186-1(885)アフリカン・アメリカン文化の誕生 聞書 カリブ海域黒人の生きるための闘い
シドニー・W.ミンツ、岩波書店、2000
インタビュアー&編訳者 藤本和子
74才の著者に対して15日間にわたってインタビューした内容を編集翻訳した、アイデア勝ちの本。カリブ海域の文化はアフリカン・アメリカン文化としか呼びようがないという文化人類学者による大きな絵が描き出される。どのようにヨーロッパ・アフリカ・アメリカの三角貿易が1492年直後の1503年あたりから始まったか。1000万人はくだらないだろうと目されている「奴隷」たちが、アメリカに連行されてきたがゆえに、「アフリカ」という共通項を持つ、あるいは発見する、あるいは通底するにいたる状況。
そこにあったのは、与えられた状況で、言葉を生み出し、文化を共有し、伝承し、自由を獲得するに至る人間の姿だ。
「人間として生きのびてみせたこと、それ自体が抵抗だった。」3
人間の文化は超生物的であり、超個人的である。
生物の進化の枝は交差しないが、文化の枝は交差する。8
アフリカン・アメリカン文化は、人種と言語、文化は分離しており、一つの社会と一つの文化というように対をなすというものでもないことを示したし、それでも人間は文化的存在であることも示した。クレオール語という言葉の共有と、ことわざや物語の共有によって。
奴隷という労働は、能率を重視して労働力を組織する近代的産業労働であったという。76
男女の違いは考慮されず、個人の特性も消された。特別なスキルによって取り立てられるものがごく少数あるだけだ。
著者は
・かぶりもの
・魚つり
・ドラミング
を共通する文化的要素として、ヨーロッパ人によって見逃されたもの、利用されたもの、恐怖されたものの典型にあげる。140
ドラミングは、情報伝達手段になっているのではないかということで、ほとんどの場合は禁止されていたという。
川田順造さんの研究と合わせて、うなづける。
しかし、カリブ海域の文化は、無文字であったのだ。これもおもしろい。