ESD ファシリテーター学び舎 for BQOE
2024-03-19T10:56:01+09:00
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ESD ファシリテーター養成に取り組む ERICが発信する学び愛
Excite Blog
[5291]母親になって後悔してる
http://ericweblog.exblog.jp/242114376/
2024-03-19T10:56:00+09:00
2024-03-19T10:56:01+09:00
2024-03-19T10:56:01+09:00
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□週5プロジェクト23
2015年に著者が「母になったことを後悔する」というトピックで記事を出したら、不信、怒りの書き込みや議論が沸騰。後悔する母は利己的で頭のおかしな傷ついた女性であるという烙印を押される。 14
非難轟々。
著者は2008年から13年にかけて調査し、そのタブーに居場所を与えたいと。誰の母でもいたくないという願望と現実の苦しい葛藤。 15
多くの西洋社会が女性に母になることを熱心に勧めると同時に、その説得に応じた結果としての孤独を受け入れさせようとすることに対して、目を背けたままになってしまうのだ。 16
感情を、権力のシステムに対抗する手段だと捉えるなら、後悔は一種の警鐘である。母親がもっと楽に母でいられる必要があると社会に警告を発するだけでなく、生殖をめぐる駆け引きと、母になるという義務そのものを再考するように促しているのである。後悔が「選ばなかった道」を浮き彫りにするように、母になった後悔は、社会が女性に選ぶことを禁じている他の道が存在することを示している。「母にならない」のような代替の道が先遣的に消去されているのである。・・・母になった後悔は、女性が何を覚えておくように求められ、何を振り返ることなく忘れるように求められているのかを明らかにするのである。
後悔は、母が常に他者への奉仕を目的とする「客体」であるという概念に反論する一助となる。 17
「母ではなく、母になることを望まない」という著者の立場が、母になった公開についての・・・深い議論を続ける一助となった。 24
「母」と「母でないこと」を社会的に二分類されたカテゴリーにするのではなく、潜在的な味方同士として位置付けるのだ。
1章 母になることの社会的期待 「自然の摂理」「自由意志による選択」2章 母性を統治する厳格な社会的ルール 「感情のルール」それは実際に現実的にそうなのか3章 道徳的に許されない「後悔」という感情について。4章 母であることは「完全」であるのか、それとも欠落か5章 母であることを後悔していることを話すことにまつわる緊張感
・母になると、献身し、苦しみに耐え、要求を満たし、見返りを期待することなく利他的である
母にならないことに対する否定的なステレオタイプ 34
それらを含めた社会的圧力の高さ。
いつ、後悔するか。
5章 でも、子どもたちはどうなる?それが「後悔」を口に出すことへの緊張感を高める。子どもとの関係を危険に晒したくない。
社会秩序を実現したことへの後悔?
子どもを産んだことへの後悔はない。いい母親であろうとしたことはない。離婚もした。そんな母親であることを子どもは受け入れるしかないよね。それは子どもの人生だから。
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[5290]基本的人権の事件簿 憲法の世界へ 第七版
http://ericweblog.exblog.jp/242114350/
2024-03-19T09:51:00+09:00
2024-03-19T09:51:47+09:00
2024-03-19T09:51:47+09:00
eric-blog
□週5プロジェクト23
「基本的人権」で検索すると70件ヒット。一番新しいのがこの本だが、北区には2007年版、2015年版、2019年版がある。文京区には、2019年版と2024年版。ちょっと違いを見てみたいね。
Part 1 自己決定権事件1 頭髪の自由事件2 障害者の自由事件3 母親となる権利事件4 同性婚の権利事件5 性同一性障害者の自由事件6 再婚の自由事件7 治療拒否の自由事件8 ダンスの自由
Part 2 新しい人権事件9 忘れられる権利事件10 自己情報コントロール権事件11 自己情報開示請求権事件12 プライバシーの権利事件13 氏名に対する対する権利事件14 平和的生存権事件15 景観権事件16 自然の権利
Part 3 元祖・基本的人権事件17 平等権事件18 思想良心の自由事件19 心境の自由・政教分離事件20 表現の自由事件21 営業の自由事件22 転職の自由事件23 生存権事件24 参政権
著者らは軒並み1955年生まれ。なんじゃそれ???
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[5289]あの夏、兵士だった私 96歳、戦争体験者からの警鐘
http://ericweblog.exblog.jp/242113801/
2024-03-18T14:35:00+09:00
2024-03-18T14:35:27+09:00
2024-03-18T14:35:27+09:00
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□週5プロジェクト23
戦争を美化する人間にろくな奴はいない。
ベトナムの高官が南シナ海の問題について発言した時、平和的交渉に重きを置きつつ、「わたしたちは戦争というものが何かよく知っているから」というような趣旨の発言をしていた。
What it takes to fight a war.
