カテゴリ:☆よりよい質の教育へBQOE( 259 )

特権の側とともに考える

真のダイバーシティ

http://www.sietar-japan.org/our-activities/annual-conference/2014-annual-conference/601-2

ダイバーシティ(多様性、Diversity)は人権尊重社会をめざすうえでとても大切な概念です。
実際に取り組まれているのは、「女性や障害者を雇用する」「LGBTを理解する」ことであったり、「みんなちがってみんないい」というメッセージの発信であったりします。
しかし、それで本当にいいのでしょうか。
ダイバーシティを「多様性の受容」と説明しているものも見かけますが、はたして誰が受容の主体なのでしょうか。

この学習会は、アメリカでダイバーシティ・ワークショップを行っているダイアン・グッドマン氏の著書『真のダイバーシティをめざして:特権に無自覚なマジョリティのための社会的公正教育』の日本語版刊行にあわせて企画されました。
日本ではあまり語られていない「社会的公正(social justice)」と「特権(privilige)」をキーワードに、どんな属性の人も平等かつ十分に参加できる社会とはどのようなものか、そのためにマジョリティ集団にどう働きかけるのか、どうすれば効果的にファシリテートできるのか。経験豊富な講師とともに学びます。
ぜひ、ご参加ください。

講師:ダイアン・J・グッドマン氏
教育学博士。多文化共生関係のコンサルタント・トレーナー。全国の企業や教育機関で研修を行う。

通訳:出口真紀子氏
上智大学准教授。専門は文化心理学。大学では「差別の心理学」「立場の心理学:マジョリティの特権を考える」などの科目を担当。グッドマン氏の著書の監訳者。

※『真のダイバーシティをめざして:マジョリティのための社会的
公正教育』(ダイアン・J・グッドマン著、出口真紀子監訳)を当日、割引価格にて販売の予定です。

定員:40人

資料代:5000円

申し込み:お名前と連絡先を明記のうえ、下記のアドレスにメールを送信してください。
facilitators.labo+170225@gmail.com

主催:「真のダイバーシティ」ワークショップ実行委員会、大阪教育大学教職教育研究センター(人権・生活科教育部門)
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by eric-blog | 2017-01-30 11:52 | ☆よりよい質の教育へBQOE | Comments(0)

官僚天下り問題 文科省だけか?出向はどうなのか?

文科省天下り問題

クローズアップ現代2017年1月23日「いまなぜ? 官僚"天下り"問題 ふたたび」
元文科省官僚の寺脇さんが出ていたのに驚いた。彼も大学教授になっているからだが、総合学習導入の立役者、実力者であり、推進派、反対派を含め、その内情をよく知る人物だ。にもかかわらず、彼のインタビューで使われたのは「再就職は、不安ですよ」という部分。こういうインタビューに答えている時点で、彼の矜持のほどが知れようというものだろうに。
https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/3921/
何れにしても、文科省の組織ぐるみぶりは、呆れるほどあからさまで、「想定問答集」の穴から
東京新聞の社説は「文科省だけか?」と問題提起をする。
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一方、高橋洋一さんは、安倍政権の思惑を指摘する。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/50782

関連する公開資料はこちらから
http://www.cas.go.jp/jp/gaiyou/jimu/jinjikyoku/files/kouhyou_h280920_siryou.pdf
ネタにするならこれがいいと、高橋氏。

さらに、文科省の問題としては「出向」のことを河野太郎さんが質疑で取り上げた。「大学は文科省の植民地なのか」と。

衆議院予算委員会 河野太郎質疑にて
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大学事務局に文科省からの出向者を受け入れ、大学運営のあり方を文科省の意向をくんだものにしている慣行は、すでに長いのでははないか。様々な大学及び文科省そのものに激震が走っていることは想像に難くない。

再就職監視委員会の活動についてはこちらから
http://www5.cao.go.jp/kanshi/
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by eric-blog | 2017-01-27 10:51 | ☆よりよい質の教育へBQOE | Comments(0)

