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児童養護施設と被虐待児 施設内心理療法家からの提言

158-2(752)児童養護施設と被虐待児 施設内心理療法家からの提言
森田喜治、創元社、2006

大阪の児童養護施設の心理職員として20年、そしてアドバイザーとして7年関わり続けてきた著者が、まとめたもの。同年代の実践者として、さぞかし、試行錯誤も多かったことと思う。最初の頃に関わった子どもたちが、いまや30代。共に酒を酌み交わす機会に恵まれて、彼らが平均的な家庭を築いていることに、エールを送る著者。その気持ちがよくわかる本である。

序文を寄せているのは著者の指導教官であった東山紘久さん。本文からの表現をたくさん引用しつつ、著者の洞察と問題提起を紹介している。なるほど、こんな引用の方法があったかと思ったので、ちょっと、まねてみますね。

人間が人と関わるときに大切なことは、自分自身をオープンにできることである。・・・心を閉ざし、過剰適応している子どもに、職員の方がオープンに接していくためには、職員自身の人格が成熟している必要がある。・・・オープンさは施設で働く心理療法家にまず求められるだろう。(iv)

うーーーん、なぜ臨床心理学や心理療法をやったら人格が成熟し、オープンな人になれるのか、はなはだ疑問だが、しかし、東山さんのおっしゃりたいことはよくわかる。

以下は本文より。

この世に生を受け、両親の愛情のもとで子どもたちは、成長を期待され、その期待に護られながら人格の成長を遂げていく。・・・しかし、これらの環境がすべての子どもたちに適切に保障されているわけではない。・・・家庭は社会の様々な荒波の影響を受け、守る力のない家庭は崩壊の危機に立たされる。それは必ずしも親の責任によるものだけではない。(3)
児童養護使節は、児童福祉法にのっとり、家庭崩壊ゆえ、家庭での生活ができなくなった子どもに対して、家庭に代わって最低限の成長、発達の保障を行い、また、精神的安定を目的として療育を行うことがその役割となっている。・・・被虐待児童が増加するにつれて、・・・施設の小規模化、心理職の導入、被虐待児対応職員の配置など、そのシステムは被虐待児童を対象として改革が行われてきた。・・・本来の施設の子どもたちのためのシステムにはあまり目を向けられていない。心理的ケアは、過去に虐待の歴史が記載されている子どもには必要とされ、記載がなければその必要性を唱えられることはない。(5)
たとえ子どもが問題を起こしていたとしても、被虐待児でなければ、心理療法の必要性は唱えられず、・・・虐待の記述のない子どもたちであっても、心理療法を必要とする子どもたちは多い。過去の出来事、不安定な家族からの影響、施設の集団生活といった三重の傷を負っている。・・・施設で生活する子どもたちすべてに平等にその機会が与えられるべき。(6)
安心していられる環境とは、肯定的な自己像のみを受け入れてくれる環境なのではなく、それら肯定否定もまるがかえしてもらえる環境であり、子どもはその中で安心していられる。(29)
周囲の大人たちにとっては、否定的な行動としてうつるため、さらに否定的なかかわりを受け、それが否定的な自己イメージを深めることになり、ここに悪循環の輪が生じる。彼らは、自己統制できないまま行動し、その行動が周囲には受け入れられることはなく、否定的な像がその子どもにあたえられることになり、子どもはとらに周囲から否定される体験を深め、ますます衝動的な行動を出現させることになる。・・・乱暴な子どもと接する際には彼らの攻撃的でない行動のなかから、肯定面を汲み取り、否定的行動の意味を理解し、どのようにアプローチするかを考え、日常の生活の中で、彼らを受け入れていくように配慮する必要がある。(36)

ポイントは存在の肯定なのだね。

好かれるために肯定的な面を見せる→否定的な面も受け入れを要求する→安心・安定。
というサイクルにたいていはなるのだけれど、否定的な側面を出したときに、悪循環に入ってしまう場合があるということか。(65)

著者は、子どもたちのケアにあたることは、多大な心のエネルギーを要することであるにもかかわらず、近年、職員の人間関係の希薄さが、職員の心の病を生み出す一つの原因になっていると警鐘を鳴らす。
児童養護施設の子どもたちのケアにあたっては、職員同士の人間関係、助け合いを必要とするが、それがなされないと、その職員は自己嫌悪と責任感の中で挫折してしまう。(71)

