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科学・技術・社会をみる眼

120-4(565)科学・技術・社会をみる眼 相互作用解明への知的冒険
M.ギボンズ、P.ガメット編、現代書館、1987
Science, Technology and Society Today, 1984

ベルクを読みながら、これも読んでみようと思ったのが、ギボンズ。Science Technology And Society=STSというのは、「すべての人々に教育を」と20世紀が決意するに至った契機の一つでもあるので、しっかり抑えておきたい視点でもあります。

ということで、少々古い。古いせいなかの、公共図書館の蔵書であるにもかかわらず、書き込みが多い。本が返却された時にチェックするようにして欲しいなあ。この書き込みは最悪。ボールペンだよ。ぶーぶー

http://stsnj.org/nj/index2.html
http://www.cs.kyoto-wu.ac.jp/jssts/

など、日本でも科学技術社会系の学会、研究会などがあります。およそ1990年代後半2000年あたりに設立されているようだ。

もともとの考え方は1970年代アメリカあたりだったとうろ覚え。が、インターネット上位にヒットするのはドイツ語のホームページ。また今度調べよう。

問題提起の背景にはいくつかの要因がある。
・科学の発展が技術につながっている 例えば、炭素ナノチューブが医療に取り入れられるとか(なんでよりによってこんな例を思いつくんだ?)
・そのために科学技術が社会に影響を与える。
・科学技術振興というのは大学、財団、研究所、民間などの巨大近代産業である。
・科学振興に政府が巨大な投資をしている 例えば、日本政府は科学技術振興関連予算として2-3兆円出している(これはプロジェクト経費であって、システム経費は勘案されていません)
・特に政府が投資している核、宇宙、バイオ、ゲノム、ナノなどは巨大科学技術である。振興予算がそのまま科学の行く末を決定する。
・巨大科学の行く末を民主的に決定することが望ましい。
・予算の配分として「持続可能な開発」ということを優先するならば、巨大科学より地域科学なのではないか、というような優先順位もあるのではないか。

というようなストーリーが、わたしの頭の中にあるのです。
映画で言えば、フランケンシュタイン、モロー博士みたいに、個人のマッドサイエンティストが、自分の興味関心の赴くままに研究する、そんなイメージであったものが、現代のマッドサイエンスというのは、一度下してしまった方向を修正できないまま、突っ走らざるをえないシステムの問題なのです。原発推進も構造的なものですし、南氷洋の調査捕鯨も構造的なものとして捉える必要があるでしょう。日本は、構造を修正しにくい特徴がある。
そんなことをSTS学会が読み解いたり、提言したりできるのだろうか。できているのだろうか。興味関心は尽きなく、そのためにちょっと近づいてみたりするのですが、ジェンダラスさに吐き気を催して、二度と近づけなくわたしがいるのです。雪解けは遠い。

80年代の問題意識に、スナオに立ち返ってみましょう。

監訳者前書きで里深文彦さんが、特に日本の状況に鑑みた問題意識をまとめておられる。
1. これまでの追いつけ追い越せ主義からは発展途上国の視点が抜けていなかったか
2. 国家戦略、企業戦略の側からの科学技術振興でなかったか

侵略的でない科学技術がありえるのか、と彼は自問する。また、科学技術立国日本において、科学技術楽観主義が大学や研究教育機関を染め上げているとも指摘する。24
1960年代後半から70年代にかけて科学批判はあったが、科学教育についての議論がなかったとも。205
イギリスの教育-運動-制度の変換が日本にはみられない、と。207

産業公害のグローバル化、経済と科学技術が直結する中での発展途上国の立ち遅れ。

この本自体は、科学が複雑な状況で営まれていることについて学んだ人々を社会に送り出していく、そのための手段として試みられている。そこから、中等教育、高等教育における科学教育のあり方への影響も期待されていると。

本書は、4つのテーマから構成されている。
・科学的知識の性質と起源。人間の科学的好奇心や研究がどのように始まったか。
・科学と政治的権威
・科学と技術の経済的影響
・科学と技術のコントロール

第一の柱の立て方が、いかにも、初期のSTS議論、つまりそもそもの科学の始まりから説き起こすというのが、原初感がありますね。その他の論文もちょっとたいくつ。いまなら、別の、もっと最近の事例をあげて議論をするところかな。

出版社のホームページの紹介によると
「80年代初頭からの日本科学立国路線は、世界の人々の目には「驚異」というよりは「脅威」の対象になっている。日本の科学技術を、民衆の立場から、また科学技術相互の関係から捉え直しが必要な時だ。先端技術を交え相互の関係を論じる好読み物。 」

監訳者の里深さんに加え、古沢こうゆうさん、戸田清さん、池田真理さん、などの名前が並ぶ訳者陣です。なるほど。

これらの人々がエスタブリッシュメント側になる年齢に達する頃に、日本に何らかの変化が現れるのでしょうか。
吐き気のために現実に出かけていけない人にも、変革は難しいけれど、ジェンダラスな空気そのものに鈍感な人々にも、根源的な変革はできないのだろうなあ。自分が生き残るだけで終わんじゃないかな。

さて、突破口、変革の梃子はどこに?
by eric-blog | 2006-02-03 10:18 | ■週5プロジェクト05
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