差別・暴力・攻撃

差別・暴力・攻撃


差別とは、属性による「違い」を相手の不利の扱いにつなげること。偏見と差別。byオルポート


不利な扱いとは、「その人の持つ潜在的な力の発揮が妨げられる状況」。

すなわち、人権侵害が起こっている状況のこと。


暴力とは人権侵害をもたらす力。差別を押し付ける具体的な力。


暴力には、物理的肉体的暴力、精神的暴力、経済的暴力、社会的通行権の否定、ネグレクトなどがある。これは個人のレベル。


社会的には、社会システムのなかで構造化されている不平等 (資源配分に関する決定権の不平等)= 構造的暴力も、暴力であると、ガルトゥングによって問題提起された。


その人の持つ潜在的な力の発揮が妨げられる状況を構造的暴力が存在する不正義な状態」byガルトゥング


正義Justiceとは、社会的有利性の配分が適切であること。

公正さFairnessとは、配分の決定の手続きが適切であること。Byロールズ


攻撃とは、力の発揮によって、攻めること。物理的なものから精神的なものまである。


人権尊重社会とは、非暴力、非攻撃的な社会を作ること。



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by eric-blog | 2017-01-13 15:55 | ☆よりよい質の教育へBQOE | Comments(0)

二之江中学校 第三回全体研修会

二之江中学校 第三回全体研修会
2016年11月7日 月曜日

12:55-13:45 二年生「多くの人口を引き寄せる東京」
33名

授業の流れ 四人組の作業
1. 東京に集中しているものをあげる [教科書からの読み取り]
2. 東京に高層ビルが多い理由 [「東京は日本の首都である」から始まる文章をいくつか繋げて最後は「だから高層ビルが多い」]
3. 東京駅構内図で道順を見つける

一人一人の学び

1.については、教科書からの読み取りであるが、ほとんど全員の生徒が四つほど書けていた。ERICの研修でもスキル活動を毎回取り入れているが、なんとなくお互いが見えている中で実践している。

それと同じで、個人作業のようでいて、生徒たちがとても集中して、なんとなくお互いが見えていて、教科書の読み取りができていた。

2.については、ほとんどの生徒が「東京は日本の首都である」しか書けていなかった。ここには補助線が必要だと感じた。一文繋げではあるけれど、「因果関係」を考えさせるのが目標なのであれば、「因果関係図」で考えさせるのがいいに決まっている。フィンランドのカルタを参考にしてほしいと思う。
http://ericweblog.exblog.jp/2973922/

今朝のNHKでもアクティブ・ラーニングを取り上げていたが、光源氏の読み取りについてどのような支援が必要かを論じていた。「考え方」を教えるという基本が徹底していないと、支援が「望ましい結論」に向かうためのハウになってしまう。

授業後の検討会では、教員が四人1組になって話し合ったのがとてもよかった。ここから教員集団の「見取り」が育つといいなあ。

「見取り」って、共有語なのね?

コルトハーヘン氏の方法が、どちらかというと「個人」に帰結するのに対して、ここでは「四人一組」での学び合いがある。しかし、あくまでも学ぶのは一人人であり、個別化対応も、一人ひとりが異なるからいいのだという永島さんのコメントが面白い。生徒に求めることを教員にも求めるということだ。その通りだと思う。さて、そのような育ちが教員にあり得るか? 

次々と面白い問いが生まれてくるアクティブ・ラーニング!

1. 思考スキルの指導
2. ESDの目標との関連

この二つについて、未だに努力が見えないのが今回の研究会だった。
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■アクティブ・ラーニングの「教科主義」への揺り戻しを憂う。
ESDとしての捉え直しができて居ないことはすでに指摘したが、以下のようなやり取りが、「教科主義」への揺り戻しを強化すると思った。一貫した姿勢での取り組みこそが求められる。

「東京は日本の首都である。」の一文から始まって一行文をいくつか間に入れて「だから高層ビルが多い」までの因果関係を作文するというのは、これも四人一組で取り組んだが、最初の一文こそ、ほぼ全員が書いていたが、その次を書けていた生徒はほとんどいなかった。
わたしが「因果関係図」で考えるとかの補助線が必要だと考える所以である。
その問題について、講師は、「先生の見取りとつなぎが、思考の深化につながる」と講評し、かつ、何人かの発言から「首都だから高層ビルが多い」のか、それとも他にも高層ビルが多い街があることを教師が指摘したことで、「都市だから高層ビルが多い」のかという社会科学的にとても重要な視点が出されており、これを突き詰めれば論文が書けると持ち上げた。