戦争を始めることは簡単だ。しかし、止めるのは難しい。日本も最後の半年で70%以上の戦死者を出し、多くの都市への空襲を経験した。しかし、それでも、本土での決戦はなかったのだ。沖縄を除いて。とどこか戦場経験者と未経験者の差はあったのかもしれない。
秩父出身。父親は医者。旧制水戸高校の時に俳句をはじめ、東京帝大に進学。1941年。二年で繰り上げ卒業になり、日本銀行に就職。三日で退職。海軍経理学校に入り、翌年に主計中尉としてトラック島勤務に。1944年。経理学校への入学が43年9月だったので、12月から始まる学徒動員を免れた。
渡辺白泉「戦争が廊下の奥に立っていた」『京大俳句』のメンバー大学生は思想性を厳しく監視されていた時代。そんな雰囲気には、数年でなってしまったのだという。
さて、トラック島に配属。1944年3月。横浜磯子から飛行機で。すでに島は機能不全状態で、航空機の残骸、沈んでいる艦船。
魚雷の丸胴蜥蜴這い回りて去りぬ
「虚無の島」を無言の葬列が行く
捕虜になって、一年半。帰国の船で詠んだ句。
水脈の果て無炎天の墓碑を置きて去る
日銀に復職してみたら、敗戦で全てが変わったかと思いきや、旧態依然の身分制。 115
きよお!と喚いてこの汽車はゆく新緑の中 128
レッドパージにあって左遷されて行く道中を詠んだもの。
知的野生生き物感覚 一茶の感覚荒凡夫定住漂泊
■荒凡夫 一茶白水社、2012一茶は2万の句を作っている。
59歳で病から立ち直った時、詠んだもの。 109
ことしから丸儲けぞよ娑婆遊び
選者もしている金子さんのお勧めの「土」を感じる俳句。足立威宏。 198
里芋という極上の土喰ふ
いいなあ。この句
■天地悠々 兜太・俳句の一生Bunkyo DVD Library 、シナリオ採録、20192013年10月 94歳インタビュアー 河邑厚徳
2018年2月6日 平和の句、選者 2月20日 永眠
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[5288]ことばのバリアフリー 増補新版 情報保障とコミュニケーションの障害学
http://ericweblog.exblog.jp/242113170/
2024-03-17T16:11:00+09:00
2024-03-17T16:11:34+09:00
2024-03-17T16:11:34+09:00
eric-blog
□週5プロジェクト23
「おはよう」「バーカ」
そんなコミュニケーションだってある。初対面で「わたしはトランスジェンダーです」と自己紹介されたら、なんと返すか。この「名前」を属性、カテゴリーと言う。
自分自身をなるべく多くの属性で自己紹介してみよう。
女医 有徴医者 無徴 ふつうと認識するものには名前をつけない。少数派には名前がある。
シスジェンダー、異性愛、墨字、聴者、晴眼者をわざわざは言わない。
わたしは右利きで、異性愛者で、シスジェンダーで、晴眼者で、聴者で、定型発達で、健常者で、和人である
発達しょうがいの生徒に必要な配慮とは、「ふつう」の子と区別され、発達障害的要素を持つこどもの日常生活が円滑にいくよう配慮がなされたうえで、発達障害があるとして差別されないよう「区別しない配慮」が必要となる。・・・「区別して配慮する」のが、「ふつう」の子と可能な限り同じ学習をできる条件を整えるための配慮(=特別支援) 15
カテゴリーなのかスペクトラムなのか。
人はことばで世界を分類している。ことばを何のために使うのか。
知的障害者を排除するもの=言語という障害 39
書き言葉を持つ言語は社会的地位が保障されている
参考文献のリストが素晴らしい。ひらがなで氏名が日表記され、五十音順に並べられている。みやスーーーイ!
識字運動も、被差別部落における識字運動は、決して「やさしい日本語」運動には発展しなかった。言語環境そのものを問い直すものではなかったからだ。
研修の時に、「Ladies and Gentelmen」と冗談ぽくゲーム開始時に言ったことがあった。「それは階級呼称であって、差別的だ」と指摘された。だとすれば、もっと多くの指摘が日本語について、なされるべきではないか。
主人もそうだが、もっとある気がする。「上司・部下」も変えたいものの一つだし。「部長」とかの「長」などは使わない方がいい。
情報保障の観点から、漢字やわかちがきなども検討の余地があるね。ただ、木村晴美さんは「ろう者は漢字が好き」と指摘しているという。
また、今度読むことにする。]]>
[5287]ひきこもりの真実 —就労より自立より大切なこと
http://ericweblog.exblog.jp/242112991/
2024-03-17T09:45:00+09:00
2024-03-17T10:07:12+09:00
2024-03-17T09:45:55+09:00
eric-blog
□週5プロジェクト23
これまで20年あまり、ひきこもりの実態が知られないまま支援が作られたため、当事者のニーズとは合わず、解決にならないまま時間ばかりが過ぎた「働かない」「甘え、怠け」若い男性がゲームばかりしている。などのステレオタイプ。ひきこもりUX会議(Unique Experience)は実態調査を2019年に実施。1686人回答。
ひきこもりの平均年齢は30代が36.1%で最多。二番目は40代27.1%ひきこもり期間は8.8年、複数回に弥。就労支援サービスなどに課題があると感じる人は90%。16生きづらさの理由 19こころの不調 74%対人恐怖 63%自己否定感 75%経済的不安 71%
引きこもることで楽になるのではなく、生きづらさが増す。
4人に一人が困難な時に頼れる人がいない。親がいても、決してリッチではない。世帯年収は平均より低い。 29
4割が女性
しかし、支援によって開催される当事者会などに集まってくるのはほとんど男性。女性が参加しにくい構造になっている。 45
