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不安の世紀から

223-6(1091)不安の世紀から
辺見庸、角川文庫、1997(単行本1997)

NHK教育テレビで1996年に放映された「辺見庸・対論ドキュメント『不安の世紀』から」を書籍化したもの。
対談相手はロバート・ジェイ・リフトンとファン・ゴイティソーロ。

紹介しよう、紹介しようと思っていたのに、なかなか手がつかずにいた。あれから10年。年は21世紀を迎えた。

まず彼らの珠玉のことばを紹介した上で、彼らの刺激から、そして彼らがその時は体験していなかったその後の10年の経験の上で、いま、わたしが思うことを、書いてみたい。
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辺見
オウムについて「指導者を神として崇拝することから起きる精神的重圧が限界を超える」とき、極端な行動に出る。47

国家に対する対抗価値、ヘゲモニーに対する対抗価値的かかわり、あるいは冷戦構造という対抗価値的な枠組みの崩壊。50
シンボル体系の崩壊。51
テクノロジーの千年王国、技術発展の究極の目的を論じる情熱が無力化される。54
目的なき無限発展を正当化し座視するのが、じつは正真正銘のニヒリズム。55

リフトン
いま世界中で私のいうプロテアニズムと原理主義の争いが起こっている。79
原理主義ではなく「プロテアニズム的自己」を持つこと。80
柔軟な「「プロテアニズム的自己」を持つ人間の自己形成の過程は、現実離れした理想主義的なものでなく、非常に具体的で多様な現実や価値観に接して、次第に自分が人類の一員であるという強い問題意識を持つからです。80
「プロテアニズム的自己」を持ち、そして人類という「種の精神」を手に入れた人間は、人類の一員であるという意識に包まれるのです。81
プロテアニズムのもとでは人々は自分をバラバラに拡散して、核というものがないと感じてくる危険性です。93
絶滅の危険性にされらされる人類の一員であることを十分に意識する、このことが非常に大事だ」99

ゴイティソーロさんについては「サラエヴォ・ノート」をまず読んだ方がよいようだが、「記憶殺し」としての図書館の破壊、そして、抵抗としての爆撃化での文化活動をあげている。わたしも『サラエヴォ旅行案内-史上初の戦場都市ガイド』1994年を読んだ時は、衝撃を受けた!


直接的クエスチョン
「プロテニア的自己」というのは情報の消費者にしかすぎないのではないか?


世界は滅亡する。なぜならば「世界」というのは、世界観、新世界、○○の世界のように、結界とその結果内の世間とで構成されている了解可能な範囲のことだ。
わたしたちの現実は変化の連続だ。生きている限り変化は続く。地球も宇宙も、そういう意味では生命体だ。岩は一瞬前の岩と違っている。盤石のように思えた氷河が解け流れるように、見えやすいわけではないだけだ。
その変化のストーリーが、西欧一辺倒ではなくなったということだ。それが「世界」の崩壊であり、わたしたちは宇宙は一つではないという説と同じほどの確かさで、世界は一つではないという説を受け入れるだろう。
それ以上の確かさには、なり得ない。理論的にはわかっている。頭では理解できる。説明もできる。しかし、わたしのからだは、この「世界」にあり、わたしの考えや論理、感情までも、この「世界」の生み出したものに、支配されている。
それは、不安なのか? 
リフトンは軍拡、環境破壊、資源の枯渇、温室効果などの脅威が現実的に世界を破壊しつつあると言います。しかし、それらの問題は、「西欧的科学主義」の発展の結果であったのではないか?
西欧科学主義が内包していた「一つの世界」観が、いまの破壊につながっているこのトートロジー、ぐるぐる巡りを、どう生き延びるのか、生き延びるための「強さ」を求めて、この対談はなされているように思う。思考の優位性を再び獲得できるように。言葉の優位性を発揮できるように。

わたしたち一人ひとりはことばを獲得する必要がある。ことばによるコミュニケーション、それが人間の脳を共進化させてきたものだからだ。

ことばと認識は常に相互的にこの「世界」観を作り上げて来た。西欧の科学主義も、人間の脳の思考アプローチの特徴と傾向によって形作られて来た。にもかかわらず、「科学」はそれだけで真理のように、自らを思い込む。それも、人間の認識のパターンとして、避けがたい傾向だ。科学だけではない。「世界」がそうなのだ。