一人ひとりの学びを軸にすることというのは、教員集団に対してとても良い投げかけだと思うけれど、以下の点で違和感が残ります。

1. ESDの価値観やスキル、あるいはその他何でもいいのだが、(良くはないけれど)教育目標が明示されていない。共有しようともしない。「一人ひとりの学び」を繰り返すのだが、それはどこへ行くのだ?

2. 社会科の学習とESD的普遍的学習のスキルや高次の思考スキル育成目標との関係が整理されていない。社会科学的な思考力がどのような意味を、社会科学の専門家になるわけでもない生徒にとって持ち得るのかが問われないまま、「首都だからか都市だからかというのはすごい視点だ」と持ち上げることは、ともすれば教科教育の論理にしがみつきたがる教員に対して、間違ったメッセージを与えることになる。

NHKの番組で、ある女子校の古典で「アクティブ・ラーニング」による取り組みを紹介していた。グループに分かれて「光源氏の姿を一目見ようとやってきた六条御息所が、他の女御たちの車に嫌がらせされるのだが、その時に「「いとどしう出でばえを見ざらましかば」と、歌を読む。その時の彼女の気持ちを考えよ」というかだいに答える。

ほとんどのグループが「それでも見れてよかった」というのに対して、一つのグループが「こんなことなら来なけりゃよかった」とした。

それに対して、どのような手立てを取れば良いかが課題だと、先生方が語り、それに対して、何ら批判的なコメントもなく、追従するNHKの記者らがいるのである。

これでは「這い回る経験主義」の批判再び、となるのは目に見えている。異なる力をつけようとしているのに、その部分は見ないまま、従来の「正解」にいたるための補助線を議論する。最悪である。

それと同じことが、ニノ江中学校の研究会でも起こったのだ。


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by eric-blog | 2016-11-09 17:51 | ☆よりよい質の教育へBQOE | Comments(0)

アクティブ・ラーニング数え歌

アクティブ・ラーニング数え歌
CALL  Creative & Active Life-long Learningアドバイザー製作

■ひとつとせ
ひとつのことを一つずつ


アクティブ・ラーニングは作業や活動をともないます。一つの作業をする時の指示は一つずつ。
全体の見通しは、アルゴリズム化し、板書、プロップなどで示すこと。

■ふたつとせ
ふたり作業を取り入れる


グループ作業ばかりをやっているとグループの中の人間関係が固定化し、「仲間崩し」ができません。
二人作業を取り入れることで、人は誰とでも対話することのできる力をつけていきます。
「傾聴」などのコミュニケーションのスキル・トレーニングと合わせてやると効果的です。

■みっつとせ
三つの手だてで支援する

コンテンツの習得
参加のスキルの習熟
学びあいの環境づくり

■よっつとせ
四つの活動形態を組み合わす

個人作業
ペア作業
グループ作業
全体作業

■いつつとせ
五つの学習モードを刺激する

諸感覚を刺激する
話しことばで聞かせる
文字言葉を視覚化する
具体と抽象のM型学習
アルゴリズムで整理する

■むっつとせ
6つのリアリアを掘り起こす

1. 実物[       ]
2. 実地[    ]
3. 実話[ ]
4. 実感[   ]
5. 実態[ ]
6. 実存[   ]

■ななつとせ
集中分析発見のななつのアイデア

(1) 「問う」こと
(2) テーマを絞り、ハウを示す
(3) 時間を区切る
(4) 数字を使う
(5) 諸感覚やスキルの一つずつを刺激する
(6) 共通のルールを創る--オーナーシップ
(7) 目標・評価・達成を共有する


■やっつとせ
八つのツールを使いこなす

連想図
対比表
XY軸表
マトリクス表
関係図
因果関係図
ランキング
行動計画づくり

■ここのつとせ
これまでとこれからを整理して、ここから始める

■とおとせ
遠く、近くの目標設定で見通しを持つ

https://www.dropbox.com/s/xnxg2ssbmvk2nd7/AL%E6%95%B0%E3%81%88%E6%AD%8C.mov?dl=0
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by eric-blog | 2016-06-29 11:28 | ☆よりよい質の教育へBQOE | Comments(0)

CALL 創造的アクティブ・ラーニングをすすめるための原則

Creative
Active
Life-long
Learning
Life/League/

https://www.dropbox.com/s/7zite0pxiccmrie/CALL.mov?dl=0

KTさんが見つけてきてくれた「澪標」

「アクティブ・ラーニング」は、生涯学習の力であり、創造的な人生のための学びと実践力のこと。

子どもたちが学校で生き生き生きることができるために、
わたしたちができることは何か?

