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アレクサンダー・テクニーク

236-6(1153) アレクサンダー・テクニーク
小野ひとみ、春秋社、2007

俳優出身のアレクサンダーさんが、舞台で声が出なくなる自分を研究するところから編み出した自分のからだの意識化とコントロール法。
本人が書いた4冊の本は説明過剰でわかりにくいらしい。
この本はイギリスで三年間、1600時間以上のアレクサンダー・テクニークのトレーニングを受けた著者が、鴻上尚史さんに進められて文章化に踏み切ったもの。
とはいえ、アレクサンダー・テクニークは「教師」という存在が媒介することで、自己の意識化が促進されるものなので、本を読めば自分でできるというようなものでもないらしい。教師と生徒の対話の中身はゲシュタルト・セラピーに似ているけれど。

著者自身は音楽家。鴻上さんは演劇人として、その意義を高く評価して今回の出版にいたっている。この前の演劇ワークショップでも同様だったわけだが、表現者にとって「自分」を意識的にコントロールできるのは大事な事らしい。

一対一のレッスンはこんな風に始まる。
「肩がこるんです。」
「肩がこるんですね。どんなときにこるんですか。」
「仕事とかが押してきたときに」
「肩は、突然こるんですかね。それまでの経緯もなしに?」
「・・・・」
「それまでは意識していないということですね?」

と、徹底的にからだと動きを意識する。そして、日常生活では頭で考えてから動くことを訓練する。

そういう意味ではチベット・メディテーションなどの、マインドフルのトレーニングにも共通する。

武術では頭で意識してから動くことを「起こり」と言って、敵に悟られることになるとして、考えずに、つまりなるべく意識にのぼらせずに動く。からだが動くこと、頭なしで賢さを取り戻すことを訓練する。

果たして、目標の違いなのか、訓練の段階の違いなのか?いずれにしても、人間とは面白い。

アレクサンダー・テクニークでは、人間が立ったり座ったりする動きは「プライマリー・コントロール」と言って、誰しも身についていると。
そこをベースに「四つのダイレクション」がある。
首は自由に
頭は前に上に
脊椎は長く、背中は広く
膝は前に、互いに離れて

その自然なダイレクションをなぜわたしたちが出来なくなるのかについて、何も考察がないようなのだが、自然な発達は赤ちゃんが歩き出すまでだけらしい。

間違いだらけの文化生活?

アレクサンダー・テクニークの「自己の意識化」法は「インヒビション」、反射的に行う行動に待ったをかける練習だ。待ったをかけた上で、何をやるか意識してやるということ。
Inhibition
待ったをかけることで、意識にスペースが生まれ、「ミーンズ・ホェアバイ」、手持ちの手段を有効に活用できる判断力を働かせることができるようになる。
Means Whereby
逆に、いっぱいいっぱいの反射的行動では「エンド・ゲイニング」、早く結果に到達したいというあせりが意識化を阻み、プロセスが疎かになる。

面白いと思ったのは、他人は結果しかみることが出来ない、プロセスを知ることができるのは本人だけ、ということ。
エンド・ゲイニングという思考様式は他者指向の積み重ねなんだね。

著者は明治以来の「追いつけ追い越せ」の型やハウツウから入る教育のあり方に疑問を投げ掛ける。型からはいるのでは本当の創造につながらない と。108
あー、これは武術でも同じことを言っていたなあ。

どの訓練法も、どこか生き方指南のようになってしまっていく。結局は自分にあった指導法、指導者に出会えるかどうかだね!

とっても久しぶりにひだひかるさんに会った時、この手法の話をしていたなあ。

by eric-blog | 2008-08-20 07:34 | ■週5プロジェクト08
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