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国家と石綿 ルポ・アスベスト被害者「息ほしき人々」の闘い

国家と石綿 ルポ・アスベスト被害者「息ほしき人々」の闘い

永尾俊彦、現代書館、2016

2972冊目


「知ってた、できた、でもやらなかった」


このスローガンに、「国家」がしてきたことの全てが表されている。

あとがきに著者は言う。南米移民、満蒙開拓、アジア・太平洋戦争、水俣病などに共通する「棄民」政策なのだと。


「人の命の重みを重くする。」


そう言う判決が積み重ねられて、社会が、国家が変わる。その流れを確かなものにするクイが裁判なのだ。と。


判決は「群像の勝利」。2010年の諫早湾干拓工事開門訴訟での勝利に堀良一弁護士が言った言葉。350


産業発展のためには生命・健康が犠牲になってもやむを得ない。それが2011年大阪高裁の三浦潤裁判長が言ったことなのだ。泉南の人は死んでいい。


2015419日「泉南石綿の碑」が建立された。


新緑を 吸い込みいや増す悲しみぞ 息ほしき人のあるを知るゆえ


この本は、その苦しみと戦いと、同時に石綿産業で生きた人々の記録であり、裁判の現実のルポルタージュである。



公害資料館連携フォーラムでいただきました。ありがとうございます。


■ニッポン国vs泉南石綿ムラ

http://docudocu.jp/ishiwata/index.php

2018年4月6日、渋谷のユーロスペースでKSさんと見た。

13時から始まり、終わったのは16時45分。3時間を超える超ロングドキュメンタリー映画。

その後シナグロという有機野菜のレストランで夕食。疲労困憊でした。

2006年の裁判から、2016年の最高裁判決までの10年間で原告の21名が亡くなるという非情な国家行政。謝罪したのは塩崎厚生労働大臣だが、なんだかそれも腑に落ちない。

判決が出て、すぐに記者会見で謝罪。原告団が「当事者に謝罪を」と求めて初めて泉南を訪れて患者に謝罪。しかし、その人は、訪問の三日前に亡くなってしまっていた。

柚岡さんとは公害資料館フォーラムでお会いしたが、ご本人も石綿由来のがんにかかっていると映画のラストで紹介していた。

淡々と裁判によって闘う原告団の代表の一人、山田さんに原監督は迫る。なぜ、そんなにおとなしいのかと。効果のないことはしたくないと。昔、祖父が天皇に対する不敬罪で投獄されたことがあるのだと。

韓国にも、戦時中、石綿鉱山・工場は建設され、患者がいる。彼らに対する補償はどうなるのだろうか?


真綿で締め付けられていくような苦しさは、なかなか画面からは伝わらないが、その日の昼にたまたま見ていたNHKの番組で、シスターが「息をするということは、人間が最後の最後まですること」というようなことを言っていたことと相まって、息苦しさの辛さはいかほどかと思った。


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東京新聞2019年4月27日
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by eric-blog | 2017-12-18 17:39 | ■週5プロジェクト17
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