なう専門的支援

どの段階においても、施設スタッフとその他の機関や専門家との連携が不可欠であることが、よく整理されている。

また、具体的な取り組みとしてSST, Social Skill Trainingの大切さとして、セカンド・ステップのような予防教育も紹介されています。このようなプログラムの導入の効果を二点に、著者はまとめておられます。
一つは、プログラムのねらいそのものである子どもの不適応行動を減らし、適応的な行動を増やすことですが、もう一つ、「職員の行なうケアの統一化を図れる」。構造化されたプログラムは、手順もある程度マニュアル化されているので、どの職員が行なっても子どもに対するメッセージが同じであり、子どもにとって分かりやすいケア体制をとることができる、と。

その結果「適応的な行動様式が施設の文化として定着していく」133

正しく、それがCAPや「参加型学習」などのスキル・トレーニングが目指しているところです。スキルHowの背景にはWhyなぜその技術なの?、という理由がある。そして、その理由は、価値観に根ざしているのです。
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by eric-blog | 2013-03-22 13:43 | ■週5プロジェクト12 | Comments(0)

鉄砲を手放さなかった百姓たち 刀狩りから幕末まで

鉄砲を手放さなかった百姓たち 刀狩りから幕末まで
武井弘一、朝日新聞出版、2010
1935冊目

おもしろい! 「おわりに」である。

「どこの台所にでもある包丁が、・・・殺害のために使われてしまう。本来は別のも茎でつくられた道具が、ヒトが手にして武器と化す。
 ところが、江戸時代の百姓はちがう。もともとは、”武器”として日本に伝わり、最強の兵器として使われた鉄砲を
、あえて”農具”として利用したのである。・・・ヒトは絶えず道具を武器として転用するだけでなく、むしろ武器として使うことを自制して、平和的に有効利用することもできるということだ。」

原子力も同じような運命を日本でたどったのだなあと、感慨しつつ、鉄砲と核の違いはなんだろうかと、思いめぐらす。

さて、ぜひ、『鉄砲を捨てた日本』も読んで欲しい。
http://ericweblog.exblog.jp/1668375/


この武井さんの本からわかることは、何度も何度も、鉄砲を差し出すようにという命令がくだされていること。その命令に抗して、鉄砲を百姓が、その「農具」としての有用さに、手元に置き続けたということだ。

あの、大岡裁きの大岡忠相も、地方御用掛として、鉄砲の摘発に協力した村に「御言葉のご褒美」をしているという。時は享保。すでに1726年のことである。度重なる摘発が行なわれた後に、さらに村が報告してきた事例に対して、「ことばのほうび」なのである。村とお上の丁々発止の関係が読み取れておもしろい。

背景には、お上と村とのやりとりにおける文書システムがありそうだ。124

「領主からの命令は回状によって順に村に伝えられ、村はそれを御用留めと呼ばれる帳簿に書き留める。村自らも文書を管理するシステムを持っていた。・・・すなわち文書を提出させるだけの形式だけの管理に陥ってしまう、ここにも文書システムの問題点があったのである。」125

なんだか、いまの「いじめ調査」を見ているようではないか。

領主は村の自治に任せるしかない。

領主と村の関係が、いまの時代にも続いているようだ。
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by eric-blog | 2013-03-19 14:45 | ■週5プロジェクト12 | Comments(0)

官報複合体 権力と一体化する新聞の大罪

官報複合体 権力と一体化する新聞の大罪
牧野洋、講談社、2012.1.7
1934冊目

日本経済新聞の記者をやめた人の、日本のメディア批判。それは、20年前に体験したコロンビア大学Journalistスクール、Jスクールでの体験から、くすぶり続けてきたものだ。1987年のことだ。

入社4年目、それなりに記事も書いてきて、自信もあった。それが日本人補習校を取材して書いた記事に対して、こう指導されたのだ。

「当教区発表のプレスリリースと同じ。校長や先生は権力者であり、支配者。子どもの目線で取材するのを忘れないように。」

権力者の側からだけの情報を流している日本のマスコミは「ガラパゴス」なのだと。

権力者の発表に頼る取材姿勢だけではない。権力側体質というのは、こんなところにも現れている。

p.120
「捜査関係社が匿名性の陰に隠れて」
日本では操作チームが実名入りで一同に会している写真が主要紙に掲載されたことはおそらくないだろう。

あらゆる組織は人間が動かしているのであり、人間を主語にして書かなければ真実を伝えられない。「ヒューマン・インタレストを前面に」

p.122
「ホリエモンの反論を報じなかった大新聞」

p.126
「「裁く側」を報じない新聞

要するに、権力の側も、メディアのチェックを受けるべきだということ。
あるいは、もっと言えば、当たり前のことだが、メディアは「権力のチェック」のためにあるということ。


