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遺産相続者たち 学生と文化

135-1(649) 遺産相続者たち 学生と文化
ピエール・ブルデュー、藤原書店、1997
Les Heritiers, 1964

継承語を使うか、遺産語を使うか、あるいは相続語がいいかを検討すべく、「遺産」というキーワードで検索したら、『ホモ・アカデミクス』の著者であるブルデューの1964年の出版物が引っかかってきた!!!!

大学という場において、文化の継承者としての学生たちはどのように、どんな文化を継承するのかを検討したこの本で、すでに男女の違い、経済的な不平等、家庭環境などの要因が検討されている。

労働者階級出身の大学生は6%に過ぎないこと。高等教育において最も比率の高い社会的カテゴリーは、同時に就労人口において最も比率の低いカテゴリーでもある。11
教育システムは恵まれていない層にいっそう強く排除の作用を及ぼしている。12
家庭外の人間関係は、...社会的ヒエラルキーの上にいくほど広がる。最も恵まれていない階級にとっては主観的な高等教育期待度は縮小する。14
女子に関する教育上の不利益は、...学科の選択制限を受けているという事実...14
女子学生の選択の幅は、所属する社会集団が恵まれていない階層であればあるほど限定とれてくる。15
選択制限は、特権的な諸階級よりも下層に、男子より女子に強く課せられる。15

大学生たちは、全員が15年から20年間にわたって<学校>の均質化作用を受けてきたはずだし、彼らのうち恵まれてない者は、もっぱら自分の優れた適応能力や好ましい家庭環境のおかげで排除を免れてきたはずなのだが、(高等教育の段階においてもなお出身階層にはっきり結びついた姿勢や能力の違いは依然として見られる)22
学生たちを差異化するあらゆる要因の中で、出身階層はおそらく学生界にたいして最も強く作用する要因である。22

居住条件、日常生活のタイプ、収入と支出の配分、経験の質や、収入の獲得様式に結びついた価値観、収入源に応じて変化する依存感情の強さと様態、これらはすべて出身階層によって直接的に、かつ強く規定されている 24-25

「学生文化」という均質性を、同じように経験しているとか、集団的に経験しているということはできない。26

学業成績は学校教育に特有の概念言語を操る能力に密接に関わっており、...定義からして家庭環境のなせるわざである早期からの方向付けにどれほど左右されているか...つまり出身家庭から受け継いだもろもろの文化的慣習や性向の直接的な作用は、学校での最初の方向付けの増幅作用によって倍加され、その方向付けがさらに、結果として生じた決定条件の作用を誘発する。...社会的不平等を無視するような顔をしながら...学校的な論理のうちに表現されてくるだけに...正統的なものとして認定する価値判定というか立つで、ますます有効性を発揮する。27

排除されずに生き残ってきた下層階級出身の学生にとって、当初の不利益はさらに拡大しており、彼らの社会的な過去は、不十分な情報に基づくことが多い早期の方向付けや、強制された選択、留年といった中継メカニズムの作用によって、学校教育上の負債へと転換されている。28

最も恵まれた学生たちが流行の思想に惹きつけられる...こうした知的メカニズムが形成されるためには、自由で無償の選択ができるような経済的・社会的条件が、--それもきわめて長期にわたって--与えられることが必要なのではあるまいか? 30

すべての教育は...教養ある階級の世襲財産を構成する一群の知識、ノウハウ、そして特に表現法を、暗黙のうちに前提としている。39
普遍性という価値観で覆われているがゆえに万人が参加しなければならない、あの特権者たちのゲームにおける根本的な不平等が結果として生じるのではあるまいか?

教師用言説の学習として
直接経験よりも、学問的省察として
伝統的教育の非現実性を感じる度合いの違いを隠蔽しつつ
階級的な経験は、学問の世界に影響を与え続ける。

学校的な基準に照らして測定される能力は...ある階級のさまざまな文化的慣習と教育制度の側の要求事項との、もしくは教育制度における成功を規定する基準との、親和性の大きさによって決まる。40
ある階級にとっては学校文化の獲得とは異文化の受容なのである。40
当事者が学校での学習作業を自己の放棄とか否認として経験することがめったにないのは、彼らが習得しなければならない知識が社会全体によって高く評価されているからであり、これらの知識の習得がエリートへの到達を象徴しているからである。40-41
学校文化を身につける容易さと獲得しようとする傾向を区別しなければならない。41

パリの学生が...知的世界の多様性のうちに教授特有の威信を相対化する手立てを見出すのに大して、地方の学生は<大学>と大学教師に従わされている 89

勉強することは、創造することではなく、自分を創ることである。...生産することではなく、何かを生産できるものとして自分を生産することなのである。100

学生は未来に対して矛盾した関係をもっているので、未来を支配することを可能にする合理的手段への公然たる軽蔑と、未来の脅威を追い払うことを可能にする技術的魔術的方法やこつへのひそかな支持を、同時にあわせもつことができる。118

教育の真の民主化が行われるには、...第一に、こうした技術や習慣が、最も恵まれていない人々でもそれを獲得できるような場所で、つまり<学校>で教えられること。第二に、個人の才能という社会的特権の論理にゆだねられているものを犠牲にしても、体系的な学習作業によって合理的かつ技術的に獲得できるものの領域を拡大すること。そして第三に、カリスマ的伝統的なうまれつきの才能を、体系的な学習作業という形に作り変えること。134
心理学以外の基盤をもたないために社会的差異を無視し、かつ無視したいと望んでいるシステムに事実上奉仕している、現在知られているような教育学と、混同されるべきではない。
真の合理的な教育は、社会的に条件付けられた文化的不平等について得られるはずの知識と、その不平等を縮小しようとする決意に従うのである。135

真に民主的な教育というものが、可能な限り多数の個人に、可能な限り少ない時間で、可能な限り十全かつ完璧に、ある時点における学校文化を構成する種々の能力を可能な限り多く獲得させることを目的とすることが認められるならば、それはエリート教育にも、テクノクラート教育にもともに対立するものであることがわかる。138
文化的不平等の社会学の上に成り立った教育学が存在するならば、それはおそらく<学校>を前にした不平等を縮小することに寄与することだろう。139

おもしろい考察がたくさんあるのだが、問題提起にとどまっているのは1960年代の限界か。具体的なハウが、その後の時代に積み重ねられたと信じたいが。
by eric-blog | 2006-06-06 08:26 | ■週5プロジェクト06
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