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Black Like Me 私のように黒い夜

182-1(864) 私のように黒い夜
J.H.グリフィン、ブルース・インターアクションズ、2004
Black Like Me

1959年に白人である著者が、肌を黒く日焼けさせて、黒人になりすまし、2ヶ月近く南部諸州を取材した本。翌年にレポートが雑誌に連載され、1961年に本にまとめられたもの。1976年に書かれたエピローグも含めての再版である。

2004年の再版にあたってスタッズ・ターケルが「はじめに」を寄せている。ターケルは「45年目に読み返してみたが、亡霊を道連れに歩いているような感じだった。・・・黒人対白人という問題は、未だにアメリカの抱える、拭っても拭いきれない強迫観念なのである。」という。

500年の歴史がそれほど簡単に拭い去れるとは思わない。「黒人差別の歴史が人類の恥じなのである」と、認めるところからしか物事への対応は進まない。

しかし、黒人、白人、それぞれに過去が個人にも、そして社会の形やあり方に「幽霊」のようにたち現れる。『人間の測り間違い』が指摘したように、わたしたちは「幽霊」を繰り返し測ることで、幽霊を現実化し、おびえるのである。

グリフィンが、話し方も経歴も、仕事の内容も何も変えず、肌の色を変えただけで、彼という人間の扱いは「黒人」になるのである。そして、「黒人である」ということは、列挙すればこういうことだ。

・トイレを使わせてもらえない。使えるトイレがない。
・水をふるまってもらえない。
・黒人に対する偏見に満ちた会話の餌食にされる。
・経歴にかかわらず、職にありつけない。
・「おい、俺はおまえを追いかけているんだぜ」というような脅しに会う。
・にこやかな対応が消える。
・お金があっても泊れるホテルが限られる。
・公園に入れない。あるいは入れない公園もある?
・白人に対して言われる「足元に気をつけて」程度の声かけも、バスの運転手からあからさまになくなる。
・わざと、希望の停留所で下ろさない。などのハラスメントを受ける。
・警察沙汰になれば、不利な扱いをまっさきに受ける。
・雇用主から「お前は今の状態に満足しているんだろう?優遇してやっているだろう?」と聞かれたら、それに対する答えは、職を失いたくなかったら、「イエス」だ。
・白人のお情けで、存在が許されていることを、思い起こさせられること。
・人種差別主義者からの攻撃にさらされる。

些細なことが積み重なり、気分がめいり、生きのびることだけに多大なエネルギーを必要とし、家族の信頼や安定すら築くことが難しい状況が常に起こる。
真実を告発すると、問題はそれだけに留まらなくなる。一年間に活動家の黒人が6人も殺されるということすらある状態にもかかわらず、また、本人も袋叩きの目にあったにもかかわらず、著者が節を曲げずに、告発し続けた背景には、彼の戦争体験、一度盲目になり、再び視力を回復するという数奇な経験が影響している。

著者は、「健常者」と「障害者」という壁を二度潜り、そして「白人」と「黒人」という壁も何度も潜った稀有な体験の持ち主なのである。視力の回復を「神の啓示」と受け止めて、彼は踏みとどまり続けたのだ。

希望が実現しかけると白人社会の気分に翻弄されて打ち砕かれるという、黒人を痛めつける、過酷な繰り返しに終止符を打つ妙案はないのか? 292

『<識字>の構造』176-4(840)に引用されていたように、同じような暴力は、ナイジェリアでも存在する。あがいていもあがいても、足元をすくわれるような構造的暴力。

『南アフリカ 「虹の国」への歩み』158-4(759)は、南アフリカで「人種隔離政策」が実施されたのが、20世紀になってからなのだと言う。

なぜ、より暴力的な装置へと、わたしたちは滑り込んでいくのだろうか?

異文化混交そのものを暴力だと、受け取る人々、変化に抵抗する人々とはどのような人々であるだろうか?

黒人が白人社会に溶け込むために陥った「個性分裂症(フラグメンテッド・アイデンティティ)fragmented identity」293
白人のように考え、行動し、黒人文化を隠し、否定する。
その黒人は疎外された中途半端な人間になる。
そのことが理解されてから「兄弟」「姉妹」と連帯し誇りに思う「黒」を磨き上げていく文化創造へと、方針変更が行われた。294

「お互いに腹蔵なく話し合うためには、"異質な存在"などというものは、この世界に存在せず、異質な存在と考えていたものは、すべての重要で本質的な点で、"自分自身"であったということを、先ず、頭で理解し、ついで、心の奥深くで理解しなければならないと、私は信じている。
文化という監獄の鍵をあけるには、そうするしかないのだ。人間に対する虐待を正当化することを許している、人種や民族の持つ固定観念という社会に蔓延する害毒を、それが中和してくれるのである。」303

ウィチタ、カンサスからダラスを経て帰国した今回の旅で、もっとも衝撃的だったのは、乗り合わせたタクシー運転手の子ども二人が殺されたということだった。運転手は黒人で女性。殺されとき、娘は30歳1999年、息子は29歳、2003年。それぞれから残された孫二人の面倒を見ているのだという。

日本では、暴力はただただ弱いものへ、より弱い存在へと振り向けられていく。わたしたちの社会の根源的な暴力性はどこにあるのか、わたしたちの「文化の監獄」を自覚することから始めよう。
by eric-blog | 2007-05-15 07:49 | ■週5プロジェクト07
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