にもかかわらず、「チョーチン記者」という存在。企業や役所は、彼らに対してサービスを提供する。無料の接待や現金まで。(『新聞記者の誕生』山本武利) 144

アメリカにも「オフレコクラブ」という存在があった。ゴシップ紙か本当のメディアか、その分かれ目が、オフレコクラブからの脱退を決意したウォール・ストリート・ジャーナル。1950年代のことだ。156

癒着を排して競争力を高めたというわけだ。そして、いまやアメリカのメディアでは「オフレコ取材」はタブー視すらされている。

速報ニュース至上主義による肉体労働者化。420

さて、100年前のアメリカのような状態にある日本。「政治三流」と言われる原因は第四の権力であるマスコミのチェック不足にあるのかも、と。453

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市民の側の「覗き見趣味」、関係性による評論好きなども変わらなければ、無理なんじゃない? 市民社会の成熟とメディアの成熟は裏腹だよね。
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by eric-blog | 2013-03-19 12:59 | ■週5プロジェクト12 | Comments(0)

原発をやめる100の理由 エコ電力で起業したドイツ・シェーナウ村と私たち

原発をやめる100の理由 エコ電力で起業したドイツ・シェーナウ村と私たち
「原発をやめる100の理由」日本版制作委員会、築地書館、2012.9.20
1933冊目

自主上映会方式で広がりつつある『シェーナウの想い』。http://ericweblog.exblog.jp/15925321/

彼らが作った冊子の翻訳プロジェクト。

西尾漠さんが監修しとります。

ぜひ、手にとってください!
上映会もぜひ。
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by eric-blog | 2013-03-19 09:12 | ■週5プロジェクト12 | Comments(0)

ひとのあかし

ひとのあかし
若松丈太郎 アーサー・ビナード訳 齋藤さだむ写真、清流出版、2012.1.27
1932冊目

http://ericweblog.exblog.jp/17406511/

◎ 2013年3月3日(日)、名古屋市栄の久屋広場において「3・11明日につなげる大集会」が開催された。
     http://iwj.co.jp/wj/open/archives/62877

山本太郎さんが、紹介し、一節を朗読してくれた詩集。

全編、見開きの詩と写真、詩と写真という順番で構成されている。

「ひとのあかし」は2011年5月に書かれた新作。その他、「みなみ風吹く日1.2」は1992年。「神隠しされた街」は1994年にプリピャチ市のことをうたった詩だ。

詩人の住まいは福島県原町市(現南相馬市)。福島第一原発から北へ30kmに位置する。チェルノブイリの事故の範囲にみずからを重ね合わせつつ、そして、現実に起こる体調の変化、異変をうたっている。あの、事故の前からだ。いくつもの「隠された」事故のリスト。

永い将来にわたって影響し続ける放射性廃棄物を未来の世代に残すことは「不遜な」行為であると、詩人はいう。翻訳者であるビナードさんは、「不遜」という表現に、つまりつつ、arroganceではなく、hubrisを使っている。かなり、文章が変えられているのだが。日本語は「廃棄物を残すことは不遜だとわたしは考える」に対して「nukes are a species of hubris」=原子力は傲慢の生物種である、と。

Hubrisというのは、生態系の言葉として、「圧迫的な」「どんどん浸食する」というような存在を表現するものとして使われている言葉のようだ。

ビナードさんの英訳は、ああ、わたしも英訳してみたいと、いつも思わせる。つまり、考えさせられるのだ。わたしは、ビナードさんの英語の訳詩に出会って、初めて、詩を読んだ気がしている。

ともあれ、詩人は言う。「予言者などでありたくなかった」と。

■桜と予言と詩人 神隠しされた街 若松丈太郎 アーサー・ビナード
https://www.youtube.com/watch?v=Zcr13_1Uk70
徹底したサクラの観察。
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by eric-blog | 2013-03-18 09:05 | ■週5プロジェクト12 | Comments(0)