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林道と山村社会

273-3(1176) 林道と山村社会

宮本常一著作集 48、未来社、2006

1952年の調査を再録したものである。
第一章で、著者は、国有林と民有林の林道敷設状況を比較し、面積で言えば3対7だが、林道長さは1対2と、資本力の違いが林道敷設に影響していることを指摘している。
そして、大地主以外の山主たちがどのように林道をつけて、森林経営に取り組めるかを考えることが、これからの日本の森林経営の要だと提言する。

詳細には、宮本は、零細な地主たちが、山業者が切り出し道をつけたら、その言い値で売らざるを得ない状況、山を転売していく状況、奥山から、昭和になっても川を筏で出荷している状況を細かく描きだす。

果たして、この報告書を読んだ人々は、1952年当時ですら、「民俗学誌」としてのみ、読んだのだろうか?

現在、提案されているらしい集約化団地化提案型施業もまだ「燎原の火のごとく」広がっているわけではない。

わたし自身は、まだまだ、山のこれまでについては、勉強し始めたばかりだが、半世紀前のこの報告書を読んで愕然とする。
もちろんtime-testedで残されてきた、選ばれた情報に接しているというメリットがわたしたちの世代にあることも事実だ。だからこそ、そのような判断力を今後の調査研究のあり方や視点にも生かしていくべき立場にもある。

わたしがひとつ感じたのは、やはり宮本常一の仕事を「民俗学」と捉えた都会の学会、当時ですら、米を担いで地方をたずね歩く姿をあざ笑う傾向を持っていたという学界に、「伝承と伝播」の視点で言えば、農山漁村が、伝播によって単に「都会化」するとしか考えていなかったのではないかと思われることだ。
第二次三次産業に立脚する都会と、第一次産業に立脚する田舎を比較しているのだという視点すら、あったのかどうか。
詳細に農山漁村のいまとこれまでを描きだすことに注がれたエネルギーに匹敵するものを、そこから見えてきた未来に向けて注いでいたなら、日本のいまの農山漁村の姿はもっと違っていたのだろうか?
by eric-blog | 2008-10-08 09:00 | ■週5プロジェクト08
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