とはいえ、いまの教育において求められるCALP cognitive academic language proficiencyは、西欧科学中心主義的なカリキュラムになっている。つまり、西欧の科学的言語に、どのようにそれぞれのことばを橋渡ししていくかという問題を「非」「西欧」諸ことばは持っているということだ。

その課題は文字化された言葉のある文化と無文字社会とで、大きく違っている。

こんな風景を、日本ではよく見ないだろうか? ある委員会の席、居並ぶ人々はすべてオトコで背広スーツ姿で、事務局から配られた資料ばかりに目を通していて、一方的な説明と、一方的な批判、あるいは質問で、時間が過ぎていく。
委員会の場とはそのような場なのだ。浅田さんが「日本語は階級遵守語だ」と喝破した、そのようなひとつの「上下間でのコミュニケーションのスタイル」において書き言葉こそが大切だからだ。わたしが「言葉」と書く時の書き言葉。つまりそれは日本社会においては漢字であり、漢語で話す世界だ。

「カタカナ語が多すぎてわからない」と参加者が言うとき、多くはその上下関係の不決定、不同意、そして、対等さの拒絶が伴う。言葉は関係性を伴うからだ。そして、カタカナ語というのは、多くは「専門家」という権威が使う「漢語」に他ならない。

そのカタカナ語を使いつつ、対等な関係性を作り出したいと思うとき、一挙にファシリテーターは「素人芸」だと断じられてしまう。おもしろいことだ。
権威主義的なファシリテーターという言語矛盾をはらみながらでなければ、成立しない市民参加の場というものも、ある。そして、その矛盾を自覚せずに、振る舞っているファシリテーターも。

言語というのは科学主義的な概念として考えた場合、翻訳可能でグローバル・スタンダードなコミュニケーションを可能にする内実を含むものだ。「万有引力の法則」や「電圧」や、人口動態である。電圧はもう数値化されていることすら意識することのない概念だが、人口動態となると、現実と数字の乖離、視点の切り口などによって、違ってくる。しかし、人口動態という考え方は普遍的だ。普遍的というのはその科学の世界においてという意味だ。

ことばから言葉や、言葉から言語へ、わたしたちの現実はやすやすとすべての要素を取り入れたハイブリッドなコミュニケーションを行っている。

そして、ゴイティソーロさんが指摘するように、演劇や芸術活動なども、「種の精神」に触れる普遍的なものだ。そこにタッチする可能性も、わたしたち一人ひとりに内包されている。CALP以外にね。
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by eric-blog | 2008-03-27 09:29 | ■週5プロジェクト07 | Comments(0)

カムチャトカにトナカイを追う チャクチェ族の自然と伝説

223-5(1090)カムチャトカにトナカイを追う チャクチェ族の自然と伝説
V.V.レベジェフ、Yu.B.シムシェンコ、平凡社、1990(原著1983年)

ソビエト連邦下で、ある民族がどのように自分たちのトナカイ放牧の技術によって、自治的経済的に自立し、またその技術と文化を継承しているかを伝えるとてもよい本。

争いごとのおさめ方、子どものしつけや訓練にも、民族の誇りが伺える。

先住民族という範疇にはおさまらない、自立の姿。

ソ連が崩壊した今、彼らの暮らしはどうなっているのだろうか。

デルス・ウザーラともう一冊、カナダの森の人と暮らした日本人の本を読んだ時の印象に似ている。本の題名、わすれちゃったけど。確かな人々が、確かにそこにいるという感覚だ。そして、自然のリズムの中で、やるべきことがはっきりとしている生活だ。

わたしがここに居るというのと、なんと違うことか。選べるライフスタイルならば、地球のことを考えて、選ぶ責任があるよね。
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by eric-blog | 2008-03-25 11:27 | ■週5プロジェクト07 | Comments(0)

子どものねだん バンコク児童買春地獄の4年間

223-4(1089)子どものねだん バンコク児童買春地獄の4年間
マリー=フランス・ボッツ、社会評論社、1997(原著1993)

最初に救い出したソンタのねだんは800ドルだった。

1991年、ラ・ファム・ド・ラネ 今年の女性賞を受けた社会活動家。1986年からタイ難民キャンプからの海外へ移送される子どもや家族の選別をする仕事を皮切りに、児童買春の実態調査、そして、「子どもの権利擁護センター」の子どもの受け入れ施設の建設、さらわれて人身売買される子どもたちの村への帰還の手助けへと、活動はより実践的なものに変わっていく。

