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公共性の法哲学

269-2(1207)公共性の法哲学
井上達夫編、ナカニシヤ出版、2006

これも意欲的な論文集。「個の尊厳」「人権」「自由」「平等」が熱く語られた時代から、公を論ずるに恐怖しないでよい時代になったのか。「公」の毒性は共の一字を加えただけで簡単に解毒できるものではなかった。i

公共性の危うさと困難さ。

公共性というのは「勝者の正義」にしかすぎないのではないか。v

横書き文章で、原語の綴りが( )で追加されているという文体。であるにもかかわらず、カタカナ語が極端に少ないことそのものが、法学において、概念言葉が漢語に訳されてきた試みの長さと徹底を示している。『日本の民主主義』の論者は日欧米とりまぜられていたが、この論集においては、すべてが和名の方々というのも、その法学の特徴からくるものか?

「ミルは彼の時代の家族が男性の専制のための学校であり、民主主義と両立不可能な思考習慣や感情と行動の様式を教え込んでいると考えた。もしそうなら、理にかなった立憲民主主義社会を要求する正義の原理が家族を改革するために喚起されることは明らかである。」12 ロールズ『万民の法』1999、2006和訳からの引用

ロールズの万民の法が単体で出版されていたとは知らなかった。これまではオックスフォードの論集の中からの引用をしていたのだけれど。

この一文だけでも、ずいぶん、じっくりと共に考える、みんなの頭で考えると面白い一文であることは確かだ。

7章 では東京裁判が戦争犯罪そのものをさばいたものではなかったという瑕疵がどのように指摘されてきたかを整理しながら、「法実証主義は、ただ自らの空疎な一貫性を守るために、現実の法と世界を無視するだけである。むしろ、実際の法現象を適切に見ることができない以上、法実証主義の方こそが、破産をさらけ出しているのである。」と結ぶ。

結ばれてもなあ。だから、どこへ?

同じ著者による「左翼と右翼の違いは、・・・対立があるという者とないという者とま対立・・・即ちメタ的視座の対立である」157とする整理はおもしろい。

娘に語る人種差別の訳者である松葉さんと、「相対主義的立場は絶対主義者を否定できない」というパラドクスについて、そこに普遍主義的な共通価値への視線はないのかという議論をしたことを思い出す。

絶対主義から、相対主義、文化並列的な共存から、できれば普遍主義的な基盤に基づく共生へと成長できないものだろうか。ESDは価値観の教育である。
by eric-blog | 2008-11-25 08:22 | ■週5プロジェクト08
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