ユーカリの実のなるのを待って

かくたです。
熊本で、時間があったので、訪ねた「リデル・ライト記念館」で買い求めた本です。
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53-1(218) ユーカリの実のなるのを待って
−リデルとライトの生涯
内田 守編、1976年発行、1990年復刊

明治から大正、昭和にかけて、まだ日本のらい病救済のための制度が整っていなかった頃に、私財を投げうって活動した2人の英国人の物語。

らい予防法が成立したのは明治40年1907年のことであるが、それに先立つ明治23年1890年、熊本のらい病患者の救済に、来日して一年にならないリデル氏が取り組んだ。らいが伝染性疾患であることは、ちょうどこの頃、国際的にも認識されるようになり、全治もするようになってきていた。
しかし、日本では、まだまだらい病についての理解は浅く、リデル氏らが、救護のためにと奔走して成立させたらい予防法も、隔離色を強めていく。
リデル氏らが設立した回春病院においては、それは昭和16年1941年に回春病院が解散を決めた時、近隣のらい病患者も含め、強制的に国立施設に収容されたことであったり、戦後、回春病院跡地においてらい病患者の子どもたちが保育されていた龍田寮からの通学を地域の学校に拒否されるという事件(昭和28年1953年)であったりする。

奈良で光明皇后の救済所のあったところを訪ねたこともあるが、20世紀に入っても、基本的には何も変わっていなかった日本社会が、戦争直後まではまだあったのだなと思う。
ひとつのエピソードとして、戦後の同時期に龍田寮からアメリカ人家族に養子としてもらわれていった子どものことが紹介されている。

キリスト者であり、最初は宣教師として日本に来たリデル氏の努力で、経営され、また、英国からも支援を受けていたが、日本が日清日露戦争を戦ったことで、「もはや支援の必要なし」と英国からの支援が削減されていったというようなくだりは、復興支援や途上国支援について考えるいまも身につまされる。回春病院46年の経営には、相当な苦労があったのであろう。
日本社会も、さまざまな支援のもとに発展し、そしていまはわたしたちが発展の支援をする側にまでなっていることに、驚きを感じる。どのような「理念」を日本人による現在の支援は、それぞれの国の人々の心に刻んでいるのだろうか。

しかし、リデル氏は「皇室が好きであった」とか、「貴族然とした服装」など、時代的背景を感じるところが多く、また、この本自体がさまざまな人による氏と氏の姪で遺志をついで事業を継続したライト氏についての回顧談の寄せ集めであるために、繰り返しばかりが多く、全体がつかみにくいために、あまり、お進めの本とはいえない。
35才の来日の最初から、78才で熊本の地に亡くなるまで43年間、変わらずにらい病患者と共にあったその首尾一貫した人生というのは、エピソードで綴るしかないのかもしれない。
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by eric-blog | 2004-09-03 17:02 | ■週5プロジェクト04 | Comments(0)
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