そこでUX女子会。実態調査 2017ひきこもりの原因は精神的な不調70%、男制性に苦手意識がある64% 49
女子会のプログラムは次のような構成だ。 60・自己紹介・テーマ別トーク 4-5人で20-30分で2-3回繰り返す・告知など
調査はこれらの女子会の出席者などに対して行われた。
一番指摘されたのは支援の課題だ。 86支援によって傷ついているという。・医療サービスの利用72%・ハローワークなどを利用60%・行政などによるサービス利用59%利用した9割が課題があるというのだ。
・とにかく就労がゴールで、就労後のことなど考えられていない。・当事者に対する理解部不足・セクシャリティに対する配慮がない・たらい回しされる・支援を受けるにも経済的負担、交通費、のせいで支援の継続が難しい・選択肢がない、女性、40代異常となると相談先もない
良い支援とは何か・安心できる居場所・自己肯定感・就職ができた
ひきこもりの人が起こした事件の報道でも「ひきこもりだから」という偏見につながりかねない報道があり、異議申し立ての声明を出した。 95
参加したくなる場を「早期発見」「早期対応」に繋げられることが大切。 120
アウトリーチや引き出し屋などは当事者にとっては恐怖。大阪府豊中市の取り組み=途切れのない支援
第四章 私はなぜ/どのように引きこもったのか著者自身の体験立ち直りにつながるいくつかの出会い
第五章 家族にどうして欲しいか日の当たらない地中の世界トンネルを抜けるコラム そのとき、妹はどう思っていたか
■生きづらさ
在日障害境界知能髪がない女性醜面AD・AHD発達障害コミュニケーション障害
不登校・ひきこもりギャンブル依存自殺
親ガチャ男らしさ女性社会の周辺しなくていいこと]]>
[5286]大学生が見た日本の刑務所3 身寄りがないお金がない 女性刑務所点描
http://ericweblog.exblog.jp/242112405/
2024-03-16T10:13:00+09:00
2024-03-16T10:13:39+09:00
2024-03-16T10:13:39+09:00
eric-blog
□週5プロジェクト23
マハトマ・ガンディーは、「刑務所は病院でなければならない」と言った。
専門家ではない大学生・大学院生が、1. 座学 2. 見学 3. グループワーク 4. まとめ というプログラムを体験したレポートのまとめ。シリーズの3冊目。北海道大学特別教育プログラム「新渡戸カレッジ」のフェローゼミの二ヶ月にわたる実践の総括。
多くの学生は、刑務所の中で三食を保障され、それにかかる費用が2000円かかっていると知って、自分たちもアルバイトで苦労しているのに、なぜこんなに優遇されているのだと感じ、また、医療費が無料であることにも違和感を、最初感じたと書いている。
再犯率は上がり、再犯に至る期間も短くなっている。もうひとつの課題は高齢化である。
ある大学生は考察する。いまの刑務所は時代遅れだと。受刑者が刑務所から出て孤立しないために刑務所内でのコミュニケーションが大事。 122そのレポートではフィンランドの取り組みやアメリカのプリズン・ドッグ制度などが紹介されている。
社会に不適応を起こしている「困った人」は「困っている人」なのだ。
確かにいまの刑務所は、トラブルを回避するために、管理を強化している。どんなトラブルがあり得るか。人間関係の行き違い、言葉の暴力、喧嘩、犯罪の情報共有などなど。そのため私語厳禁である。ゼミ生たちが作業所を見学に訪れても、目もあげる事なく作業を続ける受刑者たち。彼らの母親以上の年齢の人たちなのだ。
それでは出所してから必要になる人間関係の力、コミュニケーションは身につかない。 そう、この大学生は思ったのだ。
国際監獄ができたのは、不平等条約の解消によって治外法権がなくなり、外国人を収容する刑務所が必要になったからだと知った。 170
どんな刑務所がいい刑務所か、考えるワークショップしてみたいなあ。
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[5285]フタバから遠く離れて 避難所からみた原発と日本社会
http://ericweblog.exblog.jp/242112358/
2024-03-16T09:00:00+09:00
2024-03-16T09:00:50+09:00
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□週5プロジェクト23
1300人が避難した避難所に密着して、作成したドキュメンタリー。https://www.youtube.com/watch?v=xgBEAJ_Flu0
元騎西高校の避難所に暮らす人は、近隣のアパートに入居したり、福島県内に戻ったり、リステル猪苗代に移ったりなど、散り散りになる。補償や情報をめぐって、どの選択肢がいいのか、揺れ動く。
10月、警戒区域内の車両持ち出し。ずっと記録をとり、避難民たちを見続けてきた著者は、政府の政局争いを見て、「避難民がどんどん疲弊していくことは全く考慮に入れていない」と90
水平方向のダメージに関しては防護策が取られているが、時間軸での被害を考えていない。・・・時間が経つことで、賠償の妥協案をなんでもいいから呑ませる、というなし崩し作戦は水俣病と全く同じ道程のように見える。
井戸川町長はもまたの原発政策を擁護して2005年に当選。2011年4月には、7.8号機の増設に着手する予定になっていた。町からの取材許可は曖昧なまま。二ヶ月通い続けて、やっと居住者から招待される形で、教室内へ。それぞれが取り組んでいるアートを見せてもらった。 29
「何もない」という感覚を、映画で伝えることができるのか。そこに整理されている品々は全て震災後に寄付などでもらったものばかりだということが。 32
津波と原発のダブル被害で、救出もままならなかった避難区域。