よりよい質の教育をあらゆる機会にあらゆる場所で。
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by eric-blog | 2016-06-03 11:47 | ☆よりよい質の教育へBQOE | Comments(0)

不登校の子どもが危ない!

不登校の子どもが危ない!

STOP!「多様な教育機会確保法」
http://ftk.blog.jp/archives/59922769.html


http://freeschoolnetwork.jp/wptest/wp-content/uploads/2015/09/tayounakyouikukikaikakuhohouan_miteikou.pdf

http://150909.jimdo.com/条文と検討/条文/

‪住友 剛 /react-text ‪react-text: 87 /react-text まずは人々に寄り添うような「やさしい法案」をつくりつつ、その法案のどこかに毒を盛り込んで、成立後はその法案を「むごいものに育てる」形にもっていく・・・。そういう危険性を私も感じています。そういえば、いじめ防止対策推進法にも、「道徳の教科化」という毒が盛り込まれてました。前々から私が言ってきた「惨事便乗型教育改革」、つまり子どもが亡くなったり苦しんだりする状況に便乗して、別の意図で教育改革をやってしまう・・・という構図が、ここにも出ていますね。だから「子どもたちがかわいそう、行政なんとかして!」という「善意」の人ほど、こういう政治手法にコロッとまいってしまいかねません。ほんとうに危ないです・・・。‬
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by eric-blog | 2016-05-27 14:32 | ☆よりよい質の教育へBQOE | Comments(0)

アサガオの栽培

アサガオ

「アサガオ」栽培の利点は次のようにまとめられている。

・水をあげるだけで簡単に育つ
・花が咲く時間がちょうど登校時間
・大きな芽が出て成長し、蔓が伸びるなど成長が分かりやすい
・蔓に支柱をたてるなどのお世話が必要。
・花が咲いた後は、種が出来て来年の一年生にプレゼント!(植物のサイクルを学ぶことが可能)
http://next.spotlight-media.jp/article/145497439841979884

咲いた花で押し花を作ったり、色水もできます。
文部科学省の方によると、
「生活科では、児童たちが植物を育てていく中で、植物の成長と自分の成長を照らし合わせるように授業をしています。アサガオ以外の植物でもいいのですが、アサガオは毎日休まずに世話を続けていると、多くの気付きがあり、自分の成長にも自然と気付ける植物のひとつなんです」
http://www.excite.co.jp/News/bit/E1239548399126.html

アサガオセットは580円から910円程度。
http://www.bunkei.co.jp/asagao/
観察日記もダウンロードできる。
http://www.bunkei.co.jp/asagao/kansatsu.html

デラックスセットには支柱もついている。
●セット内容 ラクラク支柱×1、マルチ給水鉢×1、マルチ給水ジョーロキャップ×1、名前シール×1、成長観察メジャー×1、あさがおの種(追肥つき)×1、花と野菜の土(3.6L)×1、マルチ給水受皿×1●鉢サイズ:285×275×225mm、支柱サイズ(閉じた状態):272×935×20mm 生物/栽培朝顔/小学校/小学生/幼稚園/保育園/プランター/朝顔栽培セット

これは「教材費」として徴収されたものから、学校で購入するようだ。一括で買うともっと安いかも?

では、実際の授業はどうのように構成されるだろうか?こんな一連の活動が指導されるだろう。

■「アサガオの育て方」授業の要素

1. アサガオの種の観察とお絵描き(前の年の学年から種をもらう?)
2. セットを使って、「土づくり」と「種まき」
3. 毎朝の水やり
4. 観察日記をつける
5. 花遊び
6. 種取り
7. 植物の成長についてのまとめ