それらの活動をサポートするのは「人間の大地」や「国境なき医師団ベルギー」などからの助成金だ。

タイの「子どもの権利擁護センター」や「児童財団」の活動を進める人々と協力して、子どもの受け入れセンターを運営し、子どもたちの帰還をする一方で、予防そのものに取り組む。山岳民族の村からの誘拐を防止するための啓発と情報ネットワークなどによって、人身売買グループや小児性愛ビジネスに影響を与え始める。目立つ西欧人の金髪女性は無言電話、いやがらせ、切り刻まれた肉を送りつけられるなどを受ける。「今年の女性賞」によって、活動に対する注目が高まり、メディアへの露出も増える。そんな時、「みせしめ」に襲撃されるという事件が起きる。

現場から何度も離れながら、また戻り続ける、関わり続けるのは、子どもの目と出会ってしまったから。小児性向からの回復を目指すグループに接する中で、彼らも病んでいることを知る。

小児売買というビジネスやストリートチルドレンを生み出している貧困に支えられている売春を、「小児性愛」は性的嗜好の一つで認められるべきだという文化論が見えなくさせ、子どもの権利の擁護を阻む。

買春者の多くは、自らの小児性向の病を見つめさせられることを、拒絶する。
わたしたちも、わたしたちの社会の病を見つめることができない。
一人では変われない。一人だけ変わっても意味がない。

-empowerment education --------
Power Within   わたしの中の力に気づき、引き出す
Power With  あなたとの関係の力を築き、引き出す
Power To みんなの力、社会を動かす力を、引き出す
----------for our common future -----------------
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by eric-blog | 2008-03-25 10:49 | ■週5プロジェクト07 | Comments(0)

消えたオアシス 灼熱のサハラをさまよって

223-3(1088)消えたオアシス 灼熱のサハラをさまよって
Issa, Enfant des Sables イサ、砂の子ども
ピエール=マリー・ボード、鈴木出版のカイガイ児童文学 この地球を生きる子どもたち、2006

医療協力団の一員として活動するマリーと、イサという赤ん坊を抱えた家族との出会い。

男と身重の女の夫婦は、四歳の男の子、イサを抱えて、水の枯れた村から、生まれた村を目指して4日間も歩いて来たが、その村でも人は村を捨てていた。水はあったが、食べ物がなかった。牛や山羊を飼うのに十分な緑が、干ばつのために、なくなったからだ。

近くの医療センターからトラックでやってきたマリーにできることは、一本の点滴を打つことと、ミルクの配給をあげること。10時間の距離を耐えられないイサのためにヘリコプターでの移送を手配することにして、一晩を村で過ごすことにしたマリー。

しかし、砂嵐がイサの残っていた力のすべてを奪ってしまう。
夫婦は、イサにお別れをすると、村人たちの後を追って旅立つ。

こんな援助が何になるのか、自問しながら、帰路につくマリー。

この本は、このような状況を生き延びているアフリカの人々の強さと力に焦点をあてている。彼らの手仕事の力、与えられた環境の中で、水を組み、火をおこし、食べ物を準備する、その手際の良さと、それが彼らのからだにしみついている仕草となっていること。彼らの環境についての知識、環境を見取る力などが、豊かに描写されている。

状況は厳しいが、描かれているものは悲しさや無気力やあきらめなどではない。厳しい自然を生きる姿だ。

サハラの砂漠化そのものに対する有効な手だてなどない。地球温暖化によって、さらに事態は悪化するだろう。

「たしかなことは、これからも変化は続くということだ。・・・人間は影響を予測することができる」
9-1(34) 生命40億年全史、フォーティ, リチャード、草思社、2003

持続可能性教育の原則の一つに、「予防原則」がある。

---------- ESDのビジョン --------------
・持続可能な開発/発展/社会
・社会的な公正/正義
・人権の尊重
・市民としての参加/責任/権利
・よりよい生きるということの質

