人気ブログランキング | 話題のタグを見る

「国語」という思想 近代日本の言語認識

307-3(1337)「国語」という思想 近代日本の言語認識
イ・ヨンスク、岩波書店、1996

言語政策と国家についてはクルマスがお勧めだが、近代日本、特に明治時代において、どのように「国語」が作られたかについては、この本は鋭い。明治18年、森有礼が文部大臣となり、近代国家の基礎原理としての国体教育主義による学校令、そして教科としての国語の確立がある。

それまでの軌跡を簡単にまとめるとこうなる。

・ 国字の検討 漢字を排し、かなやアルファベットで日本語を表記することまでも検討。しかしながら、その文体は漢文的仮名文字文学的にひきずられていた。
・ 国文の検討 言文一致をめざし、東京山手言葉を標準語とする。
・ 国語の成立 和漢文という表現から国語へ、和歌から国歌へ、和文学科から国文学科へ  単なる伝統主義からの決別。87

すなわち、明治初年においては、日本語の表記すらまだ確立していなかったのだ。日本語が同一性をもった言語であるかどうかさえ、確信が持てなかった時代がある。

そこから、「標準語」や果ては「女ことば」などがどんどん作り出されていく。

いつも、なぜ日本語ではなく、国語と言うのかと、米国での英語の授業科目名と比較して、疑問に思っていたのだが、成立過程については、ちょっと理解がすすんだかな。
by eric-blog | 2009-08-11 11:01 | ■週5プロジェクト09
<< 上野千鶴子が文学を社会学する 伝達か対話か >>