2011年6月、エアコンが導入された部屋での「設定温度戦争」 48
継続して町長との対話も、双葉町の鳥瞰図的な視野を得るために有効だった。双葉町に原発が誘致したのは1961年当時の人口は8000人。1980年代は高度経済成長もあって豊かさを実感した。が、2005年に町長に当選した時には、財政は破綻していた。
吊り下げられたニンジンのようなものだったのは町だけではない。働く人たちも同じだった。 53
2011年5月、一時帰宅が許された。複雑な思いの避難民たちは東電の係員に誘導されて入域。
10月、区域内に処理施設を作ることを政府が発表。
混迷する廃炉、処理、そして賠償。混迷は定点記録していた騎西高校の避難所でも明らかだった。映画にすることを決意。
2012年2月、井戸川町長、ドイツの映画祭にビデオメッセージを寄せた。103
3月11日に騎西高校で国内初上映。145分。 106撮影した総量は300時間。最初のバージョンは11時間。時間がかかることは東電にとっては痛くも痒くもない。その間に避難民は疲弊していく。
最後に収録されている町長へのインタビュー。
双葉町独自の事故調査委員会をいつか開催したいと。 189各地で同様のことをやっていくことが民主主義。ドキュメンタリー映画って、民主主義だよね。
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[5284]「韓国からの通信」の時代 韓国・危機の15年を日韓のジャーナリズムはいかにたたかったか
http://ericweblog.exblog.jp/242111778/
2024-03-15T10:40:00+09:00
2024-03-15T10:40:50+09:00
2024-03-15T10:40:50+09:00
eric-blog
□週5プロジェクト23
1972年10月17日、朴正煕大統領による戒厳令の発出から、盧泰愚大統領就任の1988年2月まで、1924年生まれの著者は、1972年から74年まで東京女子大学客員教授時代、T・K生の筆名で雑誌『世界』に73年5月から88年3月号まで、「韓国からの通信」を連載した。93年に韓国に帰国。
1973年8月、金大中拉致。
序文にかえて、がすごい。歴史の概観。全部書き起こしたいくらいだ。
2016年、朴槿恵大統領の弾劾を求める運動は・・・極めて民主的なプロセスを忍耐強く進める形で展開されていった。
かつての軍事独裁政権に対する民主化運動に対しても、日本のメディアの反応は、・・・後進国のやり方・・・そうした状況に対し、雑誌『世界』が中心となって、市民運動とともに宣伝しながら戦っていったのだ。民主化運動当時、雑誌『世界』は何万部も読まれていた。「韓国からの通信」は、新書として発行され累計50万部が読者の手に渡った。
ジャーナリズムというのは、問題を発見し、それに対する解釈や費用化を加えながら、そうすることで市民運動がそれに結集するような形にしていかなければならないだろう。 8とりわけ今日においてはそれが少なくともアジア的連帯という広がりを持たねばならないのではなかろうか。日本の市民が世界的な新しい動きのためにパイプ役となって韓国での動きに結びつき、韓国は民主化の時代に入ることができたのだ。
・・・
韓国の民主化を経験して、いま反省していることがある。一つは、民主化して民主的な政府が成立すれば・・・民主化運動の担い手たちがほとんど全面的に現実的政治から退いてしまったことだ。・・・継続して政治に圧力をかけていくべきであった。 10
日韓交流にたずさわる人たちはぐっと増えた。にもかかわらず、その人たちの政治意識は以前よりも低くなっている。・・・ただ自分たちの興味や関心のために往来しているに過ぎない。
アジアを見据えた日韓の市民の連帯が求められる。
自分の歴史が他よりも優れていると言いたいがために書くような国史、そうした近代的な歴史の書方は古い書き方だ。これから世界史的にどういう歴史を作っていくかと考えていかなければ、現代において自国の歴史を担っていくことにもならない。 12
「韓国からの通信」を書いていた時にはできなかった、厳密な検証のための資料を集めてみたのがこの本だ。日本の新聞は、比較的公正に伝えてくれていた。韓国の民主化を渇望する市民運動が起こったからでもあった。韓国の『東亜日報』『朝日新聞』「韓国の通信」を並立させて、この時代を描写してみる。
第三章『朝日新聞』が伝えたこと1972年10月の戒厳令発令。訪日中の金大中が出した抗議声明の内容を、朝日新聞は伝えた。
1973年、ニクソン大統領「ベトナム戦争の終結」宣言。
高校生だったわたし。やっぱり、この辺りは団塊の世代だねえ。]]>
[5283]ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと
http://ericweblog.exblog.jp/242111205/
2024-03-14T15:35:00+09:00
2024-03-14T15:35:06+09:00
2024-03-14T15:35:06+09:00
eric-blog
□週5プロジェクト23
耳の聞こえない母が大嫌いだった。それでも彼女は「ありがとう」と言った。https://www.huffingtonpost.jp/entry/coda_jp_5d11f333e4b07ae90da3989e
ハフポストに載った文章を母親は読んだ。帰郷して、そう言われたとき、子どもの頃の著者の気持ちはわかっていたと言った。
東北の海辺のまちに生まれた。祖父母の実家に暮らしていた父母。子どもが生まれたのを期に、祖父母が手伝いが必要だろうと同居を勧めたのだ。実は彼らは父母の結婚に反対していた。聴覚障害者同士、苦労が目に見えていると。さらに、「子どもを作らない」という制約までさせていたという。
そんな時代だったのだ。1983年が?
