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箱根国際交流担い手ネットワーク会議の担い手 向さんを偲ぶ会

Hakone100421
箱根国際交流担い手ネットワーク会議(1988-1997年)の事務局を引き受け、名実ともにその有り様を牽引してきた向鎌治郎さんが、昨年亡くなったとのこと。すでに葬式も追悼式も終わっているとのことであるが、「偲ぶ会」をするというお知らせが来た。

10回だけだったのかと、改めて思うほど、内容の濃い会議であった。

そのうち、わたしが参加したのは7回ほどであったか、決して、わたし自身は「会議の担い手」でもなければ、参加の優等生でもなかった。まだまだ、箱根までの参加費すら払えないような状況であったからだし、「箱根で温泉に入りながら、国際交流を論じる」なんて、悠長な、と鼻息も荒い「国際協働・環境系」まっしぐらだったからだ。

その10年間にも、国際交流も、また、国際理解も、そして国際協力も、平行して必要なものなのだなあと、思えるようになったのだが、当時は「国際」などすっとばして、「人類共通の課題」のための問題解決へと、心が急いでいたのだろう。

そんな煙たいだけのわたしを、向さんが一生懸命輪の中に入れようとしてくれていた。いまだに、その恩は忘れられない。その何ほどのことも、きっと、次の世代に対して、していないだろうなあと、思う。

当時、北海道から鹿児島まで、民際交流の勢いは、NGOの広がりやNPOの制度化の動きとともに、大きな潮流を作っていた。

いまでこそ、WWFやグリーンピース以外にも、ワールド・ヴィジョン、セーブ・ザ・チルドレン、OXFAMジャパン、国境なき医師団など、国際的な活動をする団体の日本支部も増えてきた。また、JVC、ハンガー・フリー・ワールド、日本発の国際協力団体も数多い。

しかし、1988年当時は、まだ日本ユネスコ協会、日本ユニセフなど、国連系の国際団体日本支部がある以外は、二国間協力団体が目立っていただけだった。

それがあれよあれよというまに、1992年のリオ地球サミット、1994年カイロ人口会議、1995年北京女性会議など、国際会議とNGOの参加が相次ぎ、政府と民間の協力は、当たり前のことになっていった。

そのような時代にあって、箱根国際交流担い手ネットワーク会議は、それらの国際的な共通の課題にも関心の軸足を置きつつ、教育交流・文化交流を二つの柱にした国際交流団体の担い手のための育成の場を提供し続けた。

いま、ERIC国際理解教育センターという団体を20年続けてきて、国際理解、国際交流、国際協力のそれぞれの課題の普遍性、そして地球市民性のベースとしての風土論やローカリティなども、理解できるようになってきた。人間形成、教育におけるそれらの諸活動の意義も、それぞれにあることがわかる。

おおむね団塊の世代であった彼ら担い手たちが切り拓いたニッチを、次の世代のわたしたちがすべて担うことは不可能なことなのだが、残しつなげて行きたいものもある。

セッションをもっと参加型で、やりたかったなあ。いまのワールド・カフェのようなスタイルが工夫できれば、もっと楽しかったのかもしれない。構成的な場と半構造的な方法論との関係についても、おもしろい先例を提供しているように思う。

http://d.hatena.ne.jp/nori_catalyst/20100130/1264837551#c
http://www.bananaclub.org/HAKONE/aboutsub2.htm
http://hakoneconf.exblog.jp/

向さんは、最後の最後まで、「もっと、もっと」と上を、前を見ていたのだろうと信じる。

市民運動情報センターの須田晴海さん、国際協力NGOセンターの伊藤道雄さん、日本ボランティアセンター/市民フォーラム2001の岩崎俊介さんなども、同世代の担い手として、わたしがお世話になった方々だ。

この機会に温故知新してみますか?
by eric-blog | 2010-02-12 18:06 | ◇ブログ&プロフィール
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