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◯△□の美しさって何?

                            2003年5月29日配信
4-2(14) ◯△□の美しさって何?
本江 邦夫、ポプラ社教養文庫、1991

「考えるヒト」で、人間はすべて脳なのだ、という極端な意見、そして、脳にできること以外の神秘的なるものなどあるのか、という問題も含みつつ、「アウトプットは随意筋だけ」と断言するところの結果として、芸術に焦点をあてようじゃないか。え、脳はなんだって芸術というアウトプットを欲したのか?
中でも、もっとも説明しがたい分野なのではないかと思えたのが、抽象画だ。なんか、この論理に文句あっか? とすごみたくなるくらい、論理の飛躍がありそうなのだが、わたしの中ではばっちり連鎖的に、この本を読んでよかったと、しみじみしてしまったのです。養老猛司さんの「唯脳論」のあとは、これだよねー。

まずは、数学はわたしたちの世界を構成するあたりまえのものだが、それを理解するためには学ばなければわからないというのと同じように、美術も学ばなければわからないものなのだそうです。で、学ぶということは、知識が得られるということなのですが、「知識は道具にすぎない。しかし、この道具を使ってこそはじめて、自分自身の正解、つまり独自の見解を作り出すことができる」。数学のように、ひとつの応えがあるわけではないのだけれど、「だれもが納得できる答え」を作り出すことができる。

さて、では抽象画を見るために、何を学ばなければならないかというと、その芸術家個人の歴史と、その芸術家が生きた社会の歴史を学ぶことが、抽象画を見るためには役にタツのだそうです。
20世紀の表現としての抽象画というのは、アウシュヴィッツ、そして原爆という人間の悲惨さと残酷さに対してどう答えるのかということだったのだというのです。そして、また、一方では、科学的知識の爆発的な進歩から、「原子」すら崩壊してしまうという知識、そしてそれを実現してしまう技術すら生まれた時代なのです。人間がどのように見ているのかということをつきつめた印象派なども、原子と原子のあいだの無輪郭、ものの見え方は、かならずしも、そのものの色だけに支配されず、光であることなど芸術は、社会的、科学的知識に影響もされてのことなのだと言うのです。
もうひとつ、個人の歴史と社会の歴史をひもとく鍵に「ロシアという辺境」がどのようにその時代の最先端に触れ、影響されたかが重要だと言います。辺境だからこそ、アンテナを張っている、辺境だからこそ、ヨーロッパという先端を生み出しつつあったところにはあった抵抗としての実態や現実までは共有していない、純粋に発展する可能性を、その時代はロシアは持っていたというのです。1910年、最初の抽象画、生まれる。

最初は、「非対象画」、つまり、対象物、「見る」「わかる」名称があり、名前があるものを描くのではなく、それらのものの中にある幾何学的形態としての◯△□を、描くことから抽象画は始まった。「見る」「わかる」という安定した社会に対する破壊、挑戦として。原子が壊れる時代にあって、言葉における統辞、絵画における約束事をすべて破壊してしまうために。破壊することで、それが何であったのか、わたしたちが「見る」「わかる」こととは何かを示そうと。

そのような抽象画から、一般的な美としての抽象へということへ。芸術の力とは何か、人間がもののように扱われ、もののようにこわされていく時代に、人間のかけがえのなさ、崇高さを示すものとしての芸術、そしてその力として「普遍的」なもの、そしてその普遍的なるものを求める「真実にいたる旅」としての抽象画にいたる。「芸術の力は具象的なものになく、幾何学的抽象にある。」写真でも、模写でも表わしえない、複製不可能な存在感としての多色多様多層多塗黒一色画byラインハート。「芸術というのは親しい交わり(コミューニオン)であって、伝達(コミュニケーション)ではない。」なのだねー。

「自分自身はそれだけでひとつの全体であり、他からすっかりきりはなされた、まったく個性的な存在でありながら、と同時におなじようにきりはなされている他の人々につながっているのだ、という感覚」(168、ニューマンへのインタビュー1965年より)

わたしたちは、さらに宇宙からDNAからゲノムまで知ってしまった時代なんですけど、たまには、20世紀の安らぎに触れにいきましょうか。どうやら、近場でのおすすめは、著者の勤務先である東京国立近代美術館ではなく、千葉にある川村記念美術館らしいですよ。

ぜひ、ご一緒いたしましょう。抽象画を見るためのこの本の著者のレベルの「個人の歴史」と「社会の歴史」についての学びは、不可能なのですが、少なくとも、抽象画の見方として、「わからない」と思う時、何が「わかる」ということなのかを照らし出しつつ見ようと思います。そして、心のなぐさめ、共感、感動、など何らかの芸術の力を感じたと思うとき、「人間の真実」として受け止めたものは何かを自分の中に探りつつ、見ようと思うこと。という2つの見方がありそうだということはわかりましたから、「抽象画は難しいから」というのは言わなくてすみそうです。たいした本ですね。



世界は◯△□でできている
20世紀が抽象絵画を生んだ
「みる」ことは「わかる」ことじゃない
抽象絵画がいきつくところ
なぜ◯△□に感動するのか
by eric-blog | 2004-07-30 11:33 | ■週5プロジェクト03
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