聴覚障害者の強制不妊手術に対する補償も裁判で判決が出た。https://daicyokyo.jp/info/hogohou.html
時代が変わってみると、どうということもないが、子ども時代、障害のある母を恥じる気持ちもある祖父母のもとで、生きていたとき、著者は、子ども仲間の心ない言葉や態度に深く傷ついていった。
初めて遊びに来た友達に、挨拶した母の発音のおかしさを笑われたとき。保護者の参観日に来て欲しくなくて、お知らせをビリビリに破いたとき。手話サークルを立ち上げて「手話って何に?」と聞かれ、「変なの」と言われたとき。
大好きな母なのに、大好きだからこそ、「ふつう」に誇ることができないもどかしさから、突き放してしまう。「ふつう」ではないことに苛立ってしまう少年の姿がそこにあった。
自分が何をしたいか、わからないまま、表現者として2年間のスクールにも通った。役者になるまで努力が続けられないまま、ライターを目指す。
2017年、甲子園に出場した松谷尚斗選手。コーダの彼は、聴覚障害者の父親の野球への夢を実現させてあげたかったと、素直だった。
衝撃的なコーダや聴覚障害者らとの出会い。
コーダは心が揺れ動くのだという。親を否定する気持ちと肯定する気持ちと。
まだまだ偏見の多い社会だが、障害者の姿を伝える仕事ができればと、書くことの意味を見出した著者。
■しくじり家族CCCメディアハウス、2020]]>
[5282]パラリンピックとある医師の挑戦
http://ericweblog.exblog.jp/242111160/
2024-03-14T14:31:00+09:00
2024-03-14T14:31:30+09:00
2024-03-14T14:31:30+09:00
eric-blog
□週5プロジェクト23
1944年、イギリスのストーク・マンデビル病院のグットマン博士が第二次世界大戦で傷ついた障がい者のリハビリテーションにスポーツを取り入れた。車椅子でのアーチェリー、バスケットボールなど。体力がついて自信が持てるようになり、精神的にも回復するという効果があった。
失われたものを数えるな、残された機能を最大限に活かせ。
1948年、第一回ストーク・マンデビル大会開催。1960年の国際ストーク・マンデビル大会が第一回パラリンピック。1964年、東京オリンピックのあと、第二回パラリンピック。
1981年大分市で国際車椅子マラソン大会。
その影で中村裕医師の努力があった。整形外科医。
1960年中村医師はイギリスのストーク・マンデビル国立脊髄損傷センターに研修に来た。85%の患者が半年で社会復帰。それまでにも何人もの日本人が研修でスポーツによるリハビリテーションについて研修で学んでいった。しかし、何も起こらなかった、とグットマン博士。
日本に帰って、バスケットボールに取り組むも、「障害者を見世物にするのか」「スポーツで半身不随になったのに、それを思い出させるのか」など、反発は強かった。しかし、一人の少年が自らの力で街に出ることで生きていく勇気を持てたと。
そして、国際大会に出ることで、認知を広げていこうと提案する。
大会後の打ち上げにも、自分たちが稼いでいるわけではないからと、控えてしまう。その姿に、働く場所の確保にも動く中村医師。1965年「太陽の家」設立。1871年、オムロンと、共同での会社の設立にこぎつける。
1987年、中村裕記念身体障害者福祉財団の設立。
中村医師は1984年、57歳でなくなった。
No Charity, but a Chance
財団は2020年に閉鎖。(登記官による閉鎖)https://ttzk.graffer.jp/corporations/9320005000203
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[5281]世にも恐ろしい損保犯罪の話 狙われる国民健康保険
http://ericweblog.exblog.jp/242111037/
2024-03-14T10:53:00+09:00
2024-03-14T16:27:36+09:00
2024-03-14T10:53:10+09:00
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□週5プロジェクト23
湯島サロン2024年3月12日 午後2時 10名ほどの参加者
昭和36年8月16日生まれ。主催者教育推進機構 など多数設立。https://ce-pa.jp/
川田隆平議員に紹介議員になってもらい、法律を請願。
そんぽADRセンター、現在はネットで検索できなくなっている。損害保険についての示談代行サービス。裁判よりも簡便で料金が安いという触れ込み。
著者の母親が二度の追突事故に遭遇。最初は加害者保険=東京海上日動火災保険、二度目は損害保険ジャパン日本興亜。そして伯母の交通事故では三井住友海上火災保険。
自動車任意保険は、実にトリキーなシステムを作り上げていた。
日本損害保険協会のホームページから「お客様対応窓口」としてそんぽADRセンターに行き着く。https://www.sonpo.or.jp/しかし、ネット検索からは行きつかない。https://www.sonpo.or.jp/about/efforts/adr/index.htmlそんぽADRセンター 0570-022808協会の中枢は損保会社の社長たち。https://www.sonpo.or.jp/about/gaiyo/index.html
追突事故は、単なる交通事故ではなく、後遺症を伴うものとなった。平成23年9月5日。頸椎ヘルニアを事故前から患っていたものが悪化しているのではないか。そんな懸念もある中、後遺障害診断書が主治医によって作成されていた。頸椎ヘルニアには触れないままに。平成24年6月5日を症状固定日。同年8月31日を固定日として、今後の治療は自己負担となることを通告してきた。 19
どうしたらいいのか。金融ADR制度の存在を知る。被害者の承認がないままに・・・なぜだ?どんなカラクリで?
