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女の一生 第一部・第二部

275-5(1239)女の一生 第一部・第二部
遠藤周作、新潮文庫、1986
原著 朝日新聞社、1982

大正12年生まれ。
この名作について、このブログで紹介するとか、必要なのだろうか。とも思いつつ。
明治時代、近代国家として「宗教の自由」を選ぶのか、それとも日本の仏教・神道を守るのか。長崎という地において、葛藤が最大になる。たぶん、そんなこととは無関係に過ぎた地域の方が多かったのだろうに。

浦上四番流れ。

それが第一部、キクの一生の主題だ。

そこに表れる伊藤某という奉行所の取り調べ官。著者自身が、あとがきで、ここまで伊藤の意味が大きくなるかとは予想していなかったと。

そして、それと同じ構図を、第二部の昭和初めから終戦までの長崎を描く時、繰り返すことをためらったことが、そして幸田修平があまりにも遠藤周作その人に近いが故に、第二部は、第一部ほどの深みを持ち得ていないように思った。

第二部において、アゥシュヴィッツに殺されたコルベ神父のストーリーも、重ねられているという欲張りのためかもしれない。

NGOや市民運動の側に身をおいて、25年。時々に出会ってきた活動家の多くがキリスト者だった。クエィカー教徒で良心的軍事費拒否の石谷さん(2002年亡)には触発されて、6.4%の軍事費分不払いをしようとしたが、収入がなさすぎて、挫折。煩雑なことはできない性分が、災いした。
ソロモン諸島で同じカツオ船に乗ったシスター、Yes, Peaceで出会った方々。
リデル・ライトのライ病支援。

もし、日本社会にキリスト者がいなければ、「良心」はあったのだろうか? それとも、その奇蹟は、彼らが「個人」の名において記録を残し、顕彰した人びとであったからなのか。

曹洞宗ボランティア会との出会いに、ここまで、自分をかけるのか、という「ふるえ」がなかったのはなぜなのか。差別戒名、差別墓石などの問題にかかわって、同和教育に積極的に取り組むのだという人びとと出会って、感動がなかったのはなぜなのか。それらの運動、活動にかかわって、出会った人びとに女性がいなかったのはなぜなのか。

第一部で、日本人官吏から植民地化についての罪を問われて戸惑うプチジャン神父の姿は、キリスト者としての著者自身の希望であったのだろう。このように語った西洋のキリスト者をわたしは知らない。

しかし、日本社会にとっては「キリスト者」は、異端とされる程度の激しさに呼応して、人権派であったと、思う。

『浦上四番崩れ 明治政府のキリシタン弾圧』片岡弥吉、ちくま文庫、1991、原著1963

史資料をもとに構成した記録書。仙右衛門自身の記録なども、多く引用されている。

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「三千数百人が、土地も家も財産も失い、家族が離散し、562名の人命が失われた。」「この残酷の原因は、進行の自由を、実定法を越えた基本的人権として違法性阻却を認める近代思想が日本政府に理解されなかったところにあった。」「明治政府の政治観も法思想も、幕府の前近代性から少しも前進していない。」「明治政府は、復古神道を立国の基本としており、その当然の結果として他宗弾圧がその本質的正確の一つとなっていたから、神道以外の宗教のうち徳川幕府が徹底的弾圧をつづけ邪教として烙印づけたキリシタンが、ことに弾圧の運命に呻吟することになったのである。」
by eric-blog | 2009-01-09 22:44 | ■週5プロジェクト08
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