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教育で平和をつくる 国際教育協力のしごと

216-1(1049)教育で平和をつくる 国際教育協力のしごと
小松太郎、岩波ジュニア新書、2006

国連職員として、紛争後のコソボ暫定行政ミッションにおいて教育行政を担当した経験。そしてその後教育研究者として訪問した経験など、国際協力の分野で調査研究から管理行政まで、多様な局面に携わった経験からまとめられている。

民族が混交する地域において、「新しい市民性教育」はどのようにあるべきか。社会主義においては「兄弟愛」「結束」「市民防衛」という価値観が教えられていたというのだが、教員たちに対するインタビューでは、その言葉を使おうという気運はないという。そのかわり、人権教育が行われていて、一人ひとりの基本的人権、自分がなにものであるかは自分が決めるという考えが広がっているという。
その上に、帰属意識を形成するようになるのだろうかと、著者は、これからの市民性教育のあり方を探る。双方向性授業を実践している人もいる。(これもそれぞれの専門分野での用語の違いなんだね)が「授業前、授業後」の調査で顕著な違いが生まれるものでもない。と。
調査そのものが難しい状況であることは理解できるが、著者の経験を背景に、何らかの提言を期待するだけに、締めくくりはちょっと残念だ。

「理念を教育的ツールに」と言ったのは平和教育のベティ・リアドンだ。
平和や共生、平等や尊重というような理念が共有される必要があるだろう。混迷の時代だからこそ、わたしたちの社会はこれらの理念にすがるしかないのだ。たとえ、大人自身がその理念を体現した模範・モデル未満の存在であったとしても、だ。その未満の存在が成長しようとする姿勢を見せることが「学び続ける」ことにつながる。

わたしたちの正義感は、絶対主義、相対主義、そして普遍主義と進む。子どもは、大人の鏡でしかない。民族対立のある風土で育てば、民族差別的なものの見方・考え方を持ってしまう。そして、言葉そのものに差別・蔑視の歴史が含まれている場合は、民族主義教育そのものが危ういものになる可能性を持つ。
子どもの言葉の発達は、まず何よりも親身族が共有することばから始まっているのだから。子どものアイデンティティは、まずは親身族絶対主義的に育つ。遺伝的文化的共有帰属集団だ。子どもは、そのような集団への所属と信頼、そして貢献を学ぶ必要がある。

同年齢集団が、多文化ですでにある時、多文化主義的態度の形成と学校教育は矛盾しない。しかし、対立の要素のある民族別学校である場合は、多文化教育のバンクスのアプローチが役に立つだろう。「肯定的な出会い」と、「対立」についての歴史的背景についてそれぞれのものの見方からの学習カリキュラムだ。

そのようなアプローチが相対主義、わたしたちも大切だが、彼らも同様に自分たちと同じように大切にしているものがあることの気づきと発見、そして了解だ。

その上で、人類共通の普遍的な価値観と行動の形成、共通の課題についての理解と問題解決行動があるだろう。それが普遍主義的な正義感の発達だ。

それぞれの価値観は、発達段階というよりは併存的であり、どの時期に、どこに働きかけるのが有効かに違いがあるように思われるものの、人間の存在そのものに含まれる三種の重層性であると思う。地球の進化の歴史をこめた生命としての等しさ、文化という集団への帰属による言語体系の獲得、そして、遺伝子の表現型としての身体性という個性の三層は、わたしたちの存在の基盤なのだ。

それらの集団的、個別的現れをみながら、集団にも個にも教育的に働きかけることができる人材育成。
それが急務だ。

スーザン・ファウンテンがいう「セルフ・エスティーム」「コミュニケーション」「協力」の枠組みを発展させた、「わたし」「あなた」「みんな」についての肯定的な態度姿勢行動と、葛藤・ストレス・対立などの解決、その上での協力の学習もカリキュラムの必須要素である。
by eric-blog | 2008-02-04 09:42 | ■週5プロジェクト07
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