平成26年3月、東京海上は加害者を原告とし、母を被告とする裁判を起こした。 23「債務不存在確認訴訟」、加害者は被害者に対して支払うべき義務はない。それに対して反訴。反訴によって東京海上は訴訟を取り下げ。
後々に、支払い停止の根拠とされていく「症状固定」の診断書は「東京海上の強い意向と誤った説明」によって作成されたと、後に医者が謝罪、撤回。しかし、書類仕事は「固定」の判断日のままに進んでいく。裁判も含めて。怖い!!!! 69
2010年平成20年、保険法の改正。
被害者の反訴も含め、係争中でアレとの理由で支払い停止、不払いの横行を行っている保険会社。 82
平成26年11月7日、磁場いせい投球判定で7級の認定が下りた。 85その直後の年末に第二の事故。 翌27年1月、保険会社の人が退院時に訪れ、「健康保険で診療を受けてくれ」と交渉にやってきた。加害者から委任状を取り付けた弁護士から連絡。しかし、加害者と協力関係を取り付けていた著者らは、委任状の取り下げ。すると、直接、訴えてきた。
金融ADR法
厚生労働省の天下り先、社会保険診療報酬支払基金、特別民間法人
制度設計の不備をついた悪徳商法。
諸悪の根源、金融庁の体質。 148不正の操作もマニュアル化されている。「自動車保険の解説2017」 157
ありゃリャ、損保ジャパンとビッグモーターの関係にも通じるよね。
「交通事故損保犯罪ひがいしゃの会・損保犯罪対策委員会」を立ち上げた。反SLAPP法の制定を目指して。
■湯島サロン「請願権の現実をご存じですか」報告 湯島のサロンでは、今年は改めて「平和」をテーマの一つにしようとしていますが、生活レベルでしっかりと平和を考えていこうという生活目線での平和サロン(茶色の朝サロン)も再開します。このシリーズでは、単に話し合うだけではなく、実際の行動へとつなげていくことを意識していきたいと考えています。実際に具体的な課題に取り組んでいる方の呼びかけを歓迎していますので、呼びかけたい方は気楽にご連絡ください。ここでも平和は、私たちの生活の安心につながる問題はすべて対象にしています。ただし大上段に「平和」を語るのではなく、実践が伴うものを重視したいと思っています。 今回の問題提起は、自分に降りかかってきた交通事故の問題に絡んでぶつかった「不都合な現実」を題材に、生々しく請願権活動に取り組んでいる濱中都己さんによる「請願権」がテーマです。参加者も実際にさまざまな活動に取り組んでいる女性たちの参加が多かったこともあり、最後まで生々しい話し合いになった気がします。途中で、ふたりの人からドイツの法学者イェーリングの「権利のための闘争」の言葉が引用されていましたが、実践活動に取り組んでいる女性たちの言葉には、やはりエネルギーを感じます。頭だけでの話し合いとは違うので、たくさんの刺激をもらいました。でもやはり男性と女性とでは思考回路が違うような気もして、男性の私としては、いささか身を縮めながら話を聴いていました。 濱中さんは、母親の自動車事故の話から話し出しましたが、すべてはそこからは始まったのです。ですから、実に生々しい。その事故の保険金の支払いをめぐって、濱中さんにとっては納得できないことが続出し、それを調べていくうちに、健康保険法の運用の問題点や金融ADR制度のおかしさやスラップ訴訟問題に行き当たったのです。 そして、いろいろな取り組みをしているうちに、憲法で保障されている請願権制度もまた形骸化していることに気づき、その問題に取り組みだしたのです。実際に濱中さんは現在、2つの請願を国会議員の協力を得て、国会に提出しています10年以上、ほぼ独力で進めてきた、その実践には頭が下がります。 でも一人では限界がある。そこで濱中さんは「みんなの請願支援センター」をみんなで作ろうと思いつき、湯島でも3年前にサロンを開いてくれました。でも「おかしなことを正そうという取り組み」は際限がなく、次々と問題や「闘争」に巻き込まれ、「みんなの請願支援センター」づくりはなかなか進まない。今回は、そうした状況を打破して、前に進んでいく仲間を見つける呼びかけでもあったのです。 今回、濱中さんが問題提起した呼びかけは2つです。まずは、請願権の制度を生きたものにしていこうというための組織づくり。加えて、いま実際に濱中さんが請願活動で取りくんでいる金融ADR制度や損保業界での保険金処理の仕方などでの国民の利益が損なわれている実態を広く知らせたいということです。その問題は、すべての人に関連しているからです。そして、この2つは濱中さんのなかではつながっているのです。 最後に濱中さんは、いささかのジョークを込めて、面白い提案を出してきました。「みんなの裏金基金協議会」を発足させ、互助会政党をつくろうというのです。これに関しては、話し合いには至りませんでしたが、そこに込められた思いには、共感しました。しかし生活者感覚の女性たちには、なかなか受け入れられなかったのかもしれません。そこに男女の差を感ずると言ったら、非難されそうですが。 いずれにしろ、社会を憂えているだけでは、何も変わりません。濱中さんの活動を広げていくために、何かできることを考えていこうと思いますが、一緒にやっていく人を募集したいです。自動車事故の保険金支払いで問題を抱えている人、請願権活動で苦労している人、司法問題で大変な思いをしている人など、当事者意識のある人は特に大歓迎です。気楽に私宛にご連絡ください。 ちなみに、日本国憲法16条には次のようにあります。「何人も、損害の救済、公務員の罷免、法律、命令又は規則の制定、廃止又は改正その他の事項に関し、平穏に請願する権利を有し、何人も、かかる請願をしたためにいかなる差別待遇も受けない」。ここに定める請願権は、年齢に関係なく、外国人や参政権のない人も請願権櫛ができます。この条文がしっかり守られていけば、私たちの生活は間違いなく守られるような気がします。 近いうちにまた請願権(日本国憲法16条)を学ぶサロンや金融ADR制度や損保業界での保険金処理の問題を話し合うサロンを開催したいと思いますので、ぜひ問題を抱えている人や関心のある人の参加をお待ちしています。 ***********************佐藤修qzy00757@nifty.comCWSコモンズ村村長コンセプトワークショップ代表http://cws.c.ooco.jp/http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/https://www.facebook.com/cwsosamu***********************]]>
