聖書を発見する

聖書を発見する

本田哲郎、岩波書店、2010

2760


ご近所にセブンスデーズアドベンティスト教会を発見したことで、本田さんに出会った。


「となる人」につながるような、「隣にいる人に対して抱く共感=憐れ」という語解は、漢字の偏が「こざとへん」か「にんべん」であるかの類似性も含めて、衝撃的だった。


そして、その衝撃は、次々と続く。


小さくされてしまったもの という弱者への視点の確かさはどうだ?


存在は、それ自体に小さいや大きいはないのだ。そのような価値を決めるのは社会なのだ。


障害、やもめ、病など。小さくされてしまったものに向けるイエスの視線。そして、ただただともにあろうとし、ともにあることで引き起こされた「奇蹟」にはとらわれない。それは神のしたことなのだから。


キリスト教が「愛」の宗教だとは聞いていた。

キリスト者の人々の社会奉仕活動、社会変革活動の力に驚いてもきた。


しかし、聖書はわからなかった。


本田さんが編集に関わった新共同訳で、聖書を一度、読んでみよう。


共著で「聖書と歎異抄」が近日出るらしい。これも、かなあ。


■備忘録

デウテロノミオン=ギリシア語で「二回めの掟」申命記、中国語では「再び命じる」

・いちばん小さくされた民


として選ばれた。


キリスト者として、著者は宗教を相対化することを呼びかける。福音は共通なのだから。

痛み、苦しみ、寂しさ、悔しさ、怒りを人との関わりの接点にして、そこから見えてきたやるべきこと、優先すべきことを選択していく。「福音」を信頼して歩みを起こすとはそういうことなのです。44


「いちばん小さくされている者たち」の側にいる。


孤児、やもめ、寄留民


「あなたは、寄留者、孤児の権利を曲げてはならない。またあなたはやもめの着物を担保にとってはならない。」226


イエスの出自も、「あのマリアの子」「石切の子」と差別的に見下される。88


エヒエ・アシェル・エヒエ「私はある。私はあるという者だ」と訳されているが、「いる」というニュアンスの方がいいのではないか。

わたしはいる。あなたとともにいるよ。と


そして、教会で聞いたものが多分こちら。


「わたしは自分が共感してしまう者の苦しみを共感し、心が動いてしまう者の痛みに心を動かす。」177


神様の人類救済のための行動の動機付けはこれなのです。


「はらわたをつき動かされる」スプランクニツォマイ 

ハプトマ「抱きしめた」


痛みの共感共有


分裂を持ち込む人、イエス 199


分裂を恐れず、立場の違いを鮮明にする。


分裂=スキスマ


アガペー「大切にする」人を人として大切にする。


人を小さくする親切。



[PR]
by eric-blog | 2017-04-14 18:14 | □週5プロジェクト17 | Comments(0)
<< 釜ヶ崎と福音 神は貧しく小さく... 徹底検証 日本の右傾化  >>