---------- ESDのアクション ------------
・相互依存性 ・多様性 ・力の分有
・コミュニケーション ・対立は悪くない
・協力、協同、協働、共生
・価値観と認識 ・信念を持って行動する
・行動や現象の因果関係=原因と影響
・未来の世代のニーズと権利に対する配慮
・行動における不確実性と予防原則
-----------------------------------------
   -- ESDの特徴 --
  ○学際的かつ総合的
 ○価値観主導の教育
○批判的思考および問題解決志向
      ○多様な学習方法
    ○意思決定への参加
 ○地域性の尊重
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by eric-blog | 2008-03-25 10:08 | ■週5プロジェクト07 | Comments(0)

学力を変える総合学習

223-2(1087)学力を変える総合学習
鬼沢真之、佐藤隆編著、明石書店、2006

未来への学力と日本の教育シリーズの内の一冊。
オランダ、韓国、コスタリカ、フィンランドの教育を紹介する第一章、地域との連携で進められる総合学習の実践を紹介する第二章、そして理論や現状分析などの章が続く。

面白かったのは「日本型高学力」の背景の分析だ。競争によってテストの成績だけは良いものの、自己肯定感や学習そのものへの関心や喜びが持てていないという現実。307

たくさんのグッドプラクティスが、日本の実践が紹介されている。未来は明るい。その明るい未来を切り開くために、いま、わたしたちが身につけなければならない学力とは何か。

PISAの調査は、「いまわたしたちが身につけなければならない力」は何かを問い、そしてどうすれば、「いまわたしたちが身につけなければならない力」を測れるのか、そして測ったことによって、どのように改善の手だてを打てるのかを問い続けている。5年ごとに行われる調査が修正されていることにも、その意志は現れている。いま、本当にわたしたちが身につけなければならない力は何なのか?

問題解決能力であり、考える力なのだと、PISAの調査は示している。教科ありきではなく、コンピテンス、育成される力中心なのだ。

悲しいことに、自ら「いま、わたしたちが身につけなければならない力は何なのか」を問うことのない日本の教育界では、「どうすればPISA調査の成績をあげられるか」というハウに走る。いまもWHYを考える姿勢がないまま、「追いつけ、追い越せ」の目標が与えられたことに嬉々としてすらいる。こんな人たちが教育を考えているのだ。

いまの意思決定者らが舞台を去るのを待とう。
この本の著者らのほとんどは、1950年代以降の生まれだ。未来は明るい。

とはいえ、いまの教育改革運動と生活綴り方運動、課題解決学習やプロジェクト学習などの教育運動とはどこが違うのかをしっかり検証する必要がある。

斎藤喜博が大学長まで勤めながら変わらなかった日本の教育界の根っこを知ろう。

報道されるテレビ番組で「ご主人」という発言が繰り返される事実が、どのような家族像を押し付けているか、どんな家族を排除しているかを問おう。

演壇に黒い背広ばかりが並んで研究発表をする姿に、どれほど「女性」たち、女性の生徒たちが励まされうるのかを問おう。

女性の教師が圧倒的に多い小学校現場で、どのように民主主義が実践されているかを問おう。

教育委員会とその背景にいる文科省と学校現場の関係性を問おう。

そのような学校の姿の先に、わたしたちは、何を実現したいのか?

紹介されている実践には、市民社会組織との連携で取り組まれた総合学習の実践もある。学校の姿を変えていこう。

未来は明るい。そして、それは問う姿勢とともにあるはずだ。
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by eric-blog | 2008-03-25 09:11 | ■週5プロジェクト07 | Comments(0)

パッチギ!的 世界は映画で変えられる

223-1(1086)パッチギ!的 世界は映画で変えられる
李鳳宇、岩波書店、2007

『愛、平和、パッチギ!』2007年とともに、映画『パッチギ!』の第二弾『パッチギ! Love & Peace』の公開と合わせて出版されている。

著者は、井筒監督とともにパッチギ!を作り上げたプロデューサーであり、シネカノンの経営者。1960年生まれの彼の記憶と、1952年生まれの井筒さんが、1960年代を描いた映画づくりを、主に在日としての李自身の体験から描き出す。
脚本の作り方は、なるべくリアルなモデルのいる役柄とエピソードをどんどん作り込んでいくという方法。それぞれの体験が語られ、それぞれの知り合いの経験まで引き出され、まるでワークショップのように、製作が進む。