わたしが見た授業は「種まき」だった。

■「アサガオの種まき」授業指導手順

一校次を使って行われた授業のおよその流れは以下。

1) セットの内容の確認: 不足がないかどうか。500mlのペットボトルを持ってきているかどうか。
2) セットに含まれている土に肥料をまぜる手順の説明: 栽培土のビニール袋の上を半分くらいハサミで切る。1/3くらいを植木鉢にいれる。肥料のビニール袋を開けて、中身を土のビニール袋にいれて、口を手でつかんで閉じ、よくシェイクする。肥料と土がよく混ざるように。
3) 種をまくための五つの穴の空け方: サイコロの「5」のような穴の配置なのだが、具体的には、四隅と真ん中というような言い方だったか。人差し指の第一関節までの深さで。(もちろん、第一関節という言葉は使えないので・・・難題)
4) 撒く時の種の向き:平らな面を下にして撒く。

ここまでを20分ぐらいで説明。アルゴリズムの板書もない。なぜなんだろう?

教員の「言うこと」を聞く訓練でもしているのだろうか? 

■子どもの多様な学習モードへの対応の視点から

子どもの「学習モード」の多様性、視覚優位性、聴覚優位性という区分、多重知能に対応するという配慮、個別支援の必要性というニーズのいずれの観点から考えても、「種まきのアルゴリズム」をプロップとして準備し、見通しをまず立てさせる、段階的に明示し、できたらチェックを入れるなどの手だてが必要なのではないかと思った。

■妥当なアルゴリズムと「集中」を保つためのタイミング

学習支援でいっしょになる元教員の方も、導入の段階ですべての注意事項をしゃべろうとする。なぜなのだろうか? 開始して2分の時に言われた「消しゴムのかすを掃除する」ことを覚えておかなければ「しかる」というのであれば、それは「しかる」ために注意事項を並べ立てているとしか思えない。

「アサガオ」の学習は作業的なアクティブ・ラーニングである。からだを動かし、観察し、そして絵をかき、文章を書く、多様な学習モードを総動員することができる優れた教材である。

■アクティブ・ラーニングの三つの手だて

であるならば、ここにも三つの手だてが必要であろう。

1) 教科のコンテンツとして「アサガオ」植物の成長について学ぶための手だて
2) スキルとして、「観察する」「絵を描く」「文章を書く」などを習熟するための手だて
3) 互いから学びあう、協力するなど関係性、社会性のための手だて

「観察日記」などは教材会社からもだされているように、指導の手だてはしっかりしている。

その内、教材会社が「アサガオの種まき」ポスターを作成するんじゃないだろうか? そうなったら、教員は何をする存在なのだろう?

教材化が進めば進むほど、教員の役割が問われることになる。

■TEST in 大阪2016で検討したこと「アサガオの育て方」今昔


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そこから「変化のパターン」と「キーワード」を考えてもらった。
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これらの変化を後押しした「ドライブ」動因は何か。

・画一化、均質化、製品化、商業化、外部化、
・失敗しないプロセス(手順)によって保障された結果の学習

この分析は秀逸だった。なぜならば、「アサガオ」の学習が変化した背景にある動因は、その他の学習にも働いていると考えるからだ。

そして、それは「アクティブ・ラーニング」の導入にはどのように働くだろうか?
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by eric-blog | 2016-05-26 11:35 | ☆よりよい質の教育へBQOE | Comments(0)

アクティブ・ラーニングとは? 連想リストと三原則

アクティブ・ラーニングとは? 連想リスト
自分のコトバになる学びがある
本人のスキル(能力・力)に関係なく、学びができる
学ぶことに集中して、その結果、おもしろい
あんたおって意味あんで
効力感
相互作用
学びへの意欲が落ちない
社会につながる
学びが一方的でなく、インプットもアウトプットもある
公正をめざす
誰もが学びに関与する
プロセスがある
感情が動く
自分の中の何かとひっつける
頭と心のフル回転
ぐるぐるする
ほんまのわかちあう
自分でどっぷり参加する
あしたの自分の体の一部となること
学びが血肉化
行動につながる、現実に
脱無力化学習
理が勝ちすぎない
言葉にたよりすぎない
感じることや気持ちを大切に
ハート&マインド
考える歓び
発見、楽しい。
問いがある。

アクティブ・ラーニングの原則
脱「無」、「霧」、「夢」
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「賢系」三原則
➢自分を主体的に拡散する。撹拌する。撹乱する。視点を変える。
➢アクティブ・ラーニングはプロセスである。「個の力を深める」プロセスになっていたか。「自分は参加した」「自分は納得した」「深まった」など。
➢自分なりの気づき、言語になっていたか。
  
