ポーラ ドアを開けた女

ポーラ ドアを開けた女

ロディ・ドイル、キネマ旬報社、1998

The Woman Who Walked Into Doors, 1996

2775冊目


アイルランド人の男性作者が描くBattered woman、家庭内暴力の被害者の心理。


前半は、子ども時代の記憶と、いまのシングルマザーとしての生活、清掃婦として家族を支え、そして懸命にアルコール依存症と戦おうとする姿が交互に描かれる。


幸福の記憶。


それは、後半で出てくる17年間の暴力の記憶と対置するとあまりにも鮮明だ。その対比が秀逸なのだ。


一方で、暴力の予兆も。どこか、父親から長女に対する暴力的支配も、匂わされる、子ども時代の記憶の姉妹の間での食い違い。


そして、もたらされる夫の死の知らせ。一年前に追い出してから初めて聞いた消息が警察官からもたらされた犯人としての射殺死。その犯罪すら、自分の責任なのではないかと、被害者宅近辺をさまよい、安寧な日常の痕跡を探る。


プリズン・ブック・クラブの課題本の一つ。


夫からの暴力に17年間晒されてきた身体の傷跡の描写も生々しい。しかし、実写などと異なって「消費される」感じはしない。わたしの想像力が乏しいだけ?

代わりに、精神の痛々しさと追い詰められた気持ち、そして混乱は胸に迫る。その感覚を「対象」として「消費する」ことは難しい。共感できるかどうかは、また別問題として。


そこに「絵柄」としての「13歳から胸が豊満だった女」の記号が常駐することはできないからだ。できない。文字を、言葉を、言葉を発する理性を突きつけられ続けるからだ。


DV被害者の精神的苦痛に対する理解に、この本がつながると良いと思う。


幸せとは何かを味わうために。


原題である「ドアにぶつかる女」と言うのは、DVの被害で医者に行くときに、怪我の言い訳として使われる理由。階段から落ちるとか。そして、病院にはそのような同じ言い訳をしている女たちがいるにもかかわらず、ポーラは、その女たちを「まっとうな理由で怪我をしている幸せな女たち」としてしか見ない。自分と同じ境遇だろうとは、考えないのだ。


原題に近い邦訳の方が良かったとは思うのだが、その「なぜ」はあとがきにも触れられていない。残念。わたしなら、「階段から転げ落ちる女」とでもするか。



[PR]
by eric-blog | 2017-04-30 11:24 | □週5プロジェクト17 | Comments(0)
<< ザ・サークル 年収90万円で東京ハッピーライフ >>