147-7(706)あなたに不利な証拠として
ローリー・リン・ドモンド、早川書房、2006
Anything You Say Can and Will Be Used Against You, 2005
いつもながら早川書房の翻訳は速い!
今年、二月の翻訳出版であるが、どこで書評を見たのか、これもすっかり忘れているし、なんと、図書館に予約を入れたのは4月頃のこと。ずいぶんと、予約の件数が多かったのだな。
警察官として活躍する女性たち5人のストーリーが、それぞれに自分自身の警察という「男社会」での生きにくさと、被害者女性たちの生きにくさとの中でからみあい、最後には、殺害現場に戻ってきた加害男性を誤って殺してしまうという事件に。
それぞれは、同僚の中からボーイフレンドを選び、結婚もし、成績もあげ、男性同僚たちから尊重される存在である。
しかし、この本は、そんな中でも、彼女たちが深いところで男の暴力に、暴力的な男社会に傷つけられていく様子を、じんわりと描き出す。
殺人およびレイプ未遂事件の被害者が、自作自演と刑事によって決めつけられ、6年後に再捜査を願い出てくる、その検証役に、「女性職員があたること」が希望として出される。
次々と絶えることなく起こる女性に対する暴力事件。それらが「事件」の軽重によって扱われることで、一人ひとりの女性たちの生が軽んじられていくことへの感覚の麻痺。
自分自身も母親に対する父親の家庭内暴力の被害を目撃してきたにも関わらず、その父親は、とても優秀な警察官僚であること、自分自身の上司としても。
警官という仕事は、決して女性に対する暴力を減らしはしない。
常に、銃を携行し、身構えざるをえない職。
被害者の魂により添いつつ、黙想する集まりを、すでに数度、この5人たちは開いてきている。なるべく、現場の近くで。
その時、現場に戻っていた加害者たちと鉢合わせをするという事故が起こる。一人を誤って殺してしまった仲間をかばおうとする彼女たち。
残りの一人に、被害者の隣人が私的制裁を加える。彼女も、夫に裏切られてきたと感じてる女だ。
ルイジアナ州からニューメキシコ州まで逃亡し、メヒカーナたちの中に身を置くサラに、癒しと新たな出発のきざしを見い出しつつ、お話は終わる。
文化が変わらなければならないのだ、と主張しているようでもある。しかし、どのように? どのようにアメリカのガン文化は、変わっていくことが可能なのだろうか。
そこまでの展望は、明確にはないんだけれどね。
原題は黙秘権の説明の続きに言われる常套句から来ている。
女性に対する暴力について、黙秘は、解決にはつながらない。