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「Cloud 系」三原則
➢考え続けるモヤモヤがある。
➢分からなさを学びのテコに
➢アクティビティとアクションの全体
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Cloudと現場のM型 のプロセス
*川喜田二郎さんが「W型」書斎とフィールドの往復運動の中で研究すると言っているが、実践者であるわたしたちは「フィールド」から始まり、それをCloudもやもやや理論化に持ち上げ、そこから学んだことをまたフィールドへというM型と呼びたい。

どう見ても二つしかない三原則
➢ハートフル&マインドフル
➢変化していく=成長のある
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■「アサガオ」学習に学ぶいまの学校に働いているドライブがアクティブ・ラーニングに及ぼす影響とは?
➢失敗のないプロセスを管理する結果重視の作業的学習に陥っていないか?
➢パッケージ化、商業化、消費者的になっていないか?
➢「環境」から切り離された存在として育てていないか?

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by eric-blog | 2016-05-10 14:47 | ☆よりよい質の教育へBQOE | Comments(2)

アクティブ・ラーニングと国際理解教育・グローバル教育

アクティブ・ラーニングと国際理解教育・グローバル教育

地球意識やグローバル・シチズンシップを獲得することは、持続可能な未来のために必須。しかし、いま、流行は「里山資本主義」であり、「コミュニティ・デザイン」である。主催者や始動者は国際的な視野や文明論的なスパンを持っていると思うが、そこに引き込まれている人々はどうなのだろうか? その人たちがグローバルな視野を獲得するために必要なことは何だろうかと疑問に思う今日この頃。

ユニセフ募金のテレビCMに「ハドラミ」ちゃんという死にそうな赤ちゃんの動画が使われているのも、気になる。というのも、1990年代のアクティブ・ラーニング系プログラム開発の第一人者とも言えるスーザン・ファウンテンさんのワークショップを思い出すからだ。

まずは、1990年代のグローバル教育から観てみよう。

■貧困のイメージはどこから? ユニセフから。

『いっしょに学ぼう』の翻訳にあたって、著者を招いてのワークショップを開催した。1994年のことだ。

そこでスーザンは、世界の貧困のイメージはどこから来ているかと問うた。参加者は答えた、「ユニセフ」と。彼女は頷いて言った。「そうなんです。ユニセフが「惨めな世界」のイメージを広げているのです。

そして、この『いっしょに学ぼう』は、そのような世界のイメージを改め、わたしたちがともに生きる地球のために、子どもの頃から身につけて行きたい力は何かに焦点をあてているのです」と言ったのだ。

「惨めな」世界のための募金。惨めで悲惨であればあるほど、募金は集まる。

それは確かに「行動」につながるだろう。募金するという行動に。あるいは、街角に立って募金を呼びかけたりすることにもつながるかもしれない。

しかし、それで貧困が、飢餓が解決するのだろうか?と、1990年代のグローバル教育は問うたのだ。そこに「理解」はあるのかと。

ここで、聞いておこう。あなたは、そのような募金活動につながる学習を「アクティブ・ラーニング」と呼びますか? と。

■「惨め」なイメージはなぜいけない? 二つの落とし穴

スーザンがユニセフの『開発のための教育』のプログラム開発にもかかわっていることを知ったのはその後のことだ。

『いっしょに学ぼう』と『開発のための教育』は補完関係にある教材だ。スキルの学習とコンセプトについての学習。「コンセプト=概念」を学びの柱としているのは『PLT木と学ぼう』という環境教育とも共通している。

気づきのためのアクティティを通して「概念」を発見することで、体験から血有償的な学びを紡ぎだし、現実に応用するというW型学習が可能になる。

スキルの学習の演習的な要素と、概念を身につけるコンセプト学習。

世界を読み解く原則と、世界に関与していく参加のスキル。この二本柱の教材開発に、スーザンは関わっていたのだ。

ユニセフは、啓蒙的な団体である。世界の現状を伝え、そのための問題解決を提唱している。しかし、「ハドラミ」を救うための募金は、教育活動としては落とし穴があることを、スーザンたちは訴えたのだ。

