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ジョン・バリーの緑の政治理論

233-2(1131)ジョン・バリーの緑の政治理論
栗栖 聡、NII-Electronic Library Service

この日曜日に千葉大学でジョン・バリーさんが講演する。その後の討議におけるコメンテーターとして「NPO」や「環境教育の立場」から話しをするというのが、わたしに与えられた課題だ。
事務局から事前に送られたいくつかの論文から、バリーさんの講演趣旨をまとめておきたい。

生態学的に合理的な生態学的ガバナンス、がバリーさんの緑の政治理論である、と評者である栗栖さんはまとめている。そして、よいガバナンスのための市民社会の役割と政治的意思決定の制度的基盤の必要性を言っていると。

もう一本、英文の論文はバリーさん自身が書いた「国家の再国家化」とでも言うような論文だ。ディープエコロジストたちがどれほど政治を批判し、狩猟採集的生活を擁護しようとも、国家は存在し、環境にとってよいことも、悪いこともなし続けている。どうすることが国家の再国家化 reinstating the stateになるのか。

これはまだ読んでいるところなので、改めて紹介したいと思います。
以下、栗栖論文からの引用とまとめです。


人間社会と自然との相互作用を適切に管理するための基準=生態学的合理性

機能的基準資源・廃棄物同化・保護的環境価値の永続可能さ

倫理的基準人間と自然の関係の道徳化=共生的利用、正当化可能な利用、「生態学的スチュワードシップ」

政治的基準客観的に存在するのではなく多様な視点からの妥当な判断、民主的で公共的

近代社会を構成する市場、国家、市民社会の関係の再構成=生態学的合理性に即した生態学的ガバナンスの構想

適切さの基準は「客観的に存在する」のか「主観的に選好される」のか相互主観的に「創造される」のか127

生態系の収容力の水準を低く見積もれば、狩猟採集のみが生態学的合理性を充たすものであるという判断が導かれ、高く設定すれば農業段階の経済までは生態学的合理性にかなっている。129
バリーの基本的立場は、現在の産業社会段階においても妥当な生態学的ガバナンスを見いだすことは可能であり、またそうすべきであるというもの。129

「人間化された」あるいは改変された環境が我々の「自然な」生息域である」130
人間は自然を改変することによって生態系の収容力を高めてきた。
近代産業段階における問題は市場経済と自然の関係によって人間社会と自然の関係が支配されていること。経済的合理性が生態学的合理性と齟齬をきたしている。130
経済的合理性を許容した上で、それを生態学的合理性に合致させる。131

国家、市場から独立した第三の領域としての市民社会。(これは政治・経済・市民の行動変容の三種に同じだな) 大事なのは、集団としての意思決定のための制度的基盤。政治的・熟慮的過程。138
国家の政策決定における参加民主主義の促進と、市民社会への権限付与。139

自発的、自立的、市民的な公共圏としての市民社会は、国家や市場とは別の圏を構成する。
by eric-blog | 2008-06-13 17:34 | ■週5プロジェクト08
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