教育という文化

153-1(731) 教育という文化
J.S. ブルーナー、岩波書店、20043570

岡本夏木さんの著書を調べていたらひっかかってきた本。帯に「来るべき教育を支える理論を求めて」とあるが、結論は「相互学習文化」としての教育である。
これまで、参加型学習とは「相互からの学びあい」だと言ってきた、まさしくそのことを、ブルーナーも言っている。それも、たくさんの分野にわたる知識と経験、出会いと、そして洞察を通してだ。

惜しむらくは、ブルーナーが「誰も知らない男」にはなりそうにないこと、かな。

そうなるためには、大学という教員養成機関が、あまりにも細分化されすぎていて、さらに「研究と教育」という組織マントラに縛られて「研究を教育する」ことすらできないでいる。

教育科学は、いま、教育改革の力になるのだろうか。

それとも、この著作も、数ある論考のひとつに留まるのだろうか。だとすればそれはなぜか?

あるいは西洋諸国は、より質の高い教育を目指して論理的に進み、日本は取り残されていくのか。そして、それはなぜか?

「先日のシンポジウムでも、米国の環境教育は、全体で質をよくしていこうと取り組ん
で動いていて、それはP-WILDも例外ではなく、昨日のワークショップでもCappyさんが
用意していたレジュメには、その要素が取り入れられていました。日本側がそのこと
を殆ど注目せずに進められたのが、残念でした。」(Project WILDワークショップ参加報告より)

いままさに、日本の教育は明治維新の「和魂洋才」の嵐の中にいる。そして、たぶん、アラブ世界も、中国もインドも、だ。明らかに西洋がマイノリティ化していく現実の中で、この嵐は、わたしたちをどこへ吹き寄せていくのだろうか。

ブルーナーが、教育を考えるための「知の挑戦」で辿った筋道は以下のようなものだ。

心の働きについて、二つの立ち場が現れてきている。1
・コンピューターに学習させるようなプログラムの開発を進める計算論的立ち場
・個人という有機体を超える文化主義

計算主義的立ち場から得られるものは認めつつ、ブルーナーは文化主義の立ち場から、「心」と「文化」の問題に話しを進めていく。

その際の原則として、16
1 見通しの原則
2 制約の原則
3 構成主義の原則
4 相互交渉の原則
5 外在化の原則
6 道具主義

学校の主要教科というのは、文化的に見ると、学校そのものである。36
7 制度の原則
8 アイデンティティと自尊心の原則
9 物語の原則

56
権威に依存しているあらゆるシステムにあっては、これらの要素のすべては最近の制度化された権威について、冒頭で論じた危険をもたらすようである。それらはまさに危機にあるのである。教育は本来危機をはらむものである。というらも教育は可能性のセンスに油を注ぐからである。しかし、子どもの心に、文化的世界の中での理解や感情や行為のスキルを備えつけるのに失敗することとは、単に教育学的に零点をとることではないのである。それは疎外と反抗と実践的無能力を生む危機をもたらす。それてこれらはすべて文化の成長を損なうこととなる。
(教育は)文化をその構成員の要求に適合させるとともに、構成員や彼らの認識の在り方を文化の側の要請に適合させるという、一つの複合した遂行作業なのである。

と、ここまでを、著者は教育を広い文脈で位置付けるための論考とし、次に最新の認知科学などからの知見の整理に進んでいる。

・子どもは大人と同様に、世界についてのみならず、自分自身の心と、それがどう働くかについて、一貫性のある「諸理論」を多かれ、すくなかれ持っていると考えられる。76

教育についての相互主義の立ち場。「知識とは、談話の中で分かち合えるもの」
子ども中心的でもなく、保護的でもない。

4つの研究の流れが相互主義的立ち場を補強している。77

・間主観性 心の交流
・子どものもつ心の理論「真で正しい」「偽で誤り」対分類への志向
・メタ認知の研究  「についての考え」
・協働学習と問題解決

教授-学習についての4つの見解の二次元軸

内面論者-外在論者
間主観主義者-客観主義者

近代の教育学がますます強めている方向は、子どもが自分自身の思考のプロセスに気づくべきであり、そして子どもがよりメタ認知が可能になるように援助すること、・・・
スキルを達成し知識を累積することだけでは十分ではない。86

子どもに良き心の理論を身につけさせることは、子どもたちの十分な熟達を援助することの一部である。87

必要とされるのは、これら四つの見方が、融合して調和のとれたある統一体を形成し、それぞれが、一つの共通の大陸の各一部として認識されることである。87

スキルや事実は、文脈の中でこそ重要である。87

次に、教育の目的の複綜性。三つの二律背反。89

・個人の潜在能力の最大限の発揮 vs 文化の再生産
・学習者の内なる活動 vs 外在する文化装置の獲得
・「個別の場にかかわる知識」の正当性 vs 権威的な普遍主義の追求


「個人の実現」対「文化保存」
「才能中心」対「道具中心」
「個別主義」対「普遍主義」93

教育という、他のどの動物にもないものを追求することこそが、人間探求の道としておもしろい。と言えることだけは確実だ。
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by eric-blog | 2006-10-17 10:54 | ■週5プロジェクト06 | Comments(0)
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