一つは、「惨めな」ハドラミと、お金をあげるわたしたちという関係性の学習は、募金で止まってしまう。ハドラミがなぜ飢えているのかを問うことがない。途上国の飢えの原因が、わたしたちにあるかもしれないという自分たちを見直す学びへと発展しないということ。

もう一つの学びの落とし穴は、ハドラミやハドラミを取り巻く人々やそこに生きる人々の主体性を観ることのない募金活動によって、開発の主体が誰かについて誤解を学ぶこと。

グローバル教育、開発教育によって学ばれるべき概念として『開発のための教育』は「五つのグローバル・コンセプト」をあげている。

相互依存
イメージと認識
社会正義
対立と対立の解決
変革と未来

これらのコンセプトはわたしたちの世界の認識と行動のために役立つものだ。

学ばなければならないことは、先進国、途上国を含めて、わたしたち一人ひとりが開発の主体としてこの社会に正義を実現することを願いつつ、行動すること。

■どのように「世界」はわたしたちとつながっているかを学ぶ3つのアクティビティ

ハドラミの貧困と、わたしたちの生活は無縁のように思える。そして、豊かなわたしたち、余裕のあるわたしたちは、「かわいそうな」彼らにお金をあげることで問題を解決することができるのだと。

そうだろうか? 彼らの貧困とわたしたちの生活は無縁だろうか?

それを考えるためのアクティビティが三つある。

一つは「マナミヤ」である。アフリカの自作農民たちが開発によって貧困になっていく状況を追体験するものだ。

もう一つは「ペドロの開発」である。こちらは、途上国における開発の主体がどこにあるかを考えるものだ。

「貿易ゲーム」も途上国の課題を考えるのに役立つだろう。

いずれも、先進国とは「銀行」や「開発援助」でつながっている。

では、「正しい」開発援助をすればよいのか? 適正技術の移転という技術支援が答えなのか? これらのアクティビティは、「正しい開発」のあり方を考えるためのものなのか?

「ペドロの開発」の著者であるテッド・トレイナーは言う。「違う開発のあり方があるはずだ」と。

そして、『死に向かう開発』(Developed to Death)でさらに言う。「わたしたちは変わらなければならないという意識が、わたしたちの社会の大多数の人々によって共有されることこそが、違う開発のあり方へと向かう道なのだ」と。

だからこそ、新たなあり方のための原則として、相互依存や正義という概念を学び、それらの視点で社会を観ることができるようになることが大切なのだ。

それは、海外協力の場面だけに限らない。

■里山資本主義とコミュニティ・デザイン

と、このように観てくると、いまの日本は縮んでいるように見える。地域づくり、地域起こし。国際理解教育や道徳においても「郷土愛」や「日本人としての誇り」が強調される。

足元の課題から解決しよう。

それは悪いことではない。同じモデルが途上国でも実践できれば、そして世界中に広がれば、開発の問題は解決するかもしれない。

しかし、日本という国は、それでも海外とつながっているのだ。里山資本主義は資本主義の補完的なものでしかないと、提唱者も言う。一つの里山だけで完結しているものではないし、いや返って「消費者」としての他者に大きく依存している経済ですらあるのだ。

その消費者たちは、さらに海外ともつながっている。貿易で、ODAで、資本主義で、国連や国際機関や多国籍企業などで、そして、そこで働く職業人として。

日本のODAのあり方に無関心でよいのだろうか。
イスラエルやオーストラリアとの武器の共同開発に無関心でよいのだろうか。
多国籍企業がどのように海外で展開しているかに無関心でいいのだろうか。
安い労働力に支えられた低価格の商品を買い続けるのでいいのだろうか。

環境のつながりもある。

世界の水産資源が枯渇するまで、水産物の消費を拡大し続けるのでよいのだろうか。
世界の森林資源が枯渇するまで、林産物の消費を拡大し続けるのでよいのだろうか。
地球が温暖化してもなお、二酸化炭素を排出する化石燃料によるエネルギー消費を続けてよいのだろうか?

それらの問題に取り組む団体や市民運動と、地域起こしの担い手が、だんだん遠くなっていくように感じるのは、わたしだけだろうか?

■1970年代からの宿題たち
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by eric-blog | 2016-04-21 17:32 | ☆よりよい質の教育へBQOE | Comments(0)