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2024-03-10T08:52:00+09:00
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◇ブログ&プロフィール・自主学習ノート
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舩橋淳監督と藤井弁護士(文京区委員)対談
2016年から17年に、あるホテル・チェーンでおきた事件を取材。加害者、同僚、被害者にもインタビューした。被害者が言っていたのが、事件を告発した後の組織で生きていくのが辛いということ。
日本では内部告発者を救済するシステムが整っていない。まず、告発者の安全安心を保障することが大事。被害者が「非」を責められる。『過去負う者』も同じ俳優たちのメンバーで制作しているが、セリフは役者に任せている。だんだんと「めんどくさい」になっていく。基本的には互いに存置用紙会える職場づくりが大切なのに、今は男性上司がビビっている。結果、男性同士の方がコミュニケーションをとりやすくなり、情報格差が生まれている。セクハラがだめ、パワハラがダメと禁止事項ばかり。「なめた口」を聞くのは、なめた価値観がそこにあるから。映画の中でも、突然口調が強くなっている。企業の自浄作用がない。データでは、8万2000件ほどにもなっているとあるが、実際にはもっと多い。しかも、報告のあと、半数は何もしていない。まず第一に被害者を守る、第二に罰する法律が必要。セクハラ罪はない。職場の働きにくさが問題。
10年間、ニューヨークで活動、2007年に帰国。パートナーも一緒に帰国したが、彼女は実際に日本社会のジェンダーバイアスにぶつかりまくっている。
後日談にしたのは、事件の後に続く生きづらさを描きたかったから。「名誉男性」の存在。そんな女性の上司の受けはいい。
■藤井弁護士時代の理解も違ってきている。密室でのタッチであれば、訴えることはできる。しかし、たとえPTSDがあっても、保証の水準はとても低い。
映画界そのものにおけるセクハラ防止ガイドブックを出した。広げて欲しい。
■過去負う者https://www.asahi.com/articles/ASRBF3QYNRBDUSPT00D.html
■フタバをhttps://www.asahi.com/articles/ASQ4F62LYQ46UCVL05T.html
■名誉男性という言葉、すでにわたしも使っている。
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[5280]14歳からの戦争のリアル
http://ericweblog.exblog.jp/242107639/
2024-03-09T10:13:00+09:00
2024-03-09T10:13:11+09:00
2024-03-09T10:13:11+09:00
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□週5プロジェクト23
14歳<フォーティーン> 満州開拓村からの帰還澤地久枝、集英社新書、2015https://ericweblog.exblog.jp/239533456/
第1章 イラク戦争に行った元兵士の告白 元米海兵隊員 ロス・カプーティさんに聞く
第2章 24歳が体験した太平洋戦争 俳人 金子兜太さんに聞く
第3章 戦争のげんばで起きていること 高遠菜穂子さんに聞く 劣化ウラン弾
第4章 戦争を終わらせる方法 伊勢崎賢治さんに聞く
第5章 月収13万円、料理人、派遣先・イラク 安田純平さんに聞く
第6章 徴兵拒否でフランスに逃げた若者 イ・イェダさんに聞く韓国徴兵制のリアル
第7章 集団的自衛権ってなに? 元自衛官 泥憲和さんに聞く
第8章 女優が見た戦争 赤木春恵さんに聞く
ほとんどの人の、その人自身による書籍も紹介しているはず。知らなかったでは済まされない。]]>
金子兜太歌碑
http://ericweblog.exblog.jp/242107631/
2024-03-09T09:53:00+09:00
2024-03-09T09:57:11+09:00
2024-03-09T09:57:11+09:00
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◇ブログ&プロフィール・自主学習ノート
東武竹沢駅前のかひ
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[5279]南海トラフ地震の真実
http://ericweblog.exblog.jp/242107590/
2024-03-09T09:01:00+09:00
2024-03-09T09:01:54+09:00
2024-03-09T09:01:54+09:00
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□週5プロジェクト23
2020年に中日新聞に連載された「南海トラフ80%の内幕」で「科学ジャーナリスト賞」を受賞。2022年掲載の「南海トラフ 揺らぐ80%」をもとに単行本化。
トラフというのはプレートの沈み込みで生まれる溝状の窪みのこと。静岡県から九州沖にかけて巨大地震が30年以内に「70-80%」の確率で八世されている南海トラフ地震。
確率の主張の根拠となっているのは高知県室戸市の室津港の水深データ。
2013年の政府地震調査研究推進本部の地震調査委員会海溝型分科会の「科学的疑義」を訴え始めていた。
1976年の東海地震説以来、政府は前兆現象の観測、それに基づく地震予知と防災対策。 3莫大な予算は「地震ムラ」の形成につながった。
原子力と同じような時期だね。高度経済成長のビッグマネーがビックサイエンスを堕落させたんだろうなあ。