突破するという意味から頭突きの意味として使われている言葉。パッチギ!
政治的な理由から放送禁止歌となった「イムジン川」に対する思いを核に、時代が回っていく。

音楽監督はフォーククルセダーズの加藤和彦さん。

現在第三部を構想中というから、楽しみだ。って、まだどれも見ていないのだけど。

本書は李さんが映画を仕事にしていく過程を主に追っている。配給する側から、プロデューサー、そして映画館経営と、活動の幅を広げながら、映画の可能性を広げているすごい人がいるものだ。

実は、アニー・リーボヴィッツの写真集を調べていて、リー・ボウさんの本に行き当たったというぐるぐる回って、シネカノンの設立者に出会った感じだった。
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by eric-blog | 2008-03-24 14:04 | ■週5プロジェクト07 | Comments(0)

樹の中の虫の不思議な生活 穿孔性昆虫研究への招待

222-6(1085)樹の中の虫の不思議な生活 穿孔性昆虫研究への招待
柴田叡弌・富樫一巳編、東海大学出版会、2006

楽しそうな題名である。しかも、楽しそうな表紙なのである。
最近、やたら樹皮を触ったり、ひっぺがしたりしているので、ちょっと蘊蓄など仕入れてみようか、などと。ひょんなことで検索にひっかかってきた本書を読むはめになりもうした。うむむむむ。穴を掘る虫だけに、奥は深いんだけどね。

穿孔性昆虫には愛好家が多い。カミキリムシ、カブトムシ、クワガタムシなどだ。しかも、林業にとっては重要害虫であることも多い。環境の指標生物ともなる。

スギカミキリの幼虫は99%が樹脂によって死亡する。健全な樹は樹脂を出して防御する。伐採後でも、丸太の栄養が貧弱になると、幼虫は死亡する。などなと、おもしろいのだが、いちばん面白かったものを紹介する。後は、時々に、楽しんで、利用するのがいいかなあ。樹の種類さえ、特定するのが覚束ないのに?

13章「腐朽材とクワガタムシの幼虫」
「木材とは樹木がその成長の過程で光合成によって固定した大量の余剰炭素を高分子化合物として蓄積し、固くて丈夫な支持構造物として利用したものと見なせる。木材の構成元素はC炭素が約50%、H水が約6%、O酸素が約43%で、生物の身体を作るタンパク質や遺伝情報を伝える核酸の材料として重要なN窒素をはじめとする他の元素をほとんど含んでいない。・・・いわば、外枠である細胞壁だけを残して死んだ細胞の抜け殻である。」214
しかも、これらの高分子化合物は分解されにくい。その利用しにくい木材を昆虫が利用できるのが、木材腐朽菌の作用である。
腐朽には針葉樹の褐色腐朽、広葉樹の白色腐朽、高湿度の広葉樹の軟腐朽がある。215
クワガタムシの系統樹と木本植物の進化とが関連しているというのだ。
「広葉樹は針葉樹より新しく、・・・クワガタムシの祖先は当時繁栄していた針葉樹の褐色腐朽材を餌として理容師、その後白亜紀になって広葉樹が多様化し、それに伴って白色腐朽が繁栄するのに合わせて白色腐朽材の消化・吸収能力を獲得した群がクワガタムシの中で著しい発展をとげ、現在に至った。」
234

「白色腐朽材食性は、オオクワガタ亜科、クワガタ亜科、チビクワガタ亜科の共通祖先において初めて獲得されたと考えて良いだろう。」大きく育つには、餌が必要だ。森に大量にある木材が腐っていくところに活路を見いだした虫たちの苦労が少しはわかったかと、著者は論を結んでいます。

おもしろい。
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by eric-blog | 2008-03-21 16:24 | ■週5プロジェクト07 | Comments(0)

市民・地域が進める地球温暖化防止

222-5(1084)市民・地域が進める地球温暖化防止
和田武、田浦健朗編著、気候ネットワーク、立命館大学、学芸出版社、2007

市民参加で地球温暖化防止を進めている実例満載の本である。

国際条約や国内法、地方自治体の条例などがある中で、市民や地域が取り組む意義というのはどこにあるのだろうか。
・ 消費者の立場から取り組める
・ 社会の取り組みの促進役になる
・ エネルギー利用の効率が地産地消に近づけることでよくなる
・ 地域の状況に合わせた町づくりができる
・ それそれの地域の持続可能性の実現が地球レベルの持続可能性につながる
と、編著者である和田さんはまとめている。さらに、
・ 市民の主体的な日常活動による政策主導力および制度的変換に向けた合意形成
・ 地域に密着した情報提供と活動のきっかけ
・ パートナーシップによる新たな取り組みの広がり

