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都市のアボリジニ 抑圧と伝統のはざまで

143-2(685) 都市のアボリジニ 抑圧と伝統のはざまで
鈴木清史、明石書店、1995年

1901年、オーストラリア独立、アボリジニに対しては、白人への同化を求める居留地制度と、大保護区で住む純血アボリジニの保護という二本立ての政策が取られていく。
1951年、居留地の廃止と同化政策の継続
1967年、国民投票、アボリジニも国民として認められる
1972年、アボリジニ大使館、テントを議事堂前に創設
オーストラリア、多文化主義へ。アボリジニを民族的多様性のひとつとして尊重。支援策を。

そして、政策に呼応して、アボリジニにも次のようなパターンが見られる。126
・アボリジニであることを受容、白人化の努力をする
・アボリジニを受容、主張。権利の要求、享受
・権利は享受するが、ことさらに主張はしない。
・アボリジニであることを学校などで学ぶ世代

アボリジニの文化を伝承しておらず、学校で学んで始めて歴史を知る。たぶん「都市の○○」には少数民族の名前のどれが入っても同じことが起こるのだろうか。

差別は、自民族に対する誇りを奪い、否定的な見方を強要する。そのために「自分が自分を差別する」二重拘束状態に陥る。

アボリジナリティは
・出自
・歴史的経験  被差別の歴史
・宗教および精神
・社会的帰属
・文化
・言語
などで決定されると言われる。144
しかし、都市部の混住、混交が進んだアボリジニたちは、すでに肌色すら白人と変わらない人々も存在する。また文化的にも人間関係的にもアボリジナリティは薄れざるを得ない。にもかかわらず、著者は、これらの特徴を、都市のアボリジニも同意していることを指摘している。
「かれらは、辺境のアボリジニが表出している文化的・社会的性格がアボリジナリティの理想的な客観的指標と考えているのである。」147

1980年代の文化多元主義政策によって、アボリジニ文化は国民的遺産と位置付けられるようになった。大学や社会教育にも学習機会は広がっている。「文化」をフォーマル教育の中で学ぶというのはどのようなことなのか、改めて考えさせられる問題を、孕んでいる。
by eric-blog | 2006-08-10 09:07 | ■週5プロジェクト06
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