1995年の阪神・淡路大震災。地震予測を嘲笑うかのように2011年東日本大震災。2016年熊本。南海トラフ地震に対する「えこひいき」は、他の地域の備えに対する油断を引き起こしていた。
日本列島はどこで地震が起こってもおかしくない。そして地震対策は長年にわたる蓄積的なインフラであり、意識化なのである。
2018年2月9日、地震調査委員会は南海トラフ地震が30年以内に八世する確率を「70-80%」に変更したことを発表。取材を開始。名古屋大、鷺谷威教授。地殻変動学。「地震学者たちは信頼していない。ミスリーディングだ」という。全国と同じ計算方法でやれば20%程度」 17
では南海トラフはどのように予測されているのか? それが時間予測モデルだ。 22
プレートは沈み込むことによって歪みが溜まり、ある限界店に達すると陸側のプレートが跳ね上がり、揺れを起こす。そのサイクルに要する時間を割り出せるというのが時間予測モデル。モデルの提唱者は島崎邦彦(東大当時は助手)、1980年。
そのモデルの例として挙げられているのが室津港のデータなのだ。1707年から150年で1854年、その90年後に1946年の地震。
データ不足が指摘される中、「確率低下はけしからん」と政策委員会からクレームが。 25
全国地震動予測地図https://www.jishin.go.jp/evaluation/seismic_hazard_map/shm_report/2020年版で終わっている。
地震の確率が低いことは、企業誘致などにも使われている。逆効果なのだ。確率の決定の経緯を知るべく、記者は海溝型分科会の議事録を入手。検討を始めた。 312012-13年に検討された南海トラフ地震発生確率をめぐるぎじに関するもの。発言者の名前は伏せられている。「自由闊達な議論を遮らないため」。しかし、専門家は、責任を持って発言している。名前をかけて会議に出席しているのだ。このことについて記者は、新型コロナウイルスの専門家会議の議事録作成がないことにも警鐘を鳴らしてきた。 34
2012年の議事録では、時間予測モデルを採用しない方向に一度はなっていたものが、次の会議ではひっくり返った。改めて2001年長期評価部会の議事録にあたる。安藤雅孝静岡大学防災総合センター客員教授。彼が「様々な量」を用いて時間予測モデルを検討していた。次の地震が早く起きる方が予算獲得が容易。 44切迫感があって危険。最終的には当時の地震調査委員会委員長、津村四朗氏。 46「高いものが出せるなら高くした方がいい」
今村明恒教授のことを思い出したと。1870-1948年。 48昭和南海地震は比較的小規模だったから、次の発生時期はもっと早くなるのでは?「箔」づけのための学説。
さらには防災側から「確率を減らされるのは困る」と大反発。 54両論併記も検討されたが、行政判断だったと、一人の委員は振り返る。宍倉正展氏。 58「一度高い確率を出してしまうと、下げるのは勇気が必要」
当時の地震調査委員長、本蔵義守東工大教授。「コロコロ確率が変わるのも困るので、13年評価は暫定的に01年評価を踏襲」
防災か科学か。事実を隠すことに反対を表明したのは、橋本学京大教授。 63実際の室戸岬の沈降速度で見てみると、年13ミリではなく、年5-7ミリ程度だった。初性時期は21世紀末以降だということになる。しかし、自分自身の研究に没頭してその問題を指摘することはなくスルー。 68
1989年にはショルツ論文。時間予測モデルは成り立たない。隆起量と発生時期が一致していない。と。
そもそも室津港の隆起はどう計ったのか、江戸時代に?
政策委員会の議事録は「公開すると問い合わせが殺到する」という理由で非公開。 78すったもんだで公開へ。その内容は驚愕だった。2012年12月17日の合同部会と2013年2月21日に開かれた2回目。 82
2011があって、『わかっていないことをわかっていないと言おう』とした地震学者。それに対し、これまでと話が違うじゃないかと。「はしごを外すのか」「下げたら税金投入に影響する」 87「ころころ変わったら国民はたまったもんじゃない」と発言したのは多分本蔵氏。名前は黒塗りされているが。 91
両論併記が受け入れられなかった理由について、「当面これまでのやり方を踏襲する」 97今後調査を進めコンセンサスが得られるまで。2013年3月11日の地震調査委員会。
福和伸夫名大教授。建築耐震工学が専門。 99
根拠となった久保野文書を求めて高知まで。室津港の観光案内板には「地震で水深が浅くなるたびに、港は何度も掘り下げられてきました。と。 142
根底から覆るじゃないか。
「室戸市史」編纂に関わった多田運さん。「記録が残っていてもいなくても、大地震の後には大地が隆起して港として機能せんなるので、掘り下げ工事をしている」と。 152
室戸港沿革史には、毎年工事が行われていたと。人手で岩場を削るのだから、一挙には行かないのだ。津呂港の場合は、土佐中の鍛冶屋をほとんど集めて、3万人を集めて工事に当たったと。 15510年20年はかかる作業。「後免」という地名は、掘り下げにでた人が住む場所は彼らが税金を免除されていたからだ。
室津港のデータは人為的な掘り下げの数字を参照しなければ無効であるということだ。
しかし、地震調査委員会は、最初から報告書には両論書かれている。メディアが高い方の数字を取り上げてきたし、行政もそれを後押ししていただけだと。179
そもそも地震予知はオカルト。 1921984年、ロバート・ケラー東大理学部助教授に就任。1991年にネイチャーに論文。ゲラー氏は地震予測にも批判的。委員たちは政治的な発言をしているだけだ。
地震学は予知のためと申請書に書くと、格段に予算がつく。 198国策とともに歩んできた。
大震法の大幅見直し。2016年から。
地震予測と天気予報は違う。それは被害の大きさの違いだ。何十年もかけて準備しなければならないものと、今朝傘を持って出るか否かを決定するのとでは、意味が違う。 213
新規投資と既存インフラの維持・更新の老朽化対策のバランスは取れているのか?
関東大震災から100年。その前の元禄地震の間は220年。その間にM7クラスは8回。30年以内に起こる確率が70-80%
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