職員の役割についての次の一文も、教育一般にも共通する点だとわたしは思う。

他者に対する愛情深いかかわりの体験、さらに、その生活体験の中で、日常の対人関係や、生活の中での社会的規範にのっとった規制を身につけ、適応的な社会性を身につけさせる役割を持つ。しかし、その社会性も日常の人と人との関係の中で自然に成立する規範であった、その文化の中で生活する以上身につけなければならず、しからも、それは、人間対人間の信頼関係の中で生きることを希望し、求められるからこそ得られるものであることを職員は認識する必要がある。ソーシャルスキルは子どもを抑圧するための規範ではなく、子どもが他者とともに秩序を維持するために必要最低限の基準である。それらは、子どもが他者との肯定的関係を結ぼうとしたとき、おのずと必要とされるものであるため、ソーシャルスキルの根本には子どもに、人に対する肯定的感情や信頼関係が培われている必要がある。(68)

まったく、今回の研修で確認したことそのものだね。
さらに、著者の目は、親からの虐待と虐待を取り巻く社会にも向いていく。生活文化のくり返し、虐待の再生産、病理を原因とする虐待という三つの虐待パターンを紹介する中で、著者は、生活文化としての虐待について以下のように述べる。

子どもをなぐるという「家庭の文化」で成長してきた親たちが、新たな方法で、子どもを養育していくことが果たして可能なのであろうか。・・・近隣の目は、虐待をしているという評価をすることになり、次第に、かつての文化の中で生きてきた家族は、・・・閉鎖的、孤立的な世界に入り込んでいく。(96)・・・お互いに監視しあう中には、実は虐待のスタイルが潜在して、近隣がその家族を虐待することになる。虐待している近隣は、逆に正義として報告されることで、自己満足に陥り、いわば、正義の虐待が行われていることになる。・・・親たちのレッテル貼りに終わらず、親の話しを聞きながら、より望ましい子どもへのかかわり方を考えていくことと、旧来の子育て法に頼るのではなく、現代的な方法の教示も必要になろう。そのためには、子育ての方法についての教育の必要性もさることながら、親たちの信頼してきた支配的な文化を否定するのではなく、親のもつ肯定的な子育てのスタイルを共に調整していく必要がある。(97)

否定的、監視的、管理的な教育文化を持っている人々に対しても、同様の努力が必要なのだろうなあ。

職員に要求されるもの-----------153-154
・自分自身の心の世界に開かれ、しかも、その開かれた世界で子どもと触れ、子どもを理解する。
・子どもをケアするというのは、担当の職員やその他の直接間接職員で作り上げる器の中で子どもたちを抱えることに等しい。

社会的なルールに縛られた中での、個人的な生活をする場。そこにあるさまざまな難しさをていねいに掘り下げている。

その上で、子どもが安心できる環境とは
・養育者が頻繁に変わらない
・生活環境の価値観が一定である
・他者の侵入の少ない環境
・子どものある程度の自由が保障されている

職員側が肯定的な人間関係を体験させたとしても、それに傾倒し、それを内的モデルとしていくことは同時に、その親を手放さなければならないということになる。(254)
彼らは望ましい人間関係のモデルを持たないまま、新たなスタイルの人間関係を学習しなおさなければならないことになる。・・・彼らのこと否定的なスタイルをも受け入れられる体験を深めることは、彼らとの情緒的、肯定的人間関係を結ぶベースとなる。こうして初めて、子どもは人に対して興味を示し、自分から関係を持つことを求めるようになる。(258)

児童養護施設そのものが、子どもたちにとってストレスフルな場であり、また心に傷をもたらす可能性のある体験であることを考慮するなら、被虐待の子どもを対象とするだけでなく、児童養護施設に入所せねばならなくなった子どもたち全体のことを考慮してのアプローチを模索する必要があろう。(278)

その中にあって、子どもの心理療法、職員の精神的ケア、コンサルテーションという役割(75)を果たす心理担当職員の役割はどうあるべきか、著者は人間ひとりひとりにあるコンプレックスやパーソナリティにつながるものを大切にしながら、お互いの肯定的な関係を結んでいく努力を、大人どうしも含め、結んでいけることを求めているように思う。

教育の基本にも、それが求められるように思うのだが。
by eric-blog | 2006-11-22 12:07 | ■週5プロジェクト06
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