地球温暖化防止を含めた持続可能な社会の促進は、長期的なプロセスである。一人ひとりが何に取り組むかが、次の幕を開いていく。人材育成などという息の長い取り組みをしていると、特に「啓蒙」と称するイベントやキャラクターにいらだつことも多いが、この報告書を読んでいると意外にそこから何かが始まったというのも、否めない。まずは「意識化」から入り、広範な協力を得られる体制づくりからというのも、一つの手なのだなあ。

自治体の温暖化対策の政策手法を以下のようにまとめている。29
・ 条例、計画の策定
・ 規制的手法、経済的手法
・ インフラ整備
・ 事業者として組織的に取り組む

「政治」「経済」「市民社会」の三つのインセンティブをベースに考えると、ここに「市民参加促進」という政策も別項目として入れてほしかったなあ。

環境基本計画以外にも地域エネルギービジョンなどがあるわけだが、環境基本計画を市民参加で行うことの意義を
(1)当事者意識の醸成、担い手の確保
(2)利害関係者間の合意形成
(3)情報、ノウハウの収集
とまとめている。しかし、進捗を左右するのが市民参加なのだと。41

推進のためには、体制づくり、パートナーシップ組織、地域協議会、と事務局が不可欠だ。45

□省エネルギーのための環境家計簿や省エネチェック、エコライフ診断書など。
・ おおさかパルコープ
・ 滋賀県長浜市「めざせ! エコライフファミリー」
・ 静岡県「アースファミリー事業」
・ 島根県「わが家のエコチェックシート」
・ 京都府「きょうとエコ貯金」

□家電製品の「省エネラベル」の動きが2005年の「統一省エネラベル」へ。
□公立学校でフィフティ・フィフティ、削減したエネルギー費用の半分を学校が使えるようになる取り組みは現在30以上の自治体で取り組まれている。63
・ 札幌市
・ 和歌山県エコスクール事業
・ 東京都杉並区
三年が限度と言われる省エネ努力を、継続的な取り組みへと、啓発効果も配慮して続けることが鍵だという。
□ 地域で取り組む省エネ活動 73
・ 山形県高畠町「笑エネチャレンジキャンペーン」
・ 三重県「エコポイント事業」
・ 川口市のエコライフDAY

□ 自然エネルギーの普及 市民・地域に開かれた資源
・ 市民共同発電所宮崎県で1994年から、現在45団体
➢京都グリーンファンド
➢北海道グリーンファンド
➢エコロジーアクション桜が丘(静岡県掛川市)
➢グリーンエネルギー青森 廃品回収から始まった
➢地域づくり工房(長野県大町市) 小水力と菜の花
・ 廃油回収・BDF利用の推進
➢滋賀県菜の花プロジェクト
➢京都府丹後地域
・ 自然エネルギー100%地域
➢高知県檮原町
➢山形県立川町
➢岩手県葛巻町
・ 自治体の自然エネルギー普及率先導入と事業形成
➢東京都グリーン電力購入基準
➢鳥取県北栄町ミニ公募債利用型風力発電事業
➢滋賀県の太陽光発電補助事業
➢佐賀県の太陽光発電補助事業
□ 温暖化防止教育
・Kid’s ISO 14000国際芸術技術協力機構
・ 全国地球温暖化防止活動推進センターのモデル授業
・ 「地球へのお手紙」
・ 兵庫県
■ 人材育成のところでプロジェクトワイルド、ウェットを紹介していて、PLTを紹介していないのは、ひどいなあ。お上のバックアップのあるところは紹介して、民間が苦労して進めているのは紹介しないんだから。146

□ 自治体のための環境マネジメントシステム
行政のISO認証は2004年の514を上限に、減少しつつある。審査期間の審査や認証の継続費用を捻出するのが難しいというのも理由のようだ。が、もっとも根本的な問題はマネジメントするシステムの質の低下なのだという。
そのためにも、今後求められるのは
1.政策全般を対象とする
2.全施設・全職員を対象とする
3.環境ガバナンスの仕組みを内包する  つまり、あらゆる場面において市民参加を。
その条件を満たすために開発されたのが環境自治体スタンダード、LAS-E(Local Authority’s Standard in Environment)
現在、京都府八幡市、滋賀県高島市、など8自治体が運用している。
書類が少ない、監査を市民公募で行える、などのメリットが、このマネジメント・システムにはある。http://www.colgei.org/LAS-E/LAS-E_top.htm

