わが心の安重根 千葉十七・合掌の生涯

わが心の安重根 千葉十七・合掌の生涯

斎藤泰彦、五月書房、1994

2781冊目


明治17年生まれで名前が十七。


明治42年、24歳の憲兵隊であった彼は、10歳年上の安を護送し、看守となった。


「国の平和とは、貧しくとも人々が独立して生きていけること」


安が教えてくれたことだ。千葉は日本が朝鮮を踏みにじるようなことをしていることに、悔悟の念を抱くようになった。「他国の領土を一寸だりとも侵してはならない」19


安が述べた伊藤公殺害の15か条の理由。

江華条約で韓国への進出を図った日本は、む「土地調査事業」に取り組み、「腰にビストルと手に望遠鏡を携えて」土地収奪を貪っていた。27


ちょうど千葉が小学校に入学する前年、明治23年、教育勅語が発布され、千葉はそれを覚えていた。62


東北の農家の次男として、千葉は「花の軍人コース」に進んだのだ。


しかし、1921年、36歳で大陸から帰ってから50歳でなくなるまで、ずっと冥福を祈り続けた。


安が千葉に揮毫した遺墨は、1979年、韓国に変換された。1981年、千葉の菩提寺に記念碑建立。


記念碑は311を超えて、無事である。

http://japanese.donga.com/List/3/all/27/412820/1


宮城県は国道に案内板も出しており、国会で問題にされた。

http://toyouke.ldblog.jp/archives/32380371.html



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by eric-blog | 2017-05-08 17:55 | □週5プロジェクト17 | Comments(0)
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