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講演録: 記憶と忘却 Memory and Amnesia

記憶と忘却

国際文化会館、20171017(火曜日)

講師: アンベス・R・オカンポ(アテネオ・デ・マニラ大学准教授)

モデレーター: 藤原 帰一(東京大学教授)

http://www.i-house.or.jp/programs/ihouselecture20171017/


歴史家としてオカンポさんは、フィリピンや日本社会に残っている様々な「記憶」を探り出す。その視線は、コンビニで売っている「ハロハロ」(実は日本のかき氷がルーツらしい!)、紙風船、街角の銅像など幅広い。つまらないことを覚えていることが面白いのだと言う。


同時に彼は「記憶していることと、忘れていることと。忘れていることは記憶していることの一部分なのだ」と指摘する。何を覚えていないか。


17-18世紀、そしてさらに16世紀まで遡りながら、昨日の敵は今日の友、その反対もとクルクルと変わってきた日比関係を紐解いていく。


国際理解教育カレンダーに、何を残そうか?

友好記念日である23日か、それとも外交関係が樹立された724日か。


何度も日本や中国を訪ねているオカンポさんが、長崎原爆資料館で気づいたことは、そこにアジアの被害の影もないことだった。


安来市加納美術館には、「赦し難きを赦す」と書かれた石碑がある。加納辰夫さんの平和活動を、いま安来市はユネスコ記憶遺産に登録しようと頑張っているようだ。

加納さんの平和運動は、1955Quirinoと出会ったことで始まった。

http://www.art-kano.jp


彼の祖父が、自分自身の妻と二人の娘を日本軍に殺されたが、1953年に114人の日本人POWに特赦を与えたのだ。彼が言ったことは「子どもたちに憎しみを相続して欲しくない」と言う言葉だ。


この行動で、祖父は彼自身の記憶からも解放されたのではないかと。


歴史はまた、人と人とのつながりのことでもある。フィリピン大使館は素晴らしい建物なのだが、オノ・ヨーコさんの生家でもある。


2016年に天皇皇后がフィリピンを訪問した際、「英雄墓地」を訪れた時、彼らが1分近くも深くお辞儀をし、それは日本人戦没者墓地でのお辞儀より長かったことを記憶する。


日本の神風特攻隊が最初に生まれたのもフィリピンで、そこには記念碑が建っている。なぜ、こんな碑をを立てるのかと言う指摘はある。

http://blog.goo.ne.jp/sakurasakuya7/e/4b309fa13f13ef5d1e71dc856c152d24

(それを、このページが示すように、日本の右翼は、あたかもフィリピン人が特攻隊を英雄視している証しであるかのように、短絡しているのも笑止だが。)


この記念碑の話をオカンポさんは、「マルコス大統領を英雄墓地に埋葬すべきかどうか」の論争の流れで言ったのだ。日本の靖国問題が理解できた気がすると言って。


16世紀にはすでに1000人もの日本人がフィリピンにいた。スペイン人の残した地図が、今はメキシコに保存されているのだが、中国人街の記述がある。日本人街もそこにある。


高山右近は有名だ。彼の生誕地にも銅像があるが、実はフィリピンのマニラにもある。


長崎の殉教者たちは、ほとんどがマニラ経由で日本に渡っている。支倉の旅の記録があるが1619年の手紙で「お土産」を持ち帰ると書いていて、実際にはそのお土産は短刀だったのだが、インドネシアのもの。仙台に残っている。


16世紀の象牙装飾品にも「日本人女性La Japonesa」と名付けられた肖像画がある。


茶席での儀礼にもカソリック様式が影響していると指摘したら、日本人の友人はあまり同意しなかった。


NHKの黄金の日々は良かった。


フィリピンの英雄の愛人だった女性が雑司が谷霊園に埋葬されている。

山下公園にある初めてのフィリピンレストランKARIHAN LUVIMINは今は聘珍楼になっている。


マリアノ・ポンセは日本人の中村と親交があったが、フィリピンで「ナカムラ」と言うと安く物を買う行動のこと。

天ぷらも、ポルトガルからフィリピン経由で日本へ16世紀に。


オカンポさんは、写真も紐解く。日本人だと言って写っているのがSun Yat-sen (孫逸仙=孫文)であったり。


じゃんけんぽんもJack En Poy

TANSAN飲料もある。蚊取り線香はKatulだし。


さて、忘れたものはなんだろうか。


I enter the future with a memory of the past. Jose Risal


1954年のアジア競技大会での南部敦子さんの活躍が、日本人に対するフィリピン人の気持ちを和らげたりと。歴史は複雑だ。


Q&Aの時に、一人フィリピン人女性の肩が、自分の母があの時代のことを語りたがらない、80代の彼女の記憶を60代の私はすでに知らないと質問。

それに対してオカンポさんは「口承記録を集めるようにしている」と。過去についてRemain Angryしながら記憶するのか。


Q: 米国では南軍の像が破壊されている。

A: 9年間、政府の公文書館で働いていた。公式の歴史観しか語れなかった。多くのことに不同意であったが立場上仕方なかった。今は大学でも教えているが自由に語れる。批判的な観点もだ。歴史家は教科書を書かない。彼らが描くと細かすぎる。教科書は現場の先生に大筋を示して描きあげている。


Q: マッカーサー室というのがマニラにもあるようだが、彼の人気はどうなのか。

A: 彼の父が言っときフィリピン総統だったので。割と印象がいい。


Q: 安倍首相が2015年戦後70年談話についてはどう思うか。村山談話を引き継ぐと言いながら、「いいこともした。」という内容を加えたものだ。(読売、高山?)

A: どの談話か、読んだかどうかわからない。日本との関係は続く。

A: (藤原) それについては事前に要望を出している。期待通りではなかったが、あの談話のポイントは「ずっと謝り続けるのは嫌だよ」ということだ。多くの被害者の感情を踏みにじったと思う。


Q: フィリピンはスペイン、アメリカ、日本、そしてアメリカといろいろな国に支配されてきた。それぞれに国に対する印象はどうなのか。

A: 多くの人は教科書のイメージに支配されている。今の大人はマルコス時代に米国寄りで書かれた歴史書で育っているので親米だ。1898年に独立を奪った国なのに。

歴史家は、歴史を後になってから見るので、benefit of perspectiveが得られる。


とても面白かった。つまらないことを覚えていること。なるほど。

そして、「記憶」はとても政治的だということ。

慰安婦問題や炭鉱労働者、強制収容所などの「負」の記憶をなぜ覚えていようとするのか。それが課題だと思った。What & Why


Whyには多くの普遍性と共通項があるのではないか。



by eric-blog | 2017-10-18 11:10 | ◇ブログ&プロフィール
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