また、簡易版環境マネジメントシステムKESはISO14001を補完するものとして、中小企業において取り組みが進められている。

その他、滋賀県野洲市、大阪府豊中市、京都府京都市の事例が紹介されている。

取り組みを推進するための基盤整備として重要なのは、
・ 地域の多様な主体間での議論の積み重ねと合意の形成
・ 地域の担い手のネットワーク
・ コーディネーターの存在
・ 行政側の取り組み
いずれにしても、地球温暖化対策は、長期的な視野をもって、取り組む必要がある課題だ。


****************インターネット情報より***************
地球温暖化対策リスト

豊島区の「エコのわ」から

RRR
ロハス
みんなで止めよう温暖化 チームマイナス6%

3R’s

経産省3R政策
http://www.meti.go.jp/policy/recycle/index.html
環境goo
http://eco.goo.ne.jp/
3R活動推進フォーラム (財)廃棄物研究財団内
http://3r-forum.jp/

ロハス

ロハスクラブ(有限責任中間法人)
http://www.lohasclub.jp/
NPO法人ローハスクラブ
http://www.lohasclub.org/100.html
ロハスの杜(個人管理サイト)
http://www.j-selection.com/lohas/
など、ロハスについては個人サイトが多い。

チームマイナス6% 200万人宣言突破!
http://www.team-6.jp/
Act1 温度調節
Act2 水道
Act3 自動車
Act4 商品の選び方
Act5 買い物とごみで減らそう
Act6 電気の使い方


環境家計簿

e-デジシャク
http://www.iwate-co2diet-daisakusen.jp/digisyaku/index.html
エコファミリー
http://www.eco-family.go.jp/index.html
省エネ型製品情報サイト(ECCJ省エネルギーセンター)
http://eccj06.eccj.or.jp/cgi-bin/real-catalog/index.php
日本カーボンオフセット(サイトなし)
カーボンパス
http://carbonpass.jp/
フードマイレージ
http://www.food-mileage.com/

家庭の省エネルギー大事典(ECCJ省エネルギーセンター)
http://www.eccj.or.jp/dict/index.html

子ども用環境家計簿
http://eml.edb.miyakyo-u.ac.jp/JOHO/kakeibo/kids/index.htm

環境家計簿の全国地域別紹介
http://www.carbonfree.jp/200.html

ロココムの家計簿(無料)
http://www.lococom.jp/LP/Lope_my050/?l=adw
環境情報科学センターの環境家計簿(印刷物のみ)
http://www.ceis.or.jp/02/kankyokakeibo/index.html

CASAのインターネット環境家計簿
http://www.shiftra.jp/casa/system/


goo検索「環境家計簿」がわかりやすい。
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by eric-blog | 2008-03-21 14:04 | ■週5プロジェクト07 | Comments(0)

今を生きる君たちへ

222-4(1083)今を生きる君たちへ
J-WAVE/ 小山薫堂、びあ、2005

2004年10月から2005年9月まで放送された10分間の番組に登場したゲストのインタビューをまとめたもの。インタビューというか、独り語り。

ゲストの選択基準は、「人生の昔話」。一流の大人の、一流を目指していた時の記憶がある一流の大人。「自分がいちばん輝いていた時の記憶を、人生の晩年まで持って」いくような人。

が、ラジオというメディアによって、見る人の目を意識せずに語ることのできた自分。

35名。

ウチ、オンナ3名。

ヨーロッパの温泉施設にいった時、男女混浴に驚いた。
日本の男女混浴は、近代に徹底的に否定された。西洋がもたらしたはずの近代わ、いま、日本は逆輸出しようとすら目論んでいる。

分けることは、分けて育てることにつながる。

分けて育てることは、違う育ちをすることにつながる。

分けるために、とりあえず使われた差異は、分けることで固定される。

カテゴリーが、育ちの枠となる。

視聴者の半分に対して、この番組はどのようなメッセージとなったのだろうか?
「いいオトコをつかめ」なのか、「自分の夢を持て」なのか。

圧倒的多数のわたしたちは、個性的な存在などではなく、社会の枠に自らをはめようはめようとして育ち、よりよくはまることで認められたいと、ささやかにも願っている存在だ。

どうせ生きるなら、桁外れにはずれていれば、楽だったのに。「弱さを武器ニ」「オネエマンズ」。圧倒的多数者のマイノリティであるオンナは、その中でも分断されつつ、力を付与する側であり続けることを求められる。社会的有利性の配分の不正義に、深層では怒りながら。

そんなささやかな願いにつけこんで、妻として娶られ、母を演じる「役割」が増幅される。役割は本当の力にはならない。生きる力の弱い、お人形の出来上がりだ。オートマトンであふれている社会、それが近代だ。

今を生きる君たちへ。

あなたは有名になりたいですか?
あなたは有名になれますか?
あなたは成功したいですか?
あなたは成功できますか?

この本を読んで、こんな風に自分で考えて、こんな風に自分で決めて、こんな風にはみ出して、こんな風に機会が与えられて、こんな風に・・・ということが、誰にとっても可能であることを、とりあえずは夢見てみようか。

今日、NHKラジオが、一日ラジオの良さを特集する番組を行うということを聞いて、ちょっと、紹介してみようかなと、思い直した本でした。
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by eric-blog | 2008-03-21 09:04 | ■週5プロジェクト07 | Comments(0)

はじめての質的研究法 臨床・社会編

222-3(1082)はじめての質的研究法 臨床・社会編
秋田喜代美、能智正博監修、東京図書、2007

教育・学習編、生涯発達編、臨床・社会編、医療・看護編からなるシリーズ。

2004年に日本質的心理学会が設立され、数量的アプローチを重視していた分野において、質的な研究が認められてきた動きが、このシリーズの背景にあるという。

しかし、質的研究は多様で、学びかたも教えかたもあいまいな点があると。この本では、「すぐれた質的研究」を事例としてその方法や手続きの紹介・解説がなされている。また、書籍もそれぞれの章に関連して紹介されている。

総論において川野健治さんは、質的研究に取りかかることを決定する時に、たくさんの先行する論文を読んで、その方法が「おもしろい」と感じるかどうかを判断基準とするとよいと、『フィールドワークへの挑戦』という学生たちの取り組みをまとめた本も紹介しています。また、一つの専門分野では「おもしろい」と論文としても認められるものも、分野や指導教官によっては認められないこともあると。41-44

質的研究と量的研究の間の協力関係が、より高い質の研究成果につながる。そのためにも、質的研究の手続きを明確にする必要があると著者は指摘しますが、これは疑問があるなあ。なぜ研究者が量的研究に「逃げたか」というと二つの原因が考えられる。
・ 社会科学、人文科学は、経験の質と量が、見る目を左右する。そのために、経験値にあまり左右されない量的研究に、若い人が取り組みやすい。
・ 論文の数が、質よりも、就職に響くために、論文を書きやすい研究が選ばれた。
量的研究と質的研究の融合は、一人の研究者の縦軸によってか、あるいは複数の研究者らによるプロジェクト的になされるか、あるいはもっと長い目で見た学際的なアプローチの総合学会が成立するとか、の努力によるのだと思う。

なぜ、学会は乱立するのか? 心理学会などのような統合的な学会の役割は何か?
持続可能性が人類共通の課題となったいま、学問世界はどのような転換が、体質変換が求められるのだろうか?

学会についての研究というのを読んでみたいなあ。[24-3(92) 専門知と公共性、藤垣裕子さんの本もおもしろかったけど]

ともあれ、わたしが研究者に羨望を感じるのは、「ベトナムでのフィールド・エスノグラフィなどを元に「ベトナム戦争をベトナムの人たちはどう経験したのか」に迫り、それを「かつて対立しあった人が共生する道をどう模索できるのか」を探る方向へ研究を展開させたい」(異文化研究、伊藤哲司、p.278)というような、息の長い研究の視点が出されるときだ。

ERICの取り組みも、わたしにとっては「参加型手法」や民主主義はどのように教育され、伝達されるのかを知りたい、かつ実践を推進したいという長期的な視点に立つものだ。フィールドにおける質的研究に、制約はない。

自分自身の病をフィールドにした報告『ボディ・サイレント』は読んでみたい一冊だ。

さて、今年のTEST教育力向上講座の課題は、どこに置こうかな?
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by eric-blog | 2008-03-20 19:22 | ■週5プロジェクト07 | Comments(0)