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見えない雲

165-2(780)見えない雲
グードルン・パウゼヴァング、小学館、1987

1986年4月のチェルノブイリ原発事故の直後に書かれた、もしもドイツの原発で事故が起こったら、という想定での児童文学。現在、有楽町のビックカメラの7階にあるシネマで上映中の映画の原作。

・ABC警報が鳴り響く学校
・「地下室に退避」と指示する行政に対し、逃げ出す人々
・両親不在の姉弟の自転車での避難行
・弟の事故死
・たった独り生き延びた姉の発病
・避難先でのヒバクシャ差別
・被爆しなかった叔母の、日常をくずしたがらない姿勢、原発問題への無関心の継続

などの要素は、原作と映画に共通だ。

主人公のほのかな恋愛感情、恋人の発病などが映画をより若者向けにしているのに対し、原作では叔母の立ち場と主人公の対立がより鮮明だ。

被爆しなかった人々と被爆者の対立の軸でもある。彼らは「ヒバクシャ」を見たくないのだ。つまりは「問題」を。

叔母が、ずっと隠し続けた事実。主人公の家族全員が、死んでしまっていることを、国外の旅行から帰ってきた祖父母に、主人公が、脱毛した頭を隠している帽子を取りながら、伝え始める場面で原作は終わる。

あなたたちはこの事実に向き合うことができるのか

わたしたちの社会は、あたかもこの老夫婦だ。思考停止し、現実を見つめる気力もなく、過去の栄光にすがり、都合のいいことしか聞こえない。

高齢化社会は、社会そのものが「認知症」的傾向を示していく社会でもあるのだな。

孫たちの声は、祖父母に届くのか。孫たちの不安を、彼らはどう受け止めるのか。これまでの「無作為」の責任を問う声に、どう応えるのか。

孫たちの未来に対する行動を、批判し、冷ややかに扱うくせに。これはいったいなんなのだ? 見えない雲は、どこにあるのだ?

原作は、見えない雲はわたしたちの心にあることをあざやかに描き出している。
by eric-blog | 2007-01-14 12:32 | ■週5プロジェクト06
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