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また あしたから

184-6(876)また あしたから
宮城まり子、日本放送出版協会、1999

一昨日、昼の一時ごろのNHKの番組で、宮城まり子さんが出演していた。6月3日の新日曜美術館で「ねむの木学園」の展覧会のことが取り上げられるということで、その前宣伝も兼ねての企画だったらしい。たまたま家に居て、たまたま仕事の手が空いて、たまたまつけたら放送されていた。  よくある偶然。

79才と13ヵ月になるという彼女の、いまに至るまでの活動を、支えてきたものは、三つの出会いだという。
・脚本家 菊田一夫
・作家 吉行淳之介
・子供達

菊田さんには、子役をよく割り振られ、そのために子どもたちとの接点が多かったと言う。そのような中で脳性麻痺の子ども役をやったことが、彼らの学ぶ権利について考え、行動するきっかけになったのだとという。

恋人であった吉行淳之介さんからは、活動を始めるにあたって、三つの約束をさせられたと言う。
「お金がないと言わないこと」
「ぐちを言わないこと」
「やめないこと」

1965年に静岡県浜岡町に社会福祉法人として始まり、養護施設へ、肢体不自由児養護施設へ、そして療護施設へ、1994年には掛川市に「ねむの木村」の建設。

この本の1958年から始まる年表は1999年までの40年で30ページ以上ある。

宮城さんの功績は
・肢体不自由児の権利のための社会的提言
・学園の建設と他の学園の建設および運営の支援
・芸術活動、感覚活動を指導ツールとして確立したこと(絵画セラピー)
・子供達に経済的自立の道を開いたこと
であるでしょうか。

村ではなく街にしたいのだと、「生きている限り、何かやっちゃうんです。」と、取り組み続けるバイタリティがすごい。

短いフレーズで話す、おおげさな顔の表情が伴う、そのやり方が作為的に聞こえ見え、好きではなかった女優さんだが、80才になっても、同じ話し方をしていて、しかも、息があがっていて、あれは彼女としての自然であったのだなと、納得しました。

小さな分岐点が、大きな変化をつくり出す時代の先駆けであったのですね。
by eric-blog | 2007-05-31 12:27 | ■週5プロジェクト07
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