ピカドン ある原爆被災者の記録
福島菊次郎、復刊ドットコム、2017
2981冊目
初刊: 1961年、昭和36年
福島菊次郎さん、2015年9月、94歳で亡くなる。
その福島さんがアマチュア時代から撮り始めたヒロシマ、ナガサキ。
一週間前まで広島にいた部隊が移送されたために被爆を免れた。被爆者の姿は、自分の運命だったかもしれない、そんな思いが福島さんにはあった。
この写真が撮られ始めたのは昭和26年。すでに原爆から6年経っているというのに、状況は悪化の一途を辿っているのではないか?
どん底の生活から、生活保護がもらえるかと喜んでも、体に鞭打って海に出て得ている収入の分を引かれた上に、子ども5人の一家6人には全く足りない。
昭和35年、原爆医療法が改正され、入院治療を受けられるかと喜んでも、なんの手術も行われないまま一ヶ月で退院。
救いのない苦しみにカメラを向け続けることができたのは「仇をとってくれ!」と中村さんが言ったからだ。中村杉松さん。1967年昭和42年59歳で亡くなる。
原爆医療からも生活保護からも見放され、棄民された一家。
反骨の写真家
http://www.nhk.or.jp/ohayou/digest/2016/07/0731.html
杉松さんについてはこちら。
https://ameblo.jp/morashino/entry-12255494922.html
詳しくは、福島菊次郎著『ヒロシマの嘘』。
http://blog.livedoor.jp/shiderz402-seikei/archives/8273817.html