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現代日本女性史 フェミニズムを軸として

108-2(502) 現代日本女性史 フェミニズムを軸として
鹿野政直、有斐閣、2004

現代史、つまり「戦後」の復興期以降の高度成長産業社会化時代の女性たちの動きと時代の変化をフェミニストたちの言説や議論、活動を中心に追ったもの。
・主婦論争
・ウーマンリブ
・性を取り戻す
・家庭科共修
・結婚の相対化
・暴力の告発
・歴史を展望する

そんなテーマが、この本を通して見えてくる。表紙の写真に1973年の式根島でのリブ合宿でのからだのワーク。これは田中美津さんか、と思う人も写っている。「おんな」が「おんな」であるというだけで集まり、そしてパワーを爆発させることができた。あんなことは、ないだろうなー、いま。何からの解放であったのか、大声を出すことだけでワークになった。ジョアンナ・メイシー(彼女が来れなくて、別の人だったのだが、名前を度忘れした)のワークでも、「大声を出す」というのがあったけれど、意味が違ったよなー、解放ではなく、気持ちのほぐし、みたいな。

「フェミニズムの空白」は今回のレッスンバンクで未熟なままで出したのだけれど、解放と過去の否定の次に、「働くこと」「子育て」「介護」など、人間の生活の諸局面がどんどん積み重なって、シングル単位社会の構築へと、社会制度がスムーズに移行しないまま、何を求めるのかが見えなくなっているように思う。ゼロから社会を創るのは大変なことで、だから多少はこれまでの構造に乗っかってちまちま改造するのはやむをえないと割り切っても、そうするとどこがどうどちらにどれほど有利になるのやら、見えないねっと。
皇室典範を改正して、女帝もあり、とするのであれば、女系の家計も抱え込んで、皇室費はいま以上になってしまうのではないか。女帝の誕生は、女性解放とはなんの関係もない。いまの、そしてこれからの皇室の行く末に、解放された女性の象徴が見えるとは到底思えないのは当たり前ではないだろうか。ほとんどの人が無関心、あおるだけの週刊誌ネタ、だよね。そんなことも、まともに議論できない中、憲法についても議論しようとしているのか、この邦は。

560名にのぼる人名索引は、やはり8,2の割合で女性。

そうそうたるメンバーの、大量な言説とときには議論を跡付けて、最後に鹿野は指摘する。「貧しさ」への視野の減衰、そして母子世帯、寡婦世帯の自活力をどうみるかを含め、近年のフェミニズムに「生活感」が希薄化しつつあること、そして国家意識が台頭しつつある今日の状況。
阿木津英、安藤佐貴子、阿部静枝などの、短歌についての言及が最後にあるのが、鹿野の「小文字の歴史」からの立脚点を象徴しているように思われた。

女性に対する暴力は、社会が女性を弱者化し、そして文化に女性差別があるときに、現れるものである。「暴力というのは、その人の可能性の発揮を妨げるもの」構造的であれ、直接的であれ。そして、性的な暴力は、性を目的としたものではなく、女性差別の現われなのである。
慰安婦問題に関連づけての女性に対する対象化構造の分析がどこからの引用なのかわからないが、ずば抜けて、簡素なので紹介しておきます。
191-192
「慰安婦」の幻想、男性を慰安する女性=娼、擬似的夫婦の連想=妻、甘える男性を包み込む=母。娼・妻・母の三重性を帯びて対象化する
そして、兵士たちの観念としては
「占領被占領」「武装非武装」「日本人非日本人」「男性女性」「買う側買われる側」という5重の優越性と恣意性。

なるほどね。

優越性、力、力の濫用。対象化されない自分を生きること。これにつきるのだ。そしてそれは、マザーテレサが言ったように、「組織」ではできない」愛の実践という指摘ともつながるね。あるいは「目覚めた人」にも。
by eric-blog | 2005-11-08 09:54